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癒しの森コミュの癒しの森植物園(13)ー栗ー

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子供の頃、幼稚園の栗ひろいにいった。兵庫県は丹波栗が有名だ。
 chestnut  ■Castanea 
栗はブナ科クリ属の総称で、12種もあるとのこと。日本、朝鮮半島、中国、西アジアからヨーロッパの地中海岸およびアフリカ、アメリカの東部から中部にかけて分布する。「桃栗三年柿八年」とよく耳にした。総包葉が「いが」となり、いがは成熟すると2〜4裂し、果実は落下する。「栗が笑(え)む」とはこの現象をいう。
 ニホングリは、堅果が小さく樹高20メートルを超える高木性のシバグリを原形として多数の変異があるそうだ。
 栗の栽培史は古い。
 中国では、紀元前5000年ころの仰韶(ぎようしよう)文化に属するといわれる半坡(はんぱ)遺跡でクリ、ハシバミなどの堅果が発掘され、3000年前には陝西(せんせい)に栽培があったといわれる。『詩経』『論語』『周礼(しゅらい)』などにも表れ、2100年前には経済栽培があり、良品種が栽培されたという。以後『史記』の貨殖列伝その他に多数の記載があるそうです。
 ヨーロッパグリは、その原産地であるカフカス西部、小アジアではきわめて古くから栽培された。それが紀元前50年ころに西方に伝わり、トルコを経てヨーロッパ南部に、またアフリカ北部地方に伝わった。
 アメリカではアメリカグリおよびチンカピンは初めはいずれも木材やタンニン原料として注目され、堅果としては二次的なものであったそうです。
 日本におけるクリの利用は野生種シバグリの利用に始まり、その歴史は古く、『古事記』に記載がある。奈良朝から平安朝にかけては大果の品種も現れた。栽培は丹波(たんば)地方(現京都府下)に始まったと考えられ、同地方で生産される大果のクリを総称してタンバグリとよぶようになった。
 ニホングリは品種も多く、すでに1913年(大正2)には510余品種が記録されているが、果樹としてよく栽培されるようになったのは昭和初期からとのこと。
 天津(てんしん)甘栗または甘栗の名で親しまれるチュウゴクグリは、各地で栽培が試みられたが、環境不適のため、再三の導入にもかかわらず普及していない。
 クリ栽培は沖縄を除き日本全土に及ぶそうで、関東、四国、九州地方に比較的多く、なかでも茨城、愛媛、熊本の諸県は大産地とのこと。
 食品・加工として色々用いられている。100グラム中にタンパク質2.7グラム、脂質0.3グラム、炭水化物35.5グラム、カロチン47マイクログラム、ビタミンA26IUやB1、B2、Cなどのほか、鉄、リン、カルシウムなども少量含まれる。甘グリでは糖質を含む炭水化物が53グラムに達する。乾かす、蒸す、蒸して乾かす、焼く、炒(い)るなどの加工方法がある。用途は、栗飯、栗赤飯などご飯に混ぜたもの、栗きんとん、栗羊かん、栗鹿(か)の子(こ)、蜜煮(みつに)、甘露煮(かんろに)、マロングラッセなど菓子用、茶碗(ちゃわん)蒸し、含め煮など料理用、そのほか用途はきわめて広く、古来、村祭り、祝事、正月料理などと密接な関係をもってきている。かちぐり(勝栗、搗栗、乾栗)はその一つで、昔から旅立ちの携行食品とし、祝事にも用いた。これはクリ果を十分乾燥して鬼皮(果皮)と渋皮(種皮)を除去したもので、多くはシバグリを用いる。乾燥方法には、果実をそのまま乾燥する方法があるが、蒸して、のちに乾燥するほうが甘味が増す。栗きんとん、栗羊かん、甘露煮、マロングラッセなど、果実への火入れにあたっては、鉄器を用いると果肉が黒変するため、鉄器以外の容器を用いるようにする。また、古い果実の果肉は黒変するので加工用には新鮮果ほどよい。
なお、木からはタンニンをとり、材は耐久力があるので、土台や鉄道の枕木に用いる。
民俗=クリは神の木としても使われたそうだ。奈良県桜井市では、宮座の当屋(とうや)の家に設ける仮宮で青葉のついたクリの枝を神籬(ひもろぎ)にした。岩手県には門松にクリの若木を添える例もある。東日本には、小正月(こしょうがつ)の若木としてクリの木を山から迎え、小正月の飾りの材料にした土地もある。苗代の種播きや田植の日に田の水口(みなくち)にクリを挿す地方もあり、島根県にはクリの花をよんだ「栗流れ」とよぶ田植唄(うた)があるそうです。枝は神事のときの箸(はし)にもする。西日本には正月行事に用いる地方が多く、手元の部分を削り掛けにする例もある。岩手県ではクリ材の利用が盛んで、独特の雪下駄(ゆきげた)のようなクリ製の用具のほか、クリの木を柱や梁(はり)にした掘立て柱の家もあった。近江(おうみ)国(滋賀県)栗太郡には、郡全体を枝が覆うほどのクリの大木があり、樹木の王であったという伝説があるようです。クリの実は秋の行事の供え物にもなっていて、近畿地方では9月9日を栗節供(くりせっく)といい、クリの贈答をし、栗飯を炊く風習があった。一般に9月十三夜を栗名月とよぶのもクリを供えるのに由来する。奈良県の談山神社の9月の祭りには堅果としてクリ、カヤ、イチョウの実が供えられた。奈良時代の『播磨国風土記(はりまのくにふどき)』には、渋を削ったクリから生えたので、渋のない実がなるクリの木の伝説がある。クリの産地、京都府宇治田原(うじたわら)町のクリは皮がよくむけるというが、鎌倉時代の『宇治拾遺(しゅうい)物語』には、大海人(おおあま)皇子(後の天武(てんむ)天皇)が焼き栗とゆで栗を植えたのに始まるという伝説もあるそうです。
 北海道のアイヌ族では、クリの実はたいせつな食糧で、「神の植物性食物」と称し、いがをむく棒も、使い終わると一定の場所に納めた。クリは日本から伝わったとする伝承がある。ポロシリ岳の神の妻が、日本の山奥で子供を産み、クリの実だけで育てた。その子をポロシリ岳へ帰すとき、クリの実を持たせ、山に播(ま)かせたという。木は家、船、家具などに使い、葉やいがは煎(せん)じて咳(せき)止めなどの薬用にする。ヨーロッパでもクリは薬効があるといい、葉をゆでて喘息(ぜんそく)の治療に用いる。ドイツではクリをポケットに入れておくと腰の痛みを避けるまじないになるという。
 栗は、5月〜6月に花が咲き、9月〜10月頃に実が成熟すると自然にいがが裂けて中から堅い実が現れます。旬は9月から10月頃で、それ以降は貯蔵ものが出回ります。
 栗は日本民族の歴史とも深い関わりをもっており、青森県の三内丸山遺跡からも発掘されています。近年は、身近な食べ物となりましたが、昔は非常に高価なもので、一般庶民にとってはとても手の届かない食べ物だったようです。
 ちなみに栗には、日本栗、中国栗、西洋栗、アメリカ栗の4種があり、日本栗は天津甘栗やマロングラッセに使う西洋栗とは別物です。

全国的なブランドネーム「丹波栗」
 丹波地域で採れる栗のことを「丹波栗」と呼び、大きく高質な栗の代表として全国的なブランドとなっていますが、実際に「丹波栗」という特定の品種があるわけではありません。では一体、どのような経緯で「丹波栗」が生まれ、このような名声を勝ち取ってきたのでしょうか。
 平安初期、丹波地域では既に栗の栽培が始まっていたようですが、その理由としては、まず昼夜の温度差が大きいという気候条件や土質が適していたことが考えられます。また、同じ品種の栗を栽培するために必要な接木繁殖の技術が、丹波の国に持ち込まれたことで、大粒の栗を安定して生産することが可能になったためだとも言われています。以降、丹波地域の各藩主が朝廷や幕府に競って献上するなかで、大粒でおいしい丹波の栗は全国的な名声を得ました。
 しかし、実際には、「丹波栗」の生産量は国内の全収穫量の1%程度、輸入物を含めた全流通量の0.25%程度に過ぎないのです。
栗はバランスのいい食べもの
 主成分は糖質で、特にでんぷんを多く含んでいます。たんぱく質やビタミン類、特にビタミンB1の含有量も優れています。カルシウムやカリウムも多く、筋肉や骨を丈夫にし、血流をよくする働きがあります。古来、広い水田がつくりにくい急峻な山村地域では、飢餓に備えて山の斜面にたくさんの栗の樹を植えたという話が残っているほど、人間が生きていくうえで欠かせない栄養をたくさん含んでおり、幼児やお年寄りなどに最適な滋養食品ということもできます。

 子供の頃は、たき火で栗を焼き「パンパン」とはじけるのが面白かったものです。

コメント(2)

栗のお話ありがとうございました。
たまたま今日栗を頂きおいしく食べました。
「主成分は糖質で、特にでんぷんを多く含んでいます。たんぱく質やビタミン類、特にビタミンB1の含有量も優れています。カルシウムやカリウムも多く、筋肉や骨を丈夫にし、血流をよくする働きがあります」
この記述十分の理解できる栗の食感です。

飢餓に備えて山の斜面にたくさんの栗の樹を植えたという話が残っているとありますが、今は猿が多く始末が悪い地方が多いようですね。

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