772 Satto guhāyaṃ bahunābhichanno, Tiṭṭhaṃ naro mohanasmiṃ pagāḷho; Dūre vivekā hi tathāvidho so, Kāmā hi loke na hi suppahāyā. (1) 洞窟から出られず、多くの(迷い)に覆われ 欲にとらわれ、愚かさに沈んでいる人、 そのような人は、惑わされないことから遠くにある 世間にいて欲望を捨てることは簡単ではないから(1)
773 Icchānidānā bhavasātabaddhā, Te duppamuñcā na hi aññamokkhā; Pacchā pure vāpi apekkhamānā, Ime va kāme purime va jappaṃ. (2) 欲求に因って、生きる快楽に縛られた人々は 解脱し難い、他人が解脱させてくれないからである。 後(未来)や前(過去)を気にかける人々は これら(現在)の欲望や、前述(後と前)の(欲望)を貪る(2)
774 Kāmesu giddhā pasutā pamūḷhā, Avadāniyā te visame niviṭṭhā; Dukkhūpanītā paridevayanti, Kiṃsū bhavissāma ito cutāse. (3) 愛欲を望み、追い求め、迷乱し 物惜しみし、不正にたけた人々は (死の時の)苦しみに連れて行かれたなら、嘆き悲しむ 死した後は、いったい、どう成るのだろう(3)