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義経コミュの最終回 「新しき国へ」

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頼朝(中井貴一)との決戦を覚悟した義経(滝沢秀明)は、平泉で着々と戦の準備を整えていた。                   

しかし、戦の経験のない藤原泰衡(渡辺いっけい)は、国衡(長嶋一茂)・忠衡(ユキリョウイチ)の催促にも関わらず、一向に戦をする決心がつかない。一方、白河関まで軍を進めたものの攻め入ろうとしない頼朝の態度に、義経への情を感じた政子(財前直見)は、すぐに平泉へ攻め入るよう頼朝に強く迫る。      

その頃、平泉には吉次(市川左團次)の名代としてうつぼ(上戸彩)がやって来ていた。都の人々、とりわけ静(石原さとみ)の言伝を聞いた主従は、久々に和やかな賑わいの時を過ごす。                   

しかしついに、頼朝からの最後通告を受け取った泰衡が耐え切れず動き出す。泰衡が義経を討つと知った弟たちは猛然と反対するが、忠衡は泰衡の部下により暗殺され、国衡は、泰衡の動きを義経に示唆して平泉を離れた。     

決戦の時を意識する義経と弁慶(松平健)ら郎党。出陣を止めようとするうつぼも、泰衡の軍勢に対してたった六人でも怯まずに立ち向かう主従の絆の強さに胸を打たれる。こうして、義経主従は「新しき国」を作るための最後の戦いに挑む。


【ポイント】

■ 頼朝の忠告をかたくなに拒んできた藤原泰衡のもとに、頼朝が奥州への出陣を計画しているとの知らせが入る。

■ このままでは、奥州藤原氏が滅びてしまう。そう考えた泰衡についに義経を裏切った。

■ 泰衡は、数百騎を従え衣川の館にいた義経を襲った。義経は家来たちと防戦したが、防ぎきれず、持仏堂に入り静かに法華経を読みはじめた。

■ その間、一人敵に立ち向かった弁慶には無数の矢が刺さっているにもかかわらず仁王立ちしていた。若武者が馬で傍らを駆けると、弁慶は既に死んでおり、馬にぶつり倒れた。いわゆる「弁慶の立ち往生」である。

■ 法華経を読み終えた義経は、自害。31歳の若さだった。

■ その後、頼朝に攻められた泰衡は、平泉の町に火を放ち、奥州藤原氏は築き上げた栄華とともに滅亡した。

■ こうして、天下を統一した頼朝は、1192年、征夷大将軍となり、鎌倉幕府を開きました。

コメント(9)

【鎌倉幕府を開いてからの頼朝】

建久4年(1193年)5月28日、御家人を集め駿河国で巻狩を行っており、その夜に御家人の工藤祐経が曾我兄弟の仇討ちに遭い討たれる。  

宿場は一時混乱へと陥り、頼朝が討たれたとの誤報が鎌倉に伝わると、源範頼は嘆く北条政子に対し「範頼左て候へば御代は何事か候べきと」と慰めた。              

鎌倉に戻りそれを聞いた頼朝は、範頼に対し謀反の疑いを抱き、8月2日、範頼は頼朝への忠誠を誓う起請文を頼朝に送る。しかし頼朝はその状中で範頼が「源範頼」と源姓を名乗った事を過分として責めて許さず、これを聞いた範頼は狼狽した。                 
10日夜、範頼の家人である當麻太郎が、頼朝の寝所の下に潜む。気配を感じた頼朝は、小山朝光らに當麻を捕らえさせ、明朝に詰問を行うと當麻は「起請文の後に沙汰が無く、頻りに嘆き悲しむ参州の為に、形勢を伺うべく参った。全く陰謀にあらず。」と述べた。次いで範頼に問うと、範頼は覚悟の旨を述べた。疑いを確信した頼朝は、17日に範頼を伊豆に流した。この後に誅したとも言われる。

その後は、再建が成った東大寺などの寺社参拝、種々の儀式、笠懸、争いの裁きなどを行う日々が続き、建久5年(1194年)には有力御家人である安田義定を誅している。その後上洛し、娘の大姫を後鳥羽天皇の妃にしようと目論んだが、土御門通親や丹後局、親頼朝派の九条兼実も反対する。程なく、大姫も病死し、計画は失敗する。                  
1197年には、薩摩・大隈などで大田文を作成させ、地方支配の強化を目指している。建久9年(1198年)12月27日、相模川で催された橋供養からの帰路で体調を崩す。原因は落馬とされるが定かでは無い。建久10年(1199年)1月11日に出家し、13日に享年53で死去した。

こうして政子の北条家の執権政治となって行くのでした。
いや〜〜〜ん!!
来週が最終回でしたか。
・・・見れません。ビデオで後で見ます。。。

しかし、個人的にはドラマでは義経が死ぬのか、一説にあるように北海道やモンゴルへ行った説にするのか、どっちかな。。。と思っていたのですが、ひとみ(#^.^#)さん、バリバリバラシすぎです!(うそうそ。いいんです。ただ、「義経はどうなるのかな?私はこう思う」みたいな議論があっても面白かったかな。と。)

郎党が討ち死にしてるのであれば、自分だけ、って、やっぱり有り得ないですよね。。。悲しいかな。

泰衡の行動もすべて芝居で、義経たちは逃げた、ってことならいいけど、それなら奥州藤原氏が滅びることも無かっただろうし。。。(でも
>国衡は、泰衡の動きを義経に示唆して平泉を離れた。
なら、やすやす討たれるだろうか。。。国衡と一緒に逃げられなかったか???。。。う〜〜〜ん。推理するには事実を知らなすぎTT)

それにしても、頼朝とか、どうして皆、「“自分が”統一」しようとするんだろう。
誰だっていいじゃん、うまくまとまるならそれで。
奥州藤原氏のように、外に野心を向かわせずに自分のところだけ守る姿勢でいればいいのに。。。

これは政治やその他いろんな場面で現代にも言えることだと思うが。
(例えば政治だったら、どの党が政権を取るかじゃなくて、何をするかに焦点を絞るべきなのに、「今度こそ政権を取る」なんて言ってる人たちには「何のために政治家やってるの?」と聞きたい。)

おっと。つらつらと話がずれました。<(_ _;)>
が、とにかく「義経」が終わるのが悲しい!
義経が死んじゃうのが悲しい!
ライブ(?)で見れないのが悲しいよー!(T T);;
Bunkaさん、夜10時までに帰れたら、衛星第二放送で10時から確か再放送やりますよ(^O^)

最終回は60分バージョンですよヘ(^o^)/
いよいよ最終回ですか!?
多分明日からまたまた出張なので
予約録画で見ることになりそうです。

ひとみさん、皆さん
一年間、大変お世話になり
ありがとうございました!
こんばんは。

今義経の最終回を観終わりました。

頼朝の命に従って平家滅亡に追いやった義経を討つのは、どう考えても理不尽。気の毒だと思う。

最期の最期まで付き従った郎党との絆にも泣けた。

「三度生まれ変わっても、主従でいようぞ」(←義経の言葉)
今度こそ生まれ変わって幸せな人生を過ごしてほしい。
(…800年前の人だから既に生まれ変わってしまったかな。)
最終回観ました。
黛演出でしたね。
弁慶の立往生の合成(人形と松平建の顔)には苦笑。
中井貴一の役作りは難しかったろうと思います。
政子役の財前直美は今後、あのオバサンキャラ定着しそう。
タッキーや若手陣も成長したようにおもいます。
お疲れ様でした。
最終回が終わってからこのコミュに入りました(笑)

一年間長かったような短かったような…
最後はやっぱりジーンときました。
タッキーで正解だと思います。
最初は、石原さとみに静御前が務まるか!と思っていましたが
最後には好きになっていました(笑)
「しずやしず」は本当に素敵でした。

それにしても財前直美はハマリ役でした。。

時代劇には本当にいろんな人の想いが渦巻いていて
見ごたえがあって大好きです。
NHKは問題だらけですけど、がんばって良いドラマを
作っていってほしいです。
今朝出張から帰りまして、ビデオで今最終回を見終わったところです。義経がお堂で切腹したときにお堂をつきぬけて白い噴水?が立ち上ったシーンは、なぜか笑ってしまいました。しかし義経の一生ってなんだったんだろう!報われない人生というかなんというか、だからこそ義経を愛してやまないのでしょうか?取り留めのない事を書き込んでしまいました。来年からは「功名が辻」ですね!では、皆さん良いお年を!!
はじめまして、最終回まで見てから現在に至り、一話一話の公興奮が忘れられずこのコミュに参加しました。よろしくお願いします。
最終回、頼朝の
「皆の者大儀であった」というあのセリフに思わず煮え湯を飲まされてしまいました。
やっぱりタッキーハマり役でしたよね〜。
新年大河の「里見八犬伝」も見ちゃいました。
最近ふと思うのは、「大姫どうなっちゃったんだろう」という事。
義経が木曽川(だっけ?)から鎌倉に立ち入ることを禁じられていた時に大姫が会いたがっているという情報が入り、義経は命令を優先して断っちゃうんだけど、義高の死後、気落ちしてしにそうになってた大姫は「義経に会えなくてどうしちゃったのかなぁ」って思います。
義経にもう少しいい加減なところがあったら、死なずに天下をとっていたかもと思う今日この頃でやんす。

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