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エムラスタコミュのTHE BEGINNINGと大瀧詠一

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あるホームページで大瀧詠一のについて書いてる人がいた。中々今回のTHE BEGINNINGに通ずるところがあるなと思ったのでUPしてみた。

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大瀧詠一(大滝詠一)を論ずるには、ふたつの切り口があると思います。
つまりは、「音楽プロデューサー」としての、「コンポーザー」としての、「ミュージシャン」としての視点と、「ボーカリスト」としての視点と。

その両面から総括的に話してみたいと思います。

音作りのマイスターとしての大瀧詠一の本質は、再三申してきたように、「音のデパート」ということになるでしょう。

すなわち、一つのことを徹底して貫くという音作りではなく、そのときそのときに応じたレシピで食材を調理して、さまざまな〈音の位相〉を持つ作品を提供するというのが、大瀧詠一作品の特徴です。

☆いちばんの根幹にはフィル・スペクター・サウンドがあるとしても、大瀧詠一の作るアルバムは、いずれも、1:1の平行輸入的なものではなく、古今東西の音楽のエッセンスを凝縮したタイプのものだというのは、既に述べました。

ここで、「パクり」というテーゼを考えたいと思います。

僕は「パクり」、あるいは「剽窃」と、「引用」は別ものだと思っております。

前者は、「バレないようにこっそり」とするものですが、後者は引用もとを明記して、〈参考文献〉的に消化吸収換言することです。

このふたつは、似て非なるものです。

あるキャンバスに他家の作品のエッセンスをピックアップしながら自分のセンスで絵を描くことと、他家の作品をそのまま模写して、自分のものとして発表し世を欺くのとが別なように。

大瀧はある音楽手法を「引用」するという形で、素材に活用したり、パロディーすることはありますが、そっくりそのまま拝借して知らんぷりをしたことはありません。

たとえば、剽窃であるならば、その剽窃という事実を知った途端、ファンは離れていくものでしょうが、実際、大瀧詠一のファンがそのように離れていったという話はききません。
もし居たとしたら、それは〈パクリ〉と〈引用〉の違いがその人にはわからなかったというだけでしょう。

そして、逆説的な現象かもしれませんが、その「引用もと」の幅の広さこそ、ファンが大瀧を崇拝してやまない理由でもあります。

☆「大瀧の音楽の背後には1000の音楽がある」

と言われます。

他の人のことを例に出してあしざまに言うのは趣味ではないんですが、「グレイ」の音の背後には、せいぜいBO・WYの音ぐらいしか見つかりませんよね。
(たとえ、さらにその先にいろいろな音楽があろうとも、孫引きは所詮孫引きですから)
「宇多田ヒカル」さんの音の背後にも、せいぜいローリン・ヒルぐらいしか見つからないのではないでしょうか。

もちろん、優劣を述べているのではありません。

ただ、どちらが、より飽きの来にくい音楽か、という視座で申しているだけです。

☆私の知る幾人かの大瀧フリークは、いずれも、「ロックしか聴かない」、「J-POPしか聴かない」といった人はほとんどいません。

「さまざまな音楽を知っている人」、すなわち「耳の肥えた人」をして唸らせたのが大瀧詠一の音楽なのだ、という事実だけは確実にあります。

☆かくして、大瀧という道先案内人に導かれて、洋楽の海に船出した聴き手は、やがて、多種多様な「引用もと」を知ることによって、さらに自分の世界を広げることができる、という構造になっているわけです。
わかりやすく言えば、
「ああ、こっからとってたのかぁ!」
とエ動するいうことですね。

ちょうど90年代の小西康陽や小山田圭吾の音楽の聴き手がそうだったように、この博識な船頭の導きで、〈洋楽派〉に転生した人間は多いはずです。

おそらく、小西や小山田は「精神において」まさに大瀧の後継者と呼ぶべき存在だと思います。

クドいようですが、「グレイ」のファンでそういう導きによって“洋楽通”になってという人には会ったことはありません。

もちろん逆のケースもあるでしょう。

すなわち、邦楽をバカにしてた洋楽ファンが、大瀧(そして、小西、小山田ら)の「引き出しの多さ」に感服して、邦楽を見直すきっかけになったという事例もかなりあったとききます。

思えば、ここ最近10年ほどの間に「洋楽ファンをもトリコにした邦楽」というのは、多かれ少なかれ、そういった特徴を持っているものだと思います。

ピチカート・ファイヴ、オリジナル・ラヴ、小沢健二、コーネリアス、カジヒデキなど。…

(そう、それにパフィーなんかもここに入れていいかもしれません。J-POPしか聴かない人には意外に思われるかもしれませんが、パフィーの曲は、たとえばスピードあたりより、はるかに洋楽ファンに支持されています)

☆しかし、誤解のないように強調しておきたいのは、決して、大瀧の音楽(および、そのフォロワーとも言うべき人々の音楽)は、「ひけらかしのためのひけらかし」ではない、ということです。

単に洋楽のマニアックな情報をバラまくのなら、サンプリングでもしていればそれですむでしょう。

☆が、そうではなく、大瀧は、本質的にはあくまで表現の素材として引用しているのであって、結果として生まれた作品はまぎれもなく「大瀧作品」です。
ですから、もちろん、「引用もと」の音源をトレースしなくても、それ自体としてじゅうぶんに楽しめるようにできています。
とくに80年代のものはそうですね。
「知的ゲーム」をする自由が聴き手にあるのが大瀧音楽の特徴だとしても、もちろん、その「知的ゲーム」と関係のないスタンスで、ただ享受するだけだって、それでじゅうぶんなわけです。

なお、ここまで述べてきたことには、大瀧だけではなく、その同志である細野晴臣氏の音楽にも、そっくりそのまま言えることだということは付記しておきましょう。

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ということです。うん、中々おもしろい。
次のトピックで自分が思うTHE BEGINNINGと大瀧詠一の共通点を紐解いてみようと思う!

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