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MAYDAY メーデー!ナショジオコミュのDEADLY MISSION 国連事務総長搭乗機墜落事故

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1961年9月18日、Dag Hammarskjold事務総長らを乗せた国連チャーター機(DC-6型機)は、秘密裡にCongo民主共和国のLeopoldville空港を出発し、ほぼ東へ飛んでanganika湖まで進み、湖上を南下して北Rhodesia(現Zimbabwe)のNdola空港へ6時間半かけて向かっていた。当時北Rhodesiaは分離独立紛争が続いており、事務総長らはその調停に向かっていた。
同機はArbatina missionという名称で、Hallonquist機長38歳とLitton副操縦士29歳が操縦していたが、襲撃されにくいように飛行計画書を出さず、航空管制も最小限として、Ndola空港へアプローチしていた。同機は滑走路を目視しながらその上空を西側へ抜け、北西でBase turnをして滑走路へ着陸することとなっていた。到着予定時刻の0:20amを過ぎてもDC-6は到着せず、ATCで呼びかけても応答がなかったため、遭難したと予想された。
翌日、調停工作を取材しようとしていたjournalistらがチャーターした飛行機で一帯を捜索したところ、空港の9NM西にミリが切り開かれている地点があり、遭難機が墜落していた。搭乗者のうち36歳のHarold Jlianというsecurityオフィサーだけが瀕死の重傷で救出された。事故機の80%は焼け落ち、搭乗者の腕時計は最後の管制から3分後の0:13amに止まっていた。
Ndola周辺ではFrance製のFugar Majester戦闘機が反政府勢力の攻撃に使われており、それによる撃墜が疑われた。しかし、その吉はNdolaの北西450kmの地点にあり、戦闘機の攻撃範囲が419km程度であることから、襲撃は困難と考えられた。
事故機は#2E/Gに以前銃撃を受けていたが、きちんと修理された記録があり、事故現場の残骸からもプロペラは墜落まで回転していたことが確認された。
事故機がapproach chart通り降下したとして、6,000ftまでは順調だったが、4,290ftから左旋回しながら来磯久に降下したことが考えられた。ATCに操縦士とは異なる男の声が聴かれたため、着陸直前に保安要員が操縦士に話しかけて邪魔をしていた可能性が考えられた。着陸直前の事故当時の空港のQNH=30.14incHgは事故機の高度計でも正しく設定されていた。
搭乗者の遺体に銃弾がXp撮影で見つかり、残骸からのと合わせて342発も見つかった。しかし、これらの銃弾は火災によって暴発し、遺体へ食い込んだものと考えられた。
以上の知見から、北Rhodesiaの航空機事故調査委員会はアプローチ高度が低かったために墜落したPilotの操縦ミスと結論づけた。
事故から11日後、Hammarskjoldの遺体は故郷のSweeden Upsalaへ運ばれて埋葬された。
事故から半世紀後の2011年にSusan WilliamsというjournalistがCyprusで諜報活動をしていた米国NSA要員の話として、"I did it. Plane's crashing...It's going down!"とFugar戦闘機の2番機に搭乗したBelgiumの飛行兵が国連機を撃墜する時の交信を傍受していたとの証言を得た。これらは"Whi killed Hammarskjold?"という本として出版され耳目を集めた。そこでSweedenの航空機事故調査委員会は、Sven Hammarberg調査官らによって再調査することとした。当時の事故調査資料を再度点検すると同時に、最新の地形データを駆使して事故調査に欠陥がなかったかを確認した。すると、Procedure turnと行う地点に430Ftの小高い丘がある筈だが、UN機のChartにはその記載がなかったことが新たに分かった。実際、事故時の降下だと滑走路が丘の陰になって一瞬見えなくなる。これにより操縦士は真っ暗な闇で滑走路を見失って、6時間はにも及ぶ長時間飛行の疲れもあって、CFITしたのだろうとの同様な結論に至った。更に米NSAに対して、当該の録音テープを公開するよう要求したが、それは高度の機密情報として却下された。

コメント(2)

Dag Hammarskjoldは冷戦時代の国連を巧みに舵取りしたSweeden人だが、冷戦時代の地域紛争に巻き込まれて最前線で命を落とした不幸な事務総長であった。翌年のNovel平和賞を受賞し、今も記憶されている。それにしてもこのようなVIPが20-30代の若者が操縦するDC-6で紛争地域を飛び回っていたのか、今から考えれば理解に苦しむ。いくら保安要員が搭乗していたとしても、対地・対空攻撃を受けたら一溜りもない丸腰しであった。
事故機が空港周辺でかなり急降下したために墜落したというのが、2つの事故調査による結論だが、FDRもなかった時代の航跡分析はどのように行われ、どれくらい正確だったのだろうかと思う。爆発物の化学反応検査も行われていなかった筈で、NSAの機密録音テープがなければ、最終決着は着いていないと云わざるを得ないだろう。いったい何年後に公開されるのだろうか?
機長役のRyan Hollymanと副操縦士役のAdrian SpencerはScandinavianみたいに細身で精悍だが、実際はどの国のPilotが操縦していたのだろう?Sven Hammarberg調査官もその代役のJonathan Eliotも英語が流暢で、さすがSweedishという印象だ。Dag Hammarskjold役のPeter James Howarthも本物とよく似ていた。

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