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九州の人と仲良くなりたい!コミュの明治の歌人五人の旅「五足の靴」をご存知ですか

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  五足の靴歌碑       五足の靴の由来      大江天主堂

 今日は久々の休日を取り、10年ぶりに天草西海岸に妻とドライブに出かけました。目的は、五足の靴の足跡と大江天主堂を訪ねることでした。

 最近、天草の五足の靴は、温泉宿「ごそくのくつ」と言うで、口コミで人気を博している、天草市下田温泉の人気スポットはありますが、その言葉の由来について少しお話をします。

 写真の真ん中を、見てもらうと分かるのですが、明治40年に歌人の与謝野寛(鉄幹)、北原白秋、木下杢太郎、吉井勇、平野萬里の5人が、天草の西海岸に在る大江天主堂のガルニエ司教に、長崎から船で富岡港に渡り、険しい山道を辿りながら徒歩で会いに行きます。ここで司教と語り、牛深から三角港に渡り帰京するのですが、ここの旅が日本文学に大きな転換点を与えたと言われています。

 ガルニエ司教は、25歳で天草の大江天主堂に赴任して、81歳まで布教活動に一生を捧げておられます。大江天主堂に20分ほど滞在したのですが、平日でしたがマイクロバスや乗用車での訪問者もあり、平日でも訪問が絶えないのだなと思いました。
 また、同じ地域に在る「(天草の)下田温泉」は10年ぶりで、大江天主堂は20年ぶりに訪れたと思います。天主堂は、ちょうど修復工事中で、きれいな姿を見れてとても満足しました。教会内で、少し静かに座っていたのですが、心が落ち着く気がしました。

 天草は、殉教の島とも言われます。それは、江戸時代に徳川幕府の鎖国政策の中で、キリシタン弾圧が始まりました。その最後の抵抗勢力の激戦地が、天草であり、島原の原城の戦いであったことは、歴史で皆さんご存知と思います。「踏み絵」と言う試練を負わせ、仏教の異端者探しや、ある地区では全ての仏教の宗派の寺を集め、踏み絵をさせたとも言われています。

 そのキリシタン信仰の大きな地域に大江の天主堂が在ます。明治後期に、そこへフランスから来られたのが、ガルニエ司教でした。その噂を聞き、五人新進気鋭の歌人が、ヨーロッパの文化に触れるために、天草に遠路訪ねて来ました。その「志」を偲ぶに、明治の精神の高さと、鎖国から世界に目が向けられ、新しい時代を興そうとする青年の思いが伝わって来る気がします。

 現在、合併して天草島の全域が天草市(一部別)になり、真の天草なって始めての天草訪問でしたが、下田に抜けるためのトンネルは、川端康成の踊り子の場面に出てくる、トンネルに似て、狭く暗いにトンネルでしたが、そこを抜けると東シナ海へつながる海が直ぐ見えて来ました。真っ青な空と海、言葉を無くす風景に、ただ黙って見とれていました。
 その海の見える丘に、五人の名前を入れた歌が刻まれた歌碑たっています。写真には、私の眩しそうな顔付きの姿(歌碑の大きさを出すために写りました)がありますが、当時の道の状況をを考えるに大変な旅だったと思います。

 久々に訪れた、九州最西端の風景は、10年前、20年前と変らず雄大で、日常の生活に追い回される気持ちを落ち着かせ、静かにさせてくれる(癒しの)時間でした。
 海岸に下りて、東シナ海の潮の寄せる音を聞いていると、今起こっている東アジアの緊張を忘れる思いが有りました。海は、中国にも、韓国にも、北朝鮮にも、ロシアにも、更にアメリカつながっています。
 
 キリシタン弾圧から400年近くですが、天草市民の方々は、今の時代に合わせて平和に生活をされています。ぜひ、一度天草へお出で下さい。海も空もそして心静まる祈りの島は、とても素敵なところでした。

熊本 野口修一

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