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チェダゼミナールコミュの不平等社会日本 さよなら総中流 佐藤俊樹著 中公新書 2000年

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P10
「努力すればナントカなる」のか「努力しても仕方がない」のか、戦後の日本社会は正にそこを二重底にしてきた。憲法第9条と日米安全保障条約の「二重憲法体制」など、戦後社会はいくつかの二重底で作られている。タテマエと本音というより、もっと現実的な共犯関係。戦後日本とはいわば「二重底社会」である。その中でも、「努力すればナントカなる/努力しても仕方がない」の二重底は特に重要な位置を占める。

P21

男女雇用機会均等法で総合職という枠だけは形式的に平等になったが、就職自体男性よりはるかに厳しいし、たとえ総合職に就けても、その後様々な壁にぶつかる。

P31

日本の企業の人事制度では、降格と言うのはほとんどない。左遷や窓際族に追いやる事はよくあるが、管理職・専門職から事務職やブルーカラーへの格下げはきわめて稀である。つまり、ホワイトカラー雇用という地位自体かなり安定したものであり、そしてその収入と言う面でも、最低ラインが上がっていく。一種の年功序列が見られる。

P61

管理職への分類は一応30人以上の企業を目安にしている。

P67

親の学歴は本人にとって、スタート点の有利さ、「目に見えない」資産となっている。その意味では、実はあらかじめ有利な人間ほど実績主義に傾いていると言える。

P69

「本人の努力」という形をとった学歴の回路をくぐる事で、得た地位が自分の力によるものになる。だからこそ、自分の地位を実績主義で正当化できたり、努力主義を「負け犬の遠吠え」とみなせたりする。そういう魔力こそが、「学歴社会」の「学歴社会」たるゆえんなのだ。これが日本の選抜社会の現実なのである。

P74

格差があること自体が悪いのではない。最低限の社会保障さえあれば、本人による成果の違いに応じて収入に高い低いが出るのは自然だし、正しい事だ。「何でも平等」「皆が一番」というのは単なる悪平等でしかないし、理想の配分原理として支持されてもいない。
 問題はWカラー雇用がもともと親子間で継承されやすい、言い換えれば生まれによる有利不利が他よりも強い事にある。彼らが得ている地位は、絶対的にも、そして、「他の職業と比べて」という相対的な意味でも、本人による成果とはいいがたい。そもそも本人による成果であれば、親の職業によってWカラー雇用へのなりやすさが4~8倍も違うはずがない。

P76

戦前の日本社会では、高い学歴を得られればすぐに専門職や管理職の仕事につける一方、成績が良くてもお金がなくて進学できない子どもが沢山いた。実際、1896年〜1915年生まれの「明治の尻尾」世代では、ホワイトカラー雇用出身者は学校を出た後すぐに、Wカラーにつく。W雇用の子どもがW雇用になるのは誰の目にも明らかであった。

それに対して、戦後は生活水準があがって、進学機会そのものは大幅に開かれた。少なくとも形式的には平等な形で、高い学歴を目指す進学競争が展開されるようになった。そして、就職後も、最初はWカラーの下につき、そこからWカラーの管理職への昇進競争が始まる。もちろん実際には、採用時に管理職のまでの昇進は半ば約束されているが、競争は競争であり、機会はより開かれていた。幹部候補生含みの採用でも40歳までに管理職につけない人もいたし、低い学歴でも頑張ってどんどん昇進していく人もいた。

P87

大多数の人にとっては、80年代前半までの戦後の階層社会は、それなりに「努力すればナントカなる」社会になっていた。西欧的な感覚で言えば「中流階級(ミドルクラス)」、戦後の日本の感覚ならば「上」になれる可能性を信じる事ができたのである。その信じられると言う点において、大多数の人々が等しく中流になりえた。それが質の高い労働力を生み、それなりに豊かで安全な社会、希望を持てる信頼できる社会を作り出したのである。「新中間大衆」というのは、結局、この「可能性としての中流」の事だったと言える。

P94

イギリスの爵位貴族というのは実はほとんどが新規参入組みで占められる。事実、現在の爵位貴族の大半は、20世紀になって爵位をもらった「成り上がり」である。貴族と言うと「代々続いて…」というイメージがあるが、それは幻想に過ぎない。イギリスだけではなく、大革命以前のフランスでも貴族階級にはかなり出入りがあった。

P99

経済状況の如何に関わらず、専門職・管理職の子どもは専門職・管理職に就きやすい。「カエルの子はカエル」と言うわけである。

P139

西ヨーロッパ型の階級社会を意識的にめざす。
 エリートはエリートらしく、中流階級は中流階級らしく、労働者階級は労働者階級らしく、ということ。高度成長期以降の日本では、これは「そうなってはいけない」反面教師とされてきたが、選抜システムの飽和の中、エリートが空虚化し現場はやる気をなくすという現状が続けば、「階級社会をやったほうがまだまし」と思う人はもっと増えてくるだろう。「階級」そのものの是非とは別に、階級化しているという現実を踏まえた上で財や地位の公平な配分を考えた方が、誰にとってもよりよい状態になる。
 そもそも、こうした階級社会は中世の遺物ではなく、西ヨーロッパが数百年にわたる近代化・産業化の果てにたどり着いた状態であり、それなりに現実的な解ではある。実際、中高一貫制私立ブームに代表される中等教育のエリート型・非エリート型の分化、少数の移民労働力のゆっくりした導入、二大政党制の願望など、1990年代の日本で起きた変化の多くは、アメリカ化というより、西ヨーロッパ化の途とも考えられる。

P144

「カリスマ美容師」は、伝統的なブルーカラーの世界を、時代に合わせて作り変え、多くの人が憧れる専門職に近づけた。専門職が良くて熟練ブルーカラーが悪いわけではないが、仕組みと言う形で、社会全体にとって新たな可能性を開いた点は高く評価すべき。

P151

閉じた会社人間の弊害を和らげるには、会社を一時的に離れる機会を積極的に与えるしかない。ボランティアなどの社会活動でも、大学などでのリカレント教育でもいい。その中で新たな専門知識を得た後、専門職に転身してもいいし、会社に戻ってもよい。会社は雇用を保証するが、その間の費用は個人負担となるだろう。経済的にはラクではないが、現在でもそういう仕組みがあれば会社を一時はなれたいと思っている人はかなりいるのではないか。社会全体から見ても、人的資源のより適切な配分になるはずである。

P154

大学の教員と言うのは、どんなに真面目に教育に取り組んでも評価される事はない。学生と話す時間を減らし、その分専門的な論文を書いたほうが、もっと威信の高い大学に移れる。商業誌に寄稿したり講演やセミナーにでれば、お金が稼げる。これでは「大学教育はボランティアでやってください」といっているようなものである。

P183
SSM調査とは、1955年から続いている「社会階層と社会移動全国調査」 Social Stratification and Mobility (社会階層と移動)

財団法人東京大学出版会
東京大学の出版部にあたる財団法人。東京大学総長を会長とし、東京大学の活動に対応した書籍を中心に出版を行う。
概要
1951年3月に、当時の総長・南原繁の発案によって、日本の国立大学で最初の大学出版部として設立された。「学問の普及、学術の振興」を目的に掲げ、大学の研究成果に基づく学術書、学内向けの教科書・教材、東京大学史料編纂所編纂の『大日本史料』等の史料集、一般向けの教養書を主として、年間百数十点を刊行している。東京大学教養学部の「基礎演習」のテキストとしても使用している『知の技法』はベストセラーとなった。
1958年以来「学術書刊行基金」を設置し、若手研究者による研究成果の刊行に対し助成を行っている。
理事を学部や研究所から迎えるなど東京大学本体との関係は深いが、一応は独立した組織となっている。
月一回『UP』というタイトルのPR誌を発行している。

チェダの意見

1 日本育英会の存在!!

現在では日本学生支援機構と名前を変えている財団法人の名前を皆さんも一度は聞いた事があるだろう。この財団法人はきちんと機能しているのだろうか。
「頭はよいがお金がない」という人材をどれほど救ってこれたのだろうか。

2 デジタルディバイド

クリントン大統領の言い出したこの言葉であるが、実際どの程度の格差が広がっているのだろうか。
確かにここ2,3年の大学生活の中で、かつての生活とはかなり異なる生活を送っているのは事実である。
カード決済、ブログ、ネットショッピング、WORDでの書類作成などである。これらの行為は私の生活を確かに豊かにしてきたと思う。時間と労力、骨折りを短縮できるのである。要は、生活がその分だけ豊かになったということである。皆さんはどうであろうか。ネットを駆使する事で得られた便益、ベネフィットはいかほどであろうか。

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