1999年8月31日の20:30過ぎ、ArgentineのBuenos Aires空港から北西へ400NMほど離れたCordoba空港へ向かうLapa3142便(B737-200型機)は、乗客95人を乗せてWeigel機長とEtcheverry副操縦士によって60分余りのフライトに出発しようとしていた。同機は20:54にRWY13を離陸し160ktでairborneした途端に機体に揺れが生じ、Weigel機長は咄嗟の判断で機体を再接地させた。スピードブレーキなどを使ったが機体は停止せず、滑走路先のフェンスを突き破り、道路を横切って自動車と衝突し、最後はガスタンクに衝突して爆発炎上した。この事故で乗客60名、乗員3名、それに自動車に乗っていた2名が死亡した。 Argentine航空機事故調査委員会(JIAAC)のHoracio Larrosa調査官とAugusto deSantis調査官、それに米国NTSBからRobert MaCintosh調査官とMalcomn Brenner調査官らが事故原因の調査を開始した。事故機のエンジンは正常に作動していたことが確認されたが、thrust reverserが作動していた。Flapsは展開していなかった。Blackboxは火災でひどく損傷していたが、NTSB本部へ送付された。 機長と副操縦士が死亡したため、空港の管制官へ尋問したところ、事故機は出発が遅延気味であったが、離陸時間は定刻だったこと。ATCからのCleared for take-offに対して、副操縦士がTaking offと完全に復唱していなかったとの証言を得た。 RWY13は2,260mあり、同機の離陸には支障ない長さであった。RWY13端のthretshold lightがThrust reverserのバケットで千切れていたことも分かり、衝撃で展開したのではなく、乗員の操作によるものと考えられた。Flapsが収納されていた点について、Jack screwの位置を調べ得たところ、retractedポジションになっており、操縦席のFlapレバーの同様であった。Flap表示ランプが切れていた可能性があり、その電球を調べたがニクロム線は切れており、点灯していなかったと考えられた。その後解析されたFDRでもFlapsは展開されていなかったこと、エンジンは正常に作動していたこと、逆噴射装置は衝突の数秒前に展開されたことが確認された。 CVRの解析を行われ、離陸前に操縦士と客室乗務員が食事やboy friendのことなどを談笑していて、チェックリストなしで離陸前チェックを完了させていた。また機長と副操縦士が1本の煙草を一口ずつ吸っていたことも分かった。Brenner調査官は"They’re distracted by their own behaviors"とコメントしていた。離陸滑走中にブー、ブーと警報音が36秒も鳴っていたが、機長は"How was that?....What is the alarm, my friend..."とその理由を理解できなかったばかりか、直ちに離陸中止を決心しなかった。 機長の経歴を調べたところ、20年を超える飛行経験があるものの、緊急事態への対処が遅いと訓練で評価されており、Lapa航空が急速に経営拡大する中で、どさくさに紛れて機長へ昇進したのかと評された。 この事故を受けて、Lapa航空の役員6名が業務上過失致死傷で訴追されたが、全員が無罪評決を受けた。 JIAACは離陸後10,000ftに達するまでのsterile cockpit ruleの徹底、警報への対処について乗務訓練の徹底を勧告した。