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日本愛国の会コミュの国歌斉唱と国旗掲揚。

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私はインターネットの二ユースを見ていて、絶句した。

東京地裁は「入学式や卒業式で、教職員は国旗に向かって起立し
て国歌斉唱する義務はない。」という判決を下した。
そして、原告1人当たり3万円の賠償も認めました。

その裁判官の判決理由にはもっと驚きました。
「通達は不当な強制に当たり、憲法が認める思想・良心の自由を侵し、
教育基本法にも違反する」という理由です。

これは、都立学校の教職員ら401人が、東京都教育委員会の通達は違法
だとして、都と都教委を相手取り、通達に従う義務がないことの確認や損害
賠償を求めた訴訟の判決です。

私は31年前に長男が小学校に入学した時にまず感じたのは、日教組の組合
の影響が長男が入学した学校では酷かったと思います。
校長一人が奮戦して対抗していた感じでした。
先生達の言う事は、先生も労働者でそれ以外の事は関与出来ないという事で
した。父兄は先生が子供の指導と、教育の主導権を握っているので、言いなり
になっていました。
私一人で対抗して反対しました。

まず、全ての毎月の月謝などの受け渡しは銀行振り込みだけとするとPTAで
決まりました。父兄は反対できなかったのでした。先生の取り巻きPTAメンバー
が採決を強行して決定しましたので、銀行に行って面会して、なぜ振込みだけと
なったのかと聞くと、『銀行としては新規に開いた支店の預金獲得の為に、先生
にお願いした』と聞きました.しかし組合の学校代表はまったく反対に『子供が
持参したお金を無くすから・・』と言う事で、嘘を言っていました。

私は一人だけ校長に持参していました。毎月です。
その時に組合の代表の女性が同席して、『貴方はなぜ持参するのか?銀行に
振り込む様にと』話してきましたので、私は先日、銀行幹部と直接話した事を
『貴方は理由を話す事と違がうのではないか!』というと、大慌てに逃げて行き
ました。近所の理髪店では先生達が銀行から、『袖の下』を貰って強行したと
もっぱらの噂でした。
当時の日教組の先生方に教えられた子供達が現在の今の先生達です。
当然に理論的な価値観がずれていると感じます。中には教育の情熱に溢れた
人も沢山居ます。教育の原点を考えると、労働者としての前に『教育の師』と
しての自覚が必要と感じました。

入学式や卒業式などのセレモニーで、全員が起立して国歌を斉唱するのは、
どこの国でも当然のことだと思います。アメリカでは民主主義の世界ですが、
学校では毎日、星条旗に誓う言葉をクラスで全員で唱えます。
野球の開会式でも毎回国旗掲揚と見物客が国歌を唱和します。
学校でも違和感も無く、各種の式典では国歌、国旗の掲揚です。

もしも、それに反対すれば父兄の評価で直ぐに先生は解雇されると思います。
地域の教育委員会での地元住民の公聴会で反対され、解雇決議が出れば
その様な先生は学校で仕事をするチャンスは無いと思います。しかしながら
日本では先生達の一部の、日教組と呼ばれた組織が、昔は大きな力で動いて
いたからでした。
『日教組が戦後の教育を駄目にし、現在の堕落した社会にしたのです』と、同期
の教職を執った学友が60歳での退職理由で話していました。彼は神奈川県で
教職の仕事をしていましたが、大学卒業と同時に働き出して、定年まで居ました。

『学級崩壊だよー!、私は社会主義にかぶれた仲間の教師が学校指導を牛耳る
事を永年見てきたが、その根本の中の一つが、それに含まれている』と話を聞いた
時には、一瞬驚きと、心からの疑問が湧いてきました。

人間が人間を教えて・・、
人間が人間を裁くという・・、根本の中に、教え、裁く人間の価値観とその主観が
いかなる教育での形成となったか?私はまず原点としての思考の再評価をして
見なくてはならないと感じます。

私は31年前に子供達の為に移住を決心して行動に移した時に、当時の日本
の教育体制がいっか、30年後や40年後には大きなマイナス要因として残ると
感じていましたので、現在の日本の教育環境から来る、混沌とした教育指導の
在り方が昨日の判決となった要因でも有ると感じました。

以下の文章は過去に、このフリーメールに掲載いたした文です。
すでに私が昔に目にした事が、現実の日本の教育からの結果がその様な私の
目にした光景となって、他国では日本の国家、国旗としての礼儀さえ出来ない
学校教育となった居る事を感じました。

私の還暦過去帳より、
だいぶ昔になります、かれこれ20年ぐらいになると思います、子供が
少年野球のクラブに参加して、良く試合に出ていました。
たしか夏休みの時で、ワイフが忙しくて私が子供を試合に連れて行きま
したが、その時は夏休みで、短期アメリカ親善訪問の子供達が試合に招
待されて来ていました。

小さな少年野球の球場です、かなりの人が来ていました。多くは付き添
いの父兄で、まずはアメリカ国旗の入場でした。その時私の目に付いた
のが東洋人のグループでした。話声から韓国人のグループと日本人のグ
ループが近くに座って居ましたが、たいした人数では有りませんが、
中学生ぐらいの子供達です、賑やかに子供のバンドのマーチに合わせて

行進が始まり子供達が並んで入場してきまして、アメリカ人の親は一斉
に立ち上がり、子供達を歓迎していました。先頭はボーイスカウトの制
服を着た少年がアメリカの星条旗を掲げて歩いていました。アメリカ人
達の親は一斉に起立して、国旗に敬意を表して、胸に手を当てる人、
姿勢を正して注目する人、普通のアメリカでならの風景が有りました。

しかし私はその中で、日本人のグループがざわざわして、中にはベンチ
に座ったままの子供も居ます。付き添いの先生は知らん顔で、何か隣り
の日本人と話しながら、プログラムの紙をのぞいて、それを話して居る
ような感じです、近くのアメリカ人が、『ジロリ〜!』と見ているのが
分りました。それと言うのも、隣りの韓国人のグループは先生が直ぐに

直立の姿勢をすると、野球帽子を取り、胸に手を当てて行進してくる生
徒達に敬意を表していたからで、廻りの韓国人の子供達も先生に見習い
、直立して行進を見ていました。私は一瞬戸惑いを覚え、悲しくなりま
した。
そのあとの星条旗の掲揚の時も同じ感じで、子供達は『何をしているの
だー』と言う感じが有りました。まったく国旗に対して、何も礼儀とそ
の国家の象徴の国旗に敬意を表す事も習ってはいない、教育も受けては
いないと感じました。

韓国人の子供のグループは最後まで、先生の元で、爽やかな感じのマナ
ーで国旗に敬意を表して、先生と子供の統一された礼儀がありました。
その頃、日本では教職員組合の勢力が強くて、中には国旗掲揚まで拒否
して、国歌斉唱も否定していた学校が有ると日本の報道に有りました。

入学式に国旗掲揚、国歌斉唱も出来ずに、式が混乱して取り止めになっ
た学校もあったと報道されていました。先生が拒否して、子供達にもそ
の様な、指導があったと言われ、その様に国家権力と対抗する事が民主
化の手本だと感じている、間違った先生が大手を振っていると報道され
ていました。

その様な報道を裏打ちするような事が現実に目の前で起きて、私は言葉
を無くして、茫然としていました。私の子供はアメリカに来て、まだ言
葉が分らない時、校長先生が日系2世の先生を担任としてくれ、英語が
分らない長男に日本語で『星条旗に誓う』と言う言葉を教えてくれました。
それから直ぐに英語も分かる様になってから、学校で英語で、スペ
イン語で同じく『星条旗に誓う』の言葉を言える様になっていました。
そして国旗に対して敬意を示し、一つの国旗の下でアメリカ人として、
力合わせる事を学んで居た様です、アメリカ人が『日本人の国旗に対す
る、日本での学校教育はどんなか』と聞かれて、返答に詰まり答えられ


ませんでした。私もその様な教育を義務教育期間に教えられた事は覚え
ては居ません。私の時代は終戦後まだ日時が、さほど経ってはいなかっ
たからも知れませんが、愛国心は『国敗れて山河有り』の中で強く持っ
た事が有りました。

それは戦争に従軍して復員して来た先生が、時折話す言葉で、国と言う
存在を強く印象付けられていました。戦地で亡くなられた方がこれから
の日本を憂いて『戦争が終り日本が平和になったら、お前は教員だから
将来の日本の為に、子供達にはたとえ国敗れても、大和魂を持つ子供を
育てろー−!』と言いのこして亡くなったと先生が話してくれました。

国を変え、国を向上し、未来に向けた魂を持つ日本人を育てたいと言
っていた先生でした。当時の学校は、窓ガラスは割れ何も無い部屋でし
たが、先生が同じ学徒出征の学友が、神風特別攻撃隊で出撃する前に、
遺言として送ってくれた手紙を読んだ時に、教室の多くの生徒が涙し
て聞いていました。

家族を思い、両親を思い、仲間の戦友や友達を思い、国を憂いて、祖
国日本の将来を夢見て、死んで行った人がいる事を知り、たとえ政治
体制が全体主義であれ、社会主義であれ、民主主義社会であれ、その
生まれ育った祖国を思う心の情熱が愛国心と私は子供心に感じました。

私はその先生に今でも感謝しています、この歳になっても日本人とし
ての大和魂を持ち続けています、アメリカに暮らす昔の戦前の一世が、
日本国旗を額に入れて、客間に飾って手を合わせて祖国の繁栄と安静を
願っていた事は、アメリカだけではなく南米の各地でも目にしました。
その様な人々を覚えていたので、当時出合った若い先生と、生徒達に
心悲しい思いをしました。

日本人の愛国心とはーー!祖国日本を思う心とは−−!その時、日本の
学校教育に疑問を持ったしだいです。 これからの若い日本人の子供達
が世界で羽ばたき、日本を支え、繁栄させる為にも、これからの日本の
教育に期待しています。


コメント(4)

『国歌と国旗』

時局心話會代表 山本善心先生の論説より、

 日の丸と君が代

 我々は長い間、日本の国旗を掲揚し国歌を歌うことに違和感があった。私たちは中 高生時代、「君が代」は非民主的な歌だ、国家主義だ、軍国主義的な歌だと担任の教師から教えられた。つまり国旗と国歌は悪の象徴と見なされ、教育の現場で忌避(きひ)されてきたものだ。


これが世界から見ると「世界の常識は日本の非常識だ」と言われるゆえんである。

「愛国心の涵養」と国旗・国歌はどこの国でも精神的支柱として大切にされている。

我が国では日の丸と君が代を否定すると共に、偏向した歴史を学んだ子供たちを世に送り出してきた。歴史に無知な大人たちが日本罪悪論を前提に外交交渉を行えば、他国に正義があると主張するようになる。

いま、日本には誇りと正義感を失った子供たちがたくさんいる。やっと文部科学省が重い腰を上げ、学習指導要項の改訂が始まった。教育現場で「君が代」に関する “歌わない、弾かない、起立しない”の「三ない主義」が姿を消しつつあり、戦後の奇怪な風潮が是正されようとしている。

 日の丸はいつ生まれたか

古く聖徳太子は隋の皇帝に当てた国書で、日本を「日出ずるところ」と表現した。

「日の丸」は太陽をかたどったもので、日本国の象徴であった。豊臣秀吉や上杉謙 信、武田信玄も旗印に掲げたといわれている。

徳川幕府はペルリの来航を機に、異国の船との区別を考えて、日本船は日の丸の旗を掲揚するように定めた。これは島津斉彬の建議を入れ諸藩に布告された。

文久3年 (1863年)8月7日、
「御軍艦の儀、御国印白地日の丸」とした。

明治政府は明治3年(1870年)1月27日、太政官布告57号で日の丸を国旗と定めた。

 現今、日本人はグローバル化の影響を受けて、「国旗と国歌」が民族を代表するシンボルであることを自然に受け入れるようになった。自国に誇りを持ち正義感があれば、未来が開かれる。過去を悪と断定し自虐意識を持てば、未来は閉ざされよう。

 「君が代」はなぜ生まれたか

 勝田吉太郎氏(京都大学名誉教授)は、日本の教育に関する第一人者として活躍された人だ。我々とは25年来、弊会のシンポジウムや「時局コメンタリー」の執筆者としてお世話になった。その勝田氏が講演の中で「君が代」がどうして生まれたかについて話されたことがある。

 明治2年、イギリスの貴族が日本にやってきて、旧浜御殿の延遼館で歓迎パーティが開かれた。そこでウィリアム・フェントンという英国の軍楽隊長から「国際的なしきたりにより両国の国歌を最初に演奏したいので、お宅の国歌の楽譜を見せて頂きたい」と聞かれた。接待係である薩摩藩の原田宗助はすっかり困惑してしまった。

 それは、当時日本には国歌というものがなかったからである。早速上司に相談したところ
「そげんことはおはんらに任せる、よかように取り計らえ」と言われた。
仕方なく薩摩地方の「さざれ石」を取り出し「日本の国歌です」と急遽間に合わせた。

 「君が代」の歌詞は今の鹿児島県に古くから伝わる薩摩琵琶の「蓬莱山」という曲の中に収められている。鹿児島ではめでたいときとか結婚式に歌う。「君が代」の歌詞は905年に紀貫之らが編纂した『古今和歌集』に収められ、1000年以上も昔にできた古歌であった。

 「君が代は千代に八千代に…」は親しい友人や恋人に向かって、いつまでもご幸福

とご繁栄をお祈りします、という意味である。相手の身になって歌われた優しい歌で

あった。日教組の先生が言われる軍国主義的な歌ではなく、民主的な歌であった。

以上、山本善心先生の論説より。

私が山本善心先生の論説を読み、他の諸説をも比較して感じる事は、また・・
「国旗、国歌と愛国心」 を読んで他の理論、弁明を聞いて、見て感じる事は、
案外にこの真実とかけ離れた論理を振りかざす人が多いと言う事です。

『国旗と国歌』を、その本来の趣旨を理解しているか?
以下に分類してみました。

1、詳しく知らない、理解していない、理解しようとする意思が希薄。

2、誤解して解釈している、歴史的な背景を見ようとしない。

3、自己本位での部分的な解釈での、国歌と国旗の自己主張。

4、国旗制定の歴史的な背景を知らず、学校などでの偏向授業
  での教えを鵜呑みにして、それを心情として自己主張している。

5、自己の歩んだ過去の思い出、経験、間違った偏向教育などで
  の、心の生育期に精神的な基盤が出来てしまった人。

6、海外生活、海外滞在経験のない人で、狭い自己環境での
  自我の比較対照とする経験的な対象物が無い人、少ない人、
  比較しようとする意思が無い人。

7、自己の戦闘的論理を振りかざして、自己満足の範囲での湾曲
  した理論的解釈を捨て様としない人。

8、我関せずの境地で、人の理論的な主張を見ている人。

9、百年以上の国歌と国旗の歴史的な背景と時代的な区別で、それを
  利用して、権力の拡大、維持、政権の政治的なシンボルとした時代的
  背景を見ようとしない人。

10、日本国民の象徴天皇と国家の象徴としての国旗、国歌の本来の意味
  を取り違えている人。

以上の様に、人それぞれ、様々、また理論的な構築の過程での差が、この
世の旨みを出していると感じます。また、それぞれの意見を話し、ぶちつけ、
討論して開襟して受け入れる事は、これ民主主義の基本と感じます。
祖国日本の国旗。
 
『戦争に負けてドイツもイタリアも国旗を変えたのに、日本だけはそのままにして
いる。』
と言う人が日本では大勢の意見です。しかしこれは実際の事を検証してみると・・
・、

1、ドイツはナチス党旗を国旗扱いを中止して、元からの国旗をドイツ国旗に戻した

  だけです。

2、イタリアは王制廃止で国旗から王家の紋章を国旗から取り除いただけで他は
  同じと言う事です。

人が言う意見の中には偏向教育を真に受けている人が多い感じです。
しかし、それを裏返して考えれば教育の大切さ、また重要な要因を秘めています。
なぜそれまでにして、国旗と言う国家を代表とした紋章を意図的に下誹して
中傷しなくてはならないか?

そこに考えられる事は将来の日本人、日本人社会の崩壊を狙った陰謀と言う
人も居ます。それは考え過ぎと私は思いますが、しかし、少なからず何か意図的
な策略を感じさせられます。私が個人的に感じた事は真実を知り、理解して、

国歌や国旗に対しての自由な発想での思考も必要と感じます。
考える命題として真実を子供達に与え、討論して、議論して考えて、そこから
自主的な意見と、これからの日本に相応し、考えとして、これからの日本の未来
に合致した建設的な意見と発想が必要と感じます。

私の知人が送ってきたメールですが、読んで心感じる事が有ります。 

『インドの小学校の教科書には、第1ページに「私たちはインド国民です。
 私たちの国は世界に誇るべき素晴らしい国です」と言った言葉と国旗
 が印刷れていて、感心した記憶があります。世界の沢山の国で、
 同様のことが行われていると思います。僕たちの小学校時代は、修身
 の教科書冒頭に「豊葦原の瑞穂の国…」とありました。』

と書いて来ました。

今回の新しい総理となった安倍晋三総理大臣が推し進める、 新しい美しき日本
を推し進める安部新政権も、教育基本法改正を最優先する方針を打ち出した。
これからの日本の教育に期待をして、政権運営を見守りたいと思っています。
長い。

要点をまとめてください。
しかも、既出だし。
前のトピが消えちゃいましたからね。
まずはこれを。

国旗掲揚、国歌斉唱に関する諸外国の判例・事例
http://eritokyo.jp/independent/nagano-pref/aoyama-col1200.html

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