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研究者コミュの閉塞感に苦しむ研究者

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ミクシィニュースが興味深い報道をしています。国立や独立行政法人の研究機関に所属する研究者の7割が今後の研究環境に不安を感じていることが、研究者の労働組合でつくる国立試験研究機関全国交流集会実行委員会の調査で分かった、としています。

このニュースを読むと、研究者は研究成果という乳を搾乳される乳牛のような処遇を受けているといっても過言ではないように思います。なぜこのようなことになってしまったのでしょう。

私の考えはこうです。

以前にもこのコミュの別のトピックでも議論したことがありますが、大学院重点化政策とは、研究者のために提案された政策ではなく、昨今の少子化の中で大学で教職員が「学生」というメシのたねを確保するために、学生の延べ人数を水増しするための政策だったということが遠因にあると思います。

この大学院重点化政策の結果として、博士課程修了者の数が大量に増えた。このため、研究者というもののインフレがおこり、一人ひとりの研究者の労働市場における価値が下がり、研究環境において大切にされなくなった。平たく言えば、これまでよりも消耗品に近い処遇を受けるようになったということなのではないでしょうか。

私の考えでは、まず、大学院重点化政策は、一旦リセットし、少数精鋭の育成方針にもういちど立ち戻るべきなのではないでしょうか。そのかわり、その少数の精鋭を丁寧に育てて育成の成功率を高めることにより、国の教育投資の効率を高める方向にもっていくべきなのではないでしょうか。

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http://news.mixi.jp/view_news.pl?id=881302&media_id=2

国立や独立行政法人の研究機関に所属する研究者の7割が今後の研究環境に不安を感じていることが、研究者の労働組合でつくる国立試験研究機関全国交流集会実行委員会の調査で分かった。「抑うつ」「焦燥感」など健康状態に問題を感じる研究者も7割近い。最近の早期結果を求める成果至上主義に、強い不安や閉塞(へいそく)感が広がっているとみられる。

 4〜5月、インターネットで調査。実行委に所属する労組のうち15単組736人が回答した。男性83%、女性17%で、終身雇用の研究者は93%だった。

 今後の研究環境に不安を感じると回答したのは71%。「役立つ成果ばかり求められ、基礎研究の研究費が得にくい」「失敗を許容する雰囲気が薄れつつある」などの理由を挙げた。不安を感じない人は4%だった。

 また、疲労感や無力感、孤独感など65%が何らかの問題を抱えていた。具体的には「生きていく自信がない」「軽いうつと診断された」「睡眠不足」など、強いストレスを受けている様子がうかがえた。「特に問題ない」は28%にとどまった。

 伊藤武・副実行委員長は「終身雇用の研究者も研究環境に強い不安を抱いている。最近は任期付きなど、不安定な立場の研究者も増えた。強い不安の中で良い成果が出るとは思えず、研究環境の改善を訴えたい」と話す。【永山悦子】

 ▽隅蔵康一・政策研究大学院大学准教授(科学技術政策論)の話 研究の世界はもともと成果主義で激しい競争にさらされているが、バランスが大切だ。

コメント(31)

民間の研究員は成果がでなくても現場に異動される程度なので、パーマネントでない研究員より安定しているかもしれませんね。
これからの少数精鋭主義の政策論については同意するところですが、
問題は
・すでにパーマネント研究者である方の研究環境改善(一側面の観点からのいびつな競争主義を改める)
・現状でパーマネントになれない余剰博士(高学歴ワーキングプア)の喰っていき方(大学教員のワークシェアリングや博士の専門性を活かした社会起業を促すなど)
の2つだと思います。
私はこの2つについて、どのように対策を施すかのほうが急務だと思います。

個人的には単なる自己責任論に帰すべきではないと考えています。
「自己責任論」というのは、この国の財界人のひどいところですね。財界人はこの国の文化の基盤となってきたものを市場原理の論理で次々と破壊してきたと思います。地方の風景を破壊し、駅前の商店街を破壊し、町工場を潰して高層マンションを建てたりしている。その一方で格差に苦しむ同胞には見向きもせずに自分たちの利潤を追求し、貧困に苦しむ人々には「自己責任」と言い放っているんですよね。
食っていけない博士の一端に指がかかっているものです。

自己責任と言われると確かに苦しいですね。当初から就職が無いことは想定して一般的な博士取得用件の2倍〜3倍の論文業績を積み、指導教員からはこれだけあれば3年以内に定職に就けると言われました。今その3年目です。

かろうじて今年のみ人並みの給料をいただいていますが、早速来年度の更新は予算切れのためになくなりました。まだ年間に数本の業績を上積みしているのですが、現状は芳しくありません。

奨学金という負債もあるので、いい加減社会起業なども考え始めていますが、そんな簡単な話ではないので、忙しい日常業務と自分の研究の合間に資格試験などにチャレンジすることにしています。

閉塞感は現場の先生方もあるでしょうが、こちらもにっちもさっちもと感じています。言ってられないので動き続けるしかないのですけどね。
まだ大学生の私には研鑽していく以外に道は無いようです。もしかしたら生きていけないかもしれないけれど、どんなかたちででも目標に向かっていきます。何のための研究者なのか、これから周りの認識が変わっていくものと信じています。
裏切られる期待かもしれませんが、後ろ向きでは希望も何も無いです。アマちゃんの意見と思われるでしょうし、学者の世界で夢も何もあったものではないかも知れませんが、お世話になっている教授の言葉を励みに頑張ります。
 研究者が閉塞感に悩むというニュースですが、民主党が土木工事や軍事費を削って、大学や研究機関への教育予算を増やすようなことをしない限り、研究者の将来は暗いでしょう。なんだかんだいって、予算がつけば、常勤で人も雇えるし、教員一人当たりの生徒数も減って、質の高い教育ができるものです。
 ただ、日本社会は研究一般に対して冷たく、予算はつきません(カネになることなら、企業がやっています)。基礎研究は特に、冷遇されていて、大学における理論物理や哲学のポストはどんどん減っています。もちろん、理論物理や哲学は難しく、偏差値60以上の大学生じゃないと分からないので、日本の大多数の大学で、哲学や理論物理の授業をやっても猫に小判状態でしょう。だから、難関私立大学では教員を大幅に増やし、先生1人当たり学生数が10人とか、国立並みのTeacher/Student比を達成すべきだと思いますね。反対に、中流〜下流大学では、折り紙・トランプ・ゲームをやってお茶を濁すしかないでしょうし、マスプロ教育でよいと思います。中流〜下流大学にそれだけの予算をかける意義はないです。絶対階級社会になったので、知識人と下流民とで読むものが違う世界が展開されるはずですし、使う言葉も違うでしょう。国家は、下流民からもらったお金で、基礎研究を保護し、文化的にレベルの高いものを維持すべきでしょう。文化的にレベルの高いものは、やはり高等教育を受けたエリートしか分からない側面がありますので、社会はエリートが支配するのがよいと思います(この点で、旧ソビエト連邦が文化的にレベルの高いものを保護したのは素晴らしかったです)。自民党よりは民主党の方が、構成員のIQは高いので、ちょっと期待できますが、このまま基礎研究を保護しなければ、ロクな会話もできない下等民族として、世界史の中で消えてゆくんだと思います。人口が半減し、経済的に衰退してゆく中で、文化的に最後の輝きを放ってから、消えて欲しいですね。民族として生きた証を残して欲しいものです。
論点がずれて申し訳ないです

私は学生なのですが、バイオの研究者はまだ人数が少ないと言われたことがあります。

なので研究者のインフレが起きているということは歴史のある工学系だけなのではないでしょうか。
以前にもそういう議論がありましたが、専任の理系研究者と文系研究者では文系の方が、研究者の生の質(quality of life)は高いです。文系の方が幸せです。これは企業でも同じで、理系は、人事と予算を文系に握られ、数の上でも劣勢に立たされ、文系に奉仕します(生涯賃金でも有意な差がある)。理系自身にも反省点はあるでしょう。マルクスとかの社会思想を知らないので、労働条件の切り崩しに対抗できないというか、本能的にそのヤバサを察知できないんです。もちろん、製品に付加価値を付けているのは理系です。しかし、この辺の話は、誰もが知っている話であり、いまさら、小学校や中学校の理科の教育がおかしいから、理系進学者が減っているのだ!などと理科の先生のせいに八つ当たりしてもみっともないというか、かえって社会情勢オンチなことを曝け出しています。
 とにかく、現時点では結論が出ています。もし、親として子供がいるなら、子供は文系に進学させるべきです。というのも、理系は損しますから。大学だったら、大学幹部に尻尾振って、いち早く任期制を導入するのは、薬学部とか理系の学部からです。自分が病院を開業経営していて、子供を医学部に入れて、勤務医ではなく、開業医の院長になることが決まっているのではない限り、あるいは、難関大学の薬学部に進学して、将来は、大手製薬会社の研究員になれそうな確率が高いのでない限り、子供を理系に進学させるのは、非常に危険でしょう。QOLが文系よりも低いです。商業高校の先生として、簿記でも教えている方が、幸せだと思います。
トピずれですが、文系の上のほうはよいのですが、下のほうは理系の下のほうより悲惨ですよ。
順番としては 文系上>理系上>理系下>文系下じゃないかなと思います。

http://nenshuinfo.com/koTop/
ちょっと面白いデータがあったので....
でも、↑の8.番...これってどういう計算をしてるんでしょうね?

http://nenshuinfo.com/ko/ko1/
これを見ると、自然科学系研究者はそこそこよい暮らしに見えますね。

http://nenshuinfo.com/ko/ko118/
<掘削・発破工 女>の労働者数0でも平均年収が出ている。昔一人だけ居たのかもしれない?かっこええ!!

今の時期にこの記事というのは、民主党政権で切り捨てになる独立行政法人との関連を意識しているのでしょうね。予算と政治力が密接すぎるネゴネゴコネコネ体質の世界は変化したほうがよいでしょう。
 企業内部には、文系の研究者はいないはず。ですから、大学に限った話をすると、文系の専任研究者>理系専任研究者でしょう。文系は、実験しませんから、夜遅くまで研究室にいることはないです。はい。
 また、企業内部でみると、理系研究者は、ある一定の年齢まで研究させてもらえますから、大学時代の専門をある程度活かしているという意味では営業をやっている文系よりも幸せかもしれませんが、生涯賃金で見たら、なにげに文系に抜かれていると思います。また、企業内部の理系研究者は、人事部長や財務部長には通常なりません。40歳過ぎた頃から、研究の第一線から外され、場合によっては営業に廻され、中間管理職としてマネジメントがうまくできないと、早々に子会社に行かされる感じでしょう(しかも理系の開発工場は、ネオンのない秋田県とか僻地にあって、そういうところに勤務していると趣味が釣りとかになってしまう)。本当は、企業内部でも50歳過ぎても研究させておけばよいのに、と思いますが。
 文系の非常勤講師や理系ポスドクは、常勤職ではないので、派遣社員と変わらず、大層不遇で、学生と教員間で会話が成立する難関大学にて教員のポストを大幅に増やす必要があると思いますが、無理でしょう。投資ファンドで100億円の損失を計上した神奈川歯科大学だって、常勤で何十人も雇えるのに非常勤講師を徹底活用していましたし、革命でも起きない限り、末端にカネが廻ってくるのは難しいと思います。
 運よく大学教員になった人は、文系なら哲学・理系なら理論物理といった基礎的な学を尊重して欲しいしいものです。とはいえ、いまや、難しい本が読めない・読んだことのない、サラリーマン出身の大学教員とかが大量にいて、教育崩壊が加速していますが。
 分野の温度差は非常に激しいのですが、訴訟法を専攻したとしても、大学教員になれないかもしれないので、家が金持ちじゃない人は、ホームレスになるかもしれない覚悟をもって大学院に行くべきだと思います(もちろん、1年くらいかけて調査すればXX大学のYY研究室でZZを専門にすれば就職できるかどうかは大方予想がつくのですが、そこまで調査して大学院に行く人は稀)。自分の個性を発揮できる職業が少ないので、日本に生まれことは一つの不幸ですが、革命でも起きない限り、当面この状態は続くと思います。
「世の中がどう変わろうと、我々が学問をするのは、結局は我々自身の為なのであり、我々が学問を何故するかと言えば、学問の場合は、それが好きだからということ以外に理由は考えられない。」
吉田健一という人が昔そう言いましたが、いまなお一片の真実を含んでいると私は思います。
結局は、自分の人生を賭けるに値する学問がある(それと出会う)かどうかの問題です。
むろんポストなどシステムの面で現状は最低だと思いますが、どう改善しても競争社会であることには変わりはないので、リスクを恐れる(リスクが覚悟を上回る)人は避けた方が懸命です。
生涯賃金がどうこう、という話は、それを正確に考慮した(できた)うえで人生の選択をする人はいない(親が子供に何を奨めるかというのは別の話)という意味で、学問の話には馴染まないと私は考えます。
評価基準が絶対的な世界では少数精鋭の意味がありそうですね。
http://houkadaigakuin.kenkyukai.net/2009/02/post-9.html

トップの大学の合格率が59%だから30%以下の学校はナシにしてもよいみたい。
一番したから14校で合格者は30人程度だからトップの合格者の半分にもならない。何か資源の無駄遣いのような話になってる?

一方、100年以上かけて検証するような仕事だと、研究者として存在する事が仕事になってしまう。成果主義で評価されてもな〜〜と...分野毎に評価眼を変えるしかない。

評価は研究時間がどれぐらいで達成できるかの軸と、評価がのしやすさの軸を考えて、二次元でマッピングするとそれぞれの領域で評価の方法に一定のパターンが見えてくるのかなとも思うけれど単純な思いつき。

評価のしやすさの評価は、100サンプルを同じ道の専門家に評価させて点数のブレ具合をみるとかどうだろう?
28しっぽさん
>一番したから14校で合格者は30人程度だからトップの合格者の半分にもならない。何か資源の無駄遣いのような話になってる?

法科大学院に限らず、大学院を作ると学部の偏差値が上がるんです。下流大学が大学院を作るにはそういう背景もあり、学部の偏差値が1でも2でも上がれば、受験者が他大学に流れるのをほんの少し緩和できます。もちろん、大学院を作るにあたって、お金が文科省からもらえる(=人も雇える)。偏差値が下がってボーダーフリーの烙印を代々木ゼミナールに押されないよう注意しているわけです。

26ひろぽんさん
>自分の人生を賭けるに値する学問がある(それと出会う)かどうかの問題です。

何か、おもしろいと感じて、それを研究テーマにする場合、果たして、自分の人生を賭けるほどのものであるのか、考えた方がいいという意見には賛成です。だいたい、錯覚か、他人がそれをやっていて潮流だからそれをやっていますね。生涯賃金云々の話は正社員の話で、現状、非常勤講師やポスドクの生存が危ういので、ミジンコの研究や天文学もいいですけど、まずは生存の確保が喫緊の課題(というか研究テーマでしょう)であることを知って欲しいです。

>むろんポストなどシステムの面で現状は最低だと思いますが

本当にそうですね。但し、総じてみればの話で、家政学とか必ず教員になれる分野もあるんですが。
このトピックは、投稿のされかたが奇妙なトピックですね。9月24日の7番でJing*3さんがメッセージ投稿されてから、にわかにメンバーの皆さんの投稿が活発になっていますね。

ま、それはどうでもいいとして、27番でとおやまんさんが提起されている問題を皆さんでいっしょに考えてみたいと思います。とおやまんさんは次のように問題提起されています。

>何をもって精鋭とするのですか?

まず、このご質問についてとおやまんさんご自身にお尋ねしてみたいことがあります。とおやまんさんは「研究者が精鋭であるか、精鋭でないかの区別/判定をつけることは不可能である」とお考えなのでしょうか。それとも「研究者が精鋭であるか、精鋭でないかの区別/判定をつけることは一応可能であると思うが、具体的にどう区別/判定したらいいかについてはよくわからない」ということなのでしょうか。

わたしがとおやまんさんのメッセージを読んだ限りでは、とおやまんさんのスタンスは、「研究者が精鋭であるか、精鋭でないかの区別/判定をつけることは不可能である」とお考えのように読めます。

しかし、このコミュのメンバーの皆さんの多くは、多分「研究者が精鋭であるか、精鋭でないかの区別/判定をつけることは一応可能であると思うが、では具体的にどう区別/判定したらいいかについてはよくわからない」という考えのほうに近いと思います。

私は正直申し上げて、「研究者が精鋭であるか、精鋭でないかの区別/判定をつけることは一応可能であると思うが、では具体的にどう区別/判定したらいいかについてはよくわからない」という考えです。しかし、ご注意いただきたいのは、「研究者が精鋭であるか、精鋭でないかの区別/判定をどうつけたらいいかについてはよくわからない」からといって、これがただちに、「研究者が精鋭であるか、精鋭でないかの区別/判定をつけることは不可能である」という結論にはならないと思います。

例えばの話、この宇宙に時間と空間が誕生した宇宙の開びゃくのメカニズムはよくわかりません。しかし、だからといって、宇宙開びゃくのメカニズムは存在しない、ということにはならないでしょう。宇宙物理学者なら、宇宙開びゃくのメカニズムは必ず存在するはずだが、我々の知力がまだおよばないので、十分に解明できていないだけだ、そう考えて研究にいそしんでいるのではないでしょうか。

>(研究者育成の)成功とは何をもっていえるのですか?

この問題提起についても、逆にとおやまんさんにお尋ねしてみたいです。すなわち、逆に研究者の育成の失敗例というものは現実に存在しないとお考えなのでしょうか。例えばある人が大学院の博士課程を修了し、定職にはつかずにコンビニでアルバイトをして糊口をしのいでいたとします。この人は研究者育成の成功例なのですか、それとも失敗例なのですか。とおやまんさんをはじめ、このコミュニティのメンバーの皆さんの大多数が、「すくなくとも成功例とは言えない」という見解に賛同されると思います。

「すくなくとも成功例とは言えない」という見解が成立する以上、どういうものが成功例なのかについてのイメージは持っているはずなのです。私は、「研究者育成に成功する」ということの定義は、私たちがいだいている、どういうものが成功例なのかのイメージを達成することで十分であると思います。
今週はノーベル賞週間ですね。物理学賞、化学賞と受賞者が順番に発表されています。今年は日本人の受賞者はいまのところいないようです。ノーベル賞というのはいいものだと思います。特に物理学、化学、医学・生理学の自然科学分野のノーベル賞は、不遇を考えられる理系研究者に光が当たる瞬間です。ところで…

>21番たらうさん

>マルクスとかの社会思想を知らないので、労働条件の切り崩しに対抗できない

若い人を対象に、文系に進路を選ぶべきか、理系に進路を選ぶべきかの議論をするとき、以前もたらうさんはこのこと(↑)をおっしゃっていましたよね。私、気になっていたのですが、すこし詳しく説明していただけませんでしょうか。

上のたらうさんのおっしゃることによれば、マルクス等の社会思想を知っていれば、企業などのアドミニストレーター(人事管理担当者)の労働条件の切り崩しに対抗できる、ということですね。

マルクスの社会思想のどの部分が、労働条件の切り崩しへの対抗手段になりうるのですか?理系研究者同士で団結して組合を作るのがよいということですか?

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