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考えてもキリがない!コミュの少しでも多くの人に読んでもらいたい日記

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かなりのごぶさたです。
コミュの趣旨とは少し違うかもしれませんが、考え深い人が集まるこのコミュで紹介したい日記があったので紹介します。




この日記は私の日記ではない。

私の友人の友人の日記です。

だけど、少しでも多くの人に伝えたい日記です。

この日記を読んで少しでも何かを感じた人は同じようにコピーで日記を書くでもいいから、たくさんの人に伝えてもらいたい。

連鎖することを期待したい。





まんまmixi日記のコピーですが、これを読んで一人でも何かしようと感じる人、行動する人が増えたらいいなと思います。

以下




災害ボランティアを終えて


GW中ボランティアに参加してきた。
いろいろ感じることがあったので、少し生意気な書き方になっているかも知れないけど、後々の自分のためにも日記に残そうと思う。
それと、忙しい中急遽ヘルメットを送ってくれた長老に感謝。とても重宝し助
かった。今回の活動が、少しでも長老の現地の親戚や友達、誰かの力になれていたらとても嬉しい。


■4月28日。朝東京駅をバスで出発し、14:30石巻専修大学に到着した。
まず飛び込んできたのはかなりの数のテントにトラックやバス、自衛隊の装甲車。キャンパスの中は桜が満開。関東の桜は終わってしまっていたので、よもやまた桜が見れるなんて、すっかり頭からぬけていて意表を突かれた。でも物々しい空気が感じられる中、少し心が和らいだ。

ふと学生時代を思い出す。春、雪山から下山した僕らは新入生の勧誘や履修登録など一通りの学校行事を済ませ、春合宿や試乗会のためあらためて滑る場所を求めて北上する。それは同時に桜前線を追いかけながら移動することでもあり、年に複数回桜を楽しむことができる。ただ今回、広島、横浜と続く3回目の桜は少し違う雰囲気の中にあった。


■現地の状況は上手く言葉には言い表せない。
今回、現地の状況を写真に撮るというのは、自分の中でどうしても踏み切ることができなかった。それでも文章で説明すると言うのも、とてもじゃないけど僕の才能は乏しすぎる。ただひとつ感じたことを素直に言うと、僕が普段の生活の中で得た情報から持っていた復興へのスピード感や現地のイメージと実際の状況にはとてつもなく大きなギャップを感じた。目の前の光景から、この家が、この地区が、この街がどう復興していくのか、全く想像ができない。道のりは長く感じられた。


■これまでボランティアをした経験はない。
以前から関心はあった。でも思い切って行動に移す勇気がなかった。もしかしたら行動している自分をイメージすることでそれに満足してしまっていたのかもしれない。
もう一つは、どういう気の持ち方で参加すればいいのかが分からなかった。困っている人のために奉仕することはもちろん素晴しい。でもそれは実のところ達成感や自己の満足のためではないのか。どこか偽善っぽくて、逆にそう思われたりすることを怖がって、そんなひねくれた考えをもった自分がボランティアなんてできるのだろうか。そんな言い訳とも言える思いの連鎖の中で、これまでなかなか行動をおこせなかった弱い自分がいた。
結局、参加してみてこれまで僕が考えていたことが全くの間違った、バカな考えだったことを思い知らされた。

今回自分の親戚や仲間、先輩が被災し、また日々触れる情報を通じて人事とは思えない気持ちでボランティアに参加することに決めた。人が足りてるとか、混乱するだけだとかいろいろ情報はあったが、それは現地に行って判断すればいい。もし人が足りていて断られたとしたら、それは逆に喜ばしいことだ。


■大学内の受付に毎朝8:30に向かう。
そこではいろいろなボランティア団体が人を募り、ワゴンやバス、時には参加者の車に相乗りして現地に向かう。ひたすら作業をし16:00頃に解散。それを毎日繰り返す。
家財の運び出し、砂や泥出しが主な作業だ。家が流されずに残った地区は必要な物は残し、使えない物は捨てながら、生活できる状態に少しずつ戻していかなければならない。多いところでは、一日に200〜300、それ以上の土のうが出る。
石巻は川が逆流し氾濫した場所が多く、油とヘドロが全てを覆い周囲にドブのような異臭を放っている。だから作業は相当な重労働だ。終わるとみんな泥だらけ。ニオイもひどい。さらにそんな状態でも2,3日風呂に入らずテントや車で生活をしている人も数多くいる。それでも彼らは明るく振る舞いまた真剣に毎日作業に向き合う。
数週間から1ヶ月またはそれ以上。少しでも力になれればと1日,2日だけでも来る人もいる。全国各地から、老若男女、あらゆる境遇の人たちが参加している。

そこにはもう達成感とか偽善とか考えを巡らせる余地はなかったし、逆にそれはそれでたとえ自己満足のために参加していても十分な理由だと思えた。中には何かと写真を取り廻る人、訪問した家で振舞われた食事を自慢げに話す人、達成感を自信満々に話す人、そういう人でも誰もが困っている人の役に立ちたいという志しは同じだ。それだけで十分だという気になった。


■現地に行っていろんなことが分かった。
人が足りていないこと。大人7,8人で1日1,2件が限界なこと。被災者から上がるニーズは段階を経て変化し、1件に複数回出向く必要があること。学生が驚くほど少ないこと。無職なのに参加している人が多くいたこと。女性の参加も想像以上に多いこと。ボランティアセンターの受け入れ態勢が脆弱なこと。少なからず泥棒がいること。食料はむしろ足りていること。

現地でなんとか被災者の役に立てるよう努力する一方で、新たな残念な事実を知って、何もできない自分の無力さをまた痛感する。


■もし少しの時間とお金があるならボランティアに参加してはどうだろう、と提案したい。
決して、ボランティアはいいものだ、人の役に立てるから行くべきだなどと、たかが1週間程度の経験をひけらかして言うつもりは全くない。何をするかはその人が自分のできる範囲でやれば十分だし、僕自身たまたま休みが取れて参加できることになったに過ぎない。
ただ、現地は本当に人が足りていない。ただただそれだけが僕にはどうしても残念でやるせない。できる限り多くの手で一日でも早く復興できたらいいと願っている。


■もちろん良いこともあった。
僕らがしたことを心から喜んでくれ、感謝の気持ちを伝えられた時の感動はなんとも言えない。涙が出そうになった。お礼を言われて逆に返す言葉も思いつかないことに気付く。
日々の昼食はパンやカロリーメイトなど痛みにくいもので済ませる中、温かいおにぎりとお茶が出てきた時の感動は忘れられない。助けているはずなのに逆に元気をもらった。


■この出会いと経験を決して忘れないだろう。
わずか数件しか廻れなかった。もっと時間があれば。。
80歳を越えた老夫婦の家、サッカー好きの元気な兄弟がいる家、親子で理髪店を営む家、自営の飲食店を辞め隠居暮らしを始めた夫婦の家、中学校の先生の家、街中の病院・・・
そこには辛い出来事を乗り越え、元の生活を取り戻そうと頑張っている人たちがいた。

ボランティアの参加者。
北海道から来た親子、福岡で会社を営む社長さん、無職の青年、釣り好きの山形のスタッフ、歳の若い実業家、弟と従妹を連れた女性、世界旅行の最中帰国した人、白楽に住んでいたという僕と同じ大学の後輩、農家を目指す北海道の青年、長崎から3日かけて来たスタッフ、バイクを寄付して帰ったサラリーマン、東京の大学とを往復する学生、自宅が被災した学生・・・
高い志を持って、自己犠牲を厭わない人たちと出会った。

この人たちに再会することはきっともうないだろう。でもこの出会いで彼らから得たものは大きい。

そして、悲惨な街の光景、異臭の中で食べた昼食、作業を邪魔した強い風と黄
砂、炊き出しのいい香り、自衛隊が設営した風呂の熱さ、また一つお店が再開した喜び。一つ一つを写真の代わりに自分の五感で大切に記憶した。


■メビウスの輪
よく目にする1箇所がねじれた輪。表のようで実は裏。裏かと思ってたどるといつの間にか表。
今回現地に入って感じたのは、僕らが手を差し伸べている人たちの境遇が、いつかは逆に自分がそうなる可能性があるという啓示のような感覚。また困っている人を助けているようで、実は助けられ、気付かされている瞬間。そんな表裏一体の関係性があるということ。この震災をとおして学ぶべきことがまだ沢山あるように感じられた。


■最終日に日和山公園へ向かった。
現地に入って驚いたことは、現地の人がすすんで被災地の惨状を見るように奨めたことだ。はじめはその理由がよく分からなかったが、最終日にそれを見に行ってその理由が分かった。

日和山公園は石巻市内にある小高い丘の上にある。そこからは市内がほぼ360度一望できるのだ。僕らが主に活動していた住吉地区は山の手前で海の反対側にある。海からの直接の波の影響がなかった場所で、川からの水で浸水被害はあったものの数多くの家が残った。ところが、山の向こう側は海に面し直接波の影響を受けていて、ありとあらゆるものが破壊され、流され、失われていた。日和山に登った僕ははじめてその光景を目にした。

多くの人が来ていた。地元の人もボランティアも自衛隊も。その光景を目の当たりにして思うことはいろいろあるだろうけど、おそらく共通する一つの感覚があるはずだ。生きていることを実感するのだ。地元の人は特に強烈に感じたと思う。そして、逆にそこから元気や生きる力を貰ったのだろう。亡くなられた方々
のためにも頑張ろうと。だから現地の人はそれを遠くからはるばる来た僕らにもその力を持って帰って欲しいと思ったのだと思う。

牛と人が戦う闘牛を見たスペイン人と日本人の反応は違うらしい。闘牛士と、その剣が刺さり血を出しながら戦う牛。両者の真剣な戦いを見てスペイン人は大いに盛り上がる。それはスペイン人の生死の捉え方にあるという。彼らは生死を表裏一体のものとして捉え、生きることの側にいつも死を置いている。死を感じることで逆に生きることに情熱的になれるのだと言われている。情熱的な踊りに見えるフラメンコも、実はその歌詞は死を連想させたり悲しいものだったりするという。

僕達の日常はとても平和だ。でもやっぱり危険と隣りあわせでいることを意識しなくてはいけないんだと強く感じた。ただ、それが今回のような未曾有の災害を通してしか再認識できなかった自分がとても悔しい。


■結局は与えられることばかりだった。
これからも被災者の方の力になれることを考えていきたい。時間が許せばまた現地にもと考えている。それと、やはり間違いなく僕達が得た教訓がいくつもあるはずだ。それを自分のものとしていつまでも続けていくことが一番大切なのだと思う。


現地最後の夜、震災後なんとか再開したイタリア料理店に入った。
メニューは限られていたものの、サラダ、カルパッチョ、パスタ、ピザなどとても美味しくいただいた。もちろん、ビール、ワインも。

何年か後、復興した石巻に桜の季節にまた来たい。







という内容の日記です。

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