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意味不明小説(ショートショート)コミュの森の中

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そのカプセルは、年老いた老人から買った物だった。気がつくと売りつけられていたと言っても、良いかもしれない。

男はその日、ガード下のフリーマーケットで、宇多田ヒカルの「オートマチック」のレコードを見つけた。

TLCのような近未来的デザインのアルバムジャケットが懐かしくて男は、レコードを手に取った。古き良き90'sの、ポップソングだった。
男は老人に尋ねた。

「いくら?」

「2000円」
老人は言った。

「高くない?」
男は言った。

「オマケつきよ。ぶっ飛ぶやつ」

ボルサリーノハットにピンストライプシャツを着た薄汚れた老人は、自分の鼻をつねり、グイグイと揺らした。

男の去り際に老人は、彼を呼び止めた。

「兄ちゃん、ひとつだけ。誰も居ないとこじゃ、誰も居ない事が、何より正しいんだよ。忘れないようにな」

男はそのあと別の露天でウィントン・マルサリスのラテンジャズの吹き込みを見つけ、宇多田ヒカルの事は忘れてしまい、そのまま数ヶ月が経った。

*

ある日、部屋に置いてあるターンテーブルからセオパリッシュをどけ、宇多田ヒカルのレコードを取り出した。忘れ去られたカプセルが出てきたのはその時だった。紙のレコードケースから、転がり落ちて来たのだ。

男は口笛を吹いた。
そして部屋中の鍵を締めた。

まず男は冷蔵庫からチョコレートとライチ酒を持ってきて、椅子に座った。チョコレートをガリガリ噛み、ライチ酒で飲み込み、一息つく。

男はカプセルを見つめた。

時計の針の音が聞こえた。

何だろう?

やがて手にとって、それを開けた。

出処の分からないドラッグをいっぺんに飲み込むヤツは、結果的に長生き出来ない。

それを男は経験から知っていた。

ゆっくりと上下の接続を取り外し、中の顆粒の様子を見た。それは湿気を含み膨らんだカビのように醜悪だった。

慎重な手つきでカプセルを傾け、ほんの少しテーブルに落とし、小指を使って歯茎と舌の裏に塗り込んだ。 苦かった。DSTかもしれないな。

男はライチ酒で苦味を流し込んだ。

*

ということはつまり、

男は思った。

結局あの日以来、一度も「オートマチック」はかけなかったのだ。

そういうコトはよくあった。

男はレコードを買っただけで満足していたし、確かに、男の部屋にはレコードが大量にあった。しかしそれ自体に大きな意味は無かった。誰かからレコードを買ったことで、空間のある地点にあった音楽が、男の部屋という、また別の地点に移動した。

つまり、それだけの話だ。

その他のあらゆる物を男は所有していたし、あるいは仮にそうでは無かったとして、それを気に病む事は無かった。
しかしこと音楽にかけては、所有するという観念が理解出来ず、それはまた実際、不可能に思えた。もしも、音楽が実際に誰かの持ち物なのだとすれば、それはただ一人、神をおいて他に居ないだろう。

だからレコードを買うことにたいした意味は無い。音楽は時間を簡単に通過して、世界のどこへでも行く。しかし本当にどこかへ行ったりするわけじゃない。全ての楽曲は自分が生まれた場所で、生まれた時から、ただぽっかりと浮かんでいるのだ。レコードはその空間を切り取り、誰かが再生機器を使うことで、その誰にでも、その場所を再生してみせる。

音楽に対して、もとい音楽のあるこの世界に対して男はこうした、いくら他人に説明しても埒の無い、ある種霊的なセオリーを持っていた。そうして自らと世界とに、一つの取り決めを結んで、生きているのだ。

音楽とはまさに魔法であり、また良い意味で、その程度の物だった。

*

数分後、男は掃除をしていた。
何故だかわからない。やろうと思ったのだ。

男は掃除に対しても人とは異なる意見を持っていた。

まず、その最終的な着地点となるのは"綺麗な部屋"では無い。そうした、ともすればアホらしいモノでは無いのだ。

目指すべきは、空気の循環だ。
そのつもりがあるならそれは、エネルギーの循環と言ってもいい。あらゆるモノに幾何学的な配置を持たせることで、空気の流れをスムーズにしてやるのだ。 すると必然、部屋の様相は変わってくる。
それは傍目には整頓の行き届いた空間に見えるだろう。
だが実際のところそれは、もはや部屋ではなく、エネルギーの循環のために設計された、小規模ではあるが心地良い祭壇なのだ。静謐な。
まあ、見ていればいい。そう独りごちた。

*

男は、視界左のチェストから手をいれていく。
スペインの水パイプ、ボロ切れのようなジャケット、ゴミ、本、エンピツ、皿や傘、それら全てを、部屋の真ん中に積み上げて行く。

机の上のノートや灰皿や、録音機材などに関しては、地平線と平行に、または子午線の如く垂直に、完璧な間隔で並べていく。物体そのものではなく、余白に均衡を与える事が重要だ。

必要なコトは全て、向こうからやって来た。
どうすれば良いのかを男は、専門家のように心得ていた。
電気スタンドや、一区画ずつ取り外してレコードや本を収納できる白い箱や、写真の束や、ドラッグ吸引道具の入った木の小箱や、それらのものが、男に自分をどうして欲しいのか、語りかけて来る。

少しずつ男は、堰き止められ、死んでいた空間を押し開いていく。
心地よい風が部屋に舞う事をイメージしながら、身体を動かし続ける。
散らばったレコード棚に差し掛かる頃には、男はテーブルの上のカプセルを全て飲み込み、小さな歓声をあげていた。

いいぞ!男は思った。
コレは結局最初に思ったようなヤツじゃない。何か…別物だ。
しかしいい物だ。そう、確かに最初に思ったようなヤツじゃないがどうして、悪くないじゃないか。全くもって…

部屋を見渡すと、半分は整然と整って、もう半分は酷くごちゃごちゃとしていた。

まるでどこか国境の街を、上空から眺めているように、あるいは作りかけのジグソーパズルのように、半分は整然とし、もう片方には混沌があった。悪意すら感じられる混沌。

脂汗で顔がじっとりしているのに気がついた。

そのうえ、まるで古代の兵器のように、ゆっくりと部屋が、回転し始めていた。

男は点を求めて目をウロウロと動かした。すると、ニトリで買ったくたびれた椅子は三次元座標に打たれた中心点である事が分かった。

椅子にそっと腰を下ろすと、隔絶された静かな部屋の中で、手から滑り落ちたライターが椅子の足にぶつかり、ある種のリズムを奏でた。

男はクスリと笑った。

部屋の掃除を再開する前に少し休む事にして、目を閉じた。

*

男は森の中にいた。
青。
他に何も無い青。緑。原始の植物。それらは生きていた。黒い空。ふと見まわすと、傷口のように花が咲いてピンク、赤、紫が揺れていた。

花の造形は卑猥としか言いようが無かった。その目的や象形、蜜や、寡黙さや、何もかも。
空に浮いていた。男はしたい事が何も無かった。思い浮かぶ物は全て、必要無い物に感じた。今は、待つべき時だった。あるいは自分から探しに行くべき時だった。全てが順に、拡散していった。愚かにも次元に留まる物質は男だけだった。

そうしたことはあまり良く無いことに思えたから、男は森から出ようと三億分の一秒を旅し、従って再び森に居た。その間に何かどうでもいいことがあったのか、感覚の半分程が焼けついたように思えた。しかしそれよりも今、森の少し先の方、背中を向け佇む人影が見えていた。

男はその人影に近づいていった。

歩くうちに分かった。あれは俺だ。それに気づくと、愉快な気持ちになった。してみると俺はまるで光だ。輝くより前に、闇から生まれでたばかりの光。
そいつ、いや、俺は森の中、ぼんやりと佇んでいた。何かとんでもない間違いを犯していると脳が警告した気もするが、その声はとても小さかった。男は歩く。

やがて自分自身の後ろ姿にたどり着くと、そいつは地面から生えているように見えた。少し不思議に思いながら男は、そいつの肩に手を置いた。その瞬間、誰かに肩を叩かれた。

男は振り向いた。

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