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癒しの森コミュの癒しの森植物園(7)ー桜ー

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 4月に入り、いよいよ花見の季節になりましたね。癒しの森ネットのみなさんも、どこかの名所に出かけられることでしょう。だから、癒しの森植物園にも桜の木は欠かせないでしょう!
 桜( Japanese cherry  )は、日本の花の代表として外国にも知られていますね。『サクラの品種に関する調査研究報告』(1982、日本花の会)( http://www.hananokai.or.jp/ )にも193品種が図説されているそうですので、サクラの品種に興味のある方は、そちらをご覧ください。
 桜は、鑑賞される以外にも、ヤマザクラ、オオヤマザクラなどの材は、良質のやや硬い散孔材で、辺材が黄褐色、心材が赤褐色で光沢があり、加工しやすく、ゆがみが少ないので、器具材、家具材、床柱や敷居などの建築材、小細工物、板木、薪炭など用途が広いですね。樹皮は樺(かば)細工に用い、小箱や鞘(さや)などの張り皮、曲(まげ)物の綴(つづり)皮とし、また樹皮は去痰(きよたん)剤として薬用にするそうです。塩漬けにしたオオシマザクラの葉は桜餅(もち)を包み、カンザンなど八重桜の花は漬け花にして桜湯にして飲む。私も桜湯は大好きです。
 花といえばサクラのことをさすほど、サクラは日本の代表的な花木であり、国花ともされていますね。春の桜狩りは、秋の紅葉(もみじ)狩りと並んで日本の代表的な行楽行事とされており、大和の吉野山をはじめとして、サクラの名所とされている所が全国各地にある。花祭も盛んに行われており、京都の平野桜祭(上京区、平野神社)、今宮やすらい祭(北区、今宮神社)などが有名だそうです。
 また、花見時に婚礼を行うのを嫌ったり、壱岐(いき)島のようにサクラを焚くことを忌む土地もあるそうですよ。「花月正月」といって、3月3日ごろ山野に遊んで花見をし1日を過ごすことは、全国的に春の行事として行われている。しかし農家にとっては、これは農作の忙しい時期に入る前の儀礼の一つであったのだそうです。
 サクラの開花によって農作業の時期を知ることも行われているようです。山形県では「種蒔桜」といって、種播きの時期をサクラの開花によって判断するとのこと。長野県下伊那郡では「苗代桜」といって、花の開きぐあいによって籾播きの時期を知ったり、その期日を定めてきたそうです。また、同じ豊丘(とよおか)村の姫宮神社境内にある古桜になにか異常がおこると、凶兆とし、3月の節供にはサクラの花を神様に供えたり、大枝を桶などに入れて庭に飾るそうです。

「桜伐る馬鹿、梅伐らぬ馬鹿」といって、サクラを伐ると成長しないため、伐るのを嫌うというのはよく知られていますね。

 サクラについての伝説は多くあり、なかでも「桜杖(づえ)」の伝説は全国各地で語られているそうです。

 地に挿した杖が成長して樹木になったというもので、やはり、弘法大師とか西行法師などの名僧に付会したものが多い。これには「逆さ桜」というのがあり、根元より上のほうが太いとか、枝が下を向いているとかいうらしい。香川県財田町には、弘法大師がサクラの杖を地面に挿したのが花を咲かせたという「世の中桜」があって、このサクラの花の多い枝の方角が豊作、少ない枝の方角は不作と伝えられているそうです。似たようなものに、東京・谷中の領玄寺にある日享上人が挿したという「京師桜(会式桜)」や、長野県更埴(こうしよく)市の佐野茶師堂(さのちやしどう)境内にある「西行法師杖突桜」などがあるそうです。
 また兵庫県明石市の人丸神社には「盲杖桜」というのがあります。昔、筑紫(福岡県)からきた1人の盲人が人丸の塚に詣で、「ほのぼのと誠あかしの神ならば、我にも見せよ人丸の塚」と詠むと、たちまち目があき、大いに喜んで、不要となった杖を地に挿したものが成長したという伝説があります。
「駒繋(こまつなぎ)桜」という言われも多く、愛知県豊橋市の鞍掛神社には、源頼朝が馬をつないだという「駒止め桜」があります。静岡市熊野神社には、サクラの木の傍らに「桜塚」という小さな祠(ほこら)があり、「わんぱこ様」とよばれていますが、昔お膳やお椀が不足した際に、この祠に借用を頼むと翌朝かならず効験があったとか。サクラもわが国に広く行われた樹木崇拝の民俗の一つとして考えられたことがわかりますね。

 『万葉集』には、140首余りもあるハギ、120首近いウメに比べて、サクラは40首ばかりで、それほど多いとはいえませんが、
「桜花咲きかも散ると見るまでに誰(たれ)かもここに見えて散り行く」(巻12、柿本人麻呂)、
「あしひきの山桜花一目だに君とし見てば我恋ひめやも」(巻17、大伴家持)
『古今集』のサクラの用例は、
「世の中に絶えて桜のなかりせば春の心はのどけからまし」(春上、在原業平)、
「見渡せば柳(やなぎ)桜をこきまぜて都ぞ春の錦(にしき)なりける」(春上、素性(そせい)法師)、
「久方(ひさかた)の光のどけき春の日にしづ心なく花の散るらむ」(春下、紀友則)
『枕草子(まくらのそうし)』では、
「桜は、花びら大きに、葉の色濃きが、枝細くて咲きたる」のを賞し、また瓶(かめ)にいけられたようすが記されている。
『源氏物語』では、「春の曙の霞の間より面白き樺桜の咲き乱れたるを見る心地す」
『山家集』「願はくは花の下にて春死なむその如月の望月の頃」(西行)
「敷島の大和心を人問はば朝日に匂ふ山桜花」(本居宣長)
「吉野にて桜見せうぞ檜の木笠」「奈良七重七堂伽藍八重桜」(芭蕉)
 王朝貴族にとってサクラの花は春の自然美の代表的な景物であり、咲き散る花の動きの微妙な変化に一喜一憂し、ひたすら花の姿を賞美してきました。

 サクラの花の散るのにいさぎよさをみるのは、近代のややゆがんだ受け止め方であって、古来、文学の世界では、サクラの花はもっぱら賞美の対象であったことをもう一度考え直してみることですね。

 花見にいくと称して、酒盛りや宴会だけに興じるのはやめて、歌(カラオケではなく、詩文をつくる)を詠むことも再開したいものですね。

コメント(2)

りゅうぞうさん
何時も長文のトピックありがとうございます。
新潟も桜の満開の時期を迎えました。
娘の引越しなどで妻がグロキー気味です。
お礼の書き込みは後日となりますがご了解ください。
日本舞踊をしていた時に、「桜変奏曲」を振付けてもらって、
踊ったことを懐かしく思い出しました。

桜の舞い散る様を踊りで表現するのに、時には激しく、また優美に可憐にと変化をする様を演ずるのは、結構苦労しました。

今では膝を悪くしたので踊りの仲間が誘ってくださっても、参加を遠慮しています。

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