ログインしてさらにmixiを楽しもう

コメントを投稿して情報交換!
更新通知を受け取って、最新情報をゲット!

芝田進午の人類生存思想と現実コミュの芝田進午氏と東京唯物論研究会その1

  • mixiチェック
  • このエントリーをはてなブックマークに追加
(芝田進午氏は、全国的な唯物論哲学の研究者であったが、東京唯物論研究会のリーダーでもあった。これから数回にかけて、芝田氏が逝去されてから最近もたれた東京唯研の座談会の記録を五、六回にわけて掲載する。出典は、インターネット情報であるが、原典は東京唯研の機関誌である。)

【座談会】
出席者(発言順):
中村行秀(千葉短期大学名誉教授:唯研史部会座長)
北村実 (早稲田大学名誉教授)
島崎隆 (一橋大学教授)
平子友長(一橋大学教授)

1【東京唯物論研究会の創立】
中村:それでは、東京唯研の創立をめぐる話題に移ります。東京唯研は一九五九年二月八日に設立のための総会を持ちました。二月一二日の「アカハタ」報道によると、民科のスタンスへのアンチテーゼとして設立した、という趣旨になっています。そうした事情についてまずお話していただけますか、北村さん。
北村:一九五七年に、民主主義科学者協会本部は活動を停止しましたが、解散の正式決議はなされておらず、支部や部会の中にはその後長期にわたって活動し続けた組織もあります。支部では、京都支部がその典型で、部会では今なお、民科法律部会が活動しています。また後に歴史科学協議会へと名称変更した歴史部会や、地団研が民科の伝統を継承して活動しています。一九六五年創立の日本科学者会議も、広い意味では後継団体といっていいでしょう。だが、東京唯物論研究会は学術研究分野の統一戦線組織を標榜した民科とその下部組織の哲学部会へのアンチテーゼとして、一九五九年に設立されました。民科の基本的スタンスは、第一〇回大会報告の中の次の一文に端的に語られています。
現在日本の各学会には、各学会を流派別に分割しようという誤った動きが認められる。もし民科がその動きに巻き込まれ、マルクス主義科学者協会として、各学会や科学者の団体に対立する存在となるならば、それは日本の科学の発展にとって非常に不幸である。我々は民主主義を尊重し、科学を愛好する立場に立つ人ならば、どんな流派に属する科学者でも、民科に参加することを歓迎し、また参加できるような条件を作り出さなければならない。特に結論があらかじめ決まっているような研究会の運営の仕方、テーマの選択が狭すぎるような傾向を改めること。(『国民の科学』一九五五年第七号)
ところが東京唯物論研究会は、このような方針に真っ向から反対して、唯物論の党派性を前面に掲げ、唯物論を統一戦線に解消してはならないと主張しました。東京唯研と相前後して、各地に誕生した組織の連絡機関として日本唯物論研究会が設立され、機関誌として『唯物論研究』が発刊されることになりましたが、その創刊の言葉をめぐって、加盟組織間に意見の対立が生じました。
大方は松山唯研の、「現代の唯物論は、徹底した科学的見地と基本的人権の立場を貫く思想体系として、世界の諸文化の全面的な開花を促し、人類の恒久的な平和と自由を約束するものとなった」と格調高く、唯物論の存在意義を説く草案に賛成でしたが、東京唯研が猛反対して、次のような東京唯研の意見を提出しました。そこにはこう書かれていました。「我々が必要としている唯研は、唯物論の党派性の承認を表面に掲げている団体であり、このことが民科哲学部会との違いの重点である。要するに唯物論を基本的人権の立場を貫く思想体系と言ったのでは、この唯物論は国民の科学や民主主義的哲学と本質的に異ならなくなる。また一政党一党派の占有物とは認めないという表現は、唯物論を統一戦線の思想に解消するような誤解を生む恐れがあり、統一戦線内部でのプロレタリアイデオロギーの独自活動を否定するかの様な印象を与えて、よくないと思う。」(日本唯研部内誌「日本唯研の前進のために」No.1、一九六〇年七月一日)
民科には、田中美知太郎さんや山崎正一さんもいたし、いろんな人が参加してましたが、統一戦線ではダメなんだと、唯物論で純化していくんだということを鮮明に打ち出したんです。しかも、松山唯研の基本的人権というのは、ブルジョア思想である、とまで言ってるんですね。そういう主張が残念ながら東京唯研の多数意見で、東京唯研はスタートしたんです。今になってこの文章を見直して、よくこんな意見に異議を唱えなかったかと思わずにはいられないのですが。
中村:民科の内部で、民主主義哲学というような概念が成り立つのかという疑問が出て、哲学は基本的には唯物論か観念論でなければいけない、したがって、唯物論研究を基礎にした組織をつくるべきだという形で、各地に唯物論研究会ができたと芝田進午さんが言ってましたけれども(『実践的唯物論への道』青木書店、二〇〇一年)。
北村:ただニュアンスとトーンが違います。松山唯研とか、唯研としないで現代哲研を名のった名古屋とか。
中村:民科の活動停止の理由の一つに、弁証法的唯物論の原則的、党派的な研究が行われなかった、つまり折衷主義的な学風が生まれたということを、出隆さんが総括のところで言っています。その方向ですよね、東京唯研は。そこでもう少し東京唯研の設立時の活動について議論したいと思います。
北村:初期の頃の東京唯研は、論理学・認識論の分科会、社会変革の理論の分科会、科学論・技術論の分科会、日本唯物論史の分科会、道徳論の分科会というような分科会を設けて、そこで研究発表などが行われていたんです。私はそのうちの寺沢恒信さんを筆頭とした論理学・認識論の分科会と、それから後になると、小牧治さんの研究室でやられていた道徳論の分科会にも顔を出しました。
論理学・認識論の分科会は、ご想像通り、当時のソ連や東独の研究成果を学ぶというトーンでずっと行われていました。他方、小牧さんが中心になっている道徳論の方は、かなり雰囲気が違いましたね。
私が東京唯研の創立直後で非常に印象に残っているのは、東京唯研ができた年の一二月二日に催された、来日したミーチンを囲む会のことです。東京唯物論研究会主催となっていますが、私は樫山欽四郎さんのゼミをサボって出かけたんですが、そしたら樫山さんも出てきてて、「いや君、心配しなくていいよ。授業は休講にしたから」とか言われてね。ですから、唯研の会員でない人も参加したんです。
そこでミーチンが一九三〇年代の哲学論争について話をしたんですが、今だと我々かなりいろんなこと知っているんですけども、当時としては非常に新鮮な話でした。みんなミーチンの講演には感銘を受けたようです。
その質疑討論の時なんですが、スターリンの哲学についてどう評価しているか、という質問が出たんです。それに対してミーチンが、スターリンの哲学的諸労作は、大きな意義を持っているけれども、党と国家の指導的立場にあって深刻な過ちを犯したという話をしました。それは国家・政治上の大きな間違いだったんだ。この誤りについて、我々は彼をすごく批判した。彼の犯した国家・政治・指導上の誤りは再びなされてはならない。一部の誤りは理論上にもあった、例えば、社会主義が近づけば近づくほど階級闘争は強化されるというような主張だとか、等々と批判したんです。
ミーチンといえばスターリン主義の立場の代表的な哲学者ですが、その彼がスターリン批判をしたので非常に印象に残りました。それから、寺沢さんが、否定の否定の法則を巡って質問をしたんです。ところがこれに対してミーチンは、この法則は二〇回大会以前でも完全に市民権を得ていたんだと答えたんですが、しかし否定の否定の法則はスターリン批判後に初めて哲学教程に復活するまでは、ずっと教程からは姿を消していました。それから、山田宗睦さんがミーチンに対して、「哲学は政治の独特の形態だ」というミーチンのよく知られている主張について質問をしたら、「私はそういうことは言ってない」と言うんですね。「私は、哲学が政治の独特の形態であると言った正確な記憶は無い。私は、学問における戦いは実生活の階級闘争の反映であるというのが正しいと思う。哲学が政治の特殊な形態であると考えたことはない。そう訳してあるとすれば、それは訳の誤りである。私は哲学を単純化し、実生活との結合を単純化することに反対してきた。みなさんたちも私たちの著作を注意深く、読んでおられることに感謝したい」というふうに答えたんです。私はこのミーチンの講演に非常に感銘を受けたんです。特にミーチンがスターリンを批判したということで。
中村:そうしたエピソードがあったとしても、東京唯研の発足は、民科の中でスターリン主義哲学をせっかく克服する芽ができかかったところに、それを踏みにじって、またスターリン的なものに戻したということですよね。それはどういうふうに考えればいいのかなぁ。
北村:私はそこはね、中心になった人の問題が大きいと思うんです。東京唯研には、松村一人さんはかかわらなかったんです。松村さんは、民科の中心でしたから、民科を批判して、アンチテーゼとして、しかも統一戦線を否定する方向で発足したことに対して、快く思わなかったんではないかと思うんです。会員にはなりましたけど、一度も出席しなかったとご本人が言ってました。
中村:では最初にリーダーシップをとったのは、大井正さんとか?
北村:大井さんのリーダーシップは大きかったと思いますね。それから、わりと出さんがそういうものを支持してたんではないでしょうか。それから古在由重さんもそうです。古在さんも基本的人権は不適当と言ってましたからね。だが、古在さんは六〇年代に入ってから大きく変換をとげるんです。最初は唯物論の主知主義的偏向の批判を寺沢さんや私たちに熱っぽく語りかけ、主意的要素の重視を主張されたんです。
中村:その話はひとまず後回しにして、もう少し創立時の状況について話していただけませんか。
北村:会員数は一三七人で、今とあまり変わりませんね。そしてさっき言ったように分科会がたくさんあって、論理学・認識論の分科会は一〇人くらいですね。中心は寺沢さん、花崎皋平さんあたりです。小牧さんの研究室でやられていた道徳論の分科会はもっと少なく、数人でした。田中実さんなどが中心の科学論・技術論には、結構人数が参加していたようです。それから日本唯物論史の分科会もそんなに人数は多くなかったように思います。会員の数は多くないんですが、啓蒙的な公開講座をやると、これは大盛況でした。
島崎:何人ぐらい来たんですか。二〇〇人とか?
北村:えぇ、そういう規模ですね。
中村:それは発足一〇年後くらいに出た『講座マルクス主義哲学』刊行記念の講演会のことですね。その時は同じ講演会を二回やったのもあったと記憶しています。
島崎:当時の状況について、いくつかお聞きします。分科会は勉強会ということのようですが、年に何回くらいやったのですか。公開講座については、いかがですか。いまやっているような定例研究会や総会については、当時どうだったのですか。
北村:公開講座や公開講演会は、毎年一度はやったと思うんです。分科会は勉強会で、論理学・認識論の分科会は年間五〜六回くらい、科学論・技術論はもっと回数が多く、八回やっていたと記録されています。
総会は年に一回でした。定例研究会というのは、年に七〜八回ありました。
中村:創立後の普及活動の評価、それからエピソードなど、もう少し、北村さんお話しになることありませんか。
島崎:シンポジウムという形のものはないのですね。総会は年一回あったけれど。
北村:創立直後の頃、「経済学批判刊行一〇〇年」、「唯物論と経験批判論刊行五〇年記念哲学講演会」という公開講演会を行ってますね。後者は五〇〇人以上が集まりました。講師は古在さんです。
中村:この時期は、機関紙はあったけれど、機関誌『唯物論』はまだない状態です。
そこで、創立後一〇年ごろの時期に移りますが、六九年に『講座マルクス主義哲学』全5巻が、青木書店から出ますね。あれは東京唯研だけの編集、企画ではないにしても、事実上東京唯研で、例えば、編集委員は古在由重、森宏一、湯川和夫、寺沢恒信、島田豊、秋間実、芝田進午という方々で、島田さん以外は、ほとんど東京唯研の中心メンバーです。それをどう見るか。
その第一巻では、今までマルクス・レーニン主義で扱われなかったようなテーマの論文、たとえば「マルクス主義における芸術の位置」とか「倫理」とか、芝田さんの「自然と人間」が出てくる。一方では同じ巻に、まさに、マルクス・レーニン主義のテーゼ、弁証法・認識論・論理学の同一という問題が出ています。それをどう評価するか。つまり、これまでになかった価値とか、倫理とか、芸術など、マルクス・レーニン主義哲学に欠落していた問題を取り上げる面と、寺沢さんのように、弁証法、認識論、論理学の統一という観点をさらに推し進めるという二つの傾向が共存している象徴的な企画だったと思うんです。
北村:第一巻の巻頭に掲載された古在さんの「マルクス主義哲学の基本的観点について」が、全体をリードする性格の問題提起だったと思います。六九年というこの時期においては、全体としてこの方向に進みつつあったんです。六〇年代の後半からそういう方向が徐々に出てきて、ソ連哲学導入のリーダーであった古在さんも以前のスタンスからの転換を自覚的に押し進められました。そういう流れのなかで、この企画も立てられたのではないかと思います。確かに、寺沢さんは、弁証法・認識論・論理学の同一という以前からの守備範囲を出ないように見えますが、しかしそこから脱却しようという意向を寺沢さんは遅ればせながら持っていたんではないでしょうか。サルトルやカミュについて本を書きましたが、寺沢さんも脱却しなければという気持ちをもったんではないかと思うんですね。
中村:ただ、寺沢さんは、『弁証法的論理学試論』(大月書店、一九五七年)というような、三者の統一ということを前提にした体系を先に作ってしまったから、それに縛られたということはあるかもしれません。
しかし明らかに、古在さんの第一巻の巻頭の発言は、実践的唯物論です。党派性についても、スターリン的なものと正反対のマルクスの階級性なんです、党派性ではなくて。一方に、寺沢さんのものがあるわけで、この講座はマルクス・レーニン主義哲学から実践的唯物論への過渡期であるという感じがするのですけれども。
北村:ここには参加していなかったけれども、粟田賢三さんの影響も我々には及んでいました。
2011年09月18日 08

コメント(0)

mixiユーザー
ログインしてコメントしよう!

芝田進午の人類生存思想と現実 更新情報

芝田進午の人類生存思想と現実のメンバーはこんなコミュニティにも参加しています

星印の数は、共通して参加しているメンバーが多いほど増えます。

人気コミュニティランキング