2002年4月15日の朝方、中国国際航空CCA129便(B767-200型機)は、中国北京空港から韓国釜山空港に向けて順調に降下を続けていた。Wi Xin Lu機長、Gao Liji副操縦士のほか、英語でのATC要員としてHou Xian Ning2等航空士が乗務していた。Approach Check Listを完了させたところ、空港周辺は霧雨状態であった。当初36LへのILS approachが予定されていたが、風向風速が210°/17ktに変わったため、RWY18Rへのcircling approachに急きょ変更となった。RWY in sightを確認後管制塔118.1MHzへhand-ooverされたが、飛行場の西側へcirclingに入った後から管制塔の呼びかけにすぐ返事がなかった。ATCが"Are you able to land?"と確認したが返事はなく、同機は空港から3NM離れたドクテイ山に衝突して炎上した。乗員乗客166名のうち、機長を含む37名が生存した。 韓国航空機事故調査委員会のChoi Heor Ikと米国NTSBのAl Dickinsonらは、山腹の樹木がクッションとなったので生存者が多かったとみた。中韓英語に長けたJenny Yooを通訳として、入院中のWu機長へ尋問を行ったが、機体に問題はなかったが、突然前方に山が現れて避け切れなかったと証言するばかりであった。 Black-boxが回収され、FDRから事故機の航跡を解析すると、RWY36Lを目視して西側のRt.down-windへ左旋回した後、dowin-wind上を飛ばずに規定より20ktほど早い158ktで大きく西側へ膨らみながらbase-turnをしようとしていた。CVRの分析すると、乗員らは18Rへのapproach briefingを全くせず、着陸後のtaxi経路のことばかり話していた。cirlicngするためにclinometerをスタートさせるタイミングもずれていた。Gao副操縦士が風が強すぎると云ってWu機長に操縦を交代してもらったので、timerのことを忘れていた。Cirling中にRWYを視認出来なくなったようで、30秒経過してもbase-turnせず、Gao副操縦士が"Continue right turn...Watch your speed...Must go around!"と叫んだが、突然前方に山肌が見えて慌ててfull-powerとしたため、間に合わずに墜落していた。Wu機長にはその後8回尋問したが、本人の言から真相は明らかとならなかった。Wu機長は同空港へ過去3回着陸していたが、いずれもRWY36Lであって、circling approachは初めてであった。着陸直前のRWY changeであたふたしているうちにCFITしたと結論された。
事故機にはBusanの旅行者が企画したツアー旅行者が多数搭乗していた。28歳の新婚のツアーガイドであったSeol Ik Sooは同日朝に宿泊先のホテルにパスポートを忘れてきてしまい、急いで取りに戻ったため、機体前方のビジネスクラス席にツアー客を座らせることが出来なかった。そのことで客からひどく恨まれたが、そのおかげで機体後部のエコノミー席に座っていたため、ツアー客の9割が生存したという。生き残ったツアー客は命拾いしたとガイドに感謝したのだろうか?亡くなった客の遺族は、もっと遅れて129便に乗り遅れたら、こんな事故に遭わなかったのにと落胆したのだろうか?事故前のガイトへの客らの陰湿なやり取りから、ふとそう思ってしまった。