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MAYDAY メーデー!ナショジオコミュのTHE LOST PLANE Thai航空311便 着陸時墜落事故

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1992年7月31日、ThailandのBangkok空港からNepalのKathmandu空港行きAirbus A310型機は、99名の乗客を乗せて3時間半のフライトを経て、Kathmandu空港へ降下中だった。同空港はHimalayaの山並みに囲われ、ATCの通信設定が容易でないところ、比較的急峻に降下しなければならない事情があり、Preed Sutimai機長とPhunthat Boonyavej副操縦士は交信に手間取っていた。当初ATCからRWY02へstraight-inすることが承認されたものの、直ぐに豪雨と視界不良でRWY20へcircling-approachするよう変更された。機長はIndiaのCalcatta空港へのdivertを検討した。Kathmandu VORまで25NMの地点で、RWY02へ再びアプローチ可能とのATCを受けたが、高度が高すぎたため、機長はFL180へ上昇しRomio-27へ戻ってアプローチをやり直すことを決めた。ところがFMSにこのWay-pointが見当たらず、戸惑っているうちにGPWSが作動して“Pull up!...Don't sink!"の警報音声が流れた。高度11,630ftでIMCで機長は誤報だろうと疑っていたところ、突然眼前にHamalayaの岩肌が現れて、そのまま激突した。
Nepalの航空機事故調査組織が脆弱なこともあり、この事故はDavid McNairが団長を務める国際調査団によって調査が進められた。Kathmandu空港南方の山岳地帯を升目状に区分けして、機体の残骸を捜索したが、見つからなかった。空港管制官と面談したところ、事故機はtechnical failureがあったと通報されたこと、管制官はパイロットが言ったことをそのまま信用したと答えた。その後、地元住民が空港の北方に飛行機の残骸があるとの報告があって、その場所を調べたところ、空港の北方27NMの標高11,000ftの岩壁に機体が粉々になって散乱していた。麓の街から5時間の登山で辿り着ける地点で、国際調査団の英国人1人が低酸素血症で死亡した。
墜落現場に到着した国際事故調査団員のDavid Roher(加)は、残骸はどれがエンジンかも分からないほど粉々になっていたというCVRは見つかったが、FDRは見当たらなかった。主要な残骸を麓へ持ち帰った後、遺族が覗いていた残骸の片隅にFDRが挟まっていた。FDRを解析すると、Navigationを管理するXP205バスというCircuit brakerが故障していたことが分かった。CVRを分析すると、RWY02へstraight-in出来ないとATCから告げられて、機長はCalcattaへ副操縦士はBangkokへ引き返すと意見が分かれてから、機長は副操縦士を信用しなくなった。機長が操縦していたが、ATCも自分で行っていたため、仕事量が倍加していた。Flapを15°展開するのもスムーズに操作できず、NavigationシステムへRomio-27を入力するのも困難だった。
こういう状況のなかで、通信状況も不良な時にKathmanduのATCが断片的な指示を出すため、Crew側も"Answer please!"とfrustrationがピークに達していた。
ATCが"Turn left to Romio"と指示したが機長は右旋回して空港の南へ戻ろうとした後、副操縦士は自分らが北へ向かっているのでは?と疑問を呈したが、機長は取り合わなかった。その後GPWSが作動したが、機長は誤作動だと無視した途端に岩壁に衝突している。この点をFDRで確認したところ、Romio→Sierra→右旋回でRomioへ戻るべきところ、Sierraで360°旋回していたため、北へ向かっていた。
機長は一人で全てこなそうとしてHeading dial操作に気を取られ、Lost positionした可能性が高い。国際事故調査団はNepal政府に対してATC業務の向上を、Thai国際航空に対してはCRMの訓練見直しを提言した。



コメント(4)

Kathmandu空港への着陸アプローチは、四方をHimalayaの山並みなどに囲まれて比較的急峻な降下を求められる上に、ATCの通信設定も不安定であり、おまけに今回のように新米の管制官がポツリポツリと指示を出していたため、ミスがミスを呼ぶような不幸な展開になってしまった。今日ならA310にはGPSのposition表示があるので、このようなLost positionは起こらない筈だ。
到着時の天候がIMCと分かっていたのだから、Divert先を飛行計画書にfileしてあったと思うが、どうして機上で口論になったのだろう。Thai国際航空には、CRM以前の緩慢な運航体制があったのではないか?
事故機にはJICA(当時の国際協力事業団)の技術協力専門家など日本人が数名搭乗していた。そのせいもあって、Kathmandu空港と周辺管制の整備事業に、日本政府は事故後多大な協力を果たしている。国際定期便でこのような大事故が見られなくなったのは、本事故を教訓としたインフラ整備と人材育成の賜物と言えるだろう。
事故機にはJICA(当時の国際協力事業団)の技術協力専門家など日本人が数名搭乗していた。そのせいもあって、Kathmandu空港と周辺管制の整備事業に、日本政府は事故後多大な協力を果たしている。国際定期便でこのような大事故が見られなくなったのは、本事故を教訓としたインフラ整備と人材育成の賜物と言えるだろう。
実はこの事故で、自分は大学時代の同級生であったDr.山口を失っている。大学を卒業し、初期研修を終えて、これから自分の専門性を磨こうと次のステップへ移る合間の小休止として、Nepal旅行を得らんだのだろう。数年後にJICAの仕事でKathmandu空港へ降り立った時、強風ながら晴れ渡ったHimalayaの空を見上げて山口君の冥福を祈った。

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