1997年12月19日、IndonesiaからSingaporeへ飛行していたSilk Air 185便(B737-300型機、SV-TRF)は、乗員乗客104名を乗せて、Sumatra島のPARTY地点に向けて、高度35,000ftで巡航していた。操縦室ではDankan Ward副操縦士は食事を取っていて、Tsu Way Ming機長はトイレに立った。その後、機体が突然裏返しとなり、急降下して、Sungsang市の河口に墜落した。ATCはSingapore管制センター132.4MHzへ交信するよう指示したが、同機と連絡が取れなくなって、付近を飛行中のGaruda Indonesia航空238便に交信リレーを依頼したが、返答はなかった。 IndonesiaのNTSCから派遣されたSantoso Sayogoらは、河口に残骸を発見するものの、遺体は見つからず、事故機は川底の粘土層にめり込んだものと考えた。 事故機が機齢7か月の新造機であったので、米国NTSBのGreg FeithとEvan Byrnが調査に参加し、Silk Air Flight Training CentreのPeter MacMillanも技術協力した。MacMillanは事故機のtransponderからradarへ送られたmode-C情報から、同機は5-7,000fpmという音速超えの速度で墜落したと想定した。同機の水平尾翼が地イラク地点から東へ4km離れたジャングルで見つかり、FeithらはB737型機で以前に起こったrudder hard-overが発生した可能性を仮定した。12/24に川底からFDRが見つかり、その3日後にはCVRも回収されて、これらはNTSB本部へ送付された。また回収されたPCU(Power Control Unit)から、rudderは正常に作動していて、機体尾部は超音速のため破断したと分かった。 blackboxを解析すると、FDRは離陸34分後(墜落の1分前)に停止しており、CVRもその直後に突然途切れていた。FDRの電気回路に過電流の負荷がかかった可能性が考えられたが、その場合はCVRにfuseがpop-offするカチッという音が録音される筈である。Ming機長が席を立った直後に切れていることから、機長が故意に回路を切った可能性が考えられた。 同型機のsimulatorで墜落状況を再現してみたところ、この急降下はnose-downでthrottle全開でdivingした時に得られるものだった。水平尾翼のjack skrewは2.5unitに下げられおり、trimはfull nose-downにセットされていた。 Byrne調査官は、Ward副操縦士の心身面での異常がなかったかを検証したが、抑うつ状態を示唆するepisodeは認められなかった。他方Ming機長は乱暴な操縦で空酔い客が多発した経歴や、、特に1997年はAsia通貨危機で事故前の4年間で株式市場でmillion単位の損失を出していたことが判明した。事故が行った12/19は18年前にMing機長が空軍アクロバットteamの隊長であった際に、IMCで3僚機の隊員を失った日でもあった。NTSBはMing機長がWard副操縦士へ操縦室外へ用事を作って一人となった後、意図的に同機をdiveさせたと結論した。他方NTSCは"No evidence to explain the cause of the accident"として事故の直接原因は不明としたため、NTSBは反論して調査が終了した。