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猫や犬等を捨てる人を減らし隊コミュのイオマンテ(クマ送り)について

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皆さんはじめまして。
私は北海道在住の人間で、アイヌ文化を学び、その伝承活動に携わっている者です。アイヌではなく和人の一人です。

以前のトピックでは、「ウタリ協会、環境省に問い合わせをされた方がどのような返事を戴いたかの結果のコメントのみでお願い致します。 」ということになりましたが、私としてはどうしても腑に落ちないのでいろいろ考えた上で新しいトピックを立て書き込むことにしました。
削除されてしまうかもしれませんが、このコミュニティをご覧の方にぜひ考えて欲しいと思って書き込むことにしました。
長くなりますがぜひ最後まで読んでください。
反対意見もぜひ聞きたいと思います。
その場合、具体的にどこがどうおかしいのかぜひ教えてください。

私はここで一連の議論を見ていて非常に残念に思っています。
多くの人はアイヌを下の存在に見、その深い内容を知ろうともせずただ表面的に抗議しようとしています。
イオマンテについて「よく分からないけど」とりあえず抗議するという態度はあまりにも無責任であると私は感じます。
アイヌなんてどうでもいいなどと公言している人もいます。

このトピックは、一切反対意見を述べることのできないところなのでしょうか。
「動物愛護」を信条としている人の中にもいろいろな人がいるはずです。
もし、このコミュニティが、管理人や多数派の違う意見を持っていたり、反論したりすることが許されないような、そういう閉鎖的なコミュニティなのだとしたら、私の投稿を削除されてしまうかもしれません。

しかし、皆さんの考えてらっしゃる動物愛護の精神を広めるためにも、違う考えの人と対話・討論することが大事なはずです。
私自身も、たとえば、人間の無責任さによって放置され、保健所で殺されてしまうペットたちの存在に心を痛めている人間ですし、生き物の命の大切さを私なりに大事にして生きているつもりです。
しかしここで行われている議論を読んでいて違和感を覚えることも多々ありました。それで書き込むことにした次第です。

まず、イオマンテは神への「いけにえ」であると勘違いしている方が多いようですが、すでに指摘された方もいらっしゃるように、
イオマンテは神へのいけにえではなく、アイヌにとっての神(カムイ)であるクマの魂を神の国に送り返す儀式です。
クマは神へのいけにえではなく、クマそのものが神なのです。

クマはほんとに神なのか証拠があるのかという質問をしてる人がいましたが、はっきり言ってナンセンスです。
イエス・キリストが神だという証拠はあるのかとか、極楽浄土なんてほんとにあるのか、お前見たのか、というのと同じぐらいバカバカしい質問です。
日本人にお地蔵様なんて単なる石ころじゃないか、あれが菩薩様だという証拠を出せ、と言ってるのと同じです。

アイヌの文化なんてなくなっていい、どうでもいい、知る必要ない、などと差別的な言辞を吐いている人もいましたが私は非常に腹が立つと同時に悲しくなりました。
そういう人たちに自分たちと違う価値観を持つ人々を理解しようという姿勢は皆無です。こういう人がこの世の中にたくさんいるから差別や偏見がなかなかなくならないのでしょう。
(何度も言いますがそれはここにいる全員というわけではありません。)

ほかの生物同様、人間は多かれ少なかれほかの生物の命を奪うことによって生きています。
ライオンがシマウマやガゼルを捕食したり、ヘビが鳥を捕食するのと同じように人間が他の生物を殺して食べるのもこれまた自然の摂理です。
人間も生物の一種なのですから、人間がほかの生物の命を奪うのはほかの生物と同じです。
獣に限らず、海を泳いでいる魚もそうですし、根本的には野菜なども同じです。
すでに認めてらっしゃる方もいらっしゃるように植物も生き物ですからベジタリアンであっても植物の命をいただいているのですから存在するのは相対的な違いのみです。

逆に人間が野生のクマに襲われたり、身を守ろうとする毒ヘビにかまれて死んだとしても、大きな自然界の中で見たならばこれらはすべて自然な行為です。

シマウマを捕食するライオンに「動物の権利」を訴えたり、可憐な野ウサギを捕食するキツネに「動物愛護」を説教しても何の意味もありません。
動物相手に人権だの動物権だの訴えても何の意味もないし、自然界にそんなものが実在するわけではありません。大きな目で見るならば、人間も大自然の構成要素の一つに過ぎません。

ただし、人間は持っている力が大きく、地球の環境にもっとも大きな影響力を持っていますし、自分たちのしていることを比較的把握する思考力を持っています。
在来種を食べ尽くしてしまうブラックバスに自分のしていることを認識させ、自重させることはできませんが、人間は自分のしていることを認識し、ある程度抑えることができます。
そのことに気づいた近代の人間がエコロジーとか自然保護という考えを持つようになりました。
それと同じく「動物の権利」とか「動物愛護の精神」というものも所詮、近代になって人間が自分の頭の中で作り上げた「概念」に過ぎません。
ずばり言うならばこれは近代文明の産物です。
(だからといって「不要」だとか「無意味」だと言っているわけではありませんのでその辺誤解のないようにお願いします。私も無駄な殺生はできるだけなくすべきだと考えています。)
今現在の人間が動物を殺す行為を「かわいそう」と思うようになったので、それを権利という言葉で説明しているに過ぎないのです。

生き物が「かわいそう」で殺せなかったら昔の人ならば猟がなく飢え死にします。
これは動物に限らず、川や海を泳ぐ魚もそうですし、命を奪っているという点では植物も同じです。
植物は声を出したり苦しんでいるようには思えないので、心が痛まないかもしれませんが、やはりこれまた命です。
植物だけ特別で動物を食べるのいけないという線引きは人間の勝手な概念にすぎません。
アイヌならば、山に入って山菜をとったり木を切り倒す時にも感謝の祈りを捧げたものだと言います。

すでに指摘している人もいますが、クマを殺して食べたり毛皮を利用するのが残酷ならば、牛や豚を飼ってそれを殺して食べるのも同じ生命を奪っているわけでほとんど同じ行為です。
ただ牛や豚は屠殺で殺して肉になったものを買って食べてるので、ほかの生命の命を奪っていることを意識することは少ないですが、焼肉屋で焼肉を食べるのと、狩猟民族が野山で獣を狩って食べるのは、自分の手で命を奪っているかどうかの違いでしかなく、本質的に同じ行為のはずです。
昔は日本の農村でも自分たちで家畜を屠殺して食べていたわけで、まだその時代は日本人も動物の命を奪って自分たちは生きていることをより強く意識していたはずです。

誤解されてる方が多いようですが、イオマンテはただクマを殺す儀式ではありません。
クマの肉はもちろん神の恵みとしていただきますし、その他胆嚢(クマの胆)は薬として、また毛皮なども利用します。
肉だけではなく、脳みそや内臓、血など、無駄なところはないぐらい頂いた恵みを活用します。
ですので、ただ「殺す」儀式ではないのです。
あくまで肉や毛皮を利用するために殺すわけであって、そのことに関する感謝の儀式であると解釈できます。
殺すことそのものは目的ではありません。
またアイヌの世界観ではクマの肉体はあくまで仮の姿であって霊魂が本質であり永遠不滅です。

それから皆さん誤解があるようですが、イオマンテで送られるクマは、2歳・3歳となればかなり大きくなっているので、おそらく皆さんの多くのイメージしているであろう子グマよりは相当大きいものです。
人間が相撲しても勝てません。人間の指も平気で食いちぎります。
子グマを殺すのが残酷ならば子羊を殺して作られるラム肉は残酷ではないのでしょうか。
最近は全国的にジンギスカンブームだそうですが、「動物愛護」の方はジンギスカンブームにも抗議なされるのでしょうか。

もう一つ誤解がありますが、イオマンテで最後のとどめは弓矢でやるわけではありません。
ヘペレアイという木で作った花矢を何本もクマに射かけますが木なので刺さりません。これは神の国へのお土産として心をこめて作るもので美しい模様が丹念に掘り込まれています。
ただしイソノレアイといって、竹などで作った本当に刺さる矢を射ることもありますがイオマンテではトリカブトの毒は使わないので、矢で死にませんし、これを使わない地方もあります。レクチヌンパニという木の棒で窒息させます。
ただし近代以降は銃を使ったりして一息に送ることもあります。
クマの命を奪う方法についてはもしかしたら変更の余地があるかもしれません。
(しかし殺害方法が変わったとしても動物の命を奪っていることには変わりませんので私は副次的な問題であると考えますが。)

また動物の命を奪うという行為は食肉に限りません。
たとえばここにいらっしゃる方々のプロフィールをのぞき見させてもらいましたが、野球ファンの方も相当いらっしゃるようです。
ご存じの方もいらっしゃるでしょうが、グローブには牛革が使われています。
私は野球について詳しくありませんが、合成革のグローブもあるものの、やはりプロなどは天然のものを使っているようです。
動物の命を奪うことに反対の方は、グローブ業者・球団・野球選手に抗議文を送るべきではないでしょうか。
野球が好きなのに動物愛護なんておかしいのではないでしょうか。野球を見たり応援するのもやめるべきです。
自分が牛を殺してグローブを作ってるわけじゃないから心が痛まないのかもしれませんが、野球が好きでテレビを見たり、お金を払って見に行ったりしているだけでもそれも立派な加担です。

いくつか例をあげますが、民謡などで使う三味線はネコの皮を使います。
これも合成革のものがありますがやはり本格的なものは本物の猫の皮を使うようです。
動物愛護家ならば三味線の業者、民謡界とか民謡歌手にも抗議すべきです。

すでに指摘している人もいますが、競馬の「残酷」なスポーツです。
私は北海道の馬産地に住んでいますが、大事に育てても足を折ったりして走れなくなった馬は容赦なく殺されてしまいます。
しかし、競馬は残酷なスポーツだということで競馬に反対する人もいません。
動物愛護家ならば牧場・競馬場に抗議活動をすべきです。

また一生懸命繭を作った蚕を、繭もろとも熱湯で煮殺して糸をとって作ってしまう絹も残酷です。
虫は殺していいけど動物は殺すべきではにという考えの人もいるかもしれませんが、私に言わせればそれは人間による勝手な線引きです。


そもそもペットなるものも、自然の中で生きていた動物を人間の勝手な都合で拘束し続けているのですから、残酷な文化です。はっきり言って、動物の奴隷化です。
それも人間の都合で避妊手術を施して子孫を作れなくしてしまうのは、子孫を作りたいという動物の生物としての欲求を否定していることです。
動物に人間同様の権利があるならばこれなども権利侵害もはなはだしいことです。
少なくとも私が動物だったら避妊手術などされたくありません。

などと言ったらペット愛好家の皆さんは反発されるかもしれませんが、人間が動物を飼うということはそういうことなのです。
殺さないんだから何も問題ないということにはならないはずです。

私はペットを飼うのをやめろと言っているわけではありません。
しかし動物を「飼う」ということはそういうことなのです。
多かれ少なかれ人間は自分の都合のいいようにほかの生物を利用していることを忘れるべきではないと思います。

それからイオマンテを人身御供とか首狩りと同列に論じている人がいますがこれまたおかしなたとえです。
人間の命が対象になっている風習と、動物に関するものはやはり区別すべきだと思います。

人間の命に関しては、おおむね理由がどうあれ他人が奪ってはいけないという合意が20世紀以降の近代社会で確立したと言っていいと思います。
(唯一の例外が死刑です。)
古代アステカのような人身御供であるとか、「首狩り(江戸時代の日本の侍は殺した敵の首を切りおろしたりしていたので、日本人も「首狩り」の習慣を持っていた民族の一つです)」、食人などの習慣が今現在も行われていたらこれは止めるべきかもしれませんが、イオマンテは違います。

また、その唯一の例外、唯一の合法的殺人とされている死刑でさえ、考え方によっては残酷な制度です。
私は死刑はなくすべきだと考えている一人ですが、もし仮に今世紀死刑制度が世界のすべての国から廃止されたとして、10年200年後の未来の人たちは「死刑という野蛮な風習はようやく21世紀に廃止された」と考えているかもしれません。
(現に死刑制度は残酷だ、野蛮だと批判して廃止を訴えている人もいます。)

それから日本に住んでいるんだから法律に従えという主張もありますが、そもそもアイヌは好き好んで日本人になったわけではありません。
和人が、北海道を植民地化し、占領した結果日本国民として組み込まれたわけですから、先住者たるアイヌの文化を、あとから来た日本人が簡単に否定していいのでしょうか。
郷に入れば郷に従えという言葉がありますが、もしアイヌがどこかの国から自分の意思で日本にやってきた民族でしたら、ここは日本なんだから法律に従えと言えるかもしれませんがアイヌの場合は違います。
第一、イオマンテなどの儀式は動物愛護法に該当しないという見解が環境庁に表明されているのですから、「合法」なのです。

世間一般の感覚とか常識に照らし合わせてイオマンテは残酷だと言う人もいますが、何を持って常識とみなすのでしょう。
自分たちにとって常識であることが他者にとって常識であるとは限りません。
皆さんの振りかざす「常識」なるものは多数派である自分たちにとって都合のいいものでしかありません。
昨年亡くなったアイヌ文化伝承者であり国会議員として活躍した萱野茂さんは「民主主義は少数民族にとって数の暴力である」と訴えました。
仮にアイヌが日本国の人口の99%で、和人が1%だったとしましょう。そうだとしたら同じ意見を言えますか。

仮に一切肉を食べないベジタリアンばかりの国の人たちが日本を攻めてきて日本を占領し、お前らは牛や豚や鶏、魚などを食べる野蛮な人間だ、今後動物の肉は一切食べるべきでない、というルールを押し付けて肉食文化を禁止したらどう思われますか。
通達によってアイヌになされたこと(法的な拘束力はありませんでしたが)、そしてイオマンテを再度禁止させようという方々がなさっていることはそれと同じなのです。

和人よる侵略がなく、アイヌが北海道で多数派であり続け、日本とは別の国であったならば、おそらくイオマンテを禁止するようなことはなかったでありましょう。
ただしそのアイヌ国の国民の考えが変わり、イオマンテをやめるべきだという考えの人が優勢になったならば、その時イオマンテは廃止ということになったことでしょう。
民族の自主性を尊重することが必要だと思います。
自分たちにとって未開だの野蛮だのと思える習慣を頭ごなしに否定してしまうのは大変危険な行為です。

またイオマンテは長年行われてなかった儀式が50年ぶりに復活したと誤解している人がいますが、これは事実に反します。
イオマンテは通達で禁止されましたが法的拘束力はないので、実際にイオマンテをして逮捕されたとかそういうことはありません。
通達後も時々、偶発・単発的に行われてきました。
(これは特に定期的に行われる儀式ではありません。)

少なくとも自分たちにとってこれは大事な儀式であり文化であるとアイヌは言ってるのです。
仮に自分たちにとって残酷だと思ってもとりあえず尊重し、理解に努めるべきではないでしょうか。
仮に牛を神聖だと思っている民族が日本を攻めてきて、国を占領し、焼肉もハンバーガーも禁止、革製品も一切禁止したら皆さんはどう思われますか。
アイヌは子グマ一頭の命を奪うにも何日もかけて準備し、丁重な儀礼を行います。その儀式も何日にも及びます。

しかし一方、「ハンティング」の名目で全国でハンターたちが「趣味」で鹿やクマなどを撃ち殺しています。
(北海道では鹿撃ちを趣味としてやる人は多いです。)
鹿などは食べることもありますが、たとえばロースとかおいしい部分だけとってあとは山に捨ててくる人も多いようです。
ましてや人間が動物の領域を荒らしているにもかかわらず人里に現れたクマを「駆除」という名目で射殺するなんてことが平気で行われ、年に2〜3百頭ものクマが「駆除」の名目で殺害されています。
動物愛護家ならば、ハンティングそのものに反対し、猟銃販売店や猟銃のメーカーに反対しないと筋が通ってないのではないでしょうか。
少数民族の滅多に行われない儀式に抗議する時間とエネルギーがあるのでしたら、ぜひハンティングやクマの「駆除」に抗議してください。

また、全国保健所で毎日何百匹ものイヌやネコが殺されています。
イヌやネコの里親になろうという運動もあるようで、私はそれは素晴らしいことだと思います。
しかし、そんなことはお構いなしに保健所で毎日イヌやネコが殺されているのです。
本当に動物の命が大事ならば、回りくどい方法ではなく、保健所に抗議すべきじゃないでしょうか。

今書いたようなさまざまな現実は容認しているのに、自然の恵みに感謝する少数民族の儀式については感情的に非難し、圧力をかけようとする行為は私には矛盾しているように感じます。

はっきり言って、ウタリ協会に圧力をかけたり、ましては法的に規制すべきだという働きかけをすることは、少数民族の文化の弾圧に手を貸していることであるを自覚してください。
抗議も言論の自由だと言うのでしたら、それに対する反論も言論の自由です。
私は削除されるのも覚悟で皆さんに訴えています。
自分たちの主張・活動が本当に妥当なものなのか、振り返って考えてもらいたいと切に願っています。
議論をする時当然礼節は守らなければなりませんが、もし、ここが、大勢の考えに反対する書き込みをしただけで「荒らし」扱いする閉鎖的なコミュニティなのだとしたら非常に残念です。

前トピックでの議論の流れを見ていると、イオマンテの内容をよく知らなかったことについて気づいて理解を示し、歩み寄り姿勢を見せている方も若干おられ、人間としての誠意を感じますし、そこに救いを感じています。
もし自分がやっていることが問題であることに気づいた方はぜひ抗議文を送った先にそれを撤回なり修正する旨連絡をしてください。
今からでも遅くないと思います。

なお、ウタリ協会に問い合わせたところ、mixi経由だけとは限りませんが、抗議のメールの類がかなり来ているとのことです。
感情的な内容のものも多く、対応が大変であると聞いております。
さまざまな業務で忙しい事務局の人たちに余計な負担を強いていることを抗議活動をしている人には自覚して欲しいと思います。

最後に。
許されるならば反論・意見をお受けしてここでお答えする覚悟でおります。誠意を持って徹底的に話し合いに応じるつもりです。
また個人的にメッセージで意見をお聞かせくださっても結構です。責任を持ってお答えします。

最後まで読んでくださってありがとうございます。

コメント(43)

まだ揉めていたんですね
以前のトピで最初に「批判するのはどうかな?」と言った者です

以前のトピのトピ主さんがどうも聞く耳を持って頂けないので
意見するのを諦めましたが、私は基本的にこのトピ主さんに賛同します

私は文化など詳しくはわかりませんが、文化や風習は
第三者の我々が口出しする問題ではなく
当事者達が話し合って結論を出すべきだと思います

なので以前のトピのように反対を誘ったり、誘発するよいな事は
やるべきでないし、当事者達が話し合って出た結論ならば
それで納得しなくてはいけないからです

以前のトピ主さんも少しはわかってくれたんでしょうか?
poronupさん

よくぞイオマンテに関する見解をまとめましたね。

「熊を殺すのはかわいそう」という意見を聞くと、「確かに残酷だな、熊を殺す演技をするだけでもいいんじゃないか」と一瞬考えていました。同様の意見は5月15日の朝日新聞の投書欄にもありました。

しかし、動物愛護を突き詰めて考えると、結局人間を中心に据えて述べているに過ぎないことがわかります。

熊1頭を殺すのがかわいそうと論議している一方で、ハンターによって、多くの熊が殺され、食卓には牛、ブタ、ニワトリ、魚、野菜などが並んでいる。多くの毛皮、皮革製品を使っている。ペットとして犬、猫が飼われているが、ペットを飼うことで癒されるのは人間の方であり、ペットは自由を奪われ、時には避妊手術をされてしまう。

もちろん、意味もなく動物虐待をしてもよいとは言えないが、人間が生きていく以上、他の生物の犠牲は必要である。

人間が快適に生きようと思ったら、そのしわよせが地球環境にくるという自覚は持ったほうがいいと思います。地球環境保護の一番よい手段は人間がいなくなることである、というのはなかなか良いところをついていると思います。「地球環境」「保護」という発想も結局、人間にとっての地球環境という発想なんですよね。

屠場労働者を除いて、多くの日本住民は、動物を殺して処理してその肉を食べるという行為を体験していないので、「熊を殺すのはかわいそう」と短絡的に考えてしまうのかな、と思います。

私は沖縄生まれですが、両親が幼少の頃は、正月には家で飼っていた豚を屠殺して食べる習慣があったそうです。また、私が幼少に頃に、父がニワトリの首をひねって、その肉を食べた記憶があります。

熊1頭を儀式で殺し、その肉、皮を無駄なく利用することはそれほど非難されることとは思えません。

熊1頭を殺すイオマンテに抗議をする人は、ハンター、牧場、肉屋、肉料理を出すレストランに対しても抗議をするべきでしょう。

それから、めでたくイオマンテが復活するなら、全国に中継してアイヌ民族の理解を深めたほうがいいと思います。和人がそれを闘牛のような感覚で見るか、残酷と見るか、民族の伝統と見るかは個人個人の価値観にゆだねます。

また、別件ですが、牛、豚、馬、羊、ウサギが屠殺されて、食卓にあがるまでの過程をテレビで見せる必要性も感じます。ついでに学校現場でもウサギ、ニワトリなどを飼育し、屠殺し、試食するという一連の作業を子供たちに教えたほうがいいと感じます。

それから、熊が可愛そうという素朴な感情が先立って、アイヌ民族の伝統に対する理解が欠けているような印象も受けました。

ただ、これが一つのきっかけとなって、アイヌ民族に対する理解が深まればいいな、と思っています。
こんにちは、私は賛成でも反対でもありません。ただ儀式って言葉にかなり抵抗があります、クマの為では無いですよね、クマはそんな事望まないと思うし。食する為にだったらまた違う受け取りかたされるのでは無いでしょうか?実際に私もお肉を食べます、私は自分が少数派とか多数派とか考えた事はありません。猟も反対だし民間に降りて来たクマを殺すのも反対です、麻酔で眠らせ森に返してって思います。これはあくまでも私の考えです、答えはみんな違うと思うので正しいか間違ってるかは人それぞれだと思うし。
後文章の端々に削除されるとか閉鎖的なコミュって書いていますがそう思ってるなら何故ここに?って私は思いました!理解してくれる人がいると思って書いたのでは無いのですか?なんだか寂しいです。誰が正しいとかじゃなくてみんながどう思うか普通に話し合いがいいと思います、感情的な人が抗議文を送ってると思うなら貴方も感情的に受け取れますよ、みんな自分の考えを伝えているのだから。
私も大空さんの意見に全面的に賛成でーす!わーい(嬉しい顔)
>大空さん

すでに発言が大量削除された後ですがこちらを見てください
http://mixi.jp/view_bbs.pl?id=17980302&comm_id=73857

それから「考えを伝える」のと「感情を伝える」のは別物だと思います。
それも上に書いたトピを見て頂ければわかるかと。
せっかく新しくトピ立てしたのに別のトピのことを出してしまったら、
新しくトピを立てた意味が無くなってしまいます。

更には私怨からトピ立てしたと思われてしまう恐れもあります。
健全な議論を望むのなら以前のことは引きずらないほうが良いと思います。
>白さん

確かに引きずるべきでない話もありましたが
問題について真面目に考えてた人まで追い出されて
すでにこのトピに参加できない状態です。
管理人が荒らし認定したからといってそれが必ずしもそうだとは思いません。
私は彼らの意見を無駄にしたくないのです。

大空さんの書き込みを見て、これまでの経緯を知らないのであれば
ぜひ参考として読んでいただきたいと思いました。
都合の悪いことでしょうが、目をそむけないで下さい

http://ecology.sblo.jp/article/849451.html
ネコカワさんのご紹介されたサイト、みなさん読むべきですねー!

命あるものを「都合」「遊び」「儀式」で殺すようなことするのは人間だけ!

残虐な殺人を犯す人間は最初にまず小動物を殺すのが常。
「殺す」ことに麻痺した人間は「殺す」ことをなんとも思わなくなる。

食物連鎖の上に立っている「進化したサル」でしかない人間が奢り高ぶったこの世界で、他の生き物に対して思いやりを示すことの出来る少数の人達こそより神に近いように思います!!!

人間と他の生き物がどうして違うのかなー、なんで区別すんの????

そういう人は一度自分がもしたまたま「弱くものが言えない立場に生まれていたら・・・。」と思いを馳せられると良い。

弱くてものが言えない立場の人間もいます。

すべてのものに「優しい心」が持てる人は素敵です。

しょせんここは娑婆、学びの場所であるのですから、善悪いろいろな人間がいるのはまぁ仕方ないとは思うんですけれど、心の優しい人で世の中がいっぱいになった時に「神の心」がこの世に実現するのだと私は思います。わーい(嬉しい顔)

神とは「愛」なはずです。残虐な事を愛する「神」というのはいったい何なんでしょうかねー??
前回のトピも読みましたよ、前回は書き込みしませんでしたが。やっぱり儀式の必要性が理解出来ないのです、そういう民族だからで納得が行かないのです。なんかイジメを連想してしまって…私は小さい頃イジメにあいマチバリ刺されたりコンパス刺されたりしたので連想してしまうのかもしれませんが、みんなで死ぬ所を見て楽しいのでしょうか?私は民族を否定している訳ではありません、ただ儀式が無くても他に民族の伝統ってあるのでは無いでしょうか?それを大切にしていくのではダメなのですか?
質問ばかりでごめんなさい、なんか納得行かなくて。
>大空さん

仰りたいことはわかります。
その気持も、理解できます。

でも、大空さんにとって必要なものは必ずしも他の人にとっても
必要なものでしょうか。
そんなものなくても生きていけるといわれると、悲しい気持になるような
そんなものが、大空さんにはないですか?

他のもので代用できると言われても、確かにそうなのかもしれないけども
それでも大事なものってないですか?

誰かが大切にしているものを問答無用に否定することって、
自分が大切にしてるものを問答無用に否定されるのと同じです。

誰も、「イオマンテは必ず行わなければならない!」とは言ってないんです。
簡単に否定して、批判して、苦情のメッセージを送る前に、
アイヌの人たちにとってイオマンテがどういうものなのか、
知ってください、考えてくださいっていうお願いをしてるんです。

イオマンテがいずれ文化としてなくなるものかもしれません。

でもそれを決めるのは、第三者ではなくて、イオマンテをしてきた
アイヌの人たちが決めることなんです。

大空さんも他人に「あれするな、これするな」って言われたら
悲しい気持になりませんか?

私たちはイオマンテを肯定してるわけではありません。
熊が死ぬことを悲しいと思わないわけでもありません。

ただ、第三者が安易に口出ししてよい問題ではないんですと言うことを
伝えたいだけなんです。

反対する人たちが、イオマンテを辞めろというのが第三者の介入となるように
私たちが、イオマンテを実行しろ、というのも第三者の介入です。

お互い、どちらの主張もアイヌの人たちに対して言うべきではないんです。

「する、しないを決めるのはアイヌの人たち。」

それを言いたいんです。
アイヌの熊送りが残酷だと云うのは、間違っていると思います。

ほかのヤツラもやってるんだから、どんな残酷なことをしたって、カマワナイよね!

熊送りの儀式は、何日もかけて準備(凄い!)して、熊を神(カムイ)として神の国に送り返すのですから、熊は大喜びですよね。

小熊が大喜びなのに、都合の悪いモノを貼るバカは、頭がオカシイのです。(テレビで、フェレット虐殺を見て、ショックで頭がおかしくなって仕舞ったのでしゅ!)


>大空さん

前回のトピもお読みになられていたのですね、失礼いたしました。
削除の件でトピ主さんの気持ちを汲んで頂きたくて申し上げたのですが
大空さんが不快になられましたら申し訳ありません。


>みんなで死ぬ所を見て楽しいのでしょうか?

理解すべきであると強要する権利は私にも誰にもありません。
私はアイヌではないので代弁なんて恐れ多い事もできません。

でも「死ぬところを見て楽しいのか」なんて安易に言って欲しくないのですよ・・・。
もし他人から「あなた、○○で楽しい?」って決め付けるように言われたら嫌じゃないですか?
もちろん「楽しいからやってる」訳ないですよね。
神様に感謝するためにやってるんですよ。

>ただ儀式が無くても他に民族の伝統ってあるのでは無いでしょうか?それを大切にしていくのではダメなのですか?

気持ちはわかります。
他の方法をアイヌの方達が納得して選べるのならそれで良いと思います。
でもそれは非難したり圧力をかけたりする事で選ばせるべきではないと大空さんにはご理解頂けると思います。
民族を否定しないという事は相手を尊重し、選ぶ権利を与えるという事ではないでしょうか。
それは結果的にアイヌの方が昔からの熊送りを行うと決定しても、それを大空さんがやっぱり理解できなくても、責めちゃいけないという事だと思います。
責めてる訳じゃないし絶対辞めろって言ってる訳でもありませんよ。ただ儀式って大きくする必要性がわからないので質問しただけで、今回読んでいて賛成の方が多かったのと少数派とか多数派とかで責められてるって書いてあったのでなんかいろいろ疑問に思って書かせて頂きました。逆に不愉快な思いをさせてしまったなら申し訳ありません。私は抗議文を送った訳でもないし送るつもりもありません、それは私が反対する理由が無いから、文化とか風習って本当に他人がどうこう言う問題では無いと思ってます。私は私なりに不思議に思った事やこれではダメって思った事、私の気持を書いてみただけなのですが。
儀式が何故必要なのか?いつから何の為にはじめて、何故しばらく儀式を行なって無かったの?今後どんな時に儀式をするの?不思議に思うのはへんですか?
小熊が、生け贄だと勘違いしている人が、イヨマンテに反対するのでしょうか?
小熊は、レクチヌンバニという木の棒で挟んで、窒息死させられることに喜びを感じながら、神の国に送り返されるのです。

小熊を喜ばせちゃカワイソウ!なんて云うヤツは、荒らしです。



ネコカワさん、なんで子熊は木の棒で窒息死するのが嬉しいのですか?窒息死って人にやられて喜ぶものでしょうか?私は木の棒に挟まれて苦しいのはイヤです。
>大空さん

私も責めてなんかないですよ。
そんな風に受け取れたのでしたら謝ります。
すみませんでした。

>やっぱり儀式の必要性が理解出来ないのです、そういう民族だからで納得が行かないのです。

ということに関して、アイヌの人にはアイヌの人なりの大切なものが
あるんです、ということが言いたかったんです。
大空さんにとって必要のないものでも、アイヌの人たちにとっては
とても大切なものとされてきた文化がイオマンテだから。

抗議・批判云々を書いたのは、確かに大空さん宛てのメッセージに
書くべきではなかったかもしれませんね。
でも、大空さん一人に送ってる個人メッセージではないので
見てる人にも・・・と思いあのように書かせていただきました。

不思議に思うことは悪いことじゃありません。
むしろ、疑問に思うことから何かを知ったりするので、大事なことだと思います。


ただ、

>儀式が何故必要なのか?いつから何の為にはじめて、何故しばらく儀式を行なって無かったの?

これに関しては、前回のトピでも色々な文献を提示してくださって
いますので、是非一度目を通してみてください。
この疑問に関しては、答えがみつかるのではないでしょうか。

>今後どんな時に儀式をするの?

これは、正式な発表がないためわかりません。
なので、子熊を実際に使って今後儀式が行われるかどうか、
昔ながらのやり方で行われるのかどうか、そしていつ行われるのか
現時点では正式には何もわかっていないようです。
>大空さん

賛成が多いというより「反対しない」という立場の方が多いと思いますよ。

>儀式が何故必要なのか?いつから何の為にはじめて、何故しばらく儀式を行なって無かったの?今後どんな時に儀式をするの?

これは私が勉強不足で正しく伝える自信がないのですが
必要かどうかは身近にも似たような疑問ってありますよね。

「手を合わせていただきます」ってやつです。
この行為は食べるために失われた命や作物を育てた人、加工した人、調理した人とかに感謝の気持ちを持つ事で食べ物を無駄にしないというものだと私は思っていました。

でも世の中にはこの行為を「理解できない」「不要」「不快」と思う人がいると知って驚きました。
(確か発言小町というところで話題になって初めて知りました)

でもそういう人が居ると知っててもやっぱり「いただきます」は後の世代に受け継ぎたい「私達日本人の文化」だと私は思うのですよね。

これと全く同じだとは言いませんが身近な話の例えだとわかりやすいかなーと思って書いてみました。
そうですか、今後儀式がどんな形で行なわれるのか分からないんですか、私はあまりアイヌについて詳しく無いのでよく正直理解し難いのかもしれませんね、ただ他の書き込み等見るとクマは死んで幸せとか書いてあって何故そう思うのかすごく不思議なんです。賛成されている人達のプロフィールをいろいろ拝見させて頂くと毛皮反対とか虐待反対とかみんな書いてたりそう言ったコミュに入ってるのに、殺されたクマは余すところ無く食べるし毛皮も利用するって書いてあったので何を基準にわけでいるのか?クマは良いけど他の動物の毛皮は反対って何か変な感じしませんか?
何か私何かアイヌについて詳しい訳でも無いのに本当にごめんなさい!ただ本当に反対している訳では無いですよ!否定してる訳でも無いですから。何か理不尽な気がするんですよね?
しつこいと思われたらごめんなさいm(__)m
アイヌの人たちや○○の人たちも、木の棒で首を挟まれ窒息させられて、神の国に返されたいよね。
>ただ他の書き込み等見るとクマは死んで幸せとか書いてあって何故そう思うのかすごく不思議なんです

ここを一部だけ見ると、確かに意味不明ですし、「そんなわけないだろ!」って
思います。当然だと思います。
なぜ上のような書き込みが出てくるかは、大空さんご自身が
イオマンテの儀式の意味を知る必要が出てくると思います。

そしておそらくイオマンテでは、「熊は死んで幸せ」なんてことは
どこにも書いてないと思います。
それもでも、ご自身の目で確かめてみてください。


参加コミュについては、意思表示の目的のために参加することもあれば
その物事について勉強したいと思ってる人も参加していたり
するんじゃないでしょうか?

私は後者の目的で参加することが多いです。
コミュはちゃんと書き込み内容も拝見して来ました。入ってるから賛成と考えている訳ではありませんよ。いろんなサイトでアイヌに着いて話し合いがされていてその中で何人かの方が幸せって言葉を使っていてすごく印象に残ってしまったのでしょう、正直あまりアイヌ民族に詳しくありません、だったら口出すなと言うならそれまでですが、私も私なりに興味があり勉強したいと思って書き込みさせて頂きました。私はここに書き込みしなければみなさんと話し合いをする事も無くあまり深く考える事も無かったでしょう。私は否定しあう為にでは無く少しでも理解しあう為に参加しました。動物の命を大切にしたいと思っている仲間と考えています、前回は賛成の方が多かったので書き込みしませんでした、可哀想で終わってしまう事やみんなで同情しあう事がプラスとは考えていませんので、だから今回参加しました。私は私なりに勉強になったと思ってます、私の様に反対では無いけど疑問を持っている人もいると言う事を理解して頂けたら嬉しいです。
アイヌの人たちは、熊をイジメる為に、イヨマンテの儀式をしているのではないと思います。

イヨマンテは、穴猟の後始末で、残酷な娯楽殺生なんて、大嘘ですよね!
13で紹介されているサイトですが、全文の一部分だけの
引用で取り上げられているので、正確にお伝えするために
続きの部分を記載させていただきます。


◆ イオマンテの深層
--------------------------------------------------------
おそらくヒグマの場合も、穴に冬眠している時、ひとに襲われ、絶体絶命だと予感したならば、母熊は、普通であればその仔を食べてしまうのである。人の手に取られるよりは、みずから食べてしまった方が、その仔にとってまだ幸福だと感じているのであろう。しかしそれが、何らかの急な、思いがけない事情があって、仔を食べることができなかったのである。そうして遺された仔である。一緒にあの世に連れて行けなかった仔である。

(13で紹介されているサイトでは引用されているのはここまでです。以下が続き)

アイヌの人々は、その母熊のかなしみを深く理解しているのではないだろうか。それゆえにこそ、その仔をこの上なく丁重に育て、そしてある時、母親のもとに送り返すのではないだろうか。母親に、ぼく人間たちに育ててもらったけど、とってもやさしく、大事してくれたよ。あの時、まだ何にも分からない時にわかれわかれになってしまったけれど、ぼく、ほんとうに大丈夫だったのだから。そして今お母さんのところへ送り返してくれたよ。そしてこんなにおみやげまでくれたよ、と、こんな風に伝えてもらうために。
 山中に捨てておくこともできない仔熊である。そしてひとが育て上げることもできない存在である。そのような存在と直面した時、ひとは、アイヌの人々が熊祭までの一連の過程のなかでおこなっているよりもやさしい行為を、そのものに対しておこなうことができるだろうか。アイヌの人たちは間違いなく、仔と別れた母親熊の、かなしみの心のなかに入っているであろう。けものとひとと、そうして沁みあう時を、かなしみとして、ひさかたのあめのひかりのなかで、もったことであろう。そしてその時を護っていることであろう。
 そして、イオマンテの深層には、これ以上のことがあるのだろうか?
http://www2.biglobe.ne.jp/~naxos/nihongaku/kemonohito.htm
--------------------------------------------------------

上記のブログでは、残酷と思われる部分だけを抜き出して
あたかもイオマンテが残酷な儀式であると書かれているため、
イオマンテを誤って解釈する方も多いと思い、一部分ではなく
全部分を読んでいただきたいと思って紹介させていただきます。
自分だったら、どんなに感謝される理由があっても殺されたくないですね。
ですが、イオマンテで熊が殺される事に対して「かわいそう」と抗議をするのなら他の沢山の動物が殺され続けている工場や現場の「もっとかわいそう」な場所に力を入れて抗議するべきだと思いますが。

トピさんが全て仰っているので、俺がコメントする意味はないのですが一応意見だけ書いておきます。。。
アイヌより残酷な種族など、世界中に大勢いますからねぇ〜

アザラシ猟をして生活している人たちは、反対派に『血も涙もない残酷な人たち』と蔑まれている。(これが差別ってことなのだ)
差別されている事が癇に障るから、残酷さがエスカレートしちゃうのですね。

イヨマンテの儀式に反対などすると、アイヌの人たちは・・・
これは、全文の一部分ってことは、事実だったのですか!
http://ecology.sblo.jp/article/849451/.html

小熊をオブラートで包んで、窒息死させるのは、残酷ぢゃないですよね。
皆様、コメントありがとうございます。
仕事などの関係でコメントが遅れてしまったことをお詫びします。
また私の立てたトピックを削除せず議論をお許しくださっていることに関しても感謝いたします。
頂いたコメントのうち、重要・必要と思われた部分について
私なりにお返事いたします。
ただし、ここは日記ではありませんし、すべての方にコメントすることはできないことをお断りします。すいません。

>たま☆ さま

情報ありがとうございます。勉強になりました。
これらの製品のお世話にならない人はいないと思いますし、すべて使用拒否して生活できる人はおそらくいないと思います。
ただこういった事実も知り、人間のために動物の命を利用させてもらっていることを感謝する気持ちは忘れたくないと思います。

>環。 さま

おっしゃるとおりだと思います。
民族・宗教・国などにとって考え方や価値観は違います。
たとえばインドのヒンドゥー教徒にとって牛は神聖な動物です。普段牛を食べている日本人の大多数などにとってこのことは不可解かもしれませんし、「こんなおいしいものをどうして食べないんだろう」「そんな信仰捨てて牛を食べればいいのに」などと思うかもしれません。
人間は時に、にわかに他者の価値観を理解できないこともありますが、まずは現実として理解し、やたらに否定すべきではないと思うのです。

>大空 さま

「儀式」ももちろん人間の持っている文化でしかありません。
イオマンテにしてももちろん、人類の一構成員であるアイヌという集団が持っている文化です。
熊の命を奪って人間が利用しているわけですから、もちろん人間にとって都合のいいように説明付けが存在するわけです。もちろん熊の意思を確認したわけではありません。
言うまでもなく、人間の儀式の名のもとに熊の命を奪っている事実は変わりません。
しかし、それは、ほかの生物を犠牲にしなくては生きていけない人間の現実の一つです。
そして、少なくとも我々が寿司屋で寿司を食べたりハンバーガーを買って食べている現実と本質的に大きな違いはないのではないでしょうか。
イオマンテが残酷ならば、牛を殺して食べていることも残酷です。

また、私の最初に文章に書いたようにイオマンテは急に復活しようとしているわけではありません。
禁止の通達に法的拘束力はなく、これまでも各地でごくたまに行われてきました。
なのでずっとやってなかった儀式を今になって復活させようとしているわけではありません。
まずはその事実をご理解ください。

それから「削除」「閉鎖的」うんぬんですが、私は、こう書きました。

「もし、このコミュニティが、管理人や多数派の違う意見を持っていたり、反論したりすることが許されないような、そういう閉鎖的なコミュニティなのだとしたら、私の投稿を削除されてしまうかもしれません。」
「もし、ここが、大勢の考えに反対する書き込みをしただけで「荒らし」扱いする閉鎖的なコミュニティなのだとしたら非常に残念です。 」

あくまで「もし」です。
最初のトピックでは反対意見をどんどん削除したり反論者を出入り禁止にしたりしているので、正直、私も削除・出入り禁止になる可能性があると思っています。
今のところ私の立てたこのトピックは削除されてないので、一応はこういった異論も受け入れてくれている場所であったと思っています。

>ネコバシ さま

ご紹介になっているサイトはざっと見ましたが、アイヌ文化について知識がなく、皮相な理解しか持ってない人のようです。また文章のはしばしに差別的な表現が見られます。
なので、検討に値する内容ではないと私は考えています。
ただし見逃せない問題も多いので、連絡をとって反論するなり対応を考えているところです。

それから真剣な議論をしているところで他人や他民族を茶化すようなことを書かないでください。不愉快です。
私は異なる意見の方でも礼儀を尽くして対話をしたいと考えています。
しかし、あなたが真剣に議論する気がないのなら今後は無視します。
人と動物を同じ視点で見ることはできないよね。
自然、自然と繰り返してるけど、現在の人って自然と掛け離れてるじゃん。
それとキリスト教を馬鹿にしてるように見えます。
俺はキリスト教徒でもないし、アイヌ文化なんぞ!と思ってもいません。
ただ、あなたは考えが固いです。
>かつとしさま

誰にあてたコメントなのか明記されてないのでよく分かりませんが、内容からして私に対するコメントと思われますので(もし違ったら言ってください)お返事します。

自然を人里離れた「野山」とかに限定して考えるならば、人間と自然は「掛け離れてる」かもしれません。
しかし、大きな目で見ると人間はこの地球・宇宙の構成要素の一つです。そういう意味で人間を自然の一部とみなして論じています。その点を理解してください。

それから私はキリスト教を馬鹿にしているつもりはありませんが具体的にどの箇所がそう読めるのか教えてください。

また私の意見について「固い」と言われてますがこれは批判でしょうか。単に「固い」ではどう答えていいのやら分かりません。
具体的にどこがおかしいとか、そういうコメントでしたらお答えできます。かつとしさんが納得できない部分、おかしいと思う部分がありましたら具体的に指摘してくださればお答えします。
PORONUPさん返信ありがとうございますm(__)m私は殺す事自体をどうこう言ってません、私達人間は残酷な生き物だから肉も魚も野菜も食します。ただ私の中で儀式の為だけに殺すのはちょっと抵抗があるのです、食す為になら誰も何も言えない立場だと思うし。本当は他の方達から返信頂き私は納得はしていませんが理解は出来たので、今後どんなタイミングでどんな方法で行なわれるのか?抗議に対してどう対応して行くのか見て行きたいと思います。たぶん反対派と賛成派が解り合う事は無いのだろうと推測します。でもみんなそれぞれの考えを持って動物の命について考え、話し合う事は私も勿論みなさんもプラスになる事と考えていますのでまた拝見させて頂きます。私は否定するつもりはありませんが、儀式がすごく必要とも思っていません。また疑問点等質問させて頂く時は宜しくお願いしますm(__)mお返事ありがとうございました。
>大空さん

ちょっと補足させてくださいね。

>儀式の為だけに殺すのはちょっと抵抗があるのです、食す為になら
>誰も何も言えない立場だと思うし。

これに関してなのですが、子熊の肉は儀式の後に調理されて
振舞われます。
なので、殺された子熊がそのまま捨てられるということはありません。
はがされた毛皮も大事に扱われるようです。

儀式のためだけ、というのではないので横槍ですが補足させてくださいね。

これに関して返信いただかなくても構いません。
私も補足以外の意味を込めて書いておりませんので、
あくまで補足としてお読み頂ければと思います<(_ _)>
熊だろうが人だろうが虫だろうが、「魂」は皆神様の世界からきて、やがて帰っていく、というのは日本の神道でもさほど変わりないんですが(死んだら祖霊となって山や海にあるといわれる神の世界に帰るんだ、という話くらいなら田舎のじーさまばーさまあたりと仲がいい人は田舎の祭りごとで聞いた事があるでしょうケド。あと霊的体験がある人)大抵の人は理解しないしするつもりもないでしょうし、そういう多数相手に主張説明するporonupさんは大変だろうと思います。
何回も重複して説明したり、色メガネだけの何にも考えてない解釈の書き捨てがあれば傷つくでしょうし。

お疲れ様です。

意見をかわしあう事でお互いなにかしらの実りがあるといいです。
動物を殺して食べる事は熊だけでないというのはわかります。殺し方がかわいそうだなと思います。熊の赤ちゃんを連れてきて2年もの間人間のように可愛がり人間を信じてる熊を連れてきて遊んでから撲殺するというのが神とはいえ私は受け入れるのが難しいです。

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