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MAYDAY メーデー!ナショジオコミュのBORDERLINE TACTICS Kalitta航空808便着陸失敗事故

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1993年4月18日、Atlanta発CubaのGuantanamo米海軍基地行きのKalitta空港AIA808貨物便DC8型機は、着陸のため右旋回中にRWY10の手前400mで墜落した。消防訓練中の消防隊が直ちに事故現場へ駆けつけ、分断されたコックビットにJames Chapo機長、Thomas Curran副操縦士、David Richmond航空機関士が瀕死の重傷をおっているところを救出した。米海軍はCuba政府に領空を通過してMiamiへmedical evacuationすることを要請し、3名は直ちに搬送された。Greg Feith調査官らがNTSBから派遣され、Black boxesを直ちに回収してWashington,D.C.へ送付した。同基地は岬の先端部にあり、RWY10側は滑走路端から3/4mile先にCubaとの境界線がある。そのため殆どの到着機は岬の先端からRWY28に着陸するものだが、同機はRWY10へのapproachをリクエストした。ATCは訓練兵で、不思議に感じたが、承認した。C130機のCrewが事故の様子を目撃しており、事故機は60度近くbankし、失速して墜落したと証言し、その状況はFDRのデータでも確認された。Chapo機長は2万時間超の飛行時間を有するベテランであったが、事故前48時間にDallas、St.Luis、Altantaと飛んでおり、その間の睡眠時間は7時間しかなく、極度の疲労状態にあった。RWY手前にあるStrobeライトを探すのに気を取られ、他の二人は速度が130ktまで落ちていることを指摘したが、機長は旋回を続けた。55度までbankして警報が作動、二人はthrottleを押して推力を入れたが間に合わず墜落したと結論された。当日Strobeライトは点灯しておらず、それはATCへ伝達されていなかったことも判明した。

コメント(2)

事故当時の風向風速はどうだったのだろう?再現画像ではcalmに見えたが、何故RWY28を選ばなかったのか、番組内でCrewに訊いて欲しかった。貨物機は深夜便が多く、乗務員の疲労蓄積への配慮が足りないことが指摘されていた。「嫌なら他に飛びたい者がいる」と言われたら、まさにパワハラ、モラハラということになる。この状況、今日ではどうなのだろうか??
乗務員3名全員が生存し、Curran副操縦士がインタビューに応じたのは勇気があると思う。事故から25年後、彼らを救出した消防隊の隊長さんに初めて会って、ハグして御礼を述べるシーンが印象的だ。Chapo機長は脊椎を負傷して飛行機から降りたが、Richmond機関士は貨物便の機長となった。さらにCurran副操縦士は右足を失ったが、何とNTSBの調査官になっている。米国の航空界の底力は、こういうダイナミックさに起因しているのかなと思う。

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