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ゲームの明日を語る会コミュのゲームは教育に役立つ?

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ミクシイニュースより引用です。
メモとして。

+++++++++++++++++++++++

11月11日、立命館大学で「“ゲーム”は本当に教育に役立つか−海外の先端事例を巡って」というシンポジウムが開催され、ペンシルバニア州立大学大学院の藤本徹氏と、カリフォルニア大学サンディエゴ校客員研究員・立命館大学助教授の稲葉光行氏が海外の最新事例の紹介を行った。その後、日本シミュレーション&ゲーミング学会の市川新氏、三橋秋彦氏を交え、さまざまな視点からゲームの教育効果における議論がなされた。

 本会は日本シミュレーション&ゲーミング学会の2006年度秋季大会記念シンポジウムとして、また来春開講予定の立命館大学映像学部開設準備企画として開催された。そのため「ゲームは学習や教育に役立つ」というスタンスの団体による、自問自答ともいえる性質を持っている。一方で学校教育の現場では、ゲーム脳に象徴されるように、テレビゲームに対する不安や危機感が根強く残っているのも事実である。その意味で本シンポジウムは非常に意味深く、年末商戦を控えてタイムリーな企画となった。

 まずはじめに藤本徹氏が「海外におけるシリアスゲームの最先端:エンタテインメント・ゲームの可能性はどこにあるか」と題した講演を行い、シリアスゲームを巡る現状を大まかに整理すると共に、海外での活用事例を紹介した。藤本氏はシリアスゲーム・ジャパンのコーディネーターも勤めており、日本のシリアスゲーム分野における第一人者として、ゲーマーの間でも有名な人物だ。

 藤本氏はまず、ゲームを教育に利用するメリットとして「モチベーションの維持・喚起」や、「行為・失敗を通した学習」などを上げた上で、ゲームと学習に関する誤解が世間的に見られるとした。その上でシリアスゲームコミュニティで議論されている、「ゲームが教育の場で受けない10の理由」を紹介した。少し長くなるが、非常によくまとまっているので紹介してみよう。開発者にとっても耳の痛い内容のはずだ。

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1:「エデュテインメント」時代、多くのコストをかけたわりにささいな成果しか得られなかった。多くの人はインチキな売り文句にだまされたと感じている。
2:多くの「教育用」ゲームは「チョコレートで包んだブロッコリー」
3:利用する教師やスタッフの多くは、いまだIT機器に不慣れで使いこなせない
4:教師や親の多くは、マスメディアの影響でゲームの有害性への不安を持っている。
5:多くのゲームは慣れるまでに時間がかかり、授業での利用が困難
6:面白いゲームは、教育用途には正確さが不十分、正確なものは逆に退屈
7:ゲームの有効性に関する研究が不十分で、利用側のニーズとかみ合っていない
8:シミュレーションゲームでコストが抑えられるのは、軍事・消防など教育・訓練コストの高い分野で、一般の教育分野ではコストが増大する
9:本格的にゲームを利用した教育には、大きな教育システムの変革が必要だが、リーダーシップがとれる人材はほとんどいない
10:実際には優れた教育用ゲームがあるが、教育の主流として認識されていない
------------------------------------------------
 その上で藤本氏は、シリアスゲームの定義を「教育をはじめとした社会の諸領域の問題可決のために利用されるデジタルゲーム」とし、特定用途のためにゲームを開発するスタンスと、既存のゲームを特定用途のために利用する、2つの方向性があるとした。またゲームソフトの開発だけでなく、その運用方法の開発も重要であると指摘した。

 その後、藤本氏は既存ゲームの学校教育への応用事例について、イギリスとアメリカの最新事例を紹介した。

 イギリスでは今年、大規模な意識調査と事例研究を目的とした「Teaching With Games」プロジェクトが開催された。これはEA、Take-Two、マイクロソフトなどがスポンサーとなって、非営利団体のFuture Labが実施したもので、英国の小中学校の教師924名と、2334人の生徒にゲームに対する意識調査を実施。その後10人の教師に「ローラーコースタータイクーン3」「シムズ2」「ナイツ・オブ・オナー」の3タイトルを利用した授業を行ってもらい、その過程を調査したものだ。

 このうち「シムズ2」ではプレイした内容をフランス語や英語で議論したり、作文を行うなど、語学授業に活用。「ローラーコースタータイクーン」では、ジェットコースターの動きや統計データから、動的エネルギーの概念を学習するなど、物理や数学の授業に用いられた。「ナイツ・オブ・オナー」は、グループコミュニケーションやチームワーク、戦略的、論理的思考の授業にも活用された。

 一方でアメリカにおいては、音楽ゲームを使ったExerLearningの事例が紹介された。ExerLearningとは、学習の前に短時間の運動を行うことで、脳の活動が高まり、学力改善に繋がるという考え方。児童の肥満が社会問題化しているアメリカでは特に注目を集めており、これを音楽ゲームなどで行うというものだ。

 講演内ではカリフォルニア州レッドランド学区と、ウエストバージニア州の事例が紹介された。特にウエストバージニア州では、「ダンス・ダンス・レボリューション」が全州の公立学校に導入され、州政府・週教育省・ウエストバージニア大学・保険機関・コナミUSAなどが協力する、大規模な産官学の連携プロジェクトとなった。またテストケースで判明したこととして、ゲームを与えっぱなしにすると効果が落ちること。カリキュラムの制定や指導など、運用面の仕掛けが重要であること、などが示された。

 最後に藤本氏は「シヴィライゼーション」シリーズの開発からスピンアウトした、シリアスゲームのディベロッパー、Breakaway社CEOのDoug Watley氏による「私たちはこれまでシリアスゲーム開発に取り組んできて、一つはっきりと確信をもったことがある。それは、ゲームには未来をよい方向に変える力があり、私たちはゲームによって未来を創ることができる。ということだ」という言葉を紹介し、わざわざ「シリアス」ゲームと言わなくても、ゲームがシリアスなものとして社会で広く利用される未来像を示した。

講演の第二部では、カリフォルニア大学サンディエゴ校客員研究員・立命館大学助教授の稲葉光行氏が、「コンピュータゲームを媒介とした協調型学習活動の可能性:米国における第5次元プロジェクトの取り組み」と題した講演を行い、アメリカを中心に20年間も続いてきた、「遊び」を基礎とする協調学習の現状について紹介した。

 「第5次元プロジェクト」(=5D)は、文化心理学者のマイケル・コール氏によって、カリフォルニア州サンディエゴ近郊で、1986年に放課後プログラムの一環として始まった。1988年にヒスパニック系移民の子供たちを対象に、「魔法の教室」と呼ばれる5Dの雛形が完成。1996年からメキシコ、スペイン、スウェーデンなど世界各地に広まった。現在5Dは世界10カ国、20〜30カ所の拠点で行われている。

 「5D」や「協調学習」などと聞くと肩肘が張って聞こえるが、非常に大ざっぱにかみ砕くと、日本でも公民館や児童館などで行われている、学外プログラムや時間外保育のノリに近い。地域コミュニティを母体としている点も同じである。放課後に大学生のお兄さんやお姉さん、保護者と一緒に、勉強したり、遊びながら、自然と組織内での役割分担や、自発性・協調性などが身につけるというわけだ。

 ただし大きく違うのは、この活動がコール氏によって理論的に組織化・体系化されていることと、コンピュータを使った遊びやゲームが採り入れられていること、地域によっては学校教育のカリキュラムと連携がとられていることである。縦割り行政主体の日本では、なかなか見られない光景だ。なお「5D」の名前の由来について、コール氏によれば子供たちが勉強したり遊んだりする場所として、魔法使いがくれた贈り物、ということになっている。4次元を越えた魔法世界、5次元の活動というわけだ。

 5Dの特徴は、ただ遊んだり、勉強したりするのではなく、アーティファクトと呼ばれる共通の道具やシステムを用いていることにある。アーティファクトには「ゲーム」「タスクカード」「迷路」「活動記録」「ウィザード・メール」があり、高校生や大学生のボランティアスタッフや父兄などによって運営されている。すでに20年近く続いていることもあり、5Dで学んだ子供たちが、高校生になって、今度はボランティアとして活動に参加している例もある。

 典型的な子供たちの活動を見てみよう。学校が終わった子供たちは、「魔法の家」と呼ばれる5Dの拠点にやってくる。この拠点は校内の空き教室だったり、教会の敷地内にあるプレハブだったりと、いろいろだ。共通なのは、ここが魔法によって支配された、5Dの世界という設定になっていること。ここで子供たちは、ボランティアと一緒に宿題をしたり、PCでゲームを遊んだりする。ゲームの内容は拠点によって異なるが、教育的効果が高いとされる、既存のカジュアルゲームが用いられる例が多い。

 また単にゲームで遊ぶのではなく、それぞれにタスクカードが用意されており、この内容に沿って遊んでいくと、段階的に学習効果が高まるようにデザインされている。タスクカードの進捗具合は、「迷路」と呼ばれる記録シートや、「活動記録」などで子供ごとに管理される。5Dの世界を支配する「魔法使い」に対して、手紙で要望を出すこともできる。これは「ウィザード・メール」と言われており、時には子供たちに対して、魔法使いから生活態度などの注意の手紙が来たりすることもある。実際は5Dのスタッフが魔法使いになっているわけだが、その存在は最高機密の一つで、稲葉氏も知らないという。

 このように「魔法の家」という設定に基づいて、すべてが設計されている点が「5D」の特徴である。似たような取り組みは全世界的に見られると思われるが、これが理論化・体系化され、全世界に広がっていること。同じゲームでもコンソールではなくPCゲームであること。さらに学校教育のカリキュラムと連携している点が、いかにもアメリカ的という感じだ。PCゲームを用いる理由には、コンピュータリテラシーを早く拾得することが、進学や就職などに有利である、とする考えがあるという。

 拠点の例としては、サンディエゴ近郊にあるTorrey Pines Elementary School 5D(TP5D)と、同じくサンディエゴ近郊のLa Clase Magica(LCM)が紹介された。TP5Dは中産階級の子供が多く、LCMは低所得者層の子供が多い地域である。TP5Dでは初めて5Dの「魔法の家」が小学校の敷地内におかれ、学校教育のカリキュラムに組み込まれた。一方でLCMは教会の空き部屋で行われており、周囲の治安もあまり良くないと、対照的になっている。特にLCMはヒスパニック系の移民の師弟が多く、タスクカードも英語とスペイン語が混ざった、スパイングリッシュという言語で書かれている。ただし、双方とも地域コミュニティの厚い支援を受けている点は同じである。

 最後に稲葉氏は個人的な見解として、「5Dにとって妥当性のある学習効果の評価手法の確立」「5Dの拠点間でのノウハウ・知識・文化の共有」「インターネット時代への対応」などを上げた。特に拠点間でのノウハウや知識の共有は意外と進んでおらず、このシステムを構築するために現在も客員研究員として留まっているという。

 藤本氏と稲葉氏の報告を大ざっぱに整理すると、藤本氏が学習や教育に使えるゲーム事例や、その取り組みの紹介。稲葉氏がゲームを用いた運用事例の紹介という点で対照的だった。実際はこれらが車輪の両輪となることは言うまでもない。

ただし国内コンソールの開発現場では、この運用面からのニーズやノウハウがほとんど蓄積されていない。今年の年末商戦においては、英単語や漢字検定、右脳、百ます計算など、DSを中心に教育系ゲームの発売ラッシュを控えているが、その多くは元となる書籍などをデジタル化し、監修者という名の「お墨付き」を免罪符にして、一般に販売している側面が拭いきれずにある。

 もちろんそこには、ゲームと学習・教育の断絶という歴史的な経緯があるわけだが、今後はこの溝を改めて埋めていく努力が必要だろう。それが現在の教育ソフトブームを、一過性の物にしないために重要である。その意味でも今回のシンポジウムは、広く問題を提起したといえる。

コメント(6)

>チョコレートで包んだブロッコリー
おもしろいですね、この表現。
まあ栄養価が高くて、かつおいしいお菓子を
作るのは難しいということでしょうか。

大人だと「栄養があるから」とか言って、
ラムネよりは野菜ジュースをモチベーションをもって飲めますが、
子どもはおいしけりゃどっちも飲みます。
でも大人が野菜ジュースを飲ませようとしたりすると、
(つまり「おいしい」以外の目的が入ってくると)
とたんにいやになったりするもんです。

なので教育のためのゲームであっても、
教育のためであることは見えないようにしたほうがいい。
ところが子どもというのは敏感なもので、
そういうのになんとなく気づくこともあるんじゃないかなと思います。
そうすると遊びの楽しみは半減するので、
今度はゲームを使う意味がなくなるわけです。

そのへんうまくバランスをとれれば、
(個人的には「強制しない」ことだと思いますが)
理屈の上では成功しそうな気がします。

実践的にはまずはコストの問題なのかなー、8番あたりの。
長文ですが…
結構、的を射たことを言っている感じです。
是非、ご一読下さい>引用した記事

-----------------------------------------------------
1:「エデュテインメント」時代、多くのコストをかけたわりにささいな成果しか得られなかった。多くの人はインチキな売り文句にだまされたと感じている。
2:多くの「教育用」ゲームは「チョコレートで包んだブロッコリー」
3:利用する教師やスタッフの多くは、いまだIT機器に不慣れで使いこなせない
4:教師や親の多くは、マスメディアの影響でゲームの有害性への不安を持っている。
5:多くのゲームは慣れるまでに時間がかかり、授業での利用が困難
6:面白いゲームは、教育用途には正確さが不十分、正確なものは逆に退屈
7:ゲームの有効性に関する研究が不十分で、利用側のニーズとかみ合っていない
8:シミュレーションゲームでコストが抑えられるのは、軍事・消防など教育・訓練コストの高い分野で、一般の教育分野ではコストが増大する
9:本格的にゲームを利用した教育には、大きな教育システムの変革が必要だが、リーダーシップがとれる人材はほとんどいない
10:実際には優れた教育用ゲームがあるが、教育の主流として認識されていない
------------------------------------------------

ここら辺が問題点ですね。
日本では。

1、一回失敗しているため、なかなか踏み出しにくく、
2、身構えている「苦手」を甘く見せているだけの代物が多く、
3、IT格差のために、指導する教師側が身構えてしまい、
4、世間様も身構えてしまっていて、
5、授業で使うとなったときのマニュアルもなく、
6、いい感じのさじ加減のゲームとなると難しく、
7、利用する側に対し、やや押し付けがましく、
8、開発費が膨大で、
9、教育の方針ですら役所はお役所仕事で変わらない上に、
10、結局あっても使われていないゲーム。

「ゲームで教育!」と唱えたところで、今のいじめですらきちんと対処できていない現状で活用は難しいのが当たり前な気がしますが…それは置いといて。

これを見る限り、要は、
1、教育ゲームに失敗しているのを知らない世代が見つけられて、
2、身構えている「苦手」をそのまま好きになれるような、
3、ITに開けた子供が自由に使えて、
4、親にも効果や教育の指針が分かるマニュアルがあり、
5、授業で使うことがないジャンル、もしくは使いやすいジャンルで、
6、難易度も調整でき、いい感じのさじ加減で、
7、利用する側に対し、押しつげがましさがなく、
8、開発費が膨大でも元が取れるような普遍のテーマで、
9、公教育の方針も関係なく使用でき、
10、結局、使えるゲーム。

にすればよいんでは…といちいち、つっこんでみました。
それこそ夢のゲームになる気がしますが。
想像すらできません。
それこそ、イギリスのようなゲームプロジェクトみたいな感じでしょうか…?

確かに教育系の「ゲーム」となると難しいですが、そういう学習ソフトは多く出回っています。定義がどうもあやふやに語られている気がして…事態をより複雑にしている気がします。
海外の実例おもしろいですよね、これ。

>定義がどうもあやふや
ゲームの定義が曖昧というか両義的ですね。
ゲームを「モチベーションを維持・喚起するもの」と規定してますが、それがそういう性質を持ちうる条件については(この記事を読むかぎりは)考えてない気がします。

脳トレとかのいわゆる「教育系ゲーム」と「ゲームの教育利用」は同じ土俵で語るものではない気がするんですよね。前者はあくまで自己目的的な遊びであって、なんらかの教育的効果はあるにせよ、教育自体に(あるいは自己啓発/能力開発自体に)目的をおくものではないと思うのです(少なくともそういうふうには「遊ばれて」いないんじゃないかなと)。そういう意味では子どものおもちゃとかパズルとかとほとんど同じです。
んでゲームを教育に「利用」しようとすると(つまり「ある特定の教育効果」という外部目的を設定すると)、今度はゲームの遊びの側面が削がれてしまう気がします。遊びを削がれたゲームが、果たして「モチベーションを維持・喚起するゲーム」としての性質を保てるのかどうか、そのへんを危ぶんだのが>>1の記事です。


とかいう理屈はさておき、実験でもなんでも、実際試してみることがまず大事だと思うのですが、そのためにはタラコさんのおっしゃるような手続きを踏まないといけないんだろうなあと思います。
結局は外国で成功したらお金が出るっていうありがちなパターンになる気もしますね。
しむじさん>

2のコメントは、しむじさんの1のコメントを受けたものではなく…無視したかのような体裁になってました。

すみません…(>□<)

ええと…
まず1に関して。

その「目的意識」が入ると、子供が受け付けなくなるのは実際、そうだと思います。
ターゲットを子供のみにしたら、の場合ですが。

逆に大人のモチベーションを考えると、ある程度、面白ければ、また新鮮であれば、遊び×学びで、子供とは違った視点を持てる(らしいです。あくまでも、ゲームの「教材」利用としての観点ではありますが…そういう研究成果があるとか)のだと思います。
記憶の定着とか、モチベーションの維持などで効果ありだそうです。

まあ、ゲームに限らず、PCの教材に対する新鮮さがそうさせている可能性もありますが…生まれた時からPCのある世代になるとどうなるのか、気になる話ですよね。
あと、IT格差がある中で、ご年配の方には、逆にモチベーションが下がるのかな?とか思ったりしますが…


3に関していえば、ちょっと意見が異なりますね。

基本的に、「教育・学習」っていうものも、どこかしら自己目的化しているものが多いと考えるからです。
結構、自己満の世界ですよね。

それに、自己啓発・能力を開発することそのものを目的としている人はかなり特異だと思います。それを通じて、何かを成したいとか、受験に受かりたいとか、誰かと話したいとか目的は他にあるはずです。
教育用ゲームの「教育」と、教育利用のためのゲーム「教材」とは、作られるコンセプトに差異があっても、構造的には近いと思います。

そもそも、勉強っていう行為が、(子供にとっては大きくなってから)頭を回転させるためのパズル遊びの一種だとも思います。
(日常生活で数学のサインコサインとか使ってないですもん。生活していて和歌を詠むなんてしたことありません)

そもそも、「ある特定の効果」を得ようと思って作れば、それはゲームではなく、教材と呼ばれてしますし(CALLとかe-learningとか)
そこに「ゲーム」というジャンルにされないでいるところに、ゲームの教育利用の是非に関してのトリックがあるんじゃないかな?と思ってます。
そういう点で、「ゲーム」の定義による混乱はあるんじゃないかと。

>とかいう理屈はさておき〜

まあ、そうなんですよねー…

私も口では大きいこといえるのですが、いざ実践となると…卒論でゲームを作っているものの、変なところで拘ったりつまづいたりで、正直「これはどうもやらされてる感が…」とか「これ、面白い??大丈夫??」とか思いながら作っている有様で…。

反省を生かして、来年こそ…と鬼に笑われるようなことを考えています。

研究者がお金をもらって教材としてゲームを作った場合、
「作ったらお終い。じゃあ、次行こうか」
といった様子でバージョンアップだとか、これをもっとこうすれば…のように次に繋がらないのが現状なのだそうです。

まあ、一介の学部生には援助金など無縁な話なのですけれど、そういう単発の教材ばかりでは使いようがないらしく、折角の援助金も勿体無いなあと思います。
作ることそのものを目的化するのではなく、やはり学生への視点を重視して、研究者の方々には継続的な開発をして欲しいものだと思います。
あ、なるほど。
「ゲームの教育利用」と聞いて、「ゲームを教材として使うこと」に限定して考えていました。ちょっと偏狭だったです。ゲームすること自体(遊び楽しむこと自体)が教育だという発想もありですよね(というかむしろそういう話なのかな)。


自己目的の話で、ちょっと学ぶ側と教える側に分けて考えてみましたが、

勉強なり学習なりに遊び的な(ゲーム的な)要素が多分に見え隠れするというのはまさにそのとおりだと思います。数学好きの子なんてだいたいはパズルとして楽しんでますし、受験競争にしても、いい大学行ったらいい会社に入れていい人生が送れるだとか、親を喜ばせられるだとか、そういう言わば外部的な目的に根ざした動機よりも(もちろんそういう動機が強いお子さんもいるでしょうが)、いい点取ってうれしいとか、人より上に立って気持ちいいとか、ストイックに自分自身に克つとか、成長した俺すげーとか、そういう広い意味での遊び/ゲーム/試合のごく素朴な形が動機/目的になってる部分も多いと思います。

ただそれは学習する側の話で、学習させる側つまり教育側にはなんらかの外部目的がある(設定されてる)と考えるのが自然じゃないのかなあと思います。それは特定の知識/技術を身につけさせるとか進学/就職させるとかボケさせないとかいう具体的なレベルでの目的でもあるし、人格形成を促すだとか社会に役立つ人材を育てるとか学習者に豊かな人生を送ってもらうとかいう理念的なレベルの目的でもあります。「教えること自体が目的」っていうのは、もちろん教師とか親とかの個人レベルではありえますが(人に説教するのが生きがいな人もいますもんね)、社会的営為としての教育(あるいはそのシステム)について言えば、そういう自己目的ではなくて、やっぱり「教育目標」とでも言うべき外部的な目的が設定されてるもんじゃないのかなあということです(このへん素人目線なので、そうではないのかもしれないとも思いますが)。

まあそうだとしても「教材としてゲーム」ではなくて、あるゲームをやることが何らかの教育効果を生むという見方はよくわかるのです。ただ、遊びってのは子どもが(もちろん大人も)勝手に見つけて、勝手にやるもんだと思うので、教育の場(学校)でわざわざ与える必要があるのかなあという疑問があったりします。結局のところ、そういう意味での「ゲームの教育利用」っていうのは、「いいゲーム」と「悪いゲーム」とを分けて(その判別はもちろん「教育目標」に沿って行われるわけですが)、そのうちの「いいゲーム」の方を薦めるなりやらせるなり作るなりするってことなのかなあと思います。それって、あの「夏休みのおすすめ映画」とか言って、学校が多少説教めいた暴力の少ない映画を薦めてくる、あの感じですよね。

にしてもあいかわらず文章が長くなります。


>鬼に笑われる
パイオニアは鬼に笑われてなんぼですよ。
そういう意志が新しい地平を開いていくんじゃないかなあ。
もうちょっと凝ったかんじで言いたいのですが、
がんばってください になっちゃいますね。
(卒論も楽しみにしてたりします。)
しむじさん>

いえ…こちらこそ長くなりまして(o_ _)o
でもまあ、このコミュは
「置手紙風に、気が向いたときに」が基本方針なので…
まあ、反れてはいないはずだと信じたいです。


>ゲームすること自体(遊び楽しむこと自体)が教育だという
>発想もありですよね(というかむしろそういう話なのかな)。

そうですね。
「ゲームはそのまま教育だ!」とまでは言いませんが、教育はかなり「楽しむ」「興味を持つ」ってことは重要なので、発想自体はそんな感じです。

そういう意味で「教材」もゲームのように楽しくないと、効果もあがらないのですが…難しいんですね。

やはり研究者の人が作るものは、何らかの学習モデルに基づいているものなので、それを配慮しつつ、ゲームに近づけて…となると、研究者の専門分野を軽く超える訳です。(文系の研究者は、やはりプログラムは苦手としている人が多いのもあるようで…あと、ゲームって後から後から色々な知識が必要になってきますよね)

研究者が研究で作るものは、つまらなくなる可能性が高く、「ゲームになれなかった教材」といった感じです。

○○先生監修という脳トレ系、学習モデルに基づいてるものが多く、感心するものもあります。(ただ、個人的にはドリルのようで好きではないです…)
でも、これもどうしても、研究者の作ったゲームっていう、教育色が感じられます。

だから、ゲーム会社で、研究者の視点も持ちつつも、もう少し「いかにも教育〜」っていうのを感じさせないものを、と思ってます。
今はまだ言語学習しかジャンルがない感じですが…
世の中に知らないジャンルはたくさんあり、組み立て次第でそれはひとつの世界ができると思うんですよね。
ニーズもありそうですし。

>社会的営為としての教育(あるいはそのシステム)について
>言えば、そういう自己目的ではなくて、やっぱり「教育目
>標」とでも言うべき外部的な目的が設定されてるもんじゃな>いのかなあということです(このへん素人目線なので、そう>ではないのかもしれないとも思いますが)。

いや、全然素人目線じゃないですよ!
よく知ってるなあ…とこの文読むまで実は関係者??と思っておりました。恥ずかしながら。

その通りですね!
社会的に、全体的に考えれば目標がなければまずいとも思います。
(でも、教師って結構しんどい仕事なので、生徒が「いい点取って嬉しい!」と勉強するように、「きちんと教えられた!やった!」とか「卒業する生徒に感謝されて嬉しい…」とかそういう方が大きいと思いますね、個人的には。
そう考えると教育現場って何か、前提そのものが歪んでますね。)

ええと話が逸れましたが…
ここで、ゲームに例えて教育を語らせて頂きます。
構造が似ているのです。

ゲームは、例えばマリオの場合、
「クッパを倒し、ピーチ姫を助ける」
が目標です。
そのために、中ボスを倒したり、ヨッシー仲間にしたりと少しずつ面をクリアし、練習を重ねます。
ボス戦を迎える頃には、ある程度、操作を学習し、面ごとに合わせて状況判断が下せるようになっています。

「ピーチを助ける」→教育目標(社会的かつ全体的)
         (指導要領などのカリキュラムをこなす)
「クッパを倒す」→やや個人的な目標
         (いい点取ったら、進学が有利になる!)
「1ステージずつクリアする」→個人的な目的
         (やった100点!俺すげえ!と悦に)

…と置き換えることができます。

ここでポイントなのは、
「何が何でも、ピーチを助けよう!」
と思ってプレイはしていない(だろう)こと。

せめて「クッパを倒す!」とは思うかもしれないですが…ピーチは多くのプレイヤーの方はおまけなはずです。
(キャラクターのマリオにとっては重要だけど)

何がいいたいかと言いますと、要は教育目標はあるようでないようなものではないか?ということですね。
あ、ワタクシの個人的な意見なので…あしからず(’U’)ノ


>ただ、遊びってのは子どもが(もちろん大人も)勝手に見つ
>けて、勝手にやるもんだと思うので、教育の場(学校)でわ
>ざわざ与える必要があるのかなあという疑問があったりします。

あー…そうですね。
でも、そういうのは目新しいので、ゲームを教材として利用するのは今も行われていることがありますよ?
RPGツクールでゲームを作らせ、論理的な思考を養うとかいう学校もあるみたいです。進んでますよね。
やっぱり学ぶにしても、楽しい方がいいんではないかと…確かに押し付けがましさはありますけどもね。

それこそ「おすすめ映画」や「推薦図書」の類の。
まあ、それでも、中には面白い本もあったりしたので(映画は見ませんが)それもひとつのきっかけでは?と思ってます。
(少なくとも教育ママに買ってもらえるような子も出てくる…かも?絶対、感想文は書きたくないですね(笑))

個人的にはR指定のゲーム中の死もありだと思うんですけどね。
少なくとも、今のままでも十分、教育現場はひどいことになってるので、これ以上はひどくならないでしょう、と。
まだまだこんな惨事続きでもPTAは生きてるでしょうから、難しいですけども…。


>パイオニアは鬼に笑われてなんぼですよ。

そうですね…常に先のことを考えないと、ですね。
考えてるだけの人にならないよう、頑張ります♪
(ありがとうございます。…プレッシャーが(-ω-`;))

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