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M・C様コミュの第3回:正義と微笑

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 管理人さんの許可の下、トピックに失礼します。m( _ _ )m

 『正義と微笑』の作品について、
 学問的なこと、研究的なことではないのですが、この作品について、素晴らしい部分について、少し書き込んでみたいと思います。

 この作品は、16歳の少年が、受験をし、また役者を目指していくものです。この中で、様々なことを考えながら、成長していくという話です。太宰自身が、「役者になりたい。」と書いていたことからも、彼自身の思いから、書きやすい部分もあったのかもしれません。

 私は、この作品の、まず、出だしから好きです。
まず、この日記には、冒頭に、その日の天気のことが、事細かに、本当に、色々な言い回しをして、説明されている。これは、何気ない、日常のことを観察していて、観察力と、文章力を鍛えるのに、良いなぁと感心させられました。今は、ブログを書く人はいても、自分でノートに日記をつける人なんてなかなかいないだろうし、天気について書くなんてもってのほかだと思います。逆に、新鮮で、私はすごくこの作品の好きなところでもあります。
 
これを読んだ当時、私は驚いてしまいました。「人格がつくられる」ということを考えたこともなかったからです。でも、その重要性を考えさせられた部分です。

また、「偽善」ということについて考えさせられます。太宰は、聖書を読み、キリストの苦悩について思いを馳せていましたが、それは、彼自身が、人に対して優しかったからなのだと思います。人の見えないところで自分を犠牲にして、苦しみを背負いながら、人を楽しませようとする考え方が、まさに、ここに表れていて、また、この作品の主題にもなっているんだと思います。

 また、作品の中の、「ナポレオン」や「ソクラテス」ばかりを誉める先生を、主人公が批判する場面では、特に、太宰自身の考え方がよくあらわれているように思う。太宰自身は、青森金木町の大地主の家に生まれ育つが、大学時代は、共産主義運動というか、何度も逮捕されたり、逃げるために引越しを繰り返したりしている。当時は、貴族制度があり、まだ日本も身分制社会で、今のような民主主義とは程遠い。そういった中にあって、共産主義は、いわば少し進んだ、急進的な民衆よりの思想、というものだったのではないだろうか。共産主義が良いかどうか、歴史は答えを出してはいるが、今の私たちにわかったような偉そうなことを当時の人たちに評価できるだろうか。私はここで、政治思想について評価したいとは思いません。当時において、そうやって一般の人たちの立場に立つという考え方を一番反映していたのかもしれない。大まかなところ、太宰は、貴族的身分に生まれ育ちながら、一般の人たちのことを思っている。純粋な人だと思う。そういった作者の優しい気持ちから、「ナポレオン」や「ソクラテス」「ミケランジェロ」よりも、「市井(しせい)の人」の中の、生活の「尊さ」を思いやることのできる部分が、理解できるように思われます。

 また、黒田先生が、学校を辞めてしまう部分では、先生は、生徒達に、「勉強の大切さ」を説く場面があります。「勉強」は、暗記することが大事なのではない、生活に役に立つことが大事なのではなくて、その訓練を通して、「カルチベート」されることが大事なのだと言います。そして、それは、「愛を知る事」になる、と。
 私は、本当の勉強の意味を、知ったような気がしました。人によって、様々な理由で、勉強するのかもしれないけど、ここでの「勉強」は、より深いものが身に付く、ということなのかなと思う。特に、「忘れてしまってもいい」ということ、本当に「カルチベート」される、ということ。ただ受験のために暗記する「勉強」とは、少し意味が違う、人にひけらかすためのものでもない、消費されたものではなく、本当に、自分の中に残る、自分を形作る、そういう勉強。『正義と微笑』中の、黒田先生の言葉は、そういった意味だと思う、そして、それは、たぶん、これからも終わらない一生をかける勉強だと思います。

 長くなってしまい、すみません。。もしかしたら、この作品は、あまり太宰の作品の中でも、メジャーなものではないかもしれませんが、読んでいる人がいれば、何か考えさせられたことでもあれば、教えていただけたら、と思います。

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