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日蓮原理主義を破折する会コミュの法華経方便品第二から律、禅を考察する

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法華経方便品第二から謗法について考察する。


妙法蓮華経方便品第二 現代語訳

『〜省略〜』

仏は、舎利佛にお告げになった。
や、例え話や、優しい言葉をかけることや、衆生を導くのに臨機応変の手だてを用いる智慧の働きなどをもって、衆生のために教えを説くのだ。

舎利弗よ、このようにするのは、生きとし生けるもの全てが、区別なく仏の悟りに到達することができるようにする教えの、万物が本来は空であって平等・無差別であることを知るとともに、現象として出現する諸相をすべて知る、仏の最高の智慧を得させようとするためなのだ。

舎利弗よ、十方世界の中には、これ以外に第二の教えなどないし、まして第三の教えなどないのだ。

舎利弗よ、諸々の仏は、五濁の悪世にお生まれになられる。五濁とは、時代の濁りである劫濁、煩悩が増長する煩悩濁、衆生の資質が低下する衆生濁、思想が濁る見濁、衆生の寿命が短くなる命濁である。

このように、舎利弗よ。長い間世の中が乱れているときは、生命のあるものすべての心がひどく汚れ、物惜しみをして欲張りで嫉妬深い、

諸々の悪い報いを招くもとになる行為を、仏の悟りに到達させるために、諸々の仏は、衆生を導くのに臨機応変の手だてを用いる智慧の働きにより、本来は全ての人々が佛に成れると説くところを、声聞乗、縁覚乗、菩薩乗の三乗があり、声聞乗と縁覚乗は成仏できず、菩薩乗のみが成仏できると説いたのだ。

舎利弗よ、もしもわたしの弟子で、自ら仏道を完成し、これ以上に学ぶ要がない阿羅漢であるとか、師なくして独自にさとりを開いた辟支仏であると言う者があれば、

諸仏や如来が、ただひたすら仏道を求める修行者を教化されたことを聞かず、それを知らないならば、このような者は仏の弟子ではない、阿羅漢でもなく、辟支仏でもない。

また舎利弗よ、このような諸々の出家した男子と出家した女子は、自分自身でわたしは阿羅漢になったとか、わたしは煩悩を絶った心の生命の拠り所としての肉体であるとか、最上絶対の悟りの境地を得たと言う。

そしてまた、一切の真理をあまねく知った最上の智慧を、志し求めることを止めてしまうのだ。

今当然知るべきである。このような者たちは、みな悟りの域に達していないのに、既に悟っているという自惚れの心を持つ者だ、

理由は何故かというと、もし出家男子が、本当に阿羅漢となって、もしこの教えを信じないというならば、そのようなことはありえないからだ。

仏がこの世を去られたあと、仏がこの世にすでにいない場合を除く。

理由は何故かというと、仏がこの世を去られたあと、これらの経の教えを銘記して忘れず、読み、節をつけて唱え、その意味を理解する者は、なかなかいないからである。

もし別の仏に会えるならば、その教えの中において、悟ることができるであろう。

舎利弗よ、おまえたちはまさに一心に信心し理解して、仏の言葉を受けとめてそれを心に刻みなさい。諸々の仏や如来の言葉には、嘘偽りはない。

これ以外に教えなどなく、生きとし生けるもの全てが、区別なく仏の悟りに到達することができるようにする一仏乗の教えしかないのだ。

その時に、世尊は、重ねてこの意義を述べようとして、詩を説いて言われた。

出家男子出家女子で 悟りの域に達していないのに、既に悟っているという自惚れの心を持つ者

在家信士で自分に執着することから起こる慢心を持つ者や 在家信女で信じない者

このような出家者や在家者の男女たち その数は五千人いる

自らその過ちに気づかず 戒めを欠いており

その欠点を守り隠している このような小智の者たちはすでに退出してしまった

この者たちは酒かすと米ぬかのようなつまらない者である 仏の人を畏服させる威厳と、人を心服させる徳によって去ったのだ

そのような者たちは福徳が少なく この教えを受けるに値しない

今ここにいる衆は枝葉がなく 精神が定まって動くことはない

舎利弗よ、よく聴きなさい 諸仏が得られた教えは

数限りない衆生を導くのに臨機応変の手だてを用いる智慧の働きを用いて 生命のあるものすべてのために説かれたのだ

生命のあるものすべての心に念じるものと 種々に行ずる道と

若干の諸々の欲求と性質と 前世から背負ってきた身・口・意によって行われる善悪の行為などを

仏はこれらをことごとく知り抜いて いろいろな縁や例え話をし

優しい言葉や衆生を導くための臨機応変の手だてを用いて 全てを歓喜させるであろう

あるいは散文で教理を説いた契経(かいきょう) 仏徳を賛嘆し教理を述べる韻文に旋律をつけた伽陀や仏の弟子の過去世や前世における由来

釈迦の前世の善行を伝えた物語や奇跡を説き また物事の内的原因や外的原因

たとえ話や韻文詩の祇夜や 教説を解説した優婆提舎経(うばだいしゃ upadeza उपदेश)をお説きになる

鈍重で愚直であり自己の悟りを第一とする小法を楽しみ 人の生き死にに執着し

諸々の数限りない仏に於いて 奥深く優れた仏道を行じることもなく

多くの苦しみに悩み混乱させられる このために煩悩の火を吹き消す涅槃を説かれるのだ

わたしはこの衆生を済度に近づけるための巧みな方法を用いて 仏の智慧の世界に入ることを得させる

未だ嘗て、おまえたちが きっと仏道を成すことができるに違いないと説いたことはない

今までそれを説かなかった理由は まだ説くべき時期が来ていなかったからである

いまが正しくそのときである 決心して衆生が仏の悟りへ到達できるための教えを説く

わたしが、嘗て説いてきた九部の法は 人々の能力に合わせ解りやすく説いた

衆生の平等な救済と成仏という悟りへ到達させるための基本となるためのものだ そのためにこの経を説いたのだ

仏の弟子であり心が清らかで 柔軟でありまた敏感な五感をもち

数え切れないほど多くの仏の所で 言葉で表すこともできず思慮の働きも及ばぬ道を行じる者がいる

この諸々の仏の弟子のために この衆生が仏の悟りへ到達できるための教えを説く

わたしはこのような者は 必ず来世において仏道を成ずると保証する

深く心に仏を念じ 清浄な心を持って戒律を守り修行するためである

この者たちは、仏に成ることを得ることができるであろうと聞いて 大きな喜びに満ち溢れた

仏は彼らの心や行いを知っている そのために仏の悟りへ到達できるため大乗の教えを説く

自己の悟りのみを求める修行者もしくは悟りを求める修行者は わたしの説くところの教えを聞き

あるいは一喝でも聞くならば みな成仏すること疑いない

十方にある仏の国土には ただ一切衆生を乗せて仏の悟りへと運ぶ教えのみがある

二乗三乗の教えなどない ただし仏が、方便で説く衆生を済度に近づけるための巧みな方法は例外である

ただこのような仮の名前を用いて 全ての生命のあるものすべてを仏道に導かれるのだ

仏の智慧を説こうとするためであり 今まで過去に諸仏がこの世にお生まれになったのは

唯このこと一つだけのためであり 他の二つの教えはすなわち真実ではないのだ

結局、個人の解脱を目的とする小乗の教えでは 生命のあるものすべてを、仏の悟りへ導くことはできない

仏は自らを全ての衆生を悟りへ導こうとする大乗という境地に留まっている 仏が得た教えのように

互いにかかわり合って仏道を成就させる関係にある禅定と智慧の力で身を飾り この教えによって生命のあるものすべてを仏の悟りへ導かれる

わたしが自らこの上ない道と 全ての衆生を悟りへ導こうとする大乗という平等の教えがあることを証明したにもかかわらず

もしも、自己の解脱のみを説く小乗の教えをもって教化することを わたしがたとえ一人にでもするならば

わたしは物惜しみをして欲深い慳貪の罪に落ちるであろう このようなことは決してない

もしも、人が仏を信じ帰依すれば 如来は人を欺いたりたぶらかしたりはしない

またむさぼりやねたみの意思もない 諸々の行いの中の悪を断じられている

そのために仏は十方の世界において ただ一人畏れる所はない

わたしは眉間から光を放つ白毫相をこの身体に具現化し 光をはなち世間を照らす

数え切れないほどの人々に尊ばれ すべてのものを存在させ動かしているただ一つの教えを説く

舎利弗当然、知るべきである わたしは誓いを立て、成就するように願って

全ての人々を わたしと同じ境涯まで高め異なることがないよう欲したのだ

わたしの昔の願いのように 今はすでに満足した

全ての生命のあるものを教化して みなを仏道に導きいれた

もしわたしが生命のあるものすべてに会うならば 全てを教えるために仏道をもってする

無知な者は錯乱し 迷い教えを受けようとはしない

わたしは知っている。このような全ての生命のあるものは 未だかつて全ての存在のありのままの本当の姿を知らないことを

財欲・色欲・飲食欲・名誉欲・睡眠欲の五欲にこだわり変えようとせず おろかな愛欲のために悩みを生じている

諸々の欲の内的原因と外的原因によって 地獄、餓鬼、畜生といった三悪道へ堕ちるのだ

地獄、餓鬼、畜生、修羅、人間、天上の六趣の中に生まれたり死んだりを繰り返し ことごとく諸々の苦しみや苦痛を受ける

受胎する時すでに過去の業をすべて背負っており 生まれ変わる度に悪業を積むならば、その悪業は生まれ変わる度に増長する

人徳が薄く福徳が少ない人として 多くの苦痛や危険が身に迫ってくる

因果の道理を無視する誤った考え方や煩悩がしきりに起こり 若しくは有情としての存在、若しくは無に等しい不安定な状態に陥る

このような諸々のものの見方に依存しそれを頼みとし 六十二にも及ぶ間違った外道の思想を身に付ける

深く虚妄の教えに傾倒して これを固く信じて捨てようとせず

自己満足してそれを誇りにして 心が捻じ曲がり真実味がない

千万億劫という長い間において 仏の名や教えを聞かない

また、仏の説く正しい教えを聞こうとしない このような人は諭すことは難しい

このような理由から舎利弗よ わたしは諭すために巧みな方法を用い

諸々の苦難の道を説き これを示すために涅槃をもってする

わたしが涅槃したとしても それは真に滅するのではない

この世に存在する有形や無形の一切のものは本来 生滅変化を超えた真実そのもので絶対究極の存在なのだ

仏の弟子が仏道を修行し終えて また次に生まれてくる来世に仏と成る機会を得るであろう

わたしには衆生を導くのに臨機応変の手だてを用いる智慧の働きがあり 声聞、縁覚、菩薩の三乗それぞれに解るように異なった教えを説いて聞かせた

今まで過去においてお生まれになった全ての世尊と呼ばれた方々も みな全ての衆生が区別なく仏の悟りに到達する一乗の道をお説きになった

今ここにいる諸々の大衆は みな疑いや困惑を当然捨てるべきである

諸々の仏の言葉は異なることはない ただ一つの教えのみがあり、声聞乗と縁覚乗に説いた教えは方便であり二乗はない

想像を絶するほどの過去の時間から 数え切れないほどの多くの仏が生死の苦を滅してさとりの世界に渡った

百千万億であり その数は数え切れない

このような諸々の世尊も 種々の因縁や例え話

数え切れないほどの衆生を導くのに臨機応変の手だてを用いる智慧の働きを使って この世に存在する有形や無形の一切のものの有様を演説した

この諸々の世尊と呼ばれた方々も みな一切衆生を乗せて仏の悟りへと運ぶ一乗の教えをお説きになった

数え切れないほどの生命のあるものすべてを教化し 仏道へお導きになった

また、諸々の大聖主は 世の中一切の

天人と人と生き物全ての 心の深いところにある欲望を知り尽くし

さらにそれぞれに異なった教え導き悟りに近づけるための巧みな方法手段を用いて 究極の真理である第一義を明らかにすることを助けた


★【もしも生命のあるものすべてが 前世において諸々の過去の仏に会い

もしも教えを聞いてお布施をし あるいは※『戒律や戒めを守り』、さげすまれても耐え忍び

雑念を去り仏道修行に専心し、※『精神統一』や全ての物の違いを見分ける力など いろいろな福徳を修養したならば

このような人々は 皆既に仏道を成就している

諸仏が苦しみの根元である我執や煩悩を滅して、悟りの世界に度ってしまった後、もし人が善い柔軟な心を持っているならば、

このような諸々の人々は 皆既に仏道を成就している

諸仏が悟りの世界に度ってしまった後 仏の骨を供養する者は

万億というたくさんの種類の塔を立てて 金銀や水晶

しゃこ貝と瑪瑙 ルビー、瑠璃、朱によって

清浄に荘厳に飾った 諸々の塔を建立し

またあるものは石廟を建て 香木の栴檀や沈水香

シキミやその他の材料 たとえば瓦などを使って造り

または何もない荒野において 土を積んで仏廟を建立し

またたとえ子供が遊びで 砂を集めて仏塔を造ったとしても

このような人々は 皆既に仏道を成就している

もしある人が仏のために 諸々の仏像を建立し

彫刻してさまざまな特徴を成したとする 皆既に仏道を成就している

あるいは七宝を用いて 鍮鉐(ちゅうせき:真鍮、黄銅)、赤白銅

白鑞(びゃくろう:スズに鉛を少し混ぜた合金)および鉛と錫 鉄と木および泥

あるいはにかわと漆と布で 荘厳に飾り立て仏像を建立する

このような人々は 皆既に仏道を成就している

絵を描いて仏をかたどり 百福荘厳の姿を描き

自らも描きまたは人に頼んで描かせる 皆既に仏道を成就している

または子供が遊びで もしくは草木や筆で

あるいは指先の爪や甲を使い 描いて仏をかたどる

このような人々は 段々と現世や来世に幸福をもたらすもとになる善行を積んで

人の悲しみを取り除きたいという大きな心を持ち 皆既に仏道を成就している

ただ諸々の仏道修行者を教化し 数え切れないほどたくさんの人々を迷いの世界から脱するように導く

もし人が塔廟 宝像、仏画や仏像を

花、香、のぼり旗と傘によって 敬う心で供養し

もしくは人に音楽を奏でさせ 太鼓を打ち角貝を吹き

しょうの笛や琴やハープ 琵琶、ドラを鳴らし

このような人々の奏でる妙なる音を ことごとく持ち寄って供養し

または歓喜の気持ちを持って 歌い仏の徳を讃えるならば

たとえ一つの楽器によるものであっても 皆既に仏道を成就している

もし人が心に乱れを持っていても 一輪の花を持って

仏画や仏像を供養すれば 徐々に無数の仏を見ることができる

あるいは人が仏を礼拝し あるいはまたただ合掌し

ないしは一つの手を掲げ あるいはあまた少し頭を下げて

これによって仏像に供養すれば 徐々に無数の仏を見ることができ

自らこの上ない道を成就して 広く数え切れない人々を悟りの境地に導き

煩悩を断ち分別を離れ肉体をも滅しつくした悟りの境地に入ること まるで薪が尽きて火が消えるときのようだ

もし人が心に乱れを持っていても 仏塔や仏廟に入り

一度でも仏に帰依すると唱えれば 皆既に仏道を成就している

諸々の過去に出現された仏の 現在あるいは滅後において

もしこの教えを聞くことがあれば 皆既に仏道を成就している

未来の世に出現される諸々の世尊と呼ばれる方々は その数は量り知ることができないほど多い

この諸々の如来たちも また衆生を教え導き悟りに近づけるための巧みな方法手段を用いて教えをお説きになる

全ての諸々の如来は 数え切れないほどたくさんの衆生を教え導き悟りに近づけるための巧みな方法手段を用いて

諸々の生命のあるものすべてを迷いの世界から救い 煩悩に穢されていない仏の智慧に入れさせる

もしも、教えを聞くことがある者は 一人として成仏しないものはない 】★

諸々の仏が心から誓いを立て成就するように願うのは わたしの行う仏道を

あまねく生命のあるものすべてに また同じようにこの道を会得させようと願うからである

未来の世に出現される諸々の仏は 百千億であり

無数の諸々の仏の教えを説くであろうとしても それは実は一切衆生を乗せて仏の悟りへと運ぶ一乗の教えのためなのだ

諸々の仏、両足を具えている人間の中で最も尊い者よ 教えは常に実体がないのだ

仏になる種は外的原因によって芽を出すと知らしめる このために一切衆生を乗せて仏の悟りへと運ぶ一乗の教えを説くのだ

この教えは存在のあるがままの姿に留まって 世の中のそのままの姿は常に留まっている

ありとあらゆる場所がわたしたちにとって真理を教えてくれる道場であると教え終えて 仏はそれを衆生を教え導き悟りに近づけるための巧みな方法手段でお説きになる

天人や人が供養し奉っている 現在の十方の仏は

その数はガンジス川の砂粒の数のように多く この世に生まれ出ている

人々を安心させ穏やかにするために またこのような教えをお説きになる

第一に煩悩を離れ悟りの境地に入ることを知らしめて 衆生を導くのに臨機応変の手だてを用いる智慧の働きを用いたために

種々の教えの道を示したといっても それは実は生きるもの全てが区別なく仏の悟りに到達することができるようにするためなのだ

生命のあるものすべてのいろいろな行い 心の奥深いところに持っている思い

前世での身・口・意によって行われる善悪の行為 欲望、性質、知恵に裏づいた努力

および諸々の生命活動や感覚の原動力の賢愚を知りつくして 種々の内的原因や外的原因を

たとえ話や易しい言葉を使って その場の聞き手に応じて巧みな方法を使いお説きになる

今のわたしもまたこのようにしている 生命のあるものすべてを平安で穏やかにするために

いろいろな仏の教えを示して 仏道を述べ伝える

わたしの物事をありのままに把握し、真理を見極める認識力によって 人々の性質や欲望を知り

巧みな方法で諸々の仏の教えを説いて 人々に歓喜することを得させる

舎利弗よ。当然知るべきだ わたしは自他を超越して仏の立場から見る目を使い観察し

地獄、餓鬼、修羅、畜生、人間、天上の六つの世界にいる人々を見てみると 心が貧しく苦難していて幸福や悟りがない

生まれては死んでゆく険しい運命の道にはいり それの繰り返しを引きずり何度生まれ変わっても苦労が絶えない

財欲・色欲・飲食欲・名誉欲・睡眠欲に深く執着するのは まるでヤクが自分の尾を愛することのようだ

対象を追い求め執着し、自分の殻に閉じこもり めくらのように暗く見る所が無い

大いなる力の仏に 苦しみを断つ教えを求めようともしない

深く諸々の因果の道理を無視する誤った考え方に陥って 苦悩することによって苦悩から抜け出そうと願う

このような生命のあるものすべてのために 大きな慈悲の心を起こした

わたしは始め道場に座り 樹木を観てまた歩き回りながら思い

七日を三回繰り返す間において このようなことを心に浮かべてよく

『〜省略〜』

以上、方便品第二であるが、

★【もしも生命のあるものすべてが 前世において諸々の過去の仏に会い

もしも教えを聞いてお布施をし あるいは※『戒律や戒めを守り』、さげすまれても耐え忍び

雑念を去り仏道修行に専心し、※『精神統一』や全ての物の違いを見分ける力など いろいろな福徳を修養したならば

このような人々は 皆既に仏道を成就している

と、はっきり書かれている。戒律や戒めを守り、精神統一、との文言は明らかに律、禅を意味している。
また、仏像や仏画を供養したりするだけで成仏するとも書かれている。
 これから推測するに、日蓮さんが律国賊、禅天魔と言って、因縁をつけて誹謗中傷したわけだが、その文言は法華経にも反する内容である。
 さらに、日蓮さんは仏像建立、供養を謗法罪障として禁止したが、これも法華経に違背した文言である。
 時代が下って現在の日蓮原理主義者は、既存の仏教を誹謗中傷し、仏像を参拝することも絶対しないが、
それならば、あの日蓮曼荼羅は何なのか?。
 法華経の内容にも反していったい何を拝んでいるのか、といった疑問が湧いてくる。
 日蓮宗では、伝統仏教と融和しているのは、最もまともである。

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