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親の離婚を経験した子どもコミュの管理人室

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今までこちらに関わってきて、考えたことなどを、少々書きつづってみようと思います。
皆さんからのご意見も歓迎します。お気軽にどうぞ。

コメント(93)

またまたしばらくログインせずにいました。ここに久しぶりに来ています。
ついでに近況報告でも・・・。

私も、親世代の介護を考える年ごろになりました。
他でも書いたとおり、私は幼いころから両親に生き別れ、父方の祖父母と叔母と同居してきました。
その祖父母もなくなり、あとは実家には叔母が残るだけとなりました。
先日、実家に行ったら、「・・・ん?」と不審に思うことがありまして。
どうやら認知症を疑わねばならないようです。

今は私がひとりで実家のお世話をしています。
離れて暮らす父に「実家に戻っていろいろ手伝ってほしい」とお願いしたのが今年の1月。
そのとき父は「考えとくよ」と、あいまいな返事で、またいつものようにはぐらかして逃げるつもりなんだろうと思っていたら、案の定今までなしのつぶてです。
もう7月になったというのに、電話1本よこしません。

私が小さいころは、「お父さんは仕事で忙しいのだから、わがまま言ってはいけない」とさんざん聞かされてきました。
今では私が現役世代であり、父はとっくに定年退職して、年金ももらえて、毎日ゆうゆうと遊んでいる身分。
なのに、これまでの惰性で、いまだにひとりのうのうと生活していて、その分私が振り回されています。

先日も、介護保険を利用してヘルパーさんを入れようとしたら、同居の叔母に猛烈に反対されました。
「そんなこと言ったって、ヘルパーさんを呼ぶにも金がかかる、今こうしてお前がやってくれるんだから、それでいいじゃないか」
まったく、俺はただでこき使われる奴隷かよ、って・・・。

この場で何度も書いてきたことですが、そうそう変わることのない「家族の病理」の底深さを感じます。
離婚というのも、その家族病理の表れととらえるべきものではないかと・・・。
離婚という現実に直面して、自身が抱えてきた病理に向き合い、それをクリアしようと努力するのが本来の道と思います。
現に、私はそうやってうつを乗り越えてきたという自負があります。
でも、・・・もう「後期高齢者」の域に達した人には、それを求めても酷なのかなという気がします。
だからといって、このままでは私が潰れそうです。
家族の介護、自身の将来と、近いうちいろいろ決断をつけねばならなくなりそうです。
>>[54]
機会があればお酒でも飲みながら愚痴り合いましょう。
>>[55]

ありがとうございます。もうしばらくして落ち着いたらまたミーティングにも行きますので、よろしくお願いします。
先日別トピックで、久しぶりにアディクション関連の話題に触れたので、感じたことを少々書きたいと思います。

この場所は、ちょうどアディクション問題を抱えた人が自助グループで話をするように、ネット上でみんなで話ができれば、と思って始めてみました。
私たちと同じ境遇にあり、同じような思いを抱えている人が、思いがけずたくさんいることに驚きました。
また、従来存在した(アディクション関連の)自助グループとは違い、「ネットの世界で、半匿名で」という要素も大きかったかと思います。
たとえネット上の知らない相手でも、自分の率直な気持ちを吐き出せて共感してもらえれば、それでかなり意味のあることのようだし、かえって自分の姿かたちが相手から見えない方が好都合のようです。

というのは、先日知り合いから「しまぐらし」というスマホのアプリを紹介されました。
中をのぞいてみると、皆さん気ままに、心のぐちやもやもやを吐き出しているようです。
やっていること自体は、このコミュニティと共通していると感じました。

SNSの世界でも、ミクシィからフェイスブックへと流行が移ろいゆくように、「ネット上で本音を吐き出す」ということも、いまではスマホのアプリが主流のようです。
いまだにスマホを使いこなせていない私にとっては「時代の流れ」を感じさせられました。
以前、瀬戸内海の伊吹島という島に行ったことがあります。
香川県観音寺市の沖合にある、ハートの形をした小さな島で、船で二十分程度の距離です。
ここは「いりこ(煮干し)」の産地として有名なのですが、私のお目当ては「伊吹産院跡」というところでした。

これは通称「出部屋」ともいい、島の女性が出産すると、母子ともにここで1か月過ごしたそうです。
その間は完全な「男子禁制」で、普段はおしゅうとめさんやら家の仕事にわずらわされるお嫁さんも、生まれたての赤ちゃんと共にゆっくり過ごしました。
島ではお米も取れず、お水は雨水に頼っていましたが、母子に優先的に供給されたそうです。
また、同じ時期に出産したお母さん達とも親しくなり、「出部屋友達」として一生仲良くお付合いしたそうです。

現在島ではこの産院の復元計画があり、「子育ての島」としてPRしていく予定とのことです。
生後半年で母と生き別れた私にとっては、うらやましくなるような環境で、産院跡を訪れたとき、しばらく跡地で感慨深く佇んでいました。

これまでこのコミュニティなどで、多くの方の親の離婚体験について関わってきましたが、私自身の場合は、究極的にはこうしたものを求めていたのだと理解しました。
そうして、求めても得られなかった私の事情を理解し、受け入れることで、私自身の「親の離婚体験」が、ゆっくり過去へと流れていったような気がします。

伊吹島へ行ったのは、旅行の当初の予定にはなくて、たまたま当日旅行ガイドを見ていたら、伊吹産院のことが書いてあったので、思い付きで行ったのでした。
私にとっては、こうした探訪も「癒しの旅」のような効果があったようです。
「区切りをつけて過去へ流すため」という意味では、このコミュニティの運営と共通するものがあると思います。

以前体験集を編集したときに、多くの方が
「いずれは区切りをつけて過去に流し、自分自身の人生を生きてゆけるようになりたい」と語っていました。
このコミュニティでの私たちの書き込みは、傍目には「ぐちや弱音ばかり垂れ流している」と受け取られがちですが、言わば
「将来伸びようとするがために、一時的にかがむようなもの」だと理解できます。

そうした、「未来指向」とでもいうような視点から、もう一度この場の意義を考えてみたいと思っています。

・・・年のはじめに、ちょっと「一年の抱負」みたいなものを書いてみました。

>>[59]

ご連絡いただいていたのに遅くなってしまいましたあせあせ(飛び散る汗)

私の住まいに比較的近いところに、このような島があるのは初めて知りました。これも何かのご縁ですね。

職業的な視点で見ると、現代の子育ては孤育てとも言われるように母親が一人で抱え込んでしまうケースが多くなっています。
国の方針も産後ケアに力を入れてきているので、そんな時代の流れを考えていると、産院の復元計画は自然な流れのような気がします。

個人的な視点で見ると、自分のルーツが知れる場所になり得ると思いました。
私の母子手帳に当時の助産師さんのお名前が書いてあって、この人が覚えていれば両親が出産時どんな様子だったか聞けるかもしれないと思ったことがあります。

NHKの番組でも話題になったのですが、昔ながらの共同養育という概念は、育児不安の解消だけでなく、その先の未来の離婚の子どもが自分のルーツを知ることができる可能性でもあるように感じています。

ルーツを知ることがいいこととも限りませんが、意外な両親の一面を知ることができるかもしれません。
産院跡で佇まれたkazuoさんのお気持ちがわかるような気がします。

>「将来伸びようとするがために、一時的にかがむようなもの」
そのとおりだと思います。
沈めば沈むほど高く跳ぶことができます。
前に進みたいからもがくんです。

私たちはいつだって「未来指向」だったのかもしれませんね。
私も今年は離婚の子どもとして人前で何か語れる機会をもちたいと思います!
おひさしぶりです。ごぶさたしました。
しばらく書き込みしてなかったら、いつの間にか時間がたってしまいました。

おもに私が設立に関与した「BrandNewMorning(旧・日本離婚の子ども協会)」が昨年度で終了となったのを機に、いろいろと振り返って反省していました。

この場所を運営して十年以上になりますが、どうも最近、私は「ネット依存」では?と自覚しました。
ゲーム依存を疾患として認定したというニュースがありましたが、「インターネット・ゲーム依存症」と二つ合わせて扱う場合もあるようです。

WHO、ゲーム依存症を「疾患」認定へ
https://www.asahi.com/articles/ASL6K741TL6KULBJ009.html

管理人という役職上、のべつ幕なしにネットやSNSにログインしているうちに、いつでも書き込みがあるかどうかを気にするようになり、現実生活がおろそかになってしまいました。
これではいけないと、別のSNSアカウントはあらかた削除しました。
最近、コミュニティへのログインを控えていたのもそのせいです。

もう一つ考えたことは、この場所をやっているうちに、私は必要以上に過去にとらわれているのかな、とも自覚しました。
今までコミュニティで「過去の振り返りと、区切りをつける」ために、この場所を利用してくださいと書いてきましたが、そういう私が一番とらわれていたのかもしれません。
上に書いたインターネット依存と同様、日々の生活がおろそかになって支障が出るのなら、取り組み方を改める必要がありそうです。


もちろん、このコミュニティのような「子ども時代に親の離婚を経験した人たちにとっての、インターネット上の自助グループ」の意義は充分感じているのですが、この場にログインすることで、かえって過去の怒りや恨みを再燃させてしまうとしたら、少々考え直さなければいけないなあ、とも思います。

それについてはいろいろと考えたのですが、続きはまた改めて書きたいと思います。
>>[62]

書き込みありがとうございます。

>>この場所をやっているうちに、私は必要以上に過去にとらわれているのかな、とも自覚しました。
>個人的に、これが残念です……。でも、こういったグループの共通の課題なのだろうとも、もちろん思います。

おまけさんも書いているように、こうしたことは同様のグループではつきもののようです。

以前とあるACミーティングに参加していたことがありましたが、はじめてその場につながった人が「ここは私には合わない」と感じて離れてしまうこともありました。
せっかく、自分の問題のルーツを探る旅につながったのに、もったいないと思ったものです。
一時期日本でも流行ったACミーティングが下火になったのも、そうしたことも関係していそうです。

もっとも現在でも「毒親」「毒母」などと言ってほとんど同じことをやっているのですから、基本的には需要はあるものと思います。
それに、過去の振り返り自体の重要性は、決して否定できません。

個人的には「過去の振り返り・経験の棚卸し」と「今とこれからをよりよく生きる」のかねあい、バランスが大事かなあと思っています。これについてはこの場所でも何回か書きました。

過去にとらわれることがあっても、一定時間たつとまた現実に戻ってこられるように、セルフコントロールが効いていれば問題ないのでしょう。
この「セルフコントロールを失う」という面が、まさしく依存症と共通だなと感じます。

理想を言えば、過去のことばかりでなく、グループのメンバーさんの回復体験についても聞けて、そこからいろいろと得られるものがあり、適度にバランスが取れるとよいのでしょう。

というわけで、これからは私も、今まで得られた智慧や気づきについても、改めてこの場に書いていこうと思っています。

先日あるところから、私の半生について原稿を書いてくださいと依頼を受けました。
こういうことは本当に久しぶりだったので、けっこう難儀しましたが、ようやく書きあげました。

以前と違って、すらすらと書けなくなりました。前は、書きたいことがあふれるように湧いてきたのですが、今は頭の中から絞り出さないと書けない、といった具合です。

もう一つ気がついたことは、同じ事実でも、以前と今とでは、見方が違っていることです。
別段意識して変えたわけでもないのに、微妙に違うのです。
これが、時の経過というものかと感じました。

今夜はとりあえず感じたことだけですが、また改めて書きたいと思います。
>>[65]

寄稿お疲れ様です。
ぜひ拝読してみたいです^^

私も同じことを感じています。
時の流れとともに、過去の出来事に対する解釈というか、変わってきています。
親を許すわけじゃないけど、穏やかになっている感じ。。
>>[66]

>ぜひ拝読してみたいです^^

ありがとうございます。
今はとりあえず書き上げて編集の方に送ったところで、かたちになるのはまだ先のことらしいので、出来上がりましたらお教えします。


>親を許すわけじゃないけど、穏やかになっている感じ。。

これ、私もすごくよくわかります。
私の場合は「許す」というよりも「手放す」という感じでしょうか。

たぶん、私もはっちさんも(そしてほかの皆さんも)この場所や様々な機会を使って、子ども時代の正直な感情に気づき、表現したからこそ、厳しい時代を通り抜けて、穏やかな地点にたどりついたのだと思います。

今まで何度も書いてることですが、このコミュニティのようなことをやっていると、
「いつまでも親のせいにして甘えてる」
という批判をよく受けます。
ですが私は、甘えというよりも「自分にとって必要な作業をやっている」という感覚を持っていました。

親の離婚を経験した子どもとして、子ども時代に悲しみや怒りの感情を持つことは、自然なことです。
それをその時々に表現できた子どもは、案外立ち直りが早いのではないでしょうか。
子ども時代にそうした感情を禁止されていた場合には、やはりいつかは棚卸しして吐き出す必要があると思います。

目詰まりを起こしていた「感情という名のパイプ」の通りがよくなると、喜びとか充実といった感情も自然に感じられるようになる。少なくとも私の場合はそうでした。
その結果としての、許しのような穏やかな気持ち、ではないでしょうか。

ですが、世の中では(セラピーの場でも)性急に「許し」へと持っていこうとするようで、そうすることが「ポジティブでよいこと」と受け取られているようです。

・・・あまのじゃくな私は、
「許さなきゃいけないから許す」だなんて、そんなの、本当の許しと言えるの?
ってツッコミを入れたくなるのですが。
・・・ちょっと脱線しました。


はっちさん、今回雑談トピックにも書かれていますけれど、紹介されたブログを見に行って、あちらでも同じようなことが書かれていると驚きました。
ブログの感想も、また今度あちらのトピックに書かせていただきますね。

>>[67]

>今はとりあえず書き上げて編集の方に送ったところで、かたちになるのはまだ先のことらしいので、出来上がりましたらお教えします。

ありがとうございます!楽しみにしています(^^♪

>「自分にとって必要な作業をやっている」という感覚
>やはりいつかは棚卸しして吐き出す必要があると思います。

そうですね。深く深くうなずきます。
ちょうど今タイムリーに妹の精神的な調子が悪く、結婚しているのですが夫婦関係をこじらせているようです。
妹の夫に理解しがたい妹の行動も彼女にとっては必要な作業なのかもしれません。
とはいえ、買い物依存になっているようなので、きっと大きく棚卸しをする時期に来ているのかなとkazuoさんのコメントを拝見して思いました。
本当に世話が焼ける家族たち…。でも今度は世話を焼きすぎないようにしようとも思っています。自分を守ることも大切ですもんね。

>目詰まりを起こしていた「感情という名のパイプ」の通りがよくなると、喜びとか充実といった感情も自然に感じられるようになる。

わかります、わかります。
本当はずっとそこにあったんだって思いました。
パイプの通りがよくなると、「ない」と思っていたものが「ある」ことに気づけると思っています。

>「許さなきゃいけないから許す」だなんて、そんなの、本当の許しと言えるの?

ふふふ。kazuoさんのあまのじゃくな感じ、私の中にもあるなぁと思います(笑)
そもそも人から言われて許せるものでもないですしね。
許せないと思っているうちは許せない。
もうどうでもいいやと手放したときに、許す方に傾き始める感じ。
kazuoさんの「手放す」という表現がマッチすると思います。
>>[66]

先ほど雑談トピックに書きましたが、
「自分の半生を執筆中」
というの、こちらの管理人室に書いていたのだと、今になって気づきました。

>時の流れとともに、過去の出来事に対する解釈というか、変わってきています。

私も、このことを実感しています。
また、自分の中での過去の出来事の重みというものも、変わってきているように感じます。
管理人としては、あまりよくないことなのかもしれませんが、今回「あれ、どこに書いたんだっけ?」と、すぐには思い出せなかったのも、その表れかと思います。

>親を許すわけじゃないけど、穏やかになっている感じ。。

私も「許し」という言葉は使いたくないのですが、ほぼ同じようなことを感じます。
「相手を許す」というよりも、「自分自身が、過去の捉われから抜けて、癒される」といった感じでしょうか。

さまざまな心理関連の本を読んでも、この点についてはある程度共通することを言っていると思います。
「自分が、自分自身の感情に気付いて、それを素直に表現すること、それを共感して聞いてくれる人がいること」
が、キーポイントのようです。
それが心理療法だったり、何でも話せる友人だったり、あるいはこうしたネット上の交流の場だったりと、かたちは様々ですが、上に挙げたような要素が充たされると、いわゆる「癒し」の効果が得られるもののようです。

私の場合は「書くこと」が得意なので、原稿の依頼を受けて自分の半生をまとめるという作業を通じて、こうした要素が充たされたと感じました。
また、書いていくうちに、自分の中である程度心の内面が整理されて、「捉われから抜ける」感覚も感じました。

以前、体験集をつくったときに、十数人の方にお会いしてお話をうかがいましたが、私がお目にかかった方も、同じようなことを感じていたのだろうと思います。

過去の出来事の重みが、自分の内面で相対的に低下すると、それだけ現実の課題に対処できるようになるし、そうして「今ここに生きる」ができるようになると、それがまた過去に対する眼差しを変えてゆく、という好循環が生まれるようです。

このコミュニティも、そうした好循環を担うひとつの輪として、私も含めてみなさんのお役に立っているんだと思うと、ちょっとだけ心が温まる気がします。
・・・なんて、管理人の自己満足かもしれませんが。
あけましておめでとうございます。
2021年、令和3年の1月1日、元日の朝です。

これまでは、一年の節目に、別トピックにてひとこと書いてきました。
大みそかに書いていましたが、たまには新しい年のはじめに書いてみようかと思い立ちました。

2021年1月1日時点での会員数は、3,862名です。
今から1年前の大みそかと比べると、減ってはいますが、減り方は緩やかになったようです。
おそらく、ミクシィそのものをやめる人も多いことと思います。

昨年は、思いもかけぬ新型コロナの大流行で、予想もしなかったような変化に見舞われた一年でした。
私の身の回りでいうと、・・・地元にて「東京オリンピック」のサッカーと野球の決勝戦が行われる予定だったので、スタジアムの中には入れないにしても、周囲を散歩して雰囲気を楽しもうと思っていたのに、延期となり、残念な思いをしました。

お楽しみがお預けになるくらいならまだいいですが、仕事や生活上で大変な思いをされている方も多いと思います。
今年は、何をおいてもまずコロナの収束を願わずにはいられません。

さて、「一年の計は元旦にあり」というので、折角の元日の朝ですから、私も何か・・・と考えたのですが、
このコミュニティも、2006年に始めてから、15年目を迎えます。
ので、ここいらで「これまでのまとめ」みたいなことをやってみたいと考えています。
最近ではネットにつないだり、書き込みをするのも面倒に思えて、すっかり遠ざかりがちでしたが、今年はもっと気軽に書いてみるつもりです。
というわけで、今年もどうぞよろしくお願いいたします。
>>[70]

 そうですね。私も昔に比べると遠ざかりがちでしたが、あちこちのトピックに顔を出しながら少しでも参加を心がけていこうと思っています。

 それにしてもコロナがおさまってくれないと困りますね。皆様のご健康をお祈りしております。そして、私も含めて両親との関わりでまだまだ多くの葛藤を抱え続けているここの参加者の方たちが少しでも前に進んでいかれますように。

 今年もよろしくお願いします。
>>[71]

年が明けてさっそくに書き込みいただき、ありがとうございます。

この場所が静かになったのには、さまざまな理由があることと思います。
ここで感情の吐き出しをして、気持ちがすっきりして落ち着き、それによって足が遠のいた人もいることでしょう。それは管理人としてはむしろ本望ともいえるものです。

その一方で、おとなになっても子ども時代の心のもやもやを引きずる人もいます。そうした人たちに「こんな場所もあるんだよ」とか、「自分の率直な感情を、認めてあげてもいいんだよ」ということを伝えるだけでも、意義があるように思います。
今年は、そうした方面にも目を向けてみようかとも考えています。

もう一つ感じることは、最近の私は、インターネットの世界に投稿することに、少々「身構える」ようになってしまいました。
以前はあまりそんなことはなく、割と自由気ままに書いていたように思います。
ですが、昨今SNSがらみの犯罪事件が増えてきたこともあり、前よりも気を遣うようになりました。

残念なことに、現代は「SNSの書き込みが原因で人が死ぬ」ような時代です。
そのため、何かを投稿するときも、心配性から「本当にこれでいいのだろうか?」と、書いては消し、消してはまた書き直すという推敲の時間が多くなりました。
そんなことも、面倒に感じるようになった原因かと思います。

ですが、このコミュニティでは、設立以来大きなトラブルもなく、非常に円滑に運営ができてきました。
これも、ご参加の皆様のご協力のおかげと、感謝しています。

そうしたこれまでの歴史を思うとき、皆さんを信頼して、もう少し気楽に書いてみてもいいのかな、とも思いました。
ちょうどそんな気持ちになったときに、年明けを迎えたので、これも何かのご縁かもしれません。

kyonkyonさんも、また気が向いたらここを訪れてみてください。私もお話しできるのを楽しみにしています。

>>[69]

「過去に対する眼差し」素敵な表現ですね(/ω\)
自分自身、きっといつか温かい眼差しで過去を見つめられる日が来るといいなぁと思います。

>このコミュニティも、そうした好循環を担うひとつの輪として、私も含めてみなさんのお役に立っているんだと思うと、ちょっとだけ心が温まる気がします。
・・・なんて、管理人の自己満足かもしれませんが。

自己満足なんかではありませんよ。
今年も私はこのコミュニティの皆さんにお世話になるつもり満々です(笑)

「許し」というキーワードで、ちょうど私の妹が母からの手紙で自暴自棄になってしまい、昨年は大変心配しました。
彼女もまた、葛藤の最中にあるようです。彼女自身が癒される時が来ることを願ってやみません。

私は自分の中にある母と対峙する中で、やはりどうしても抜けきらない、中身が無いとでも言いましょうか。やはりここぞという時に自信が持てません。
これは本当に不思議なもので、感覚的なものなのでしょう。。
自分の中に何も無いように感じてしまうのです。
自覚があるから、なお苦しい。

でも急がず、今年中にどうにかしようと意気込まず、

今、書いていて気づきました。この苦しさを感じきることが大事なのかもと。
感じきった先に何かあるかもしれません。
あまりそこに蓋をせずに、感じきることを大切にしていこうと思います。
ただ、苦しいので休み休み(笑)

今年もここに書き込みをさせていただくことで心の整理をしていきたいと思います。
皆さま、何卒よろしくお願いいたしますm(_)m
>>[73]

>「過去に対する眼差し」素敵な表現ですね(/ω\)
自分自身、きっといつか温かい眼差しで過去を見つめられる日が来るといいなぁと思います。

そうですね、「過去に対する温かい眼差し」とは、すなわち
「自分自身に対する温かい眼差し」でもありますね。
私は自分に対して厳しい傾向があるので、はっちさんの書き込みを見て、改めてそう感じました。

「今の自分がよい状態であること」と「過去への眼差しが以前よりもマイルドになること」とは、何かしら同時並行のような気がします。相補的な関係、というのでしょうか。
私たちがここでやっていることは、究極的には、そうした位置をめざしているようにも思います。決して、「過去にこだわっている」だけではない、と。


>今、書いていて気づきました。この苦しさを感じきることが大事なのかもと。
感じきった先に何かあるかもしれません。
あまりそこに蓋をせずに、感じきることを大切にしていこうと思います。

私にも、似たような経験があります。
ゲシュタルト・セラピーって、ご存知でしょうか?
私の住んでいるところに、そのセラピストさんがカウンセリングルームを開いていて、お世話になったことがあります。そこでは、細かい分析とかは一切せずに「とにかく、今の自分の感情を感じること、そしてそれを表現すること」を勧められました。
元々私は感情面が未発達で、おまけに人前で自分を表現するのがとても恥ずかしく、苦手だったので、けっこう苦労しました。ですが、そこで大切なヒントをもらったような気がします。

「感じるということ」が、こんなにも自分の内面を豊かにするものか、と。
しかも、喜びとか、幸せとかいう「プラスの感情」だけでなく、「マイナスの感情」を感じることからも、お恵みをもらえたのです。

私たちは、子ども時代に感じた感情を恐れる傾向があると思います。
それは、もし当時ありのままに感情を感じていたら、到底生きていけないような痛み苦しみに向き合うことになったでしょうから。
そう言う状況で自分を守るために、「感情にふたをする」ことを覚えました。それはいけないことではなくて、「生き残るために必要なこと」でもありました。それをしたから、子ども時代の困難な状況を耐えて、おとなになるまで生きてこられたのですから。
ですが、おとなになった今、そこで身につけた「我が身を守るための鎧」が、逆に私たちの人間的成長を阻む「くびき」となっています。
そこから解放されて、一人の人間として自由に充たされて生きるには、過去の凍りついた感情を再び味わい直して、「過去に送ってやる」ことが必要なようです。

・・・私がそのカウンセリングルームでやったことの理論的な背景は、こうしたもののようでした。
(と、私はどうしても理詰めで考える傾向があるので・・・)

今でも、時々うつな気持ちになることがありますが、以前ほどには心配しなくなりました。
「今はただ、この感情を感じよう。これもまた、そのうち過ぎ去るだろう」と。

それでも、はっちさんの言うとおり、つらくなることがありますが、

>ただ、苦しいので休み休み(笑)

苦しくなったら、同じ立場で共感してくれる人に話を聞いてもらえばいいのですよね。
そうした友人や、伝手、社会的ネットワークをたくさん持っている人が、本当の意味で強い人なのだと思います。
この場所も、そうした社会的ネットワークのひとつとして、今後も機能していくことを願っています。
>>[73]

昨夜は自分のことを話すのに夢中になって、書きもらしたことがあったので、一つだけ、付け足しを。

私は別のところではっちさんのご活動や日常のあれこれを読ませてもらっていますが、旦那さまやお子さんとの楽しそうなご様子を、いつも微笑ましく眺めております。
そうした場面を生き生きと投稿されているはっちさんは、まさに「温かいお母さんの眼差し」をお持ちだ、と感じます。
そしてそれは、はっちさんの温かいお人柄や、心の内面の現れだと思わずにはいられません。

時折過去がぶり返して、つらい思いをされることもあるでしょうけれど、ちょうど今頃の気候のように、暖かくなってはまた寒さが戻る、行きつ戻りつを繰り返しつつ、一歩づつ確実に前へと進んでいるのではないでしょうか。

あのような心温まる投稿をされているはっちさんのことですから、過去に対して、またご自身に対しても温かい眼差しを向けられる日も近いことと私は感じています。
>>[74]

私も結構自分に厳しく、他人様にも厳しい感情を抱いてしまうことが多々ありますあせあせ(飛び散る汗)
これまで一日一日をめいっぱい疲れるまで頑張りすぎていて、そうすることに慣れてしまっていて、つい最近余力を残して一日を終えてもいいんだ。また明日の活力につながると思えるようになって、なんでこんなことができなかったんだろうと不思議に思って少し笑ってしまいます(笑)
でも、いい意味でやっと力が抜けて自分を許すことができるようになってきたのかもしれません。

ゲシュタルト・セラピー、初めて聞きました。
>「今はただ、この感情を感じよう。これもまた、そのうち過ぎ去るだろう」と。

確かに、そのうち過ぎ去るだろうと思えることは大きいかもしれません。
ちょっと俯瞰で見れると、モヤモヤしながらもやるべきことには手をつけられる。年齢を重ねて少しずつできるように。20代前半までは私の場合少し難しかったなーと振り返って思います。

>苦しくなったら、同じ立場で共感してくれる人に話を聞いてもらえばいいのですよね。

そうですね!そう思えるだけで心が落ち着きます。
そういった自分の経験から、親との関係に悩みを抱えたまま親になった人同士でセルフヘルプグループのようなものができないかなと思ったりしますが、今は仕事で出会ったお母さん方と向き合ってご縁がある方とは関係を深めていきたいなと思っています。
お母さん方と深い話をすることは今のところありませんが、実は同じようなことを抱えていてなんとなくつながり合っている可能性もあるかもなぁと感じているので、自分の言葉で発信してご縁がある方とつながっていけたらなぁと思いますうれしい顔

>時折過去がぶり返して、つらい思いをされることもあるでしょうけれど、ちょうど今頃の気候のように、暖かくなってはまた寒さが戻る、行きつ戻りつを繰り返しつつ、一歩づつ確実に前へと進んでいるのではないでしょうか。

いつも投稿をご覧いただき、そして本当にありがたいお言葉をありがとうございますm(_)m
私は自己否定感が猛烈に強くて、人様に褒めていただいても素直に受け取れず(芯がないので入っていかないのですあせあせ(飛び散る汗)抜けていく感じです)そのことも悩んでいました。
でも、少しずつですが、kazuoさんからのお言葉も受け取れているように感じます(私の中ではまず褒めてくださる方のことを信じて、そう言ってもらえる自分を信じていくというまだまだ遠回りな感じですが)。

行きつ戻りつでいいのだと自分を許してあげようと思います。
母が許せないのではなくて、もはや自分が許せないのですね。
こうして書き込みをしているといろんなことに気づかされます(苦笑)

長くなってしまいましたがたらーっ(汗)
今日はいい気分で眠れそうです(笑)
おひさしぶりです。ごぶさたしました。
年のはじめに「これまでのことをまとめてみたい」と書いて、気がついたら時間がたってしまいました。
「きちんとまとめて、いいこと書かなければ」と意気込んでいると、どうしても気持ちがかたくなってしまって、書く気が失せてしまうようです。
ので、あまり気張らずに、思うがままに書いてみたいと思います。

振り返ってみると、私がこうしたことを始めたのは、私が20代後半だった頃でした。
当時、とある離婚親のグループの方と知り合いになって、私と同じような「子ども時代に親の離婚を経験した人」にお話をうかがってレポートを書き、そこの会の会報に寄稿する、ということを始めました。
そのことで新聞の取材を受けて、紙面に載ったことがあります。
我ながら、自分がやっていることが社会から認めてもらえたようで、うれしかったですね。

その記事には読者からの反響があったらしく、しばらく後に「読者からの手紙」というかたちで紙面が組まれました。その記事が載った 新聞も送ってもらったので、私も読んだのですが、そこにこんなことが書いてありました。

「この人(私のこと)は、自分の人生がうまくいかないのを、親の離婚のせいにして甘えている」

・・・正直言って、目の前が真っ暗になりました。
今から思えば、社会からこうした反応を受けるのはある意味当然なのですが、当時の私はまだ完全には立ち直っていなかったので、衝撃もひとしおでした。
この時に感じた、「自分は、悪いことをしているのか?」という疑問、あるいは「負い目」のような感覚は、その後も長く自分の心の中に巣食っていました。
おそらく、ここにお集まりの皆さんにも、同じような体験があることと思います。

このコミュニティを運営していても、しじゅうあの時の亡霊に取りつかれていました。
コミュニティをやっていて、得るものがあったり、手ごたえを感じたりしても、どこか腰が引けているようなかんじでした。

それがようやく収まってきたのは、つい最近のことです。
自分の心の中のわだかまりが解けてきて、柔軟さが出てきてから初めて、これまでのことを書いてまとめようという気持ちになりました。
世間の評価は、それはそれとして置いといて、自分の正直な気持ちを認めてあげてもよい、という気持ちになったからと思います。




その新聞記事の後もずっと、私なりに「親のせいにして甘えている」という批判について考えていましたた。
当時私は、家族関係で問題を抱えた人が集まる自助グループに参加していたのですが、そこにもやはり同じような批判が向けられたことがあります。
ですが、そうしたグループに参加することは、回復のためには確かに「効果がある」のです。自分自身、その効果を実感していました。

多くの心理学関連の本でも、「過去の体験を感情をこめて話すこと、自分に共感を寄せてくれる人に聴いてもらうこと」は、大切な癒しの要素だと書かれています。それがカウンセリングの基本でもあると。

「もしこれが、人のせいにして甘えているにすぎないのならば、いま私が感じている回復の実感は、いったい何なのだろうか?」
自分でもうまく説明できないまま、グループに参加し続けました。

そのうちに友人からミクシィを紹介されて始めてから、「ここのコミュニティで、私が参加した自助グループみたいなことが、できるかも?!」
と、軽い気持ちで始めたのが、この「親の離婚を経験した子ども」でした。

当初は、同じ立場の人どうしで、ゆっくりとお話しでもできれば、と思っていたのですが、ちょうど日本におけるインターネットやSNSの普及の時期と重なったこともあり、予想以上に参加者が増えました。

さいわいこちらでは、以前私が目にしたような「親のせいにして甘えている」という批判は、あまり表には出てこなかったように思います。

コミュニティが注目されて、メディアに好意的に取り上げられることが増えてからも、私の心の中の疑問は依然として残っていました。
そのことが、私がもうひとつこの場所の運営について自信が持てなかったことの理由でした。
今日はヒマなので、上で書いた新聞記事、どこかにまだしまってあったっけ?と、押し入れの中を探してみたら、見つかりました。
発掘したのは、もう十何年ぶりのことです。
せっかくなので、ここにアップしておきます。

今から見返してみると、「青年は横浜市に住むアルバイター(二六)」というのが、何だかなあというか、(笑)みたいなかんじですが、当時は若かったんだなあ、というのが率直な印象です。

ちなみに、この紙面の下の方には、連載小説が載っていました。
堺屋太一さんの「平成三十年」です。
当時からすると将来に当たる、「平成三十年の日本はこうなっている」と空想して書いた近未来小説ですが、平成の次が令和だなんて、さすがの堺屋さんでも予想がつかなかったことでしょう(笑)
こうやって、たまに古い新聞を読み返してみると、改めて「平成は過去になったんだなあ」と感じます。

ついでですが、その下の週刊誌の広告には、
「清原選手がぶちまけた長嶋巨人の内幕」
なんてのがありました(笑)
今日は何だか調子がよくて、久しぶりに筆が進むので、もう少し書きます。

この件について自分なりに考えてきて、ある時点で「こういうことなんじゃないかな?」と思えるようになりました。

そもそも「人のせいにする」とは、どういうことなのか?と考えたときに、それは
「自分が負うべき責任を、他の人に負わせること」
なのだと思います。

ひるがえって、私がやっている(やってきた)ことは、はたして
「自分が負うべき責任を、他の人に負わせている」
ことなのでしょうか?

子ども時代に、親の離婚に巻き込まれてでつらい思いをしたとして、それは
(親の責任だったり、周囲の人の責任だったり、誰のせいともいえない理不尽や不運だったりするとしても)
基本的に「子どもが負うべき責任」ではないはずです。

つまり、自分の責任ではないのに、さまざまな重荷を背負いこんでしまったとしたら、それを取り除こうとするのは当然のことであり、むしろそれは「自分で自分を守ること」と言えると思います。
もっと言えば「自分で自分の世話をすること」、セルフケアの一環であるともいえます。
こういうふうにとらえれば、むしろポジティブな見方になります。

そしてこういうことをするのに、いちいち世間の眼や評価を気にする必要はないのだ、と。
――こう思えてはじめて、あのとき自分に取りついた亡霊の脅威が、失せたように感じました。

さらに進んで、私がやってきた作業とは、
「自分が負わされてきた責任を、本来それを負うべき他者に返してやること」
なのだと思いました。
離婚にまつわる親との関係で傷ついたのなら、それは親に返してやり、社会的な環境の中での傷つきだったら、社会に返してやる。そうやって自分の中の心の傷を「仕分け」して、ひとつひとつ感情をこめて処理してやることによって、こころの傷は癒えてゆき、やがて過去に流れてゆく。
そんな気がします。

私がコミュニティでたびたび使う「回復」という言葉は、もとは自助グループでよく使われる言葉なのですが、こうしたプロセスを指すのだと実感しています。

更にいうならば、こうして「自分のものではない、他人に負わされた重荷を、本来負うべき他者に返して」やってこそ、おとなになった今
「自分が負うべき責任を、自分が背負って生きてゆく」
ことができるのだと思います。
また、それは
「ひとりの自立した人間として、自分の責任で自分を幸せにしてあげること」
でもあるといえます。


本を読んでいると、心理的な問題が世代を超えて受け継がれる、いわゆる「世代間伝達(連鎖)」についてよく取り上げられます。
その要因についてはいろいろな説明がされているようですが、私が注目するものに
「子ども時代に味わわされた苦しみを抱えて(抑圧して)いる人は、無意識のうちに”この苦しみを誰かに味わわせたい、仕返しをしたい”という思いを抱えていて、おとなになって人の上に立つ機会があると、自動的に(自分が受けたと同じ)苦しみを他者に与えてしまう」
という仮説があります。

つまり、
「自分だって子ども時代につらい仕打ちを受けて苦しんだけど、我慢して耐えてきたんだから、次はお前の番だ、お前も私と同じだけ苦しめ、そして耐えろ」
と、無意識に考えてしまうようなのです。そうしないと、どうにも自分の感情が収まらないようなのです。
このメカニズムが発動されやすいのが、自分自身の子どもを前にした時、というわけで、これで世代間伝達が説明できるのではないか、というお話しでした。

それを防ぐにはどうすればよいか?というと、まさに今私たちがこの場所でやっていることが、世代間伝達の予防になりうるそうです。つまり「過去の自分の感情にふたをせずに、ゆっくり向き合って、感情を込めて振り返る・語ること」が。
これは、私が参加した自助グループでも説かれていたことのように思います。

こうしてようやく、私なりに自分が歩んできたプロセスを、肯定的に評価できるようになりました。
今日これまで、こんなに長い文章が書けるのも、こうした背景があってのことと思います。
今日は思いのほか筆が進みました。

これまで私が考えてきたことを、久しぶりにまとめて文章に書くことができました。
うまく書けたかどうかは別にして、「手ごたえ」を感じました。

人には向き不向きがあると思います。
以前、親の離婚経験者を対象にしたNPOを立ち上げて、数年で店じまいしたことがありました。
そのときは、直接的に人を支援することを考えていたのですが、それは私にとっては少々荷が重かったようです。
むしろこのコミュニティのように、ネットの掲示板に文章を書いて、それを読んだ人の心に何らかの灯が点る、という(ささやかな、とでもいうべき)方向性の方が私には合っていると感じます。

いまでは最盛期と違って、人数も減ってしまったし、そんなに見る人もいないかも知れませんが、読む人が多いか少ないか、は所詮些細なことのように思えます。
それよりも、過去の経験を自分なりにまとめて、ひと区切りつけることができた、という「私なりの充実感」の方が大きい気がします。

社会起業家として世の注目を浴びたり、SNSでたくさん「いいね」をもらったりすることだけが、評価ややりがいとは限らないですね。
こうして地道に、自分の経験や考えをまとめることにも、充分意義があると感じました。
ですので、またこれからも、思ったことをこちらに書いてゆこうと思います。
今日の最後に、ひとつだけ補足します。
先ほど書いたことで、

>「子ども時代に味わわされた苦しみを抱えて(抑圧して)いる人は、無意識のうちに”この苦しみを誰かに味わわせたい、仕返しをしたい”という思いを抱えていて、おとなになって人の上に立つ機会があると、自動的に(自分が受けたと同じ)苦しみを他者に与えてしまう」

何が言いたいかというと、
>「自分が負わされてきた責任を、本来それを負うべき他者に返してやること」

この作業をして、過去を終わらせていないと、やがて自分が人の上に立つようになったときに
>自動的に(自分が受けたと同じ)苦しみを他者に与えてしまう

これは言い方を変えると
「自分が負うべき責任を、平気で他者に負わせるようになってしまう」
ということでもあります。

私たちがここでやっていることは、世間からすると「人のせいにしている」と見なされがちですが、実は「自分の責任を自分が負えるように」あるいは「自分の責任を他人に負わせることのないように」なるためのトレーニングであり、一般的なイメージとは逆で、自信を持っていいのだ、ということがいいたかったわけです。
おひさしぶりです。すっかりご無沙汰してしまいました。
年のはじめに「このコミュニティのまとめを書きたい」なんて書いてから、あっという間に時間がたちまして、今ではもうおせち料理の予約が始まったりと、年末近しです。

今年を振り返ると(って、まだ気が早いかもしれませんが)同居している叔母に振り回された年でした。
2月に「足が痛い」というので、病院に連れていったら、股関節の手術が必要と言われ、4月に人工関節を入れる手術、それから3か月リハビリ入院、その後もリハやら介護保険の手続きやらが続いて、気がつけばもうこんな季節です。

ただ、自分の中では「やらされている」という感覚や、負担感はさほど強くありません。これは自分でも驚いています。以前は顔を合わせればケンカばかりしていた叔母ですが、今では一応平穏に対処できています。これも、このコミュニティを始め、さまざまな場所で自分の率直な思いを聴いてもらえたからだと感じています。

心が荒れていたさなかでは、自分の感情を吐き出す作業は、正直言って「汚い作業」だったと思いました。自分の中の恨みや怒り、人が聞きたくもないネガティブな感情を表現するのですから。それを見て「甘えている」と非難した人たちのことも、今では理解できます。

ですが、そうした「心の浄化」を果たしたからこそ、今の「心の平穏」があるのだと感じられます。そのプロセスを経なければ、きっとここにはたどりつけなかっただろうと。

今では、同じ屋根の下に同居していて、たぶん叔母も私もそれなりに満足しているのだと思います。この事実、この感覚を得たことこそが、私の長い回復過程の成果なのでしょう。別に胸を張って人に誇れるわけでもありませんが、「これで良いのだ」と思えています。また、「ありがたいことだ」とも。

思えば、両親との関係も、最近では私の中で心境が大きく変化しました。これについても書きたいことはあるのですが、書き始めると長くなりそうなので、今夜はこの辺で。これから折々に書いてゆきたいと思っています。
久しぶりに管理人室に書き込みします。

別のところで、交流会のリクエストをいただいていましたが、ただいま「8月21日(日)に、東京都内にて開催」の予定で計画を立てています。
まだ少々時期的に早いので、もう少したって予定が煮詰まってきましたら、改めて正式にお知らせいたします。参加ご希望の方は、日程をあけておいてください。
別のトピックに書き込みをしていて、ふと心に浮かんだことがあったので、ついでにこちらにも書こうと思います。

今日は終戦記念日です。
1945年の敗戦から、77年目の8月15日です。

以前どこかで「現代の子どもたち・青年たちの問題の背後には、いまだ解決されていない「親世代・祖父母世代の戦争トラウマ」の問題がある」という話を聞いたことがあります。

このコミュニティでは、私たちの「親の離婚体験による心の傷・感情」についてお話ししていますが、私たちの親世代・祖父母世代が確実に受けたであろう「戦争による深刻な心の傷」とそのケアについて、心理学的な見地から注目されることは、あまりなかったように思います。

戦争トラウマとは、ただ単に「戦場での戦闘体験」だけを指すのではなく、空襲によって家を焼かれたとか、財産をなくして進学できなかった、幼い時代に親を亡くした、疎開先でいじめられてさびしい思いをした、などなども含まれるとするならば、同時代を生きたほとんどの人は何らかの形で心に傷を負っていると思われます。

親の離婚によって傷を負った私たちが、この場所で互いの思いを交換してきた、その経験から推しはかるに、そうした親世代・祖父母世代の戦争トラウマの大きさは、いかばかりだったでしょうか。

敗戦から77年という長い間、私たちの親は、祖父母は、どのようにして心の傷をいやしてきたのでしょうか。
現代ほどには心理学的な知識が普及していなかった時代ですから、ひたすら心のうちにしまい込んで、鍵をかけて、思い出さないようにしてきたのではないでしょうか。
そうしたことが結婚や家族にも影響して、離婚というかたちで次世代にも伝えられたのかもしれない、そんなふうに考えることがあります。

私の父も、祖父も、寡黙であまりしゃべらない人でした。
子どもの頃の私には、それが不満に感じられましたが、今となっては何か理解できるような気がします。

また、世界では今でも戦火の絶えない地域がありますが、それを思うと戦後の日本の平和と経済発展は、今を生きる私たちにとってはとてもありがたいものに感じられます。
これは、私たちの親世代・祖父母世代の頑張りのおかげであるとも思います。

これを書いていて、ある心理学の本のなかでの、あるカウンセラーさんのこんな言葉を思い出しました。

「私たちの両親や祖父母が懸命に働いて今の世の中をつくり、そのおかげで今の私たちは物質的な繁栄を享受している、その事実を私たちは決して忘れてはならない」

…77年目の終戦記念日の夜に、こんなことを考えました。
少々ご無沙汰しました。久しぶりに書きます。
以前にどこかで書いたと思うのですが、前にコミュニティでつくった体験集を改訂して発行しようというお話、このたびようやく完成しました。
主な変更点としては、新しく体験談を追加したほか、今回は共著者としてもう一人、親の離婚を体験した当事者の立場で、公認心理師でもある方に加わっていただき、全般的な考察を書いてもらいました。
昨年末からこの仕事にかかりきりで、かなりあわただしいお正月になりましたが、なんとか終えることができてほっとしています。

その心理師さんは出版関係のお仕事もされているとのことで、メディア関係にも紹介してくださるそうです。
多くの方に見てもらいたいと思う反面、このコミュニティの公開設定を、少し考え直す必要が出てくるかもしれないな、とも考えています。
この件につきましては、また皆さんのご意見をお聞きして、おいおい考えたいと思います。
最近めっきり書き込みが減りました。
先月に体験集の改訂版を完成させてから、すっかり脱力してしまったようです。
思えば、この体験集の初版をつくったのが2014年、ほぼひと昔前ですが、その時にも完成した現物を手にして「ああ、ようやく完成したなあ、これでついにやり終えた」という感覚を味わったのを覚えています。

自分の体験を文章にして書いたり、かたちにすることは、心の区切りや癒しの効果があるように感じます。カウンセリングと同じようなものと思いますが、文章や冊子は形として残るので、効果もひとしおのようです。

近頃ではこのコミュニティでも、メンバーさんの書き込みが減っていますが、私と同様に「一区切り」を感じているのではないかと勝手に想像しています。

この場所が静かになるのは少々寂しいですが、そうした効果があったのだと思えば、達成感、充実感も感じられます。

>>[87]

最近「共同親権」についての動きが活発です。で、勝手にこちらを紹介してしまいました。子どもの立場の声が聞こえないからです。自分自身は共同親権には意味があると思っています。

離婚率は増加の一途です。次世代の問題を抱える人が現れてきます。このコミュを保全して頂ければと願う所です。

離婚した親の立場の人は書き込まないで下さいと付け加えておきました。
>>[88]

この場所をご紹介していただいたそうで、ありがとうございます。ご紹介くださった先は、離婚親さんの団体か何かでしょうか。こういう場所もあるんだよということを伝えてもらえることは、とてもありがたく思います。
私自身もそうですが、この場所で自分の率直な感情を吐き出して、落ち着くことで「もう自分はやるべきことをやり終えた、もう十分」という心境になれたとしたら、それはそれで意義あることと思います。
ですが、管理人としては、やはり私たちがこの場所でやってきたことを、世の中の人たちに伝えたいという思いも持っています。
特に、今現在も悩みのさなかにある若い世代に知ってもらいたいです。(このコミュニティでなくてもよいのですが)関心を持ってくれる人に対して、心を開いて自分の気持ちを語ることで楽になれる、という基本的な事実を伝えたいです。このことだけでも、知っているのといないのでは、かなり違うと思いますから。
そのためにも、引き続きこの場所で皆さんが何らかのメッセージを発信できるようにと、今後も微力をささげたいと思います。
トップページの【この場でお願いしたいこと】に、少々付け足しをしました。
追加したのは下記の部分です。

++++++++++++++++++++++++++
【2023.3.16追加】
2.この場所では、個人の生育歴や感情など、とてもデリケートな話題について話されます。お互い、配慮をもって書き込みくださるようにお願いいたします。
特に、誹謗中傷はもとより、嫌味やからかいなど、相手に対する配慮に欠けた書き込みはおやめください。

3.これらの事項に反して、いちじるしく配慮に欠ける書き込みと管理人が判断した場合は、削除ならびにアクセスブロックの措置を予告なしに取らせていただく場合があります。

4.上記の事項に同意していただける方のみ、コミュニティの閲覧ならびに書き込みをお願いいたします。
このコミュニティに書き込みをした時点で、上記の事項に同意したものとみなします。
++++++++++++++++++++++++++

これは、先日取材を受けたのを考慮して、今後多くの方がコミュニティを訪れることを想定したからです。
幸いこれまでは、こちらの方々は本当にいい人ばかりで、さしたるトラブルもなく運営できていました。ですが、昨今のネット環境を見ると、とても「いい人ばかり」とは言えない状況です。悲しいことですが、自分の身を守ることを考えざるを得ません。
これまでのコミュニティの状況では、上のようなことをわざわざ書く必要は、ほぼゼロ%と言ってよいほどなかったのですが、今後起こるであろうトラブルに備える意味でも、このたび上記の文言を付け加えさせていただきました。
コミュニティにご参加の皆様のご理解をお願い申し上げます。
きのう、↑上のようなことを書いて、思い出したことがあります。
これまでこの場所を運営してきて一番うれしかったことは、ここのメンバーさんに「ここは”私たち”のコミュニティです」と言ってもらえたことです。

ここを立ち上げたのは2006年、17年も前のことですが、当時はこうした話題について話す場所がほとんどありませんでした。
その後、SNSなどで自分の体験について話したり、「離婚の子ども」に対する支援が出てきたりして、少しずつ広がってきましたが、そこでは「支援」というかかわり方が一般的です。
支援というとどうしても、「支援する人」と「支援される人」との間で、一段上・一段下の関係になりがちで、あまり「私たち」という、お互い対等の関係は育ちにくいように感じます。

「私たち」という関係性では、「まるで”自分のこと”のように大切に思える」ことが大事なように思います。
大切に思える人どうしでは、誹謗中傷ということは、基本的にしにくいのではないでしょうか。
「ゆきずりの第三者、自分とは関係ない他人」だと思うからこそ、軽い気持ちでひどい言葉を吐けるように思います。

17年という長いあいだで、にぎわったこともあったし、今みたいに静かな時もありましたが、こうした「私たち」意識はいつでも共通していたように感じます。
今後もこうしたことを大切にして、コミュニティを運営していきたいと思う次第です。
先ほど、雑談トピックに書き込んで、ちょっと心に浮かんだことがあるので、こちらにも書きます。
私ももうすっかり中高年世代になり、このコミュニティを始めたころに比べると、年も取っていろいろと事情が変化したと感じます。
一番感じることは、家族との関係が穏やかになったということです。
これは必ずしも、「和解した」とか「仲直りした」というものではありません。
さんざん悩み苦しみ、試行錯誤した末に、お互い必要以上に傷つかないでいられる、程よい距離感を維持できるようになった、みたいな感じです。
私にとって、これが自助グループに参加したことのお恵みだと思います。
…折を見て、今後はそうしたことも書いてみたいと思います。
みなさんお久しぶりです。だいぶごぶさたしてしまいました。
ここ管理人室にさいごに書き込みしたのは、2023年の夏です。
最近では雑談トピックのほうにかいていましたが、あちらのほうもかなりのごぶさたになってます。

このコミュニティに頻繁に書き込みしたときとは、かなり心境の変化がありました。
自分自身の内面の課題としての「子ども時代の親の離婚の問題」ほ、背景に遠のき、かわって毎日のこまごました課題に追い回されるようになりました。

これは、私にとってはむしろよいことのように思います。
以前は、親の離婚にまつわるもろもろのことで、日々の生活さえままならなくなっていました。それを何とかしたくて、このコミュニティを立ち上げたわけです。そこから比べたら、かなり進歩したと自分では思えます。

もし、今後もこのコミュニティで何か書いていくとすれば、そのことについて書きたいです。
というのは、「親の離婚を経験した子ども」というテーマで語られるのは、子ども時代の困難とか、ネガティブなことが主流で、今の私のように「時間が過ぎると、忙しい日常に負われて、過去にまつわる問題も次第にマイルドになり、いい意味で“忘れられる”ことができる」なんて、あまり語られなかったとおもうからです。
そのため、若いうちは「この苦しみが永遠に続くのか」と、絶望しがちだとも思います。
私が若かった頃に、「この苦しみも、いつかやむことがある」と知っていたら、もう少し楽だったのに…。そうした、後悔に似た気持ちが、原動力になりそうです。

ただ、そうなるためには「正しく悩む」ことが必要で、その「正しい悩み方」が、あまり世の中に伝わってないような気がします。
その辺で、この場所が何かしら貢献できるきがするので、今後はその方向性で書いていくつもりです。

長い間の休養期間が明けて、何だかゆるい決意表明みたいになりました。
また今後とも、ゆっくりお付き合いいただければと思います。

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