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MAYDAY メーデー!ナショジオコミュのPRESSURE POINT 日本航空123便墜落事故

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1985年8月12日、お盆休みで羽田空港から大阪(伊丹)空港へ向かう日本航空123便(B747-100-SR型機)は乗員乗客524人を乗せて、午後6時に羽田空港を出発した。機長は高濱雅己49歳で、機長昇格訓練を受けていた佐々木祐副操縦士を左席に着座させ、福田博航空機関士46歳を従えて、FL240へ向けて順調に上昇を続けていた。

離陸11分後、相模湾上空で突然後方から2回爆発音が聞こえ、高濱機長は直ちに爆発を予感。Decompressライトが点灯したため、SQ7700を宣言して急降下を試みた。ATCはFL220への降下と方位090°で70NM先の羽田空港へ引き返すことを試みた。しかし福田航空機関士は油圧系統が3つ全て低下していると伝えた。高濱機長はATCにuncontrorableであることを伝え、throttleを上げ下げして機首を羽田へ向けて安定させようとしていた。

同便は約40分間ほど迷走を続けて相模湖周辺にいたが、gear downすることで姿勢はやや安定したかに見えた。しかし、その後機体は左へ大きくbankして、ATCのradar画面からは5,600ftで機影が消失した。その頃123便ではthrottoleを操作して機首上げを試みていたが、対気速度は108ktまで低下していた。佐々木副操縦士がflaps!と叫んで展開すると、機体は一旦安定化した。しかし羽田まで45NMまで近づいた時点で今度は右側へ機体が傾き、flapsを戻し、機首上げを試みたが叶わず、群馬県御巣鷹山の尾根に右翼端が設置して裏返しとなり、そのまま墜落した。墜落地点が特定されて救援活動が本格化したのは翌朝で、生存したのは4名だけで、単独の航空機事故としては史上最悪の事故となった。

運輸省航空機事故調査委員会(AAIC)は米国NTSBとBoeing社のJohn Puvisら専門家と共に調査を開始した。生存者のうち1名が非番で搭乗していた落合客室乗務員で、離陸12分後に相模湖上空で爆発音がしたとの証言を得た。この事故の2か月前にAir India機の爆破事件があり、成田空港でも搭乗荷物が爆発した事件があったため、事故調は爆破テロでなかったかと疑った。事故機の残骸をスワブでふき取り、Boeing社へ送付して硝煙反応を調べたが、いずれも陰性であった。

事故機を偶然撮影した写真が見つかり、垂直尾翼が描出されていなかった。ATCとの面談では、”Uncontrolable...damage of doors?”との交信があったとの事なので、トルコ航空のDC10型機墜落事故のように右後方ドアが破断して急減圧を起こし、急減圧を起こしたと推定された。しかし事故現場の残骸から右後方ドアが見つかっており、破断していなかった。他方、垂直尾翼は相模湾に浮いているのが見つかり、回収された。

CVRを解析すると、爆発音は2回録音されていて、1回目は急減圧と同時であったが、その後も爆発音があったことが分かった。Rear Pressure Barricadeが破裂した音の可能性があり、事故現場から直径4mある後部圧力隔壁を回収してくみ上げてみた。すると隔壁は9時方向がリベット沿いに、41インチにわたって避ける様に破断していた。striation(線状痕)と呼ばれる裂け目はリベットから広がっており、外部から見えにくい形で広がっていたため、円形の圧力隔壁に同心円状に広がるcrack stopperでも裂け目を止められていなかった。

事故機の修理記録を調べてみると、1978年に大阪空港で着陸時に尻もち事故を起こしており、修理を依頼されたBoeing社は圧力隔壁を全て取り換えずに、下半分だけ新品に換装することとした。上下の新旧隔壁をつなぎ合わせるのが大変で、8日間かけでブラーを介して結合させていたが、上下が2列結合されていなければならないところ1列だけであり、他2列は上半分とダブラー、下半分とダブラーだけが結合していたため、破断したことが考えられた。

事故調査委員会は、このような不完全な後部圧力隔壁の修理により、12年間で離着陸を18,000回繰り返した機体で修理箇所の破断が発生したと結論付けた。爆発の1回目は圧力隔壁の破断で、2回目は垂直尾翼の破断音と推測され、その際3つある油圧系統が全て破断したと推測された。事故調は、Boeing社に対して、圧力隔壁と尾翼部分の間にcut-off barricadeを設置することを勧告した。

コメント(4)

JAL123便の御巣鷹山墜落事故は、かつてMayday!ではシーズン3-3”OUT OF CONGTROL”、シーズン6-5 “TERRIFIED OVER TOKYO”で取り上げられ、今回が3回目のリメーク版である。単独航空機事故では史上最悪の墜落事故であったばかりでなく、尻もち事故後の製造メーアーの杜撰な修理によって、7年後に後部圧力隔壁が破断したことが原因というショッキングな事故原因が3回も取り上げられる理由である。米国での裁判員裁判でBoeing社は無罪を勝ち取ったが、事故賠償はBoeing:日本航空=8:2であったことなど、社会的な顛末は述べられていない。
FL240付近で後部圧力隔壁が破断して、急減圧が発生し、客室ないでは酸素マスクが展開したが、操縦席の乗員は酸素マスクを装着していない演出が為されていた。高濱機長は下顎骨の一部しか発見されておらず、果たしてどういう状態で操縦していたのかは想像による演出かも知れない。低酸素血症で操縦が出来なかったとのエビデンスはない。高濱機長の「どーんと行こうや!」と乗務員を鼓舞していたCVR音声は後年物議をかもしたが、必死の操縦であったことが本編では強調されていなかった。
とても残酷な想像であるが、もしも事故機が迷走飛行しながら首都圏上空へアプローチしてきたら、大変なリスクであったと思う。当日は月曜日で、ちょうどラッシュアワー時で、人口密集地で墜落しなかったのは、不幸中の幸いであった。
番組内で高濱機長(George Chiang)、佐々木副操縦士(Sean Baek)、福田航空機関士(Leo Choy)は非常事態発生後も比較的落ち着いて操縦していたが、実際はもっと必死で修羅場であったのだろう。事故後、これらの乗員は国際操縦士協会から顕彰されていることも記しておく。

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