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ダンテス・ダイジの教えを学ぶコミュのライフワークに生命を賭している男性と、その男性に勝手に付いて行く女性

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福生の道場に通っていた頃、私は1人の女性に失恋する過程の真っ最中でしたが、
雨宮老師は私に、『勝手について来る女が現れて、気に入ったら女房にすれば良い。』とアドヴァイスを下さいました。

そして老師が遷化した後に、私は死にそうな程の孤独感に苛まれながら、作曲にも絶望して、雨宮老師が『見事に見性してるんだよな! 』と評価していらした、
原田雪渓老師がいらっしゃる福井県の発心寺で原田老師の独参を受けるため、接心会に2回参加しました。

見性などの体験は無かったのですが、
丁度雨宮老師の詩集、ダンテス・タイジ著『絶対無の戯れ』にある一片の詩、
『私はすがりつきたい』(写真)
に書かれてあるのが、
私の状態そのままであると、骨身に滲みて自覚せざるを得ない体験をしてから、

孤独から逃れる事は決して出来ない事、何かを・誰かを愛していると思っていたのは、
実際には自分の孤独を埋めるための道具として、何かを・他人を利用していたものであった事、
自分の孤独を受け入れない限り、何かを・誰かを愛する事は決して出来ない事に気付きました。

それからしばらくして、私は後に結婚する妻と出会いました。

下に引用した雨宮老師の遺稿『死とSex』の一部は、
カーマ・ヨーガすなわち真の愛情に基づく男女の結び付きについて、端的に書かれたものだと思います。

カール・マルクスは、社会の最小単位を『ひと組の男女』てある、と書いていたと記憶していますが、このような真の結びつきであるところの、

【 ライフワークに生命を賭している男性と、その男性に勝手に付いて行く女性のカップル 】

が基盤にある社会は、きっと真に幸福な社会になり得るのでは無いかと、管理人は考えています。

☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆

(前略)

セックスによりオルガズムエクスタシーには、その男女のエーテル的すなわち全一的合一が必要なのだ。
平たく言えば愛情こそが全身的オルガズムすなわちエクスタシーを開花させるということなのだ。

誠に誠に告げる、性的快楽は性的快楽を追求してとっかえひっかえ異性をかえることによって実現したためしは今だかって一度もあったためしがない。

何よりも重要なのは、心の底からフィットする、心の底から愛情を感じるたった一人の異性との出会いを待つことなのだ。

実際、この地上で最も美しいのは全面的な愛情、トータルな恋愛なのだ。
そこに低俗的な意味ではないオルガズム、エクスタシー、成熟、宇宙の意思が働いている。

(中略)

女性にとっては全面的な愛情が全てであり、それによって自ずから男性とのSEXがエクスタシーそのものを開示する。 

だが男性にとっては、ただ愛情があるというだけではダメなのである。
そこには、さめた知性が必要なのだ。

愛情があればSEXにおいて女性は努力を全く必要としない。
だが男性はある種の努力が必要なのである。

(中略)

女性は本当の愛情を自覚した時が、人間的悟り、成熟といってよい。
そしてそこから、そのエクスタシーから、その成熟から、健全な未来の子供達を出産するのである。
愛情のあるSEXからの出産は単に産みの苦しみといった様なものではない。
それは苦しみであると同時にエクスタシーからのエクスタシーなのだ。

愛情あるSEXは女性を自ずから成る性的エクスタシーへ導き
そこに女性としての大いなる成熟があるのだ。

これだけで現代女性のかかえている全問題は解決したといってよい。

死んでもいいと言う程の生き方、それこそ現代人は自覚しているといないとにかかわらず、求めているものである。

一般に女性にとってそれは一人の男性との性愛であり、
男性にとっては天職とか家庭ということになるのだが、

(中略)

現代の女性は本当の恋愛を知らない。
現代の男性は本当の天職を知らない。
現代の人間はその天命を知らないのだ。

性的快楽のみを求める女性に、むなしさから逃げるために満足を求める女性に、どうして本物の恋愛が起こるであろうか。

金、権力、地位、名声、快楽を求める男性にどうして本当の天職が発見できるであろうか。
そこで現代人一般は享楽的なSEX、ほんのささやかな趣味娯楽、或いは美容、健康、SEXの様々なテクニックに自閉的な満足を求めているという次第である。

現代文明にとって最も必要なことは、出産、性愛、死という人間としての根本的基盤に目覚めることなのだ。

神秘を知性的に分析して解明するのではなく、神秘を神秘として目覚めるのだ。

この目覚めが実現しなければ、この西洋商工業都市文明は今世紀一杯で自滅するであろう。

☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆

(前略)

だが男性にとっては、ただ愛情があるというだけではダメなのである。
そこには、さめた知性が必要なのだ。

愛情があればSEXにおいて女性は努力を全く必要としない。
だが男性はある種の努力が必要なのである。

この由に男性の至福への道は、死をかけた何物かを必要とするのである。

男性は一人の女性に対して全面的愛情を感じたとしても、それは一切の問題の解決とはなりえないであろう。

それ故、男性は自己の生命を捨ててもいいという風に生きなければ悟り、至福、エクスタシーに目覚めることはないのだ。

純粋なる坐禅冥想は勿論、全面的な死への道であり、全面的な至福への道であるが、それはごく限られた人々のものでしかない。

そこで男性は、職業、家庭、友情、使命などに生命をかけねばならないのである。

それらが自己満足としてあるのではなく、自己放棄としてあらねばならない。
つまり、自己満足の虚しさと恐怖の構造を理解して、自己満足ではない、純粋に正しい行為を生きつづけるのだ。
たとえ、その行為の結果が完全に失敗に終わっても、である。

(後略)

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