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自作短歌自己解釈コミュの游月歌

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コメント(13)

2013年5月以前
【待ちわびた花の咲く期のやすらぎに住み処にこもり背を向くきみよ 】

おそらく花は桜、ソメイヨシノ。
冬の寒い日には寝床から起き出すのも億劫。早く温かくならないかな、と桜の花を思い浮かべて
春を「待ちわび」ます。
ところが、桜が咲く頃に「君」は病にかかり「住み処にこも」る事になる。
残念な思いが「背を向く」とさせる。
ここで残念なのは「君」だけではない。
「背」を見ている者は、桜を見にいけなかった事というより、桜を見に行く事が出来なかった君の寂しさを思い歌に詠んだ。
2013年5月以前
【伏す父の真白のとこの笑みをしてさむざむと過ぐ春の夕暮れ 】

(詩を書き始めたのは、父の病が見つかった頃でそれから毎日詩を書くようになりました。詩の投稿サイトを逃れてmixiに発表の場を移してからは短歌も徐々に詠むようになりました)
自分の歌を客観的に見ることは絶対に出来ませんが、7年も経てば記憶も薄れて、半分自分半分他人のような感覚というところでしょうか。

短歌や詩は文の見た目の調整をするために、一般文では漢字のところを平仮名やカタカナ、時にローマ字、記号、顔文字その他に置き換えます。
この短歌も漢字を抜いて印象を柔らかくしようとする努力が見られます。
この歌ではそれは特に、「さむざむと」した「真白の」病室で時を過ごす父を労わりたいという意識からかも知れません。
「さむざむ」は温度ではなく、父と作者である私それぞれの、不自由な病院生活と死に対する恐怖が現れているのだと思います。「夕暮れ」は死の暗示でしょうか。
しかしそんな中、父は「笑み」を向けます。父の優しさと春の日差しが、この寂しい病室を温めています。
2013年5月以前の短歌
【ねむねむのおめめをこすりおっきしてまだまだやまぬおしごとのやま

なんーじゃこりゃ!
そのまんまですね。ただ、何にも無い歌っていうほどでもないのでとりあえず解釈を。
�‖膺佑世蹐Δ叛屬舛磴鵑世蹐Δ反臻發砲麓紊ぁ�という意味合いを「平仮名」や「幼児言葉」を使用して込めているんですか?
��歌の要素として、耳にワンワン鳴るくらいに繰り返しを使用しています。
ねむねむ、おめめ、まだまだ、やまぬ-やま
(やれやれ)
��人は眠くなるとパープリンになります。そんなところですね。
時々はこんなので息抜きもいいでしょう。
2013年5月以前
【一度だけ店にいらした客人の心づくしはおかし、ほおばる 】

なんーじゃこりゃ第二弾。
「おかし」は貰った《お菓子》が《をかし》、と掛けてますね。
一見さんなのに、サービスのお返しにお菓子をくれたことが思いがけなくて、満足度合いが「ほおばる」となる訳ですね。
はい終わり。
2013年5月以前の短歌
【曙に栖に戻る逆の鳥の靄に消え逝く白く蔭 】
(栖=すみか、逆=さか、靄=もや)

勇足(いさみあし)ですね。ラストが字足らなさすぎです。読んだ直後は気づいていないのでしょう。
しかし、これは漢字、平仮名の順に綺麗に並んでいます。意図したものでしょうか。すみかを「住処」とせず一字の「栖」にしてあるところからこれはわざとですね。

曙に
栖に戻る
逆の鳥の
靄に消え逝く
白く蔭

視覚効果を狙っているようですが、句で切って並べても何の意味があるかは分かりません。漢詩の様な雰囲気を出したかったのかも知れません。

意味は、
夜明けに家に帰る時、他の鳥たちとは逆に飛んでいく一羽の鳥が、もやに薄れていくという情景に、自分の将来の不透明さ、不安というものを重ねたのではないでしょうか。
2013年5月以前の三首

【暗がりを抜け出でたるはいづくにか花咲く路の光ぞ満つる 】

単に印象を読んだだけの短歌だと思います。文法も間違ってる気がして今ひとつしっくりきませんが、陰鬱としたおそらく晴れることのない状況下、光を欲していたのは間違いありません。


【降りかかる時のしわざの白雪に萎みし平の手に覆ふかな 】

人に対する印象というのは、その人が一番溌剌とした頃のものが心に強くあって、時を経たある日ふと印象との違い様に改めて気づくことがあります。白雪は色と儚さでしょうか。覆ったものは何か分かりませんが、その掌に強い思い出があり、その変わらない優しさを詠んだのでしょう。


【懸命のふたつの文字の隙間には怠惰ひそまず労わりのあり 】

詠んだ時の状況を全く忘れてしまっています。両親二人の最後の時間を大切にしていくために動いている、私のことか姉のことかどちらかではないかなと。
時間に追われた仕事をしているとどうしてもイライラするものですが、
誰かの為に精一杯やろうとすると「あんた少し休みなさい」と言われても「大丈夫」と時間を潰すことなく、尚且つ労りの気持ちを持って接することが出来るということでしょう。
そして後から疲れが押し寄せてくるのです。
2013年5月以前の歌
【透きとおるあなたの汗の滴るはコオリとけゆく檸檬のいろに 】

自分で詠んだ歌でありながら、どんな状況を詠んだのか全く覚えていないものの、私なりの解釈が出来そうです。

「汗の滴る」「コオリ」「檸檬」と
「透きとおる」「とけゆく」との対比だと考えられます。
前者は過去、「あなた」が目の前にいた事実
後者は現在、記憶が薄れていく状況なのでしょう。
「滴る」の後には名詞が来る筈。汗の雫が通っていく道筋、おそらく、過去、自分(達)が思い描いていた現在とは違っている将来かな?
「檸檬」は切なさといったところ。
私らしくないのですが結構好きな歌です。
お陰様で一年振りの投稿!あせあせ(飛び散る汗)

2013年6月3日
正確な日にちが記録された最初の短歌。
2012年、詩に没頭し始めて、短歌も作品として残そうという意思からなのか。

【赤々とわたしに見せる看板に恋いこがれるは腹の虫なり】

「見せる」というのは、不特定多数の客になる可能性のある人、である作者に仕掛けられた看板という罠を、過去の店主が現在にわたって見せ続けている。しかし作者は派手な看板に釣られているのは自分ではなく、腹の虫である、とわざわざずらして言っているんですが、多分これは、そうであってもなくても、「お腹が鳴っている」という
〈音響効果〉を狙っているのでは?!
まあ考えすぎですが。
2013年6月4日

【ばか、と泣き、ばか、と笑いてばかと知りばかばかしきは我ばかりなり】

詩作に対する熱は燃え上がっていました。いろんな詩を制作しようと試みていたうちの一手法(大袈裟ですが)だと思います。
「詩の一作品中に同じ言葉は二度使用しない」
一つ一つの言葉の価値を高めるための縛りみたいな物ですが、この歌では
「ばっかじゃないの?」
っていうくらい使用しています。
ばかだったのだと思います。
その「ばかだった」の「ばか」とはどいういう意味なのでしょう。
「ばかになれ」の「ばか」ですね。
「枠」というものがあります。それを「ばかを承知で」わざと飛び越えてみる。その先には何があったのでしょう。何か見つけたはずです。だからと言っても「我ばかりなり」なのです。
2013年6月4日

【つかの間のビルの隙間に入り込む四角い型の青きつゆ空】

記憶力の弱い私は、八年前に詠んだ歌の意味など殆ど忘れていて、だからこそ新鮮な文字が見えて来る。
「つゆ」つかの間の「青き空」が「ビル(群)の」奥まったところに見えている。明らかに暗喩ですね。
2013年、父の命の残り時間が少なくなっている事に気づいていながら、私は宇宙空間でもがいていました。光を欲していたのでしょう。
「つかの間」「ビル」「隙間」「入り込む」「四角い」「つゆ(=梅雨、露)」
どれをとっても八方塞がりな息子の意識を象徴しているようです。
2013年6/3

赤々とわたしに見せる看板に恋いこがれるは腹の虫なり 

もう一度
赤と言えば赤提灯居酒屋(赤ちょうちん)ですが看板なのでそうじゃないのかな?どちらにしても「食わせる店」の店主が心理作戦を遂行しているので、その攻撃に打ちのめされて腹の虫がダウン。そしてわたしを攻撃してくる。腹が減ると腹がクーと鳴き、その腹には、昔、実際寄生虫が巣くっていたので、その虫が鳴いていると、勘違いして、あるいは冗談で言われていたのが今に残っているのでしょう。現在何気なく使っている言葉でも、実はとんでもなく昔の言葉だったりするものがあります。
「まつ毛」これって「目の毛」(目→目《マ》の当たり)の意味。「つ」はむかーしむかしにつかわれてた「の」の意味ですよ。
「天つ風雲のかよい路〜」の「つ」ですね。

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