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日本領土竹島コミュのラスク書簡を広めたのは誰なのか

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こちらのトピの17にて
[mixi] 日本領土竹島 | 韓国側の主張と比べてみよう。
http://mixi.jp/view_bbs.pl?id=32402612&comm_id=677626&page=all

ほんの数年前までは「ラスク文書」なんて、外務官僚でさえ知っている人は殆どいなかったんだ。それを探し出し、米国陸軍に頼んで取り寄せ、日本に広めたのは私を含めた数人。議員にも資料を送り、資料の重要性を理解させるのは大変だったんだがな。


と主張するユーザーが出現しました。

ところがこのユーザーはそこで投げかけられた疑問に答えることはありませんでした。

そこで知りたいことがあるのですが、ラスク書簡を探して広めたのはいったい誰なんでしょうか?

分かっていることは
・塚本孝氏が1994年に発表した論文にはすでに出てきている
・その後enjoykoreaに原本のコピーがUPされている

塚本氏が発見者なのか、それとも他にいるのでしょうか?

コメント(5)

私が知る限りで、Rusk notesが知れ渡ったのは、、
下記の投稿をされた方が、国立国会図書館で原本探してきて、掲示板でUploadしてから爆発的に広まったと言う経緯はありました。2006.05.28
http://bbs.enjoykorea.jp/tbbs/read.php?board_id=thistory&nid=1670953

このことを考えると、国会図書館には2006年5月末時点で既にあったと思われます。
Rusk noteの原本が何時・誰がどのような経緯で国立国会図書館に入ったのかはわかりません。すみません。

それ以前、Dean Ruskの”Rusk note”の内容は、FRUSのForeign Relation.1951 Volume ?のP1202-1203の注の部分に記載されていて、このFRUSの画像は結構知られていたのですが、原本はそれ以前には広まっていなかったと記憶しています。
http://www.geocities.jp/tanaka_kunitaka/takeshima/frus1951-1202.jpg 

1994年の塚本孝氏の論文「平和 条約と竹島(再論)」『レファレンス』518 1994年
にRusk noteの内容が登場するそうなのですが、

1.Rusk note原本がこの時既にあり、そこから引用されていたのか、
2.FRUSの該当部分からの引用なのか、

この辺り判る方いらっしゃいますでしょうか?
リンクのエンコリ、観てた覚えがあります。懐かしい。。。。(駄レス 失礼しました><)
かなり昔のPostを掘り起こしてしまうようで済みませんが…・

先日、塚本孝氏の論文「平和 条約と竹島(再論)」『レファレンス』518 1994年3月を確認しましたが、
ここのRusk Noteからの引用は、、脚注*47に出典元が記載されていますが、そこを見ると

NARA,RG59,Lot54 D423 Japanese Peace Treaty Files of John Foster Dulles Box8 Korea、
またFRUSのForeign Relation.1951 Volume ?のP1202からとなっておりました。



また、偶然見つけてしまったのですが、どうやらFRUSのYahoo竹島トピの発出が
日付は2005/ 3/26 13:31となっております。
http://messages.yahoo.co.jp/bbs?.mm=GN&action=m&board=1835396&tid=cddeg&sid=1835396&mid=7879
その前あたりにEnjoy KoreaでこのFRUSの投稿があったのと、
このリンクに田中邦貴氏の画像へのリンクが張ってある所を見ると、
このYahooの投稿以前にFRUSの画像自体は出回っていたと考えられます。


私の知る限り、Rusk Noteの原本の一般への登場は、2006.05.28日の以下の投稿、
http://bbs.enjoykorea.jp/tbbs/read.php?board_id=thistory&nid=1670953
下記の投稿をされた方が、国立国会図書館で原本探してきて、掲示板でUploadしてから爆発的に広まったと言う経緯はありました。

http://bbs.enjoykorea.jp/tbbs/read.php?board_id=thistory&nid=1670953
アメリカの国立公文書図書館を調べれば、こうした文書はあるでしょ。
http://dokdo-or-takeshima.blogspot.com/2010/01/1953-28.html?showComment=1263718574947#c519272317908974300
こちらによると、

塚本論文に関してですが、

塚本孝「サンフランシスコ条約と竹島〜米外交文書集より〜」『レファレンス』33−6 
1983年6月、が最初にラスクノートの内容が出てきた模様で、

「この段階では、まだ会談に同席したアメリカ政府官僚(北東アジア課朝鮮担当官エモンズ)の記録を引用して一部が出ているだけで、ラスク書簡全体はわかっていません。」
との話から、おそらくFRUSにかかれた注意書きのものではないかと推測します。

そして、
塚本孝「平和条約と竹島(再論)」『レファレンス』44−3 
「1994年3月、にいたって初めて、ラスク書簡の全貌がわかったことになります。」


しかし、それ以前に、なんと、実はRusk noteは、塚本論文よりも結構前、
1978年になんと社会党によって日本に紹介されていたようです。
ただ、当時は、Dullesの覚書として紹介なされていたようです

以下、下記サイトより転載
http://dokdo-or-takeshima.blogspot.com/2010/01/1953-28.html?showComment=1266420376418#c5854266734826136159
----------------------------------------------------
ラスク書簡の紹介ですが、上記1984年の塚本論文より早く、
1978年7月に次のような論文がありました。

花井浩司「竹島解決への新たな提案」(今日の焦点 国際)『月刊社会党』日本社会党中央本部機関紙局1978年7月 通号261

http://opac.ndl.go.jp/articleid/1889116/jpn

以下引用
180p
最近「1951年の米外交文書」が公表されたが、ヤン駐米韓国大使が竹島の領有権を主張したのに対し、ダレス国務長官は「われわれの情報によれば、竹島は1905年頃から韓国の一部として扱われたことがなく、島根県陰岐支庁(ママ 隠岐支庁か)の管轄下におかれている。それ以前においても韓国が領有を主張したことはない」と日本の固有の領土であることを韓国側に通告している。(51・8・10国務省覚書)

この論文の著者は、「花井浩司 国際問題研究家」とあります。

『月刊社会党』は社会党の機関紙ですが、花井浩司という人は国際問題の担当だったようです。国会図書館の論文リスト(雑誌記事索引)によれば、時事的な国際問題を継続して扱っていた人のようです。

ただ、日本でやはりラスクノートが爆発的に広まったのは、
#1でも記載しましたが、下記の投稿をされたOppekepe氏が、国立国会図書館で原本探してきて、2006.05.28 に掲示板でUploadしてからだとおもいます。それ以前に原本画像はネット上では見たことはありません。
http://megalodon.jp/2009-0201-2353-50/bbs.enjoykorea.jp/tbbs/read.php?board_id=thistory&nid=1670953

*このトピックでは、『ラスク書簡を探して広めたのはいったい誰なんでしょうか?』
との通り、ラスクノートの経緯について話し合うトピックですので、
それ以外の意味のない話題はご遠慮ください。

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