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2024年NHK大河ドラマ「光る君へ」コミュの(各話別トピ)第十四話「星落ちてなお」2024年4月7日放映分(NHK大河ドラマ『光る君へ』感想トピック)

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(各話別トピ)第十四話「星落ちてなお」2024年4月7日放映分 の感想などお願いします。

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ご参加お待ちしています。

※ルールはこれまでと同じ。ネタバレ投稿禁止(ネタバレ基準は多数派であるNHK総合の初回放映。例→NHK総合で20時12分の放映内容感想を20時10分に投稿しちゃダメ。20時03分の放映感想を20時03分に投稿するのはオッケー)。

※こちらはネタバレ禁止の感想トピックですので(多数派である地上波のリアルタイム放送以前をネタバレと呼んでいます)、
歴史(誰にも史実が分からない事だけは分かっているものの)の話をしたい人は
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誤って歴史関連の投稿をしている人をみかけたら、誘導お願いします。

※もちろん24時間いつでも投稿OK。

※こちらは大河ドラマ「光る君へ」が好きな人のコミュですので、脚本、役者への批判は、
↓冒険コミュ「ドラマ」トピ Part⁻3
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などにどうぞ。

コメント(100)

結局日記書くの〜?ププッ笑(•ө•)♡
ファーストサマーウイカであることはさておき、
清少納言は、こういう性格だったことは枕草子の随所に出ている。
高校の古文では定子(さだこ)と言うより
「中宮定子」(ちゅうぐうていし)と教わることが多いですね。
兼家逝く。藤原の基盤を作った人がいなくなって
長男の独裁が始まる。権力って魔力なんでしょうね。
読み書きできない、下々に教えてあげるのは
酔狂な事なんでしょうか。当時の日本凄いですね。
まさに政略渦巻く内裏。
家族のことが小さく見えた日。
しかし道兼のダークオーラはなかなかのものだった。
段田安則さんの演技にしびれました。橋のたもとの映像、とても美しかった。
 倫子に仕えることを断った直後に道長にバッタリ会ってしまった。
 やっぱり断って良かったなあ。
 元カレが今の妻子と仲睦まじく暮らしてる様を毎日見るなんて耐えられないもん。

 今回ばかりは道兼がちょっと可哀想だった(まひろから見ればザマア!ですが)。
 汚れ役ばかり押し付けられ何も報われないことに文句言うと、嫌なら出てけ!とまで言われれば、そりゃ「老いぼれ、とっとと死ね!!」とも絶叫したくなるわな。
 そのうえ妻にまで逃げられるとは↓
 余談ですが道兼は美男じゃなく、「色黒で毛深くて醜い」と言われてたそうだから、後に一条天皇に入内する娘(尊子)も父親似だったとすれば、美人じゃなかったんだろうに、たぶん乳母(道兼の逃げた妻)への義理で妃にしてもらったんでしょうねと、永井路子さんだかが書いてらした。

 源明子は兼家のことは憎んでたけど、流産した身を労わってくれる道長は愛し始めたんでしょうか? そんな顔してた。
 それにしても「あきこ」とか「たかこ」とか、同じ名前ばかり出てきて紛らわしいですね。
せっかく娘が「父上」って言えたのに、上の空はヤバかったかな道長パパ。倫子姫、気付いたようにも見えるけど、まだ分からない。

全力を尽くして兼家を呪詛した明子。流産は呪いの代償か。

鳥辺野体験があるから、死んだ父の身体を抱くことも、流産でけがれている明子を訪ねることもできる道長。検非違使庁改革上申も直秀を忘れていないの意味か。

小気味よい清少納言だけど、彼女にも悩みはあったのね。まひろの方も、文字を教える一人NPOは挫折。

「志」と「身分問題」が、まひろと、道長をそれぞれに苦しめているような。同じ月を見て悩んでいそう。

「お暇」とか急に言い出したいとさんと、兼家に息子ヨロシクをいい続けた道綱の母は、正妻でないものの悲哀の変奏。

衝立の手前に寝具が敷いてある(あれって敷きっぱなしのもの?)ところから撮られた実資、やっぱりエロ担当。

公卿たちが会議でなんと言おうと、摂政が帝にオッケーと言わせればそれが通る。
妻子に逃げられる道兼だけど、ある意味、一番表裏がない人物かも。
気になっていた「とっとと死ね!」が分かったし、やっぱり呪詛は辞めといたら良かったのに。おっかないホラー系はやはり苦手です。
第14回、道兼の魂の叫びから始まったような感じだから、ちょっとゾワッときました。
父上、父上と認められたがりぃ屋だったから意外と言えば意外の叫び冷や汗
落ちぶれ演出もかなりのものでした。誰からも相手をしてもらえなくて部屋の中もとっ散らかり。

その他にも脇役の演技と演出が気になる回でした。
娘が父上と初めて呼んでくれたのに上の空の道長に、「あれ、おかしいな、、、」という表情の倫子さま。
彼女、もしかしたら道長とまひろとの間に何かあったのを気づいたのかもふらふら
そして流産してしまった明子さま(道長の第二夫人)。けがれもいとわずに看病に訪れた道長に、ちょっと心が動いたのかな。彼の去り際に半身を起こして姿を見送っていました。
あと、兼家の死の報に、顔ニンマリのいと。現代劇だったらガッツポでもしそうな彼女あせあせ

脇役の描写が細かいので、気づきというか妄想が広がります。
第13回は「星落ちてなお」・・・。

この”落ちてなお”の「なお」とは何かと思っていましたが、第14回が「おごれる者たち」
だからすぐわかる。権力を引き継いだ藤原道隆か・・。
一見、優しそうな道隆だが権力を握ったら豹変するという事か。

次回の第14回が「おごれる者たち」。俳優:井浦新の演技が見ものです。
回号を間違えました。
第14回が「星落ちてなお」。
第15回が「おごれる者たち」ですね。失礼しました。
兼家とうとう亡くなってしまいました。

今まで色々なドラマで段田さんを見てきましたが、一番のハマリ役だったような気がします。

真田丸の昌幸パパ、鎌倉殿の時政パパに匹敵するくらいのおおらかなパパだと思いました。

道兼にも最終的にああやって突き放すのもスカッとしました。
今回は、「三つの橋」が登場しました。

ひとつは、冒頭に登場した土御門邸内の渡り廊下の橋です。
上級貴族の道長にとっては、帰ってくる屋敷への入口。
まひろにとっては、せっかく倫子に呼ばれたとはいえ、そこはとても就業先として長居できる場所ではありませんでした。

「内/外」といってもいいかもしれませんが、それぞれが所属する場所が示されているようです。

まひろが帰ったあと、道長が倫子に「着替えは手伝わなくていい」といったのは、まひろと遭遇した体感/痕跡を、倫子(が手伝う着替え)によって上書き消去されたくなかったということかもしれません。


次に、まひろが自邸内で少女に文字を教えている場面。
背景に用水のようなものがあり、小さな橋がかかっています。
少女は、あるときから通ってこなくなりました。
ややあって、少女は自分の家で農作業を手伝っている場面をまひろに目撃されます。父親が、文字など不要であることをまひろに言い放ちます。

まひろは、下級ではありましたが、貴族社会の世界の住人でした。父も、文字を知り、学問を究めることで官僚として宮廷に仕えています。
実際、和歌や漢詩に詳しい才女ということで、まひろも「勉強は嫌い」と広言できる、身分制度に守られた上級お嬢様たちの「学びの会」に出入りを許されたり、「漢詩の会」や「和歌の会」に呼ばれたりしています。
少女の場合、文字を学んでも、彼女のいる環境の改善や、その境遇からの脱出につながる道はありませんでした。
ふたりの背後にあった水路は、彼女とまひろを決定的に隔てる境界だったようです。


最後に、兼家絶命の場面。
床に伏して大往生を遂げるという場面でもよさそうなところでしたが、兼家はふらふらと庭に歩み出て、太鼓橋を渡らず、赤い月に照らされて絶命します。
上空から俯瞰される太鼓橋は、兼家が願った極楽往生への道を象徴していたようにも見えます。明子の呪詛は成就しましたが、怨霊は周囲を「なお」支配しているのでしょうか?


今回、橋の場面が気になったのは、最近、朝ドラ「虎に翼」でアーチ橋を渡る場面ばかり見ていたからかもしれません。


大河には、ときどき「ご褒美退場」があります。
ここまで物語をリードしてくれたことに脚本からも演出からも敬意と感謝をこめて、
特別なしつらえが用意された退場劇を勝手にそう呼んでいます。
段田安則の兼家の死はまさしくそういう場になり、それに応えるような熱演でした。

自ら死期を悟り出家を決意した兼家は、道隆を後継指名し、道兼を絶望させ、
選挙カーじみた道綱の母も兼家が「嘆きつつ」の歌を思ってくれたことで報われました。
明子の呪詛が通じたのか天命か、少なくとも月を赤く濁らせたのは呪詛なのか、
真相は定かでないまま巨星兼家は落ちました。

このドラマの良さは、男たちによるお決まりの政争だけではなく、
女たちの反応、反響を丁寧に描いているところでしょう。
穢れを怖れず抱きしめた道長に惚れた明子、私も子作りを気張らねばと宣言する倫子、
飲んだくれる道兼を見限った繁子、そして何より袖の中のガッツポーズのいとです。

漢詩の会をならった和歌の会は、まひろとききょうを再会させる仕掛けでしょう。
未婚女性が集まる和歌の会だからか、
漢詩の会を引き継ぐように、お題発表は元輔に代わってききょうが、
歌の披露は為時に代わってまひろが務めます。
というロングパスもなかなかの妙味です。

改めてまひろを訪れたききょうは、第2章のガイダンスのように生き方を語ります。
下々の子に字を教えても意味はない、志を持たず婿取りしか考えない姫たちは嫌い、
女房に出仕して広く世の中を知りたい、嫌がる夫は捨てようと思う。
劇伴が(「阿修羅のごとく」の)トルコ軍楽風なのがいかにもです。

ききょうも危惧したように、
まひろは教え子の父から「慰み者じゃねえ」と拒絶されます。
既存のパラダイムは、それだけ強固です。
無力な一人の力だけで下からの改革など出来るものではないのです。
賢い子なら一生畑仕事であっても、よく獲れるような工夫を見つけることでしょう。

一方、道長は直秀の理不尽な死を思って検非違使の改革を献策しますが、
宮廷政治にしか興味のない道隆は相手にしません。
それどころか、前例のない定子中宮案で公卿を説得するよう命じられてしまいます。
道長は、権中納言になっても、まだ力が足りていないのです。

道長の無力感に、ききょうの無力感が重なります。
こんな時にも二人は共鳴しています。
ひょっとすると、この場面を作りたいために、
まひろに市井の子に字を教えるという無謀な試みをさせたのかもしれません。
少し意地悪な見立てかもしれませんが。

というわけで、今回の秀逸は、
問うても幸せはないとわかっているので道長の上の空を不問にする倫子のストレスでも、
政治的には残念だが女性にはやさしい為時がキメた「この家はお前の家である」でも、
それでも兼家の死に涙する為時の恨みばかりでは語り切れない複雑な因縁でも、

子どもとはいえ母親の前で何をしてるんだと詮子が怒るのも無理はない、
帝の定子への後ろ乗っかり抱きでも、
まひろのハナクソ呼ばわりも仕方ないほど高貴だが面倒そうな妻と再婚した実資の
伊周の蔵人頭任官を異常と愚痴った途端、日記に書けばと言われる通常運転でもなく、

道兼の殺人の穢れが生涯消えなかったことの裏返しのように、
直秀の埋葬をきっかけに穢れを怖れなくなった道長が、
兼家の遺骸を抱きしめ明子を見舞うなど、平気で穢れの壁を越えてくることで得られる
相手からの特別な信頼という貴族としての稀有な能力。
愛夫が死ぬ間際、「嘆きつつ」をそらんじてくれる。
道綱の母にとっては、なんとロマンチックなシーンだったろうと思いました。
さすが大石静。
女性がキュンと来るシーンがわかってらっしゃる。
>>[93]  
そう書いてくださって、少し道長のことが立体的に見えてきました。

一条天皇即位の時にも玉座に生首が置いてあったのを平然と処理してしまったのでした。

確か、何かの記録でも、夜お寺で肝試しみたいなのを3兄弟でやって、道長だけが本堂の奥まで行って、「証拠がないといけないから、柱を削り取ってきた」と言って、翌朝見たらその傷痕は持って帰ってきた木片とぴったんこだったとか。

穢れとか、目に見えないものへの不安といったものを乗り越えられるといった強さが道長にはあるんですね。

それが色んなことがまだ科学的に未解明だった平安の世では、求心力になっていったと大石先生は描いているのかも。
>>[95]
ありがとうございます。

とはいえ、道長の本当のところはまったくわかっていないので、
史実の道長が穢れを怖れぬ無敵の貴族だったというつもりはありません。

ドラマの中で、穢れにこだわらぬ道長を描くにあたり、
自分が穢れてもいいとまで思うような直秀との友情や理不尽な死があり、
高御座の生首をなんとか処理しなければならないように追い込まれ、
そんな経験することで結果的に穢れを怖れぬ人となったという描き方に、
おっしゃるような立体的な人物造形が出来てきたのだと感じます。

(あくまで今作においての)道兼が覚醒したような道長が、
「ワシは、穢れなど恐れないのだ、ワァッハッハア」
というような穢れの乗り越え方でないあたりが、
脚本の力なのだと思っております。
大石静さん作品は、女性がのめりこめてありがたい。『どうする家康』なんてみていられなかったからスマイル
兼家の逝去、源明子女王の流産、
宣孝の筑前守任命…色々あったけど、
定子様を中宮にして、皇后と並び立たせたこと。それを強引に進めたのが兼家の長男道隆!
そのまた長男の伊周は蔵人頭になるし…。
まだまだ貴族達の権力闘争は続きそうで大変ですね。
次回予告メモ。

第十五回
「おごれる者たち」

「もうすぐ石山寺ですよ。」

道兼「俺に尽くすと言ったよな?」

のぶのり「はい!」
(歓声)

道長「この道長が お支えいたします。」

「我が家より 帝が出る。」

ききょう「(心の声)きれい…。」

詮子「心にもないことを。」

実資「今に始まったことではないがのう。」

「あれ?」

まひろ「まことに よいかもしれません。」


石山寺…滋賀県が出てきますね。

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2024年NHK大河ドラマ「光る君へ」 更新情報

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