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百式司令部偵察機コミュの3型機の風防と酸素ボンベ

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「航空ファン」昭和42年11月号に、以前書き込みさせていただいた私の伯父のインタビュー記事が載っていましたので紹介させてください。

100式司偵(3型)の風防について
「はじめは光線の加減で見方が変になることもありましたが、敵に追いかけられたり、見つけたりするには、気分的に3型の方がいいですね。司偵は、97司偵の頃から視界が狭い欠陥があったんです。上と横しか見えない。それが急にこんな新しいのになった。頭(機首)を押さえると全部見えるわけです」

酸素ボンベ
「酸素ボンベが操縦席の左うしろにあるんです。これは不時着したに、着水のショックで、背中を打ったことがあるんです。」
伯父は沖縄戦のとき、台湾から偵察に飛び、沖縄上空で対空砲火を浴びて片方のエンジンが止まり片肺になり、宮古島に着陸しようと試みたましたが、敵の空襲に遭ってたため着陸を諦め、台湾まで引き返そうと思いましたが、台湾は厚い入道雲で覆われ視界不良だったため、与那国島に不時着を試みます。
上空から見ると平坦と思えた与那国島ですが、近づいてみると岩がむき出しになった台地だったため、近くの灯台看守に無線で不時着する旨連絡した後、与那国島西方沖の海上に不時着します。
この時、酸素ボンベで背中を強打したんだと思います。
その後は、後ろに乗っていた通信士(不時着の衝撃で片腕を無くされてます。故人)と共にフカの居る海上を泳ぎ、与那国島で傷の手当を受けたそうです。

コメント(3)

この本を伯父にコピーした返信です。

「航空ファン記事は、久方ぶりに戦争下の様子を思い出し、明日がなかった地獄の局面をよくも生き延びたものだという思いと、あの頃が最も充実していた時間で生き方であったという思いがあります」

「充実していた時間」という言葉は意外というか、逆に深い意味がある気がします。大正9年生まれの伯父ですが、現在も慰霊祭のために、台湾に飛んでいたりします。
わが父は?型にのってました。大正13年生まれ。バリバリのpcオヤジ@83歳 
http://mixi.jp/show_friend.pl?id=6985507

伯父様もお元気ですか?
さくみの才谷屋健太郎さん、ありがとうございます。
お陰様で元気にしています。
お父様、お元気ですね〜!書き込み期待してます・・・

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