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芝田進午の人類生存思想と現実コミュの2 バイオハザードとの闘争

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 先に紹介した武藤徹氏は、芝田氏が予研=感染研裁判闘争に関わって、『生命を守る方法』(晩聲社一九八八年)『論争生物災害を防ぐ方法』(晩聲社一九八九年)『バイオ裁判』(晩聲社一九九三年)『バイオハザード裁判』(緑風出版二〇〇一年)を精力的に執筆したことを紹介されている。武藤氏によれば、総ページ数は一六四五ページにのぼる。芝田氏がご逝去されてからも、一緒に裁判闘争を闘った方々は、東京高裁、最高裁と上告し長期にわたる裁判闘争を闘い続けた。さらに芝田氏亡き後も先ほど紹介させていただいた『国立感染研は安全か―バイオハザード裁判の予見するもの』(緑風出版二〇一〇年全三〇五ページ)を刊行されている。執筆者のお名前を掲載させていただくと、鈴木武仁 、伊東一郎、武藤徹、島田修一、川本幸立、新井秀雄、本田孝義、長島功、本庄重男の九名の皆様方である。

 芝田氏は、予研=感染研との闘争によって、「戦後のわが国では、安全性の科学そのものが確立されてこなかった」ことを痛感したと述べている。このことは、芝田氏が亡くなられてかなり経つ二〇一一年三月一一日に起きた東日本大震災とそれに伴って発生した福島第一原発事故をめぐる菅・野田民主党政権、安倍自公政権の対応。原発に関わる専門機関などの対応しきれていない対応ぶりを見ていると、芝田氏の「安全性の科学」の問題は、高木仁三郎氏や武谷三男氏ら科学者が戦後訴えてきたのにもかかわらず、政府や専門機関によって充分に取り組まれてこなかったことの問題性を浮き彫りにしている。芝田氏は、武谷三男氏の『安全性の考え方』(岩波新書)を推奨している。執筆に先立つ三十年ほ ど前に当時の公害反対闘争の教訓を踏まえて書かれたもので、その内容は高く評価されると芝田氏は述べている。

 芝田氏は、新しい病原菌が相次いで出ていることに危機感を覚えていた。戦前の指定伝染病だった猩紅熱が、抗生物質が効くので対応がゆるやかになっていた。ところが最近劇症の溶血連鎖球菌というバクテリアに変質したものが出てきている。「溶連菌感染症」という疾病が子どもたちに広がり、ひどい場合は死亡にいたるケースもある。大腸菌のO―157菌という新たな細菌が出現している。B型肝炎も普通のものと遺伝子が一つだけ違う劇症のものが出現している。病院内感染症をひきおこすMRSA(メチシリン耐性黄色ブドウ球菌)も全国どこの病院でも大問題となっている。こういう病原体がなぜ出てくるのか。抗生物質によるもの、変異を起こさせる物質によるもの、遺伝子組み換えによるも の、原因はいくつか考えられるが、よくわかっていない。
 芝田氏は、生物災害を研究すると同時に予研そのものを研究してきた。予研は七三一部隊に協力していた医学者を多数集めて、しかも米軍の命令でできたものであり、その隠れた目的は、ABCCへの協力のほかに、もうひとつ米軍監視下で七三一部隊の研究を継続することであった。芝田氏らは文献的にも予研の初期の年報からチェックし続けた。相模原にあった米軍四〇六部隊がアメリカのフォートデトリックにある生物兵器の研究センターの支部でアジアにおける出張部隊と考えられている。その指揮監督のために一九六〇年代の中頃までやってきたことも明らかにされている。
 そのような体質の医学者が多数集められたことによって、日本の戦後の予防接種行政、予防衛生行政は非常に歪められたものとなった。
 芝田進午氏の研究は、芝田氏ひとりにとどまらない。裁判闘争における予研=感染研裁判原告の会、予研=感染研裁判弁護団、予研=感染研裁判を支援する会が裁判闘争に取り組んできたし、バイオハザード予防市民センター、国立感染症研究所の安全性を考える会など時期的に名称が重複するものもあるが、これらの団体は日本の生物災害の解明に向けて、長期にわたって継続的系統的実践的に、バイエハザードとの闘争に貢献されてきた。

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