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長行チャペル通信コミュのSさんの追悼礼拝

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Sさんの追悼礼拝記録

 33歳の若さで1児を残して天国に旅立ったSさんの追悼礼拝を長行チャペルで行ったので、記録のために、当日のプログラムをここに掲示します。残されたご遺族の上に心から神さまのなぐさめがあるように祈ります。
             
          長行チャペル  牧師 若木太郎 


故 S・S・Dさんの追悼記念礼拝  2006年6月25日

(ご挨拶)司式者 長行チャペル牧師 若木太郎

 S・S・Dさんは、1972年にアメリカ合衆国メリーランド州で、父デさん母アさん夫妻の次女として生まれました。幼い時から両親の勤務地の関係で、米国本土だけでなく、沖縄や日本各地の米軍基地にも住みました。その間、北九州市の伯父、河さん夫妻宅を度々訪れて逗留しました。特に祖母のマさんには可愛がられました。大学卒業後は岐阜県の高等学校で英語補助教師として働いたこともありました。

 2004年6月ドさんと結婚して東京に住みました。そして愛娘キちゃんを身ごもり2005年12月に出産しました。そのときの受診で、重い動脈瘤が見つかりました。直ちに最高の医療(手術)を受けて一命を取り留めましたが全治しませんでした。一時は帰宅できた時もあったようですが、病状は重くなり、遂に2006年5月21日、地上の生涯を終えて主の御許に召されました。享年33でした・遺族は夫ドさん、愛娘キさんです。

 S・S・Dさんの信仰暦の詳細はわかりませんが、2003年11月22日、フランシスカンチャペルセンターで受洗しておられます。葬儀も同チャペルで行われました。

 長行チャペルで本日の記念礼拝を持つに至った経緯は次の通りです。S・S・Dさんは生前、「わたしが召されたら、遺骨は祖母マさんの横に安置して欲しい」とドさんに表明していたようです。どさんはこれを重く受け止め、河さんを通して長行チャペルに打診がありました。わたしたち長行チャペルの役員会は、S・S・Dさんの心情を思い、どさんの願いに賛同しました。本日は真心を持って追悼礼拝を献げ、ご遺骨を復活の家に暫く安置することにします。ご遺骨は、いずれどさんが米国に持ち帰り、ド家の慣例に従って、然るべきところに埋葬されるでしょう。ただ暫くでも長行チャペルの復活の家(納骨堂)の祖母マさんの隣に安置したことで、S・S・Dさんの願いも叶えられたことになりましょう

 旧約聖書創世記50章には、ヨセフが自分の遺骨のことで、子供や孫に遺言した記録があります。主イエスさまのご遺体も、アリマタヤのヨセフの配慮で、新しい墓に葬られて、復活の朝を待ったとあります。いずれにしても、これらのことは、キリスト教信仰の本質の問題ではなく、心情の問題です。愛を持って行うのが一番大切かと思います。みなさまのご理解とご協力を得て、本日の追悼礼拝を進めます。宜しくお願いします。終わりに、ケヴィンさんと遺された愛娘キエラさんの上に、神さまの憐れみと慰めを祈ります。併せて、本日の礼拝出席者に上に神様の豊かな祝福がありますように祈ります。



前奏                         
頌栄 新聖歌60番(天地こぞりて)      会衆一同
◇天地こぞりて かしこみたたえよ。 恵みあふるる父、御子 御霊を アーメン
◇開会祈祷                    司会者

―共に讃美を ―
今朝わたしたちは、S・S・Dさんの召天(逝去)を思い、遺族の悲しみに共感しつつ、目を天に向けて、新聖歌160(神さまの真実)、聖歌645(天国の喜び)、新聖歌471(天国への招き)の3曲を讃美します。

◇新聖歌160 主の真理は荒磯の岩
1、主の真理は荒磯の岩  逆巻く波にもなどか動かん  
  奇しきかな天つ御神  げに尊きかなとこしえの主

2、主の恵みは浜の真砂   その数いかでか計り得べき  
  奇しきかな天つ御神   げに尊きかなとこしえの主

3、移り行く世、定めなき身 ただ主に頼りて安きぞ得ん 
  奇しきかな天つ御神   げに尊きかなとこしえの主

4、積もれる罪深き汚れ   ただ主に仰ぎて救いをぞ得ん   奇しきかな天つ御神   げに尊きかなとこしえの主
 
◇聖 歌645 父の神がわれら
1、父の神がわれら  信仰している民に 供えられた住まい  そこに我らは行く やがて我ら聖い向こう岸で 
  共に手をば取りて 喜びあおう

2、青い空に雲の   かけらすら見えず そこで我ら声をあ  わせ歌うたおう  やがて我ら聖い向こう岸で 
  共に手をば取りて 喜びあおう

3、救い受けたわれら 御恵みの数々   父の神の前で 
  広げよう感謝もて やがて我ら聖い向こう岸で 
  共に手をば取りて 喜びあおう

◇新聖歌471 われ聞けり
1、われ聞けり、かなたには麗しき都あり 輝ける彼の岸に   われは間もなく着かん「ハレルヤ」と歌いつつ歌いつつ 
  進み行かんわが足は重けれど 導き給え主よ

2、われ聞けり、かしこには争いも煩いも明日の憂いもなしと  われは間もなく着かん「ハレルヤ」と歌いなば悲しみも   幸とならん我ははやさ迷わじ神共にいませば

3、われ聞けり、御冠と真白き衣つけ主をほむる民ありと 
  われも共に歌わん「ハレルヤ」と叫びつつ御声聞きて 
  喜び御国へと昇り行かん我が旅路終わらば

―共に祈りをー
◇平和の挨拶                  司会者
◇来会者の紹介                  牧師
◇祈祷課題                    牧師
?故S・S・Dさんの遺族ドさんと遺児ケさん、並びに親族友人 など、本日の追悼記念礼拝に出席された方々の上に、神さま の慰めと祝福があるように。

?この追悼礼拝がイエスさまの導きと助けによって最後まで守 られ、出席者が一同が神さまの栄光を仰ぎみることができる ように。

?長行チャペルの関係者をはじめ、すべての方々の上に、神さ まの導きと祝福があるように。

◇祈り(奏楽のうちに)             会衆一同◇牧会祈祷                    牧師
 天の父なる神さま、私たちは特別な思いをもって、この追悼記念礼拝の場に居ります。あなたは過ぐる5月21日、S・S・Dさんを天国へ召されました。地上の使命を終えての召しとはいえ、33歳という生涯はあまりにも早いお召であると思います。遺された夫ドさんと愛娘キさんのことを思うと、わたし達には慰めの言葉も見つかりせん。
どうか神さま、この追悼礼拝を通して、わたし達にあなたの深い御旨をお示し下さい。御言葉に対する信仰と、聖霊の助けによって、私達が心からS・S・Dさんの人生を想い、人生が厳粛なものであることを教えて下さい。ドさんと遺族の方々に、真実の慰めのことばを語ることのできる者にして下さい。更に、すべての人の幸福を祈ることのできる者にして下さい。
 S・S・Dさんは、限りなきご慈愛によってあなたの救いに与り、2003年11月23日に洗礼を受けました。ですから、彼女の魂は十字架の血によってきよめられ、信仰の道を辿って御もとに召されたと信じます。今は天国にあって御前に仕える聖徒たちと共に、栄光の主をほめ称えていることでしょう。そのように信じて、わたしたちは聖名を崇めます。
 とはいえ、最愛の妻を亡くしたケヴィンさんの深い悲しみと痛みは、まことに「遣る瀬無い」ものであると思います。主イエスさま、ケヴィンさんを覚えて下さい。あなたが顧みと癒しを彼に与えて下さい。そして遺された幼いキエラさんを守って、恙無く成長し、その人生を全うさせて下さい。ふたりの上にあなたの平安と慰めをお祈りします。
わたしたちはこの礼拝が復活信仰を確認し、互いに慰め励まし合う時となるようにと願っています。更に私達は、ひとりひとりが人の世の儚さを深く思い、天国に至る知恵をあなたから与えて頂き、天を仰ぎ望みつつ、信仰の道を全うすることができるようにと願っています。そのようにして下さい。都合で本日の礼拝に出席できない人達も覚えて下さい。
最後に、S・S・Dさんと私達はしばらく相見ることはできませ ん。その住まいは天国と地上に分かたれました。しかし、共に父なる神を仰ぎ、救い主キリストさまを信じ、聖霊による聖徒の交わりの中にあることを堅く信じます。この信仰に立って、厳かな思いで追悼礼拝を奉げております。どうぞ、ご遺族と全会衆の上にあなたの栄光を見させて下さい。慰めに満ちたわたしたちの主イエス・キリストの御名によってお祈りします。アーメン。

◇主の祈り 奏楽のうちに主の祈りを献げます。 会衆一同
天にまします我らの父よ
願わくは み名をあがめさせたまえ み国を来たらせたまえ み心の天に成る如く 
地にもなさせたまえ 我らの日用の糧を 今日も与えたまえ 我らに罪を犯す者を 
我らが赦す如く 我らの罪をも赦したまえ 我らを試みに遭わせず 悪より救い出したまえ 
国と力と栄えとは限りなく 汝のものなればなり  アーメン

―共に御言葉をー    
◇交読文 テサロニケ人への第一の手紙4章13-18節を交読し     ます。       
司会者:兄弟たちよ。眠っている人々については、無知でいてもらいたくない。

会 衆:望みを持たない外の人々のように、あなたがたが悲しむことのないためである。

司会者:わたしたちが信じているように、イエスが死んで復活されたからには、同様に神はイエスにあって眠っている人々をも、イエスと一緒に導き出して下さるであろう。

会衆:わたしたちは主の言葉によって言うが、生きながらえて主の来臨の時まで残るわたしたちが、眠った人々より先になることは、決してないであろう。

司会者:すなわち、主ご自身が天使のかしらの声と神のラッパの鳴り響くうちに、合図の声で、天から下ってこられる。

会 衆;その時、キリストにあって死んだ人々が、まず最初によみがえり、

司会者:それから生き残っているわたしたちが、彼らと共に雲に包まれて引き上げられ、空中で主に会い、こうして、いつも主と共にいるであろう。

会 衆
から、あなたがたは、これらの言葉をもって互に慰め合いなさい。

◇使徒信条告白 共に使徒信条を告白します。   会衆一同 我は天地の造り主、全能の父なる神を信ず。我はその独り子、我らの主、イエス・キリストを信ず。主は聖霊によりてやどり、おとめマリヤより生れ、ポンテオピラトのもとに苦しみを受け、十字架につけられ、死にて葬られ、陰府にくだり、三日目に死人の内よりよみがえり、天にのぼり、全能の父なる神の右に座したまえり。かしこよりきたりて生ける者と死にたる者とを審きたまわん。我は聖霊を信ず。聖なる公同の教会、聖徒の交わり、罪のゆるし、からだのよみがえり、とこしえの命を信ず。アーメン

◇聖書朗読 聖書を朗読します。
第1の箇所 ルカによる福音書7章11―17節         そののち、間もなく、ナインという町へおいでになったが、弟子たちや大ぜいの群衆も一緒に行った。町の門に近づかれると、ちょうど、あるやもめにとってひとりむすこであった者が死んだので、葬りに出すところであった。大ぜいの町の人たちが、その母につきそっていた。
 主はこの婦人を見て深い同情を寄せられ、「泣かないでいなさい」と言われた。そして近寄って棺に手をかけられると、かついでいる者たちが立ち止まったので、「若者よ、さあ、起きなさい」と言われた。すると、死人が起き上がって物を言い出した。イエスは彼をその母にお渡しになった。人々はみな恐れをいだき、「大預言者がわたしたちの間に現れた」、また、「神はその民を顧みてくださった」と言って、神をほめたたえた。イエスについてのこの話は、ユダヤ全土およびその附近のいたる所にひろまった。

第2の箇所 ヨハネによる福音者3:16
 神はそのひとり子を賜わったほどに、この世を愛して下さった。それは御子を信じる者がひとりも滅びないで、永遠の命を得るためである。


◇説  教 「泣かないでいなさい」                         牧 師
(はじめに)
 人は時々どうしようもない立場に置かれることがあります。今のケヴィンさんがまさにその立場にあると思います。私達は最愛の妻を失ったドさんの気持をある程度は察して同情できても、それ以上のことは何も出来ません。もしどさんの心を癒すものがあるとするならば、それは聖書の御言葉しかないと思います。私は今、ルカによる福音者7章13節で、ナインの寡婦に言われた主イエスさまの言葉「泣かないでいなさい」をドさんに贈ります。それはこの言葉が、生命の主であり、人類の救い主であるイエスさまのことばだからです。ドさんがこの御言葉に慰めを見出されるなら幸いです。

(本論要旨)
1、遣る瀬無い現実
日本語に「やるせない」という言葉があります。漢字では「遣る瀬無い」と書きます。「思いを晴らす手段がない、つらくて切ない、耐え難い」などの意味があります.このナインの寡婦も「遣る瀬無い思い」だったのではないでしょうか。ドさんも、ご親戚の方々も同じように遣る瀬無い思いで居られることでしょう。

ところで現代人は、多くの科学的知識や才能で、さまざまな困難や問題は克服してきました。そのため、多くの人が、冨を追求し、経済的、物質的に豊かになれば、人生はすべて幸福であり、生涯の目的は成ったと誤解しておられるように見えます。しかし人生には、私達の努力ではどうしても解決できない、罪の問題と生死の問題があることは忘れ勝ちです。この二つに関しては多くの人は無力です。現代人といえども、この事実は認めなくてはなりません。
 ドさんも今回のできごとで、そのことを痛感されておられることでしょう。夏目漱石は、5女のひな子さんが死んだとき「死を生に変化させる努力でなければ、すべてが虚しい」と日記に書き残しています。私達の心を打つ言葉です。

2、聖書に見る遣る瀬無さ(苦難)の解釈
 旧約聖書に登場するヨブも多くの苦難を体験しました。家族の死、財産の喪失、疾病、妻や友人の無理解などまさに遣る瀬無い立場に置かれました。結論からいうと、ヨブは友人の慰めの言葉や苦難の説明には納得できず、ヨブが神さまを新しい思いで見上げたときに光を見出しました。
 預言者エゼキエルも遣る瀬無い経験をした人です。彼は書いています。「また主の言葉がわたしに臨んだ、『人の子よ、見よ、わたしは、にわかにあなたの目の喜ぶ者を取り去る。嘆いてはならない。泣いてはならない。涙を流してはならない。声をたてずに嘆け。死人のために嘆き悲しむな。ずきんをかぶり、足にくつをはけ。口をおおうな。嘆きのパンを食べるな』。朝のうちに、わたしは人々に語ったが、夕べには、わたしの妻は死んだ。翌朝わたしは命じられたようにした」。エゼキエル書24:12-18
 そしてナインの寡婦も同じです。彼女は寡婦でした。一人息子は彼女のすべてのすべてだったでしょう。その子が死んだのです。これも遣る瀬無い話です。

3、藤井武先生のこと
多くの信仰者がこの遣る瀬無い(苦難)立場に立たされます。ただ記録が少ないので、私達は記録された僅かな例しか知ることができません。内村鑑三先生の影響でクリスチャンになった藤井武先生の例は、記録された稀な例です。藤井武は一高・同大を出て内務官僚になり、将来を嘱望されていました。29歳で断然官界を辞し、一介の文書伝道者となり、福音のために奮闘しました。彼を助けたのは妻の喬子さんでした。ところが1921年10月、35歳のとき、愛妻喬子さんが5人のこどもを残して29歳で召されました。藤井先生の悲嘆は大きく、そのときの心境を「夕にわが妻は死ねり」と題して書き残しています。    
 この悲嘆の中から、14233行に及ぶ名詩「小羊の婚姻」という大叙事詩がが生まれました。藤井武先生は、「私は信ずる、人生の禍いを如実に深刻に味い得るこころは、神の我等に与え給う最大の賜物の一つであることを。神は其の子等をして先づ人らしき人たらしめ給う。兄弟の死を傷みて泣くマリヤを見て、共に「涙を流し」給いしイエスの心を有たない者は、たとい何であろうとも神の子ではない。

 神に頼る者に悲哀はなくならない、却てそれは愈々(いよいよ)深くなりまさるのである。‥神が彼等を突き放したのである。神は昔より屡々、己に信頼する者を却て荒浪の中に突き放して、而して意地悪くも自己の姿を匿し給うたのである。‥‥恩恵の途を奥深く分け入りし神の子等にして、この苦がき試煉に遇わない者がある乎。」

 また「邪(よこしま)なる世にありて信仰を守ること多年、霊的悪闘を続けたる基督者にして、右に掲げたる如き詩篇の言を己が実験の声と為さない者がある乎。信仰の生涯は決して讃美感謝の連続のみではない。其間に恐るべき試煉がある。神のみかおを見失うは基督者の苦難の最大なるものである。而も神は時として彼等になやみを与うると共に自ら姿を匿し給う。これ彼が特にその愛する者に対して取り給う最も意味深き処置であると見える」と。

(神を見上げて)
 遣る瀬無さ(苦難)の解決は、人間の同情レベルで考えても光が見えてきません。「泣かないでもよい」と言われたイエス様は、「その独り子を賜った神さまに」従い、十字架の道を辿って、最後は贖罪の血を流された方です。この方と直接に対面した時、今までとは違った価値観と霊の世界が見えてくるのではないでしょうか。解決の糸口はイエスさまによって地上の命よりも大切なものがある。信仰によって与えられる霊の命、永遠の命があることがわかることです。この命が見えたとき、あるいは信じられたとき、私達は神さまのなさったことに、その理由や意味が今は分からなくてもアーメンと言えるようになるのです。サブリナさんの母方の家系には、そいうクリスチャン信仰の血が脈脈と流れているように思えます。源流は5代前からですが、特に曽祖父、河井秀雄さんはそういう信仰に生きたようです。
 私達は、ダさんを力づけること何も出来ませんが、ダさんのために祈ることはできます。共に祈りましょう。祈りを通して現世の命にまさる永遠のいのちの存在をお互いが知ることができます。そのとき、詩人、星野富弘さんが歌ったように、今の命と、今の生活の大事さも分かって来ます。           
    いのちが一番大切だと思っていたころ
    生きるのが苦しかった
  いのちより大切なものがあると知った日
   生きているのが嬉しかった   (星野富弘)

                 
― 納 骨 式 −
ただいまからS・S・Dさんの納骨の式を執り行います。

◇讃美 新聖歌233番「驚くばかりの」の1―2節を讃美します。                     会衆一同
1、驚くばかりの恵みなりき、この身の汚れを知れるわれに
2、めぐみはわが身の恐れを消し、まかする心を起こさせたり

◇聖  書 聖書を読みます。           司式者
 わたしは裸で母の胎を出た。また裸でかしこに帰ろう。主が与え、主が取られたのだ。 主のみ名はほむべきかな」。(ヨブ記1章21節) 

 わたしは知る、わたしをあがなう者は生きておられる、後の日に彼は必ず地の上に立たれる。わたしの皮がこのように滅ぼされたのち、わたしは肉を離れて神を見るであろう。(ヨブ記19:25−26節)
 わたしたちが神の子と呼ばれるためには、どんなに大きな愛を父から賜わったことか、よく考えてみなさい。わたしたちは、すでに神の子なのである。世がわたしたちを知らないのは、父を知らなかったからである。愛する者たちよ。わたしたちは今や神の子である。しかし、わたしたちがどうなるのか、まだ明らかではない。彼が現れる時、わたしたちは、自分たちが彼に似るものとなることを知っている。そのまことの御姿を見るからである。彼についてこの望みをいだいている者は皆、彼がきよくあられるように、自らをきよくする。(ヨハネ第1の手紙3:1一3)

 わたしはまた、新しい天と新しい地とを見た。先の天と地とは消え去り、海もなくなってしまった。また,聖なる都、新しいエルサレムが、夫のために着飾った花嫁のように用意をととのえて、神のもとを出て、天から下って来るのを見た。また、御座から大きな声が叫ぶのを聞いた、「見よ、神の幕屋が人と共にあり、神が人と共に住み、人は神の民となり、神自ら人と共にいまして、人の目から涙を全くぬぐいとって下さる。もはや、死もなく、悲しみも、叫びも、痛みもない。先のものが、すでに過ぎ去ったからである」。すると、御座にいますかたが言われた、「見よ、わたしはすべてのものを新たにする」。また言われた、「書きしるせ。これらの言葉は、信ずべきであり、まことである」。そして、わたしに仰せられた、「事はすでに成った、わたしは、アルパでありオメガである。初めであり終りである。かわいている者には、いのちの水の泉から価なしに飲ませよう。勝利を得る者は、これらのものを受け継ぐであろう。わたしは彼の神となり、彼はわたしの子となる。 (黙示録21;1−8)

◇祈祷 お祈りを献げます。           司式者
 いつくしみ深い天の父なる神さま、
主イエス・キリストはわたしたちの罪のために十字架に死なれ、ヨセフが備えた墓に御体を憩わせ、その所を栄光に輝くよみがえりの場となさいました。今わたしたちは深い御旨によって召されたサブリナさんの遺骨(なきがら)を、長行チャペルの復活の家に収め、終りの日のよみがえりを主によって待ち望みます。主はいつくしみをもってサブリナさんを御救いに入れ、その御体である教会につらならせて下さいました。

 今よりのち、私達は住む所を異にしますが、主によって結ばれた信仰の交わりは絶えることがなく、常に望みに生きて、主の栄光をあらわすことを得させて下さい。また、私達もやがて召される日には、サブリナさんと共に主のみ前に立ち、永遠に生きておられるあなたの聖名を褒め称えることを得させて下さい。主イエス・キリストの御名によってお祈りします。アーメン。

◇讃美 新聖歌233番3―4節 驚くばかりの   会衆一同
3、危険をも罠をも逃れ得たるは 恵みの御わざと言うほかなし
4、御国に着く朝いよよ高く  恵みの御神を讃えまつらん
 
◇納骨 ―奏楽のうちにー

― 共に献身を ー
◇献金 新聖歌474( 遺児キさんのために)
1、主が私の手を取って下さいます。どうして怖がったり逃   げたりするでしょう。優しい主の手にすべてを任せて 
  旅ができるとは何たる恵みでしょう

2、ある時は雨で、ある時は風で 困難はするけれど 
  何ともおもいません 優しい主の手すべてを任せて 
  旅ができるとは何たる恵みでしょう

3、いつまで歩くか どこまで行くのか 主がその御旨を 
  成し給うままです 優しい主の手に すべてを任せて 
  旅ができるとは 何たる恵みでしょう

4、誰もがたどりつく 大川も平気です 主がついていれば   わけなく超えましょう 優しい主の手に すべてを任せて  旅ができるとは 何たる恵みでしょう

◇感謝祈祷                   小・潤・

◇頌栄 新聖歌63番 
 父・御・御霊のおおみかみに とこしえ変わらず 御栄えあれ御栄えあれ   会衆一同
◇祝祷  (アーメン三唱)              牧師

◇挨  拶  河さん  デさん
◇事務報告   

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