1774年のルイ16世即位からバスティーユ襲撃の1789年まで、収容された人数は合計288人であるが、このうち12人が自ら望んで入所している。 なお、フランス語の「バスティーユ(bastille)」は固有名詞ではなく、単に「要塞」を意味する語に過ぎないが、定冠詞を付け大文字でLa Bastilleと書いた場合はパリのバスティーユを指す。要塞と言う意味に限定されず現在はこの広場付近の地区を指す語でもあるため、要塞であることを強調したい場合はla forteresse de la Bastilleという表記をすることもある。 要塞は革命後に解体され、現在はバスティーユ広場となっており、広場中央には革命の記念柱が立っている。広場に面しては、かつて郊外線のバスティーユ駅があったが、廃止後に解体され、現在はオペラ・バスティーユが建てられている。
マクシミリアン・フランソワ・マリー・イジドール・ド・ロベスピエール(フランス語:Maximilien François Marie Isidore de Robespierre、1758年5月6日 - 1794年7月28日)はフランス革命期の政治家。ルソーを目指したジャコバン派のリーダー。粛清による恐怖政治で多くの反対派を断頭台に送ったため「ルソーの血塗られた手」と呼ばれた。
「パンがなければ」の発言 マリー・アントワネットは、フランス革命前に民衆が貧困と食料難に陥った際、「パンがなければお菓子を食べればいいじゃない」と発言したと紹介されることがある(ルイ16世の叔母であるヴィクトワール王女の発言とされることもある)。原文は、仏: “Qu'ils mangent de la brioche”、直訳すると「彼らはブリオッシュを食べるように」となる。ブリオッシュは現代ではパンの一種の扱いであるが、かつてはお菓子の一種の扱いをされており、バターと卵を普通のパンより多く使った、いわゆる「贅沢なパン」である。お菓子ではなくケーキまたはクロワッサンと言ったという変形もある。なおフランスにクロワッサンやコーヒーを飲む習慣は、彼女がオーストリアから嫁いだ時にフランスに伝えられたと言われている。