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チェダゼミナールコミュの帝国主義の時代へ 教科書P102〜 資料集156・160〜163

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目標
? 19世紀後半、帝国主義段階に達したヨーロッパ諸国がアジア・アフリカ・太平洋地域を分割していったことを理解する。
? 帝国主義時代には資本家と労働者の対立が激化し、社会主義の運動も発展することを理解する。
? 列強の世界分割の具体例を確認し、錯綜する列強の対立関係は三国同盟と三国協商の両陣営にまとまり第一次世界大戦へと向かうことを理解する。




【帝国主義時代の開幕】
産業革命 時期 主産業 主役国 エネルギー源
第一次 18世紀末 軽工業(綿織物・食品加工業) 英・仏 石炭
第二次 19世紀末 重工業(鉄鋼・電機・自動車) 米・独 石油
第三次 20世紀末 IT産業 米 天然ガス・原子力



産業革命により、生活必需品が大量生産出来るようになると、原料調達地や市場(売る場所)を求め海外進出を目指すようになる。また、機械化が進んだ産業革命では仕事は機械が代わりにやってくれるので、失業者も大量に発生する。そのため、失業者を海外に送り込む意味においても海外進出は必要不可欠であった。海外に植民地を大量につくり、自国の帝国を築きあげていく主義を1( 帝国主義 )という。レーニンの『帝国主義論』では、資本主義の最高段階は帝国主義であるとしている。帝国主義は植民地という名の土地を奪い合うわけだから、当然戦争を伴う。特に今から100年ほど前の19世紀末には、様々な戦争が行われた。その中でも、普仏戦争でフランスを破った2( プロイセン )(ドイツ)と、米西戦争でスペインを破った3( アメリカ )の躍進は凄まじかった。アメリカとドイツと言えば、第二次産業革命の主役国であり、主産業は4( 重工業 )。まず家電の分野で見ると、アメリカでは発明王5( エジソン )が設立した6( ゼネラル・エレクトリック )<GE>が、ドイツではシーメンスが設立した7( シーメンス )<ドイツ語読みではジーメンスSIMENS>が有名。自動車の分野では、アメリカで8( ゼネラル・モーターズ )<GM>、9( フォード )、10( クライスラー )が現在でもビック3として健在。ドイツでは11( ダイムラー・ベンツ )、12( BMW )、13( フォルクスワーゲン )が有名である。モノづくりが軽工業から重工業にシフトし、主役国が英仏から米独に移った時期が19世紀末である。
ヨーロッパは1873年からおよそ20年間、大不況を経験した。不況中に何が起こるかと言えば、企業の大合併である。つまり不況で行き詰った企業が大企業に吸収される形となり、企業の集中・独占が進む。また、軽工業は、小額の資本(カネ)でも起業出来るが、重工業は多額の資本がないと起業できない。つまり、重工業は必然的にカネを大量に持つ大企業しか始められない構造になっている。そして、重工業は戦争とモロに結びつく。鉄鋼業・自動車産業・電機産業・造船業などは、生活必需品を生産するというよりも、戦争道具を生産する。つまり、国が戦争している状態の方が、注文が増えるということなので経済が活性化する。そして軍事力と経済力が比例して増えていく状態となる。
つまり、第一次産業革命は、「単純に肌触りがよく安い服が着たい」という欲求から始まったが、第二次産業革命と第三次産業革命は「いかに戦争を有利に進めるか」が発端となって発展している。車や家電製品、インターネットが生活必需品として民衆に広まったのはあくまで副産物に過ぎない。
アメリカは1898年、スペインと14( 米西戦争 )を行い、アメリカが勝利した。アメリカはスペインから15( フィリピン )、16( グアム )、17( プエルトリコ )、18( キューバ )を奪った。米国がカリブ海を制し、西太平洋(アジア)への根拠地を手にした決定的な戦争である。アメリカ大陸は元々スペインがそのほとんどを支配していたのが、米西戦争のアメリカの勝利により、南北アメリカ大陸と太平洋からスペインの影響力が一掃され、代わりにアメリカが入れ替わって影響力を持つという、覇権の移譲とも取れる流れになっている。スペインは戦後、植民地を失ったために国力が低下し、新興国家アメリカにあっけなく敗れたことから、欧州での国際的地位も発言力も同時に失った。ルネサンスから始まったポルトガル・スペインの帝国主義が破綻し、産業革命に支えられた新しい帝国主義へ完全に移り変わった瞬間とも取れる。
1899年〜02年にかけてイギリスとオランダが南アフリカの支配権をめぐって行われた19( 南アフリカ戦争 )では、大国イギリスが予想以上に手こずり、また残虐で強引だったため世界からひんしゅくを買い、大国の威信が揺らぎ始めた。イギリスは勝つには勝ったが、ギリギリの勝利で、やり口が汚かったのだ。イギリスは第二次産業革命には完全に乗り遅れており、国力が低下しつつあった。「経済力と軍事力は比例する」のだ。南アフリカ戦争の最中、ちょうど20世紀に入った1901年、イギリスの全盛期を支えた20( ヴィクトリア女王 )が死去したのも、イギリスに暗い影を落とした。






【帝国主義と社会主義】
 資本主義の資本とは要するにカネのこと。資本主義とはカネ主義のことである。カネを持っているものはそのカネを使い、機械を購入し、土地を購入し、労働者を雇い、会社・工場を経営する。カネさえあれば、後は勝手に仕事をしてくれるため、資本家(金持ち)はウハウハ状態、金持ちはさらに金持ちになっていくのである。一方で、労働者は金を得る唯一の手段が、自分の労働力を売ることでしかない。クビになれば生活できないため、給料が安かろうが仕事がきつかろうが辞めることは出来ない。そして、資本家と労働者の格差はどんどん広がっていくのだ。
 そんな中、労働者<貧しい人>の利益を優先する21( 社会主義 )運動が各国で見られるようになった。ドイツでは22( 社会民主党 )<社民党>が、ロシアでは23( ロシア社会民主労働党 )と社会革命党がうまれた。フランスでも社会主義諸派を集結して24( 社会党 )が結成され、イギリスでも25( 労働党 )が成立した。
 また植民地獲得が失業者(貧しい人)の受け皿になるとし、失業者対策としても植民地獲得を目指した。それと同時に失業者の不満をそらすため、「国内にいる外国人が仕事を持っているから、自国民の中に失業者が出るのだ」と政府はあおった。このように自国民を最優先することを26( ナショナリズム )というが、その中で特にターゲットとされたのが27( ユダヤ人 )であった。ユダヤ人が嫌われる理由はいくつかある。一つ目は、ユダヤ人はイエス・キリストを殺した民族であるということ。ヨーロッパ人のほとんどはキリスト教徒で、神様(キリスト)Loveなわけで、ユダヤ人は憎むべき存在なのである。二つ目は、ベニスの商人でもあったように、ユダヤ人は金融業でぼろ儲けしていた人が多いという点である。国内に失業者が沢山いる中で、異民族のユダヤ人だけリッチな生活、しかも「金貸し」という、金を横流しするだけで儲けることが許せなかったのだ。このような中、フランスでは29( ドレフュス事件 )が起こった。彼は完全に無罪なのだが、ドイツからのスパイであると疑われた。ドレフュスは、最終的には無罪が証明され、1899年、大統領の恩赦で釈放された。
 社会主義政党は自国の帝国主義政策には反対しなかった。それは、海外に植民地を獲得することが、失業者対策や景気回復につながっていたからだ。もちろんそれは、植民地の人間をこき使うなど、植民地の犠牲の上に成り立つもので、失業や貧困の根本的解決策ではなく、その場しのぎであった。
 ちなみに社会主義の最高段階が30( 共産主義 )である。共産主義とは金持ちも貧乏人も皆が平等に暮らせる世の中のことをいう。



【緊張する国際関係】
 1840年、イギリスと中国(清)との間で31( アヘン戦争 )が起こり、イギリスが大勝した。中国は今まで世界一の経済力と軍事力があると思われていたが、このアヘン戦争のイギリスの勝利によって「実は中国は大したことない国」ということが世界にバレてしまった。そして中国に沢山の欧米列強が進出した。
 中国に隣接するロシアは、不凍港ゲットのための南下政策を推し進め、中国東北地方を支配下におさめた<資料集162参照>。





〔イギリスの覇権ゆらぐ〕
イギリスは、19世紀の前半までは、覇権国家の地位にあったが、新興国アメリカとドイツの追い上げによって、その地位が危ぶまれた。そこでイギリスは世界の32( 工場 )から世界の33( 銀行 )へと転換した。というより、ものづくりというのは、必ず新興国家にとって変わられる。なぜなら、モノの値段の半分近くは34( 人件費 )だからである。つまり、人件費の安い国で作られた製品のほうが、その値段も安くなる。同じ性能なら当然安い製品のほうが売れるため、モノづくりは人件費の安い国へとシフトしていくからだ。そのため、イギリスはモノづくり立国から、金融や海運で優勢を保持しようと試みたのだ。その一環として、35( スエズ運河 )の株を買収して地中海からインド洋へ抜ける海運の利益を得た。スエズ運河を通るためにはイギリスの許可が必要となったのだ。
さらに、植民地・勢力圏の維持・拡大にも努力した。そのため、イギリスは覇権国家のプライド36( 名誉ある孤立 )をかなぐり捨て、1902年、37( 日英同盟 )を結んだ。これは、イギリスがロシアの中国進出に対抗したものである。ロシアは1899年の38( 義和団事件 )以後、中国北部の満州に影響力を持っていた。イギリスは上海など中国中部に影響力を持っており、ロシアをかなり警戒していた。そのため、中国でのロシアの動きを監視させるため、イギリスは日本と同盟を結んだ。日本は日清戦争(1894年)の勝利や、義和団事件(1899年)をいち早く鎮圧したことで、列強国から評価を受けていた。またイギリスにとっても南アフリカ戦争(1899〜02年)で予想以上に手こずったことから、日本の軍事力に頼らざるを得なかったのだ。











〔ドイツの挑戦〕
 19世紀から20世紀にかけての世紀の転換期に、ヨーロッパ第1の工業国(モノづくり)に上り詰めたのが39( ドイツ )であった。しかし、ドイツも英仏日同様、本国の人口・面積がそれほど多くないため、いくらモノを大量に作っても、それを売る市場が頭打ちとなるし、労働者や原料の調達にも限界がある。その打開策として、植民地獲得競争へ名乗りをあげるも、すでに英仏が沢山の植民地を獲得していたため、ドイツの取り分は少なかった<教科書P102の図>。つまり、ドイツにとって植民地を獲得する手段は、英仏に戦争を仕掛けるしかなかったのだ。
 1888年3月、ビスマルクに絶大な信頼を置いていた皇帝40( ヴィルヘルム1世 )が没した。病弱なフリードリヒ3世の99日間の治世の後、29歳の新帝41( ヴィルヘルム2世 )が即位した。1890年1月にはビスマルクによって提案された42( 社会主義者鎮圧法 )の更新が帝国議会で否決された。2月の選挙で社会民主党が35議席に躍進し、ビスマルクはその責任を取って宰相を辞任した。
 さて、当時まだ戦闘機(飛行機)は発明されておらず、戦争の主力・主役は艦船・海軍であった。カイザー髭で有名なドイツの皇帝ヴィルヘルム2世は「ドイツの将来は海上にあり」をスローガンにイギリスと43( 建艦競争 )を展開した。現在の戦争の大きな武器は44( 核ミサイル )で、核ミサイルを作ることで敵国に脅威を与えることが出来た。当時は大艦船を競って作ることで、敵国に脅しをかけることが出来たのだ。
さらにドイツは、後に英仏と戦争になるのに備え、45( 3B政策 )を実施した。3B政策とはドイツの首都46( ベルリン )、トルコの47( ビザンティウム )<イスタンブル>、イラクの首都48( バグダード )を鉄道網でつなぐ政策である。鉄道網さえ整えておけば、戦争になったとき、食糧・武器・兵士などを迅速に送り込めるためだ。なお、トルコとドイツは現代でも密接な関係にあり、例えばサッカードイツ代表エジルも、トルコ系3世である。ウイイレをやっている人は気づいたかもしれないが、ドイツのブンデスリーガには、トルコの選手が数多くいる。
イギリスはドイツの3B政策以前に、49( 3C政策 )を実施している。3Cとはエジプトの首都50( カイロ )、南アフリカの51( ケープタウン )、インドの52( カルカッタ )を結ぶものである。イギリスにとって特にインドは重要な拠点であった。
ドイツの大海軍建造や、3B政策は明らかなイギリスへの挑戦状である。3B政策は「英領インドにふりかざす鋭い剣」を意味した。このドイツの挑戦に対し、イギリスは英仏協商・英露協商・露仏同盟を合体させ53( 三国協商 )を結んだ。これに対し、ドイツ側はドイツと同じゲルマン民族の住む54( オーストリア )と、ドイツと同じく遅れて植民地獲得競争に名乗りを上げた55( イタリア )と56( 三国同盟 )を結び、三国協商に対抗した。
19世紀後半の覇権国家争いは英VS露が中心だったが、1904年の日露戦争でロシアが転んでしまったため、20世紀前半は英VS独が中心となった。
ドイツは1905年と11年の二度にわたって、57( モロッコ事件 )を起こした。フランス領モロッコに進出し、領土を奪おうとしたが、イギリスがフランスの味方にまわったため、2回とも失敗した。
そんな中、強国間の戦争を避けようとする努力がこの時期見られた。例えば、ファショダ事件では、英仏が武力衝突なしで解決した。フランスがイギリスに譲歩し、イギリスはスーダンを獲得した。
さらには、日露戦争(1904年)でも、裏で戦争回避の動きがあった。イギリスは南アフリカ戦争で苦戦した後の1902年にロシアを警戒するため59( 日英同盟 )を結んでおり、一方でロシアはドイツの対抗上フランスと60( 露仏同盟 )<1891年〜94年>を結んでいた(敵の敵は味方)。つまり、日露戦争は同盟国である英仏もお互いに戦わなければならなかった。しかし、日露戦争のとばっちりで大国である英仏まで戦争を始めてしまうと、国力が低下してしまうため、英仏は対決どころか、かえって接近する形をとった。英仏はお互いに戦うよりも、第二次産業革命の主役61( ドイツ )に対抗するために62( 英仏協商 )を結び、日露戦争での武力衝突を回避したのだ。
日露戦争でロシアがまさかの敗北を喫すると、今度はイギリスとロシアが接近した。1907年に63( 英露協商 )を結び、新興国ドイツに対抗した。


〔セシル・ローズと21世紀の争奪戦〕
 セシル・ローズは「アメリカ合衆国を直ちに大英帝国の構成内に復帰させたい」「私は惑星をも併合したい」と言った。彼の生きた19世紀末には、未開の地はほぼ全部なくなった。アジア・アフリカ・ラテンアメリカなどの隅々まで列強国による分割が行なわれた。つまり地球上に獲得できる土地がもうなくなったことを意味する。21世紀の今、世界が躍起になっているのが、宇宙開発競争である。宇宙開発で優位に立つ国が21世紀の覇権国家となりえる。

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