ログインしてさらにmixiを楽しもう

コメントを投稿して情報交換!
更新通知を受け取って、最新情報をゲット!

ササイのことで思い出したコミュのThe Strange Girls──裸足でピアノを弾く女【1】

  • mixiチェック
  • このエントリーをはてなブックマークに追加
 早稲田通り沿いに『ゆず』という店があった。
 元はそれなりに流行ったお好み焼きだったそうだが、俺が知ったときには、レゲエのかかる飲み屋になっていた。
 最初に俺をそこへ連れて行ってくれたのは、芝居をやっていた芋田だったと記憶している。
「昔はけっこううまいお好み焼き屋だったんだけどなあ」
 様変わりした様子に驚き、芋田は首をかしげていた。
『ゆず』はその頃キャッシュオンデリバリー方式で、たいていの飲み物が一杯五百円だった。
 マネークリップの中身と店の勘定を心配しないで飲めるという点で、魅力的だった。
 俺はやがて毎日のように『ゆず』に通い詰めるようになった。
『ゆず』のマスターはクセのある男だったが、おおむね楽しく、話の面白い男で、親切でもあった。
 とはいえ、バーのマスターの親切など、たかが知れている。
 店の奥で煮ているトリッパ──臓物をトマトで煮込んだケイジャン料理──の匂いに鼻をひくつかせると、小さな鉢に少しばかり味見をさせてくれるといったようなものだ。
 
 その彼女──S美を初めて見たのは、俺がすっかり『ゆず』の常連になった頃だった。
 カウンターの向こうの端に、マスターと親しげに談笑している綺麗な女性がいる。
「はじめまして」と俺は、常連どうしの気安さで、S美に挨拶した。
「あれ? タカ、会ったことなかったっけ?」とマスター。「そっか、おまえが帰った後だもんな、S美ちゃん来るのって」
「あたしの時間て、たしかにいつも遅いわよね」と言うS美は、濃い睫毛に憂いのある、すらりとした女性だった。
 彼女のグラスが空になったころを見計らい、俺は五百円を取り出して、
「S美さんに一杯差し上げて下さい」と言ったんだった。
 それをきっかけに、カウンターの端と端にいた俺たちは近づき、親しく話した。
 S美は鳥取県出身で、年齢は二十八歳、今はフリーのライターをやっているということが判った。
『ゆず』のごく近くに住んでいて、一仕事の区切りの一杯をやりに、深夜に訪れるらしい。

 大井町に住んでいた俺が電車で帰るためには、二十三時五十九分の山手線に乗らなくてはならない。
 そういうわけで、俺の『ゆず』でのタイムリミットは、二十三時半だった。
「さて。俺はもう行かなくちゃ」
「なごり惜しいわね」
「なごり惜しいけど、遠くに住んでる宿命です」
「じゃあ、こんどはタカちゃんに会える時刻に来ることにするわね」
「ぜひそうして下さい!」
 俺はなんだかニマニマしながら、高田馬場までの道を早足で歩いたんだった。

 翌日、二十一時過ぎに『ゆず』へ行くと、S美はいた。
 うれしかった。
 昨日のお返しとばかりに、S美が俺に酒をおごってくれた。
 ただ、彼女の支払い方は、俺がするようなCOD(キャッシュオンデリバリー)ではなく、
「タカちゃんに、お酒をあげて」と言うだけだった。
 なるほど常連はそうするものなのかと、思った。
「今日も十一時半がリミットなの?」とS美が言った。
「明日は休みだし、どうでもいいです」と俺は答えていた。
 
 らちもない話をしながら、時間だけはまたたく間に去った。
 午前二時を回った頃だろうか。
「さーて、俺も飲もうっと」とマスター。
 とっくに飲みながらやってるくせに──店じまいを始めながらも、カウンターを出てきてウイスキーなんぞを飲んでいる。
「食いに行こうか?」と、S美と言葉を交わしている。「タカも来るだろ?」
「なんだか判らないけど、行きます」

 向かった先は、早稲田通りを渡ったところにある長崎チャンポンの店だった。
 おそらくいつもの習わしなんだろう、マスターは手際よく皿うどんと瓶ビールを注文する。
 季節は春だったか、初夏だったか、青みがかってきた外の様子と、蛍光灯の下のテーブルの、アンバランス──バランス。
 そういえば、ずっと前に六本木でアルバイトしていたころも、いつもこんなことをしていたっけ。
 大瓶二本ほどのビールを、小さなコップでシェアし、皿うどんの大皿を分け合った。
 勘定はマスターが払った。
 店を出た。
「タカはどうすんだよ」
「どうしようかな」
「始発待つなら、ウチ来るか?」
「いいんですか?」
「しょうがねえじゃん」
「じゃ、お言葉に甘えて……」
 路地を歩いていく──その途中、S美が、俺にとってはいささか唐突に、
「じゃあね。ごちそうさま。タカちゃん、またね」
「あいよ、おやすみ」とマスター。
 S美は、更に細い路地に折れていった。
 俺の前には、左右に大きく身体を振りながら歩いていくマスター。
 俺、二十二歳、マスター二十六歳、S美二十八歳──二人ともずいぶん大人だな、と思ったことだった。

コメント(0)

mixiユーザー
ログインしてコメントしよう!

ササイのことで思い出した 更新情報

ササイのことで思い出したのメンバーはこんなコミュニティにも参加しています

星印の数は、共通して参加しているメンバーが多いほど増えます。

人気コミュニティランキング