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芝田進午の人類生存思想と現実コミュの崩れだした日本の民主主義統治 選挙が最後の砦

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崩れだした日本の民主主義統治 選挙が最後の砦
田中均・日本総合研究所国際戦略研究所理事長
2021年7月14日毎日新聞

 今日の政治の特色は3Sだ。3Sとは「説明しない」「説得しない」「責任をとらない」という三つのSで始まる言葉で、今日の政治の問題点を表してみた(YouTubeチャンネル「田中均の国際政治塾」より「長期政権で露呈した後手後手の“3S政治”」)。

 権力者が説明し、説得し、結果責任をとるというのは民主主義的統治の大原則だ。

 安倍晋三前首相は、森友問題や加計問題、そして桜を見る会などで疑惑を持たれ、国会質疑で虚偽答弁をし、説明責任を果たすことなく辞任したが、その後、体調を回復し本格的に政治の表舞台に復帰したと伝えられる。

 しかし、説明責任を果たす考えはないようだ。今日まで森友・加計・桜を見る会に加え、吉川貴盛元農相の収賄事件、河井克行元法相・河井案里元参院議員・菅原一秀前経済産業相の選挙違反事件など、政治の信頼を損ねる事件が頻発した。

 しかし、再発防止に取り組む動きも見られず、河井夫妻選挙違反事件に関連して選挙費用として党から配分された1.5億円にも上る多額の資金の問題も闇の中のままだ。自民党の中から批判の声が上がることもなく、自民党の自浄能力はないに等しいという事か。

強力な政権がもたらした弊害
 なぜこうなったのか。答えは簡単である。自民党は国会で圧倒的多数の議席を持ち、政権は党内で多数の支持を得ていた。

 さらに累次の行政改革により縦割り行政を無くす目的で官邸の力は強化され、多数の補佐官や秘書官が配置され、文字通り「官邸主導体制」は堅固なものとなった。

 人事による官僚支配やメディア支配が伝えられる通りであるならば、恐れる者はいない。権力に目を光らせるべき存在である検察にも人事で手を入れようとした形跡すらある。極めて強い権力が完成し、国会や国民に説明することも、しないことも、責任を取ることも取らないことも、随意である。選挙で信任を受け、勝ち続ける限り、権力は安泰だ。文字通り「安倍一強体制」だった。

 安定的で強い権力があること自体が悪いわけではない。ほぼ1年ごとに政権が変わり、失われた時代と言われたことは記憶に新しい。

 それに比べ安倍政権と安倍政権を引き継いだ菅政権とであわせて8年を超える。政権の評価は歴史が行うものであろうけれども、長期政権が日本の衰退を止めたわけではない。残念ながらいつの間にか、経済成長率、公的債務の国内総生産(GDP)比やジェンダーギャップに至るまで主要7カ国(G7)中ほぼ最低となってしまった。

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 ただ、安倍前首相の下で自民党が選挙で勝ち続け、国民の信任を得てきたことは紛れもない事実だ。本来強固な権力を持った政権は思い切った改革も可能であり、民主主義的なチェックとバランスの下で権力が公正に行使されれば問題があるはずがない。

権力をチェックする機能が働かない
 民主主義体制においては、法を犯し訴追される場合は別として、政治的・道義的責任は野党が追及すべきであろうが、いかに数の力がないとはいえ、説明責任や結果責任を全うさせられなかった野党の責任は重い。

 森友、加計、桜を見る会などで多くの疑問が呈されたが、結局、官僚の首相をおもんばかる「忖度(そんたく)」の結果、公文書の書き換えが行われたとか、秘書が行ったことで承知していなかったと結論づけられ、責任を全うされることはなかった。

 過去においては、派閥間の競争により与党自民党自身のチェック機能が働いた時期があった。その結果、政治的抗争につながっていった歴史もあるが、今日、自民党内の競争によるチェック機能はないに等しい。

 先日、出版されたばかりの「評伝 福田赳夫」を読んでいて、田中角栄元首相との角福戦争であるとか、大平正芳元首相との大福戦争とか、極めて激しい派閥間の競争があったことを改めて思いだした。

 自民党の派閥については弊害が語られることは多かったが、少なくとも派閥が教育の場であり、派閥がその長を首相に押し上げるために切磋琢磨(せっさたくま)し、そして、その競争が結果的に権力を第一義的にチェックする作用を果たしていたことは事実だろう。

 中選挙区の時代には異なる派閥から複数の立候補者が出て、それぞれ派閥が支援する選挙であったが、今日、小選挙区制の導入で選挙は派閥の支援を受けた選挙ではなくなり、党中央が公認をし、資金を配分するという中央集権的な体制となった。

 必然的に党総裁・幹事長の力は圧倒的に強くなり、閣僚人事も基本的には首相が差配することとなった。そうなると派閥の間で次の首相に向けて積極的な競争が起きることにはならず、もっぱら首相を担ぐ多数派を形成し、政権の間、それを維持することに躍起となる。

 その結果生まれたのが菅政権だった。そして菅政権のコロナ対策や五輪強硬姿勢の是非という観点からの真剣な党内議論が起こっているようには見えず、政権維持のため一蓮托生(たくしょう)的な雰囲気すら感じられる。

国家緊急事態へ対処する体制があるか
 新型コロナ感染症のパンデミックは間違いなく国家の危機だ。死者数では米国の60万人超や英国の12万人超などに比べれば幸いにも圧倒的に少ないが、それでも今日まで1万4000人を超える多数の死者を出している。日本経済の経済的損失はGDPマイナス6%程度、約30兆円以上に上るという試算もあり、深刻な国家緊急事態だ。


 そのような未曽有の事態に対処する体制となっているのか、はなはだ疑問だ。通常であれば官邸に危機管理体制が組まれるだろうし、首相の下、明確な指揮命令系統を構築し、関係省庁と科学者の意見を取りまとめて迅速に総合的見地から政策が講じられていくのだろう。

 ところが菅政権の下では担当閣僚が官房長官、厚生労働相、コロナ担当相、ワクチン担当相などに責任が分散されてしまい、都道府県や科学者との政策調整もスムーズに行われているとは到底考えられない。

 4次にわたる緊急事態宣言も後手後手で発令された。今日、デルタ型のまん延で再び感染が拡大し、緊急事態宣言が再発令される中での東京オリンピック・パラリンピックの強行だ。

 本来国民に大きな犠牲を強いる緊急事態宣言を何度も発出するにあたっては、首相は国民に対して多くの疑問について真摯(しんし)に説明し、国民に負担を強いざるを得ないと説得する態度を示すことを国民は期待しているのだろう。五輪についてもパンデミックのさなかの五輪の意義を説得すべきなのだろう。

 しかし菅政権は、コロナ対処や五輪を巡る国会質疑、記者会見においても、疑問に対して真正面から答えようとせず、緊急事態宣言の実効性を確保することについて国民を必死で説得するという気配は見えない。

 五輪についても「安心・安全」の言葉は躍るが、その具体策については説明をする場面には出くわさない。確かな基盤を持つ強い政権であるにもかかわらず、首相の指導力は見えないし、説明責任を果たしているとも見受けられない。危機において最も重要なのは「指導者らしさ」だ。

民主主義で最後のチェック機能は選挙
 この8年以上に及ぶ自民党政権が示しているのは、日本の民主主義体制においては強い政権を生むことはできたが、強い政権をチェックしバランスさせることはできなかったということだ。

 これも究極的には権力の公正な行使を心掛ける「指導者らしい」指導者を得ることができるかどうかに行き着く問題だ。使命感を持ち、公正な権力行使を心掛けるリーダーを選ぶのが選挙だ。

 民主主義で最後に残るチェックの機能は選挙によって果たされる。選挙は最後の砦(とりで)だ。今年秋には衆院議員の任期は終わることになり、任期満了選挙になるのか、あるいはその前に衆院の解散総選挙ということになるのか、いずれにせよ選挙は近い。

 これまでチェックとバランスが欠けていた長期政権が審判を受け、民主主義体制の在り方を問う選挙となる。有権者の判断が日本の未来を決める。


 総選挙前に自民党の総裁選があるのであれば、総裁選はまさに指導者としての資質と使命感を明らかにする重要な機会となるのだろう。

 党員を含めた本格的な党首選であってほしいと思う。そして、総選挙は各党の指導者が資質と決意を明らかにして競う機会となるのだろう。総選挙は首相を選ぶ直接選挙ではないが、そもそも小選挙区比例代表並立制という現行の衆院選挙制度においては党首を念頭に投票する有権者も多い。私たちは日本の未来を託すに足る指導者を選ばなければならない。

 ただ、どんなにきれいごとを言っても、実際の選挙においては地盤、知名度のある2世、3世議員が有利なのだろうし、現に今期限りで引退していく自民党議員が事実上、自分の血縁者を後継にしていく場合も多い。

 政治が家業になっている限り、既得権益を打ち破る政治は可能ではあるまい。今回の選挙においては国家の指導者を選ぶのだという明確な意識をもって、そのような指導者がいる政党に投票すべきなのだろう。

 日本は短期的にも中長期的にも大きな危機にある。短期的にはコロナの収束と経済回復は待ったなしだ。中長期的には日本の長期低落傾向に歯止めをかけ、再生へのビジョンを追求していかなければならない。

 私たちは民主主義の基本である国民に説明をし、場合によっては真摯に説得をし、結果責任をとる決意を持った指導者を選びたいものだと思う。

コメント(1)


田ッ君さん
「イイネ」に深く感謝申し上げます。
最近ツイッターで時間をとられおくれてしまいすみません。
今後もどうぞよろしくお願いいたします。

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