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MAYDAY メーデー!ナショジオコミュのBEHIND CLOSED DOORS DC-10 Cargo door設計ミス事故

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1972年6月12日、American航空へ納品されたばかりのDC-10の6番機(N103AA)によるAA96便は、Michigan州Detroit空港からNew York州Buffaro空港に向けて、19時に離陸した。CanadaのOntario州の上空3,500m上空に達した頃、突然暴風とともに機体が左右に揺れ、あらゆるモノが機外へ吹き飛ばされていった。3基のエンジンはidleへ下がり、rudderは右へ固定してjammed状態となった。客室乗務員のSandra McOmickは最後尾いいて、トイレの横に大きな穴が開いているのに気付いた。エンジン#1と#2は作動したが、elevatorは動かず、これら2つのエンジンの推力で方向転換するしかなかった。Price McComick機長はDetroit空港へ引き返すことを決め、同機は何とか滑走路へ着陸し、右側へ逸れたが、滑走路端300m手前に停止することが出来た。同機の左後部にあるCargoドアは外側へめくれ上がり、Ontarioの民家脇に遺体の入った棺とCargoドアの一部が落下しているのが見つかった。
NTSBのChuck Miller調査官は動機を詳細に検分して、locking pinとlatchが不完全でも操縦席のcargo doorランプが消えること、ドアの破断による減圧で客室の床が崩れ落ち、操縦系統ケーブルが切断されて、操縦不能となったことを突き止めた。NTSBは貨物ドアの改良とロックが目視確認できる小窓の設置、および客室床の補強を、McDonnel Douglasへ勧告した。しかし耐空改善情報でなかったため、gentlemen's agreementとして航空会社へ改善を求めたため、2年を経過してDC-10が50機納品された時点でも改修工事は進まなかった。

1974年3月3日、ParisのOrly空港からLondonのHeathrow空港へ向かうTurkish Airlines THY981便は、BA便がストで欠航していたため346名が搭乗して満席であった。12:30に離陸して高度FL230を上昇中のところ、爆風とともに機体が左へ傾き、機首から真っ逆さまの姿勢となって、操縦不能となった。最後方2列が機外へ吸い出され、離陸から9分後に時速800kmを超える速度で地上へ激突した。仏BEAのMichael Vigier調査官は墜落地点からblack boxesを回収し、その15km手前に貨物室ドアと吸い出された座席2列を発見した。NTSBのChuck Miller調査官も参加し、AA96便事故の要点を情報共有した。驚くべきことに事故原因は同一で、満席で機体が重かった同便は、より気圧の薄い上空で貨物ドアが破裂して、より大きな穴で油圧系統を損傷したため、結果として帰還できなかったと結論した。

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一般に航空機のドアは減圧への対処として機体内側へ開くが、DC-10の貨物室ドアは荷物をより多く搭載できるよう、外側へ開く設計とした。その分、上昇中の減圧によるドアへの負荷は大きく、ドアの爪がしっかりと機体側のバーに固定され、閂がかからないと安全性が担保されない。トルコ航空機事故後に、MD社で貨物室ドアを担当したDon Applegateは、開発時からこの欠陥を知っていたという。他社との大型機開発競争で後塵を拝さぬよう、不問のまま実用化された。THY980便事故の遺族はCalifornia州でMD社を訴え、同社は1,800万ドルもの賠償を命ぜられた。設計時点からの欠陥を知りながら実用化を進める社風はMD-11型機の水平尾翼デザインでも再燃し、遂に同社はBoeingに吸収合併される社運となっていったのである。名門の航空機メーカーであったのに、人命軽視による哀れな末路となった。
1970年代の客室は、プカプカと喫煙しているのが普通であったことや、スチワーデスがミニスカートに白色の手袋とベレー帽とファッショナブルであったのが懐かしい。AA96便は高度3,500mで事故発生したので酸素マスクが出て来なかったのかも知れないが、操縦士は自らマスクを着用して操縦すべきであったのではないかと思う。この際、左右のエンジン推力をコントロールして機体を無事着陸させた技量は、1989年7月19日にエンジン#2が破裂して操縦系統を損傷させ、Iowa州Sioux city空港へ緊急着陸を試みたUA232便DC-10型機の操縦のお手本となったのだろう。
後半のTHY961便は本来全日本空輸(ANA)が購入する契約で製造されたが、若狭社長と田中角栄が絡んだLockheed事件で受領キャンセルとなった機体である。事故機には48名の日本人観光客が搭乗しており、機外に吸い出された6席に彼らが座っていたという。最初から最期まで日本との縁が切れない機体であった。

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