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意味不明小説(ショートショート)コミュの六花(前編)

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 冬が嫌いだと彼女は言った。
「春も嫌い、夏も嫌い、秋も嫌い。冬はもっと嫌い」
 霜柱を踏んでいくみたいに、ひとつひとつ指折り数えて、粉雪はそう言った。
「季節があると、不安になるの」
「如何して」
 私の掠れた声は、雪の舞う空気に白く凍って消える。
「……終わっちゃうって、思うから」
 長い睫毛を伏せて、粉雪は悲しそうに呟いた。その小さな言葉はワルツを踊るみたいに冬の空気に消えた。
「トンネルには必ず出口があるように、始まってしまったら終わりがあるの。新しい季節が始まるたびに、私はその終わりを想うの」
 粉雪の吐く息は白く濁りはしなかった。体温が低い所為なのか。
 ダッフルコートの襟元をきゅっと押さえて、
「葉桜は――」
 私の名前を、粉雪が呼んだ。なに、と返事をすると、すぐ目の前に彼女の顔があった。どこまでも白く、陶磁器のような肌。降り続く雪を少しだけ被った髪の毛。ふわふわした毛先が、肩口でカーテンのように靡く。
「葉桜は、冬は好き?」
 黒真珠のような瞳が、じっと私を見上げる。
 舞い落ちる雪の欠片が、私たちの間に降る。沈黙が積もる。
 潤んだ瞳の粉雪の頬にそっと触れる。ひんやりとした感触が指先に伝わる。その頬が朱に染まるのを確認して、私は言った。
「冬は嫌いだよ」
 粉雪の次にね。


「明日は雪かな」
 ある日の晩、夕食のハンバーグを食べていると、横に座った粉雪が言った。背中にかかるくらいの黒髪を揺らして、
「今日、すごく寒い。明日は雪かな」
「食べながら喋らないの」
 私の注意を聞いているのか聞いていないのか、いや、きっとこれは聞いていないのだけれど、彼女はしきりに口を動かしている。
 雪だったら、学校お休みかもね、とお母さんの、粉雪に似ている声が賛同すると、彼女はぱあっと笑顔になる。
 そんな期待をするだけ無駄だろうに。どうせ、朝になったら雪なんか積もっていなくて、普段どおりに学校に行かなければならないのだ。
 だったら、初めから期待なんてしない方が良い。期待はとても甘くて縋りたくなるけれど、裏切られた時、辛いから。
「お母さんも、お仕事お休み?」
 粉雪の甘ったるい声を聞きながら、ハンバーグに切れ目を入れる。ケチャップで味付けした、我が家特製のハンバーグだ。
 お母さんの仕事は雪が降ったくらいではお休みにはならないらしい。電車が止まったら話は別なのだろうけど。ごめんね、と謝るお母さんに、粉雪は不満げに頷いた。
「粉雪、あんまり我儘言わないの」
「わがままじゃ、ないもん」
 むっと頬を膨らませる粉雪。けれど、お母さんは、
「良いのよ、葉桜」
「でも……」
「良いの」
 そうきっぱりと言った。なんだか、私が悪者みたいじゃないか。
「なるべく早く帰ってくるわ。お父さんの、命日だもんね」
 そうだ、明日はお父さんの命日なのだ。
 その言葉に、胸がぎゅうっと締め付けられる。残りのハンバーグを勢いよく胃に収めた。


「葉桜」
「なに」
 お風呂から上がると、部屋の前に粉雪がいた。
「次、あんたの番だから。早く入っちゃいなよ」
 そう言うと、粉雪はふるふると首を振った。いつまで経っても子供っぽい粉雪。同じ中学一年生とは思えない。
「話があるの」
 けれど、今だけはちょっと真面目な顔。何か悩み事かな。私に言わないでお母さんに言えば良いのに。そう思っても、口には出さない。彼女にとって、血の繋がった家族は、この家にはいないのだから。
「入って」
 部屋のドアを開いて、粉雪を招き入れる。彼女をここに入れるのは、いつ以来だろう。中学生になってからは初めてかも知れない。
「あのねっ」
「落ち着きなよ。そこ、座って良いから」
 勢い込んで話し出す粉雪を制して、椅子を勧める。代わりに私はベッドに腰掛ける。身体が沈み込む感触が、今は少し不快だった。
 それで思い出したわけではないけれど、中学校に上がる前にはもう粉雪のことが嫌いだった。彼女の性格がどうのこうのじゃない。ただ、嫌い。同じ家の中に異物が入り込んでいると、そう思うようになってしまったのだ。
 あるいは。
 そこまで考えてひやっと心が冷たくなる。
「あのね、葉桜」
「な、なに」
「明日ね、もし雪で学校がお休みだったら……」
 なんだ、またその話か。粉雪は学校嫌いではないと思っていたのだけど。
 それとも、雪が降るということに浮かれているのか。彼女の精神年齢から鑑みれば、否定しきれない。
「二人で、夕ご飯を作ろうかな、って……」
 はにかむ粉雪に、私は疑問符を浮かべるしかない。如何して、夕ご飯? お昼じゃなくて?
「お母さん、いつもお仕事大変だから。その、お父さんの命日くらいは、楽させてあげようと思って」
 粉雪が「お母さん」、「お父さん」と言うたびに、心をフォークで突かれているような不快感が込み上げる。粉雪の本当の両親はとっくに死んでしまっている。粉雪のお父さんは私の伯父に当たる。その妹が、私のお母さん。色々とあって、結局、うちで粉雪の面倒を見ることになったのだ。
 だから、彼女が私のお母さんとお父さんの話をするのを聞くだけで、厭な気分になる。粉雪のお母さんじゃない、って何度言ってしまおうと迷ったことか。
 そんなことを考えている自分に、また嫌気がさす。気持ち悪い。自分って、最悪だ。
 本当は、粉雪のことが嫌いだなんて、嘘なのかも知れない。彼女を厭だって感じてしまうこの気持ち、私自身が嫌いなんじゃないのかって、最近気づいた。厭だな。
「ね、良いアイディアだと思わない、葉桜?」
 目をきらきらさせている粉雪は、私のことをじっと見つめる。その無垢な視線に、私は耐えられない。心の奥底のどろどろとした黒い部分を見透かされてしまっているようで、怖い。
「うん、そうだね」
 生返事でそう返す。確かにそれは素敵なことだと思う。
「やった。じゃあ、明日雪がたくさん降りますように。そして、お母さんにめいっぱい喜んで貰えますように」
 胸の前で両手を組んで目を閉じる粉雪に合わせて、私も同じ格好をとる。目をぎゅっと閉じて、瞼の裏側を見つめて、彼女の願いとは全然違うことを妄想する。
――お母さんが、私だけのものになりますように。




 翌日、寒さで目が覚めた。カーテンを開けると、外の景色は真っ白だった。
「雪、降ったんだ……」
 そうひとりごちて、ひとつくしゃみをした。
 学校は休みになるのだろうか。昨日の粉雪の言葉が蘇る。
――二人で、夕ご飯を作ろうかな、って……。
 お母さんにはとても良いプレゼントになるだろう。メニューを考えなくちゃ。冷蔵庫の中身を確認してからでも良いかな。
 知らず、粉雪の発言に賛同して気持ちが高ぶっている私がいた。どうせ雪なんて積もらない、学校は休みにならない、なんて思っていたのに。いざ目の前に純白の街並みを見せ付けられると、否が応でも期待してしまう。
 お母さんの作った朝ご飯を食べていると、電話が鳴った。連絡網だ。
『もしもし、戸塚といいますが、名雪さんのお宅でしょうか』
 受話器からは同じクラスの戸塚さんの声がした。いつもと違って緊張して上擦っている。誰が出るか解らないから、電話はあまり好きじゃない。息継ぎのタイミングが難しい。
「あ、私。葉桜」
『なんだ、葉桜か。おはよう』
 ほっとしたのか、戸塚さんはいつもの口調に戻った。
『連絡網でね、今日、学校はお休みだって。雪、これから強くなるらしいから』
「うん、解った。ありがとね」
『……なんか、鼻声。大丈夫なの』
「え、そうかな」
『そうだよ』
「朝、寒かったからかも」
『どうせ寝相が悪くて布団から出ちゃってるんでしょう』
「そんな子供みたいなこと……」
 あるけど。
『ま、今日は外に出ないで早くその風邪、治しなさいよね』
「うん、ありがと」
 窓の外をちらと見ると、白い羽毛のような雪が、ひらひらと舞っていた。これからひどくなるのが、嘘みたいな美しさだった。


「今日、学校お休み」
 朝ご飯を終えた粉雪が、ソファに転がっている。
「いくら休みだからって、パジャマくらい着替えなさいよ」
 淡いピンク色をしたパジャマは、ひどく子供っぽいので、粉雪には似合っているのだけど。
 お母さんはいつも通り仕事があるので、出かけていった。家の中には私と粉雪だけ。テレビのワイドショーが各地の雪の景色を映している。普段はこの時間にテレビなんて見られないので、新鮮だ。
「夕ご飯どうしよっか」
 ソファの上でクッションに埋もれた粉雪が、ぼんやりと天井を見上げて呟く。そうだった。お母さんへのプレゼント。
「その前にお昼のことも考えないといけないんだけど」
 勿論、夜のこともあるのだけど、さし当たってはお昼だ。あるもので済ませて、とお母さんは言っていたから、自分たちで作らないといけない。
「冷蔵庫にあるもので作らないといけないんだけど……」
「夜の分の材料がなくなっちゃうよ」
「買いに行くしかないね」
「これから雪、ひどくなるんでしょう?」
 そうだった。だったら早めに行かなければ。今から行けば、開店時間ぴったりくらいだし。
「それよりもまず、何を作るか決めないと」
「葉桜、それはちょっと違うよ」
 上半身だけ起き上がった粉雪が、いっそう真面目な顔で私を見る。ぴんと人差し指を立てて、
「何が作れるか、だよ」
「ああ、そうね」
 料理の本もついでに買ってこようと胸に誓った。


 外は家の中の何十倍も寒い。風が出てきて、目の前があまり見えない。私も粉雪も同じようにコートと手袋とマフラーで完全防備。粉雪のピンク色のマフラーが、生きているみたいに動く。
「うひゃー!」
 一人楽しそうな粉雪は、吹雪の中でじたばたしている。走ったら転ぶぞ。
「わぷっ」
 転んだ。
「ああ、もう。何やってんのよ」
 駆け寄って手を差し伸べる。灰色のダッフルコートはいよいよ雪まみれで、野兎にしか見えない。
 ひんやりとした粉雪の手を握って、抱き起こす。
「雪って、冷たいね」
 ぶるぶると頭を振って、雪を払いながらしみじみ呟く。それはそうだろう。氷なのだから。
「冬を目で見えるようにしたかったから、雪が生まれたんだって」
「なにそれ」
「こないだ本で読んだの」
「ふーん」
 曖昧な返事しか出せない。冬を目で見えるようにして、誰が嬉しいのか。私にはそれが解らない。だったら、もっと別の目に見えないものを見てみたい。例えば、愛情とか友情とか。そういった綺麗な言葉で表現されるものを。
「だからね、雪がこんなに積もっているとなんだか嬉しいんだ」
 粉雪は笑って、鼻水を啜る。私の風邪が移ったのだろうか。彼女の可愛らしい鼻のてっぺんはほんのり赤く染まっている。
「普段見えないものが見えるのは、嬉しい」
 そう言って粉雪は空を仰ぐ。私もつられて上を向く。ねずみ色の空からは次から次へと雪が降りてくる。それは本当に冬が形を得て、落ちてくるみたいで。
「粉雪ってさ、冬が好きなの?」
 そんな質問をしてみる。声を出すと、口の中に雪が入ってきてひんやりする。舌の上ですぐに溶けてしまう冬の欠片。
 粉雪を見やると、目が合った。くりくりした黒い双眸が、白い肌に映える。
「嫌いだよ」
 あまりにも、あっけなく。
 冬が嫌いだと彼女は言った。




 冬は寒いから苦手。
 夏は暑いから苦手。
 春は花粉が飛ぶから大嫌い。
 秋は、好きだ。涼しいから。
 一年のうちに季節というものがない国もあるそうだ。日本は四季がはっきりしている。私は秋だけの国に生まれたかったなぁ、と降り続く雪を見上げて考えた。
 店内にほどよく効いた暖房のお陰で、窓の外の雪を見ても寒さなど感じない。
 目についた料理の本を手に取って、私はそれでもページに映ったハンバーグを見るともなしにぼんやりとする。隣でしゃがみこんで本を物色している粉雪が少しだけ恥ずかしく思えても、今は許そうと思ってしまう。
「葉桜ぁ」
 本が平積みされている台に顎を乗せた粉雪が、やる気のない声で私を呼ぶ。
「なに」
「いいの見つかった?」
「うーん」
 あまり真剣に考えていなかった手前、咄嗟の返事に窮してしまう。
 たまたま開いていたページには美味しそうなハンバーグの写真が一枚。材料と手順が載っているシンプルな本だけど、初心者には解りやすい気もする。なにより、
「ハンバーグ」
「お」
「いつもお母さんに作って貰っているから。私たちのハンバーグも食べて貰いたいよね」
 両目を輝かせた粉雪が立ち上がり、ぐっと身体を寄せてページを覗き見る。彼女の甘い匂いがして、雪で湿った髪の毛の先が揺れるのを感じた。
「あ、でも、昨日もハンバーグだったから、お母さん嫌がらないかな」
「いいじゃん、いいじゃん。今日は私たちで作るんだから、大丈夫だよっ」
 そう言われると、自分でもなんだか名案のように思えてくるのだから、私は本当に単純だ。
 早速その料理の本を買い、お店を後にする。とりあえず、スーパーに向かえば良いだろう。お母さんといつも行くイゼキマーケットを目指す。私の後ろを、本屋さんの紙袋を大事そうに胸に抱いた粉雪がとことことついてくる。
「次はどこ行くのー」
 後ろを振り返ると、だいぶ彼女との距離があいてしまっていた。真っ白な雪を孕んだ冷たい風が吹く。
 粉雪が目を擦りながら、
「イゼキ?」
「そう。材料、買わなくちゃ」
 家に帰る向きと少し違ったから、察しがついたのだろう。
 少しだけゆっくりとしたペースで歩いてみると、粉雪と肩が並んだ。なんだかんだで、彼女が隣にいると安心するのだ。やっぱり、私は単純だ。
「雪が降っていると、綺麗だよね」
 ふとそんな言葉が口を突いて出た。なんだか、こんなことを言うのは本来なら恥ずかしいのだけど、今日は特別な気がした。雪が降っていて学校がお休みで、そして朝早くから粉雪と出かけている。
「綺麗、だよね」
 マフラーにすっぽりと顔を埋めていた粉雪のくぐもった声が、雪と共に降る。
「ねえ、葉桜。人が見たら死んでしまう絵って、何だと思う?」
 唐突に。雪が降り続いているところに、いきなり槍でも降ってくるかのように。粉雪の冷えた言葉。
 冷たい空気は縮まってしまうらしい。反対に暖かい空気は膨張するそうだ。粉雪の言葉は前者。ひどく冷たい感じがするのだ。それ故に、普通は会話が広がりづらい。縮こまってしまうのだった。
 でも。
「呪いの絵ってこと?」
 不意の質問に、こちらも疑問符で返す。私がこうやって返事をしてあげれば、暖かくなるのではないか。会話が膨らむのではないか。目には見えない“言葉”というものが寒さに震えないように願った。
 閑話休題。
 呪いの絵と答えたのは、まったく無意識のうちだったのだけど、的を射ているようにも思えた。見たら死ぬということは、よっぽどの曰くつきだ。作者が絵を描いている時に亡くなったとか、そんな感じの。未完のままの絵が心残りで、その絵を見た人たちを祟る。ありきたりなホラー映画にありそうだ。
「呪い、とはちょっと違うかな」
 しかし、粉雪は可愛らしく小首を傾げた。目元が笑っていない。そのアンバランスさが、少しだけ怖い。いつも以上に白い彼女の頬は、真っ白なキャンバスのように、色づくのを待っている。
「その絵を見るとね、みんな死んでしまうの……」
 粉雪は睫毛を伏せて、鎮魂歌でも聴くように、唇だけ動かした。
「その絵のあまりの美しさに」
 美しさで人が殺せるのだろうか。
「そんなことって」
「勿論、例え話だよ。でも、世界で一番美しい絵を見たら、私は死んじゃうと思うんだ」
「如何して? もうこれ以上綺麗なものに出逢えないって、不安になるから?」
「ううん、違うよ」
 首を横に振る粉雪に、私は尋ねる。
「じゃあ、何よ」
「自分の醜さに気がつくからかも、ね」
 そう言って微笑んだ粉雪は、まるで一枚の絵のように美しかった。
「もうね、きっと……そう」
 その声は音楽の授業のようだった。歌い始め。悲しい曲。旋律。ピアノの音。そういったイメージの奔流が頭に流れ込んでくる。
「もう、死んでも良いかなって、そう思えるんだと思うの」
 粉雪は笑っている。こんな笑顔で死ぬことができるのなら、それは幸福だ。
「だけどそれは『死にたい』じゃないの。『生きていたくない』という否定形で語られるべきなの」
 彼女の言葉は時折、難解だ。誰が書いたか判らない詩集のページをばらばらにして、繋ぎ合わせたものを読まされている気分になる。
 死にたい、という欲望とは違う。生きていたくない、という諦めに似た、世界を、自分を、否定する気持ち。言葉でうまくは言えない。言ってしまったらその場で脆く崩れ去ってしまうだろう。そういった、説明のつかない気持ちが、私の中で渦巻いていた。


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