1745年に、スコットランド、ステュアート王家のチャールズ・エドワード・ステュアートは、フランスから援助の約束を取り付けて王位継承権を争う戦を起こした。しかしチャールズは、1746年にインヴァネス州カロデン・ムアの沼沢地で大敗し、頼みのフランスとも連絡が取れず、スコットランドのスカイ島への逃走を余儀なくされる。ここでチャールズの首には多額の賞金がかけられたのにも関わらず(部下などに首を取られることなく)、チャールズはフランスへの亡命に成功している。その際、彼を護衛していたハイランドの兵士を代表してジョン・マッキノン(John Mackinnon)に、褒美として王家秘伝の酒の製法が授けられた。この酒がドランブイである。したがって、ステュアート王家から門外不出だった秘酒ドランブイがマッキノン家に伝わったのは、1746年のことだったと考えられている。この逸話にちなみ、今日のドランブイのラベルには"Prince Charles Edward's Liqueur"と印字されている。