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世界の特殊部隊&対テロ部隊コミュの米陸軍 第160特殊作戦航空連隊(空挺)

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一般に『特殊部隊』といえば戦場での偵察任務や対テロ作戦を行っているイメージが強いですが, それらを支援する部隊もまた重要な役割を果たしています.
今日はそういった特殊部隊にスポットを当ててみたいと思います.

米陸軍に所属する第160特殊作戦航空連隊.
英語だと "160th Special Operations Aviation Regiment (Airborne)", または略して "160th SOAR(A)" となります.
ニックネームは "Night Stalkers".
この部隊が作られるきっかけとなったのは, 1980年に行われたイーグルクロー作戦の失敗でした.

【歴史】
1979年, イランでイスラム教徒達による革命(イラン革命)が起きて親米政権が倒されると, 首都テヘランにあった米大使館が暴徒達に占拠され, 53名のアメリカ人が人質とされました.
米政府は即座に救出を決定し, 数ヵ月間の準備を経て陸海空軍と海兵隊の4軍総出による救出作戦(イーグルクロー作戦)を実行に移しますが, "デザートワン" と呼ばれる現地の中継地点でヘリコプターと輸送機が衝突するという事故が起きてしまい, 作戦は中止となりました.
実はこの作戦は準備段階から各軍の足並みが揃わず, また, CIAが過去に行っていた大規模リストラの影響で現地の情報も乏しく, お世辞にも統率のとれたものではなかったようですが, やはり現場での事故が決定打となったようです.
作戦失敗を受けて当時の米大統領ジェイムズ・カーターは原因究明のための調査委員会を設置し, その委員長に元海軍作戦本部長のジェイムズ・ホロウェイ大将を任命します(通称:ホロウェイ委員会). そして調査の結果, 以下のような事実が浮き彫りとなりました.

1.作戦参加部隊の指揮命令系統, 訓練, 装備, 運用手順などが統一されていなかったこと
2.このような作戦に適したパイロットと航空機が存在しなかったこと
3.事前の情報収集能力が不足していたこと
4.作戦に参加した4軍全てに手柄目当ての無用な競争心があったこと

調査委員会は最後の項目には触れなかったものの, この調査結果を報告し, これらの欠点全てを改善するように勧告しました. 統合参謀本部もこの勧告を承認しましたが, しかし, 短期目標としての焦点はまだ人質奪還に置かれており, 特にあらゆる条件下での長距離低空飛行を行えるパイロットと航空機の開発が急務とされました(2番目の項目ですね).
そこで陸軍は第101空挺師団第101航空グループに目を向けました. 何故ならこの部隊は陸軍内で最大数のヘリコプターを保有し, その種類も豊富で, 回転翼機を用いた特殊作戦航空能力の急速な開発のための大きな可能性を秘めていたからです.

人質救出のための試みはこの間も続けられており, すぐに第2次人質救出作戦(スノーバード作戦)の準備が開始されました.
この作戦は第1次のものと違い, 対テロ部隊・情報部隊・空輸部隊の新設, 輸送機・ヘリコプターの仕様変更までをも含む総合的なもので, 特にこの作戦の一部であったハニーバッジャー計画は, 中東及びペルシャ湾地域へ特殊部隊を輸送する航空能力の開発を目指したものでした(具体的には, 隠密侵入能力を持つ新しいヘリコプター部隊の編成を目的としていた).
この計画はブラックホーク汎用輸送ヘリを配備する第101空挺師団第101航空グループ第158航空大隊のC中隊とD中隊を中心として開始され, それにリトルバード軽輸送ヘリを配備する第229攻撃ヘリコプター大隊B中隊とチヌーク重輸送ヘリを配備する第159強襲支援ヘリコプター大隊A中隊が加わり, タスクフォース158(Task Force 158)が結成されました.
まずこれらの部隊から抽出されたヘリコプターは一度ペンシルヴァニア州ニューカンバーランドにある陸軍兵器集積所に輸送され, そこで特殊通信装置, 空中給油装置, 赤外線レーダー誘導装置, 暗視装置などの特別装置が取り付けられました.
その他, 輸送機にも改造がなされ, 航続距離の延長, 逆推進ロケット取り付けによる目標地点への正確な着陸が可能になったそうです.
次にパイロットの訓練が開始され, 志願者は暗視ゴーグル(以下NVG)を着用しての操縦を求められましたが, 全員ヘリを飛ばすのがやっとで正確に操縦できる人間は誰もいなかったそうです. それもそのはず, 当時のNVGはどれもヘリの計器や照明に適応できるものではなく, 訓練を始める前にそれを改善しなければなりませんでした.
新しいNVGが完成すると, 本格的な長距離航法訓練に移り, 彼等はNVG着用状態で毎日7時間30分の夜間飛行訓練を行いました. 最終試験では約1852kmの決められたルート上を制限時間内に正確に飛ぶことが要求されたそうです. その後もパイロット達はNVGを装着したままでの精密航法に磨きをかけました.
1980年の年末に初めて正式なブリーフィングが開かれ, そこで彼等はこの計画の目的を知らされました.

しかし, 1981年になって状況は一変します. 444日ぶりに人質が全員解放され, 当然, ハニーバッジャー計画を含むスノーバード作戦は打ち切られました. タスクフォース158の要員達は解散し原隊復帰になると予想しましたが, 陸軍上層部は将来的に今回と同じような事件が起こった時に備えてこの部隊を存続・拡大させることを決定しました.
これと同時期に陸軍内に, 全特殊作戦を統括・調整し, 既存・新設問わず全ての特殊部隊の予算・人員・装備の拡充を助けることを目的とした特殊作戦部が設置され, 同部は上層部の決定を受けて常設の特殊作戦航空部隊の創設に乗り出しました.
本来, 新しい部隊を創設することほど時間が掛かり, 根気の必要な仕事は無いと言われています. 巨大な組織の中で部隊編成に必要な予算, 人員, 装備等の承認を得るのは恐ろしく骨が折れる仕事ですが, 特殊作戦部のブルース・モールディン陸軍中佐(部長補佐)とキース・ナイチンゲール陸軍中佐(経理主任)の2人はわずか2ヵ月足らずのうちに新たな部隊, タスクフォース160(Task Force 160)を作り上げることに成功しました.
この種明かしをすると, 実はこの部隊はハニーバッジャー計画の際に編成されたタスクフォース158の人員や装備を恒常化しただけのものだったからです. さらに, ナイチンゲール中佐はハニーバッジャー計画を発展させた "ELTライン" と呼ばれる機密計画にも関与しました. これは新しく作られた特殊作戦航空部隊のための予算を確保する目的で作られた計画だったそうです.

タスクフォース160は表向きには『第160航空大隊』と呼ばれていました.
当初, 部隊は本部中隊とリトルバードを擁する2個中隊という非常に小規模な構成だったそうですが, 後にブラックホークを擁する2個中隊とチヌークを擁する1個中隊が追加され, 続いて本部中隊の整備小隊が中隊規模に拡大されました.
当時のタスクフォース160は公に存在を発表された部隊ではなかったので, 露出を最小限にするために本拠地であるケンタッキー州フォートキャンベルの広大な基地内の様々な場所で分割して運用され, 訓練と専門技術の開発を続けました.

1981年10月16日, フォートキャンベルの閲兵場でタスクフォース160の公開式典が開催され, そこで初めて存在が公に明かされました. その後すぐに指揮官の交代儀礼が行われ, 第158航空大隊長だったジェイコブ・カウチ陸軍中佐がタスクフォース160の初代指揮官に就任しました. また, 数ヵ月後の1982年4月1日にタスクフォース160は陸軍の公式部隊名簿に登録され, 公然部隊として認められました.
この部隊の正式な任務は新しく改善された空中強襲戦術・技術・手順の実験を通じ, 第101空挺師団の運用に対してさらなる柔軟性を提供することでしたが, 同時に陸軍の特殊作戦航空部隊としての活動も開始しました.
1982年10月1日には陸軍の特殊作戦部隊を統括する組織として第1特殊作戦コマンド(1st Special Operations Command)が創設され, タスクフォース160もその指揮下に入りました.

しかし, 初期の訓練では事故が多発し, 部隊の将来性を脅かしたこともありました(1983年の3月から10月の間にヘリ4機と16名の要員が失われた).
陸軍はすくに調査委員会(ブルーリボン委員会)を召集し, 原因究明に当たらせ, 調査委員会は詳細な専門訓練プログラムの欠如を指摘しました. この結果生まれたのが現在の特殊作戦航空訓練中隊(Special Operations Aviation Training Company/SOATC)で, この訓練中隊が綿密な訓練計画とそれに付随する安全対策を纏め上げて実行に移した結果, 訓練中の事故は大幅に減り, 部隊は解散を免れました.
さらにシステム統合化管理オフィス(Systems Integration & Management Office/SIMO)が設けられ, 任務に使用される装備の組織化や管理を担当するようになりました.

1986年10月1日, 急激に増大する出動要請に対応するためジョージア州サヴァンナのハンター陸軍飛行場で第129戦闘航空中隊が作られ, タスクフォース160の指揮下に入りました. また, 同中隊から第617航空分遣隊が抽出され, パナマのハワード空軍基地に移動して中南米地域の任務における前方展開部隊となりました.
他にも陸軍オクラホマ州兵の第245航空連隊第1大隊と空軍の第19航空支援作戦飛行中隊がタスクフォース160の支援に当たることになりました.

1986年10月16日, タスクフォース160は『第160特殊作戦航空グループ(空挺)』へと改称されました. これは, タスクフォース160を陸軍の特殊作戦における全ての航空任務を一手に担わせる特殊作戦航空部隊とするための暫定的手段だったそうで, 最初の計画では1987年までに部隊を旅団規模に拡大する予定だったそうですが, 何らかの理由で実現できませんでした(この計画は今現在再び実施されており, 2011年頃を目途に現在の第160特殊作戦航空連隊を旅団規模にまで拡大するそうです).
1987年暮れになると陸軍の基幹編成部隊を連隊とする動きが第160特殊作戦航空グループにも伝わり, 同グループも連隊改編に向けて動き出しました.

1989年12月1日, 新たに陸軍特殊作戦コマンド(United States Army Special Operations Command/U.S.ASOC)が創設されると第160特殊作戦航空グループはその指揮下に移り, 第129特殊作戦航空中隊(元第129戦闘航空中隊)は連隊になった際の第3大隊の大隊本部付き中隊に指定されました. また, 同中隊から抽出されてパナマで前方展開部隊となっていた第617特殊作戦航空分遣隊(元第617航空分遣隊)は, パナマ侵攻作戦の終結と共に米軍部隊がパナマから撤収する際, プエルトリコに移動し, 連隊になった際の第3大隊D中隊に指定されました.

1990年5月16日, ついに第160特殊作戦航空グループが『第160特殊作戦航空連隊(空挺)』へと改称され, 同時に第1大隊と第2大隊が創設されました.
この後も連隊は組織拡大を続け, 2000年6月には第101空挺師団第160航空大隊からE中隊が抽出され, 第160特殊作戦航空連隊第2大隊傘下の部隊として韓国に前方展開しました.
さらに2002年7月には予備部隊として第4大隊が創設され, 現在も実戦投入準備が続いており, ゆくゆくは正規の大隊として運用されることになるそうです.
また, 2003年末にプエルトリコの米軍基地の閉鎖が決まり, それに伴って前方展開していた第3大隊D中隊が帰国しました.

【組織】
現在の第160特殊作戦航空連隊は, 連隊本部と本部付き中隊, 特殊作戦航空訓練中隊, システム統合化管理オフィス, 実戦部隊である第1・第2・第3の3個大隊と予備の第4大隊から構成されています.
しかし, この連隊は今現在も改編作業を行っている最中ですので, 暫定的な情報を書いておきます(部隊名の隣のカッコは所在地).

<連隊本部&本部付き中隊(ケンタッキー州フォートキャンベル)>

<特殊作戦航空訓練中隊(ケンタッキー州フォートキャンベル)>
 MH-6Cリトルバード 8機
 MH-60Kブラックホーク 2機
 MH-60Lブラックホーク 3機
 MH-47Dチヌーク 3機
 MH-47Eチヌーク 2機

リトルバードは一般的な操縦訓練用で, ブラックホークとチヌークはそれぞれ機種別訓練用.

<第1大隊(ケンタッキー州フォートキャンベル)>
 大隊本部&本部付き中隊
 A中隊 MH-6H/Jリトルバード 15機
 B中隊 AH-6H/Jキラーエッグ 15機
 C中隊 AH-6Jキラーエッグ 2機
      MH-6Jリトルバード 2機
      MH-60Kブラックホーク 10機
      MH-60Lブラックホーク 8機
 D中隊 AH-6Jキラーエッグ 2機
      MH-6Jリトルバード 2機
      MH-60Kブラックホーク 10機
      MH-60Lブラックホーク 7機
 F中隊(整備中隊)

第1大隊はデルタフォース, ISA, DEVGRU, CIA, FBI-HRTなどの輸送を担当.
A中隊のリトルバードはブラックホークでは降り立てないような局所的な場所への輸送を担当し, B中隊のキラーエッグは偵察や近接航空支援(以下CAS)を担当.
C中隊とD中隊が主力輸送部隊で, ブラックホークが特殊部隊員の輸送を担当し, リトルバードやキラーエッグは輸送警護やCASを担当.

<第2大隊(ケンタッキー州フォートキャンベル)>
 大隊本部&本部付き中隊
 A中隊 MH-47Eチヌーク 12機
 B中隊 MH-47Eチヌーク 12機
 D中隊(整備中隊)
 E中隊 MH-47Eチヌーク ?機

大量積載の長距離輸送を担当.
A中隊とB中隊の各1個小隊は交代で緊急出動態勢をとっている.
E中隊は前方展開部隊として韓国に駐留.

<第3大隊(ジョージア州サヴァンナのハンター陸軍飛行場)>
 大隊本部&本部付き中隊
 A中隊 MH-60Lブラックホーク 20機
 B中隊 MH-47Dチヌーク 8機
 C中隊(整備中隊)
 D中隊 MH-60Lブラックホーク 10機

主に第75レンジャー連隊やその他の歩兵部隊の輸送を担当.

<第4大隊(ケンタッキー州フォートキャンベル)>
正式な編成及び配備機種は未定だが, ある情報によるとテロ対策用に特別改造されたブラックホークを35機導入するという話も….

【訓練】
まず最初に志願者は将校・下士官兵問わず全員が4ヵ月間の基礎訓練課程に送られます. ここでは体力訓練, 飛行技術や航空工学に関する訓練などの他, 敵地で撃墜された際のことを考慮してSERE(生存・回避・抵抗・脱出)訓練受けます. これをクリアすると将校と下士官兵は別々にされます.
将校は基礎任務資格を与えられて各中隊に配属され, 副パイロットとして実際の任務に就くことができるようになります. 下士官兵は支援要員として3週間の専門課程に送られます.
副パイロットとして1年から1年半の経験を積んだ将校には完全任務資格が与えられ, パイロットとして勤務できるようになります. さらに3年以上勤務した者には飛行先導資格が与えられ, 編隊長や作戦計画官などのより重要な地位に就くことができます.

【活動経歴】
<Operation URGENT FURY(1983年10月)>
グレナダ. 同国で共産主義勢力によるクーデターが発生し, 現地の米国民救出とグレナダ人による政府機構再構築の支援を目的とした作戦. タスクフォース160の初陣.

<Operations EARNEST WILL and PRIME CHANCE(1987年7月〜1989年8月)>ペルシャ湾. イラン・イラク戦争中, 海上を航行するクウェートのタンカーをイラン軍の攻撃から守るため, SEALチームを輸送.

<Operation MOUNT HOPE III(1988年6月)>
チャド. リビア軍が放棄したソ連製MI-24ハインド攻撃ヘリコプターの輸送作戦. 最初は米政府の他の機関が輸送を試みたが失敗したため, 第160特殊作戦航空グループに命令が回ってきた.

<Operation ACID GAMBIT and JUST CAUSE(1989年12月〜1990年1月)>
パナマ. 前者は本格的な侵攻が始まる前に行われたもので, 現地の刑務所に捕らわれていた米ビジネスマン(CIA要員だったという話も…)を救出するためにデルタフォースを輸送. 後者はコロンビアの麻薬組織と関係疑惑があった独裁者マニュエル・ノリエガ将軍の捕獲を試みた作戦.

<Operation DESERT SHIELD and DESERT STORM(1990年8月〜1991年4月)>
湾岸戦争.

<Operation GOTHIC SERPENT(1993年8月〜1993年10月)>
ソマリア. 独裁者モハメド・アイディド将軍とその側近の捕獲を試みた作戦. 有名なブラックホークダウンはこの時に起きた.

<Operation UPHOLD DEMOCRACY(1994年9月〜1994年11月)>
ハイチ. 当初は攻撃部隊を主要な政府施設に輸送する任務を負っていたが, 軍事政権が米国の要求を呑んだため侵攻の可能性はほとんど無くなり, 待機だけで出動はせず.

<Operation JOINT ENDEAVOR(1995年12月〜1996年4月)>
ボスニア・ヘルツェゴヴィナ. デルタフォースや英SASによる戦争犯罪者の追跡捕獲作戦を支援.

<Operation ASSURED RESPONSE(1996年4月)>
リベリア. 内戦下の同国から米民間人と外交官を救出. 10日間で米国人437名を含む非戦闘員約2100名をリベリアからシエラレオネに輸送.

<Operation DESERT THUNDER(1998年2月〜1998年4月)>
イラク. 国連の核査察団を拒否した制裁として米軍が空爆を実施. 味方機が撃墜された場合のCSAR(戦闘捜索救難)を担当.

<Operation DESERT FOX(1998年12月)>
イラク. 上記の同じく, 空爆作戦において方機が撃墜された場合のCSARを担当.

<Operation ENDURING FREEDOM(2001年10月〜)>
アフガニスタン. 同国を中心として全世界規模で始まった対テロ戦争. アフガンの他にもフィリピンに展開.
2002年中頃にはイエメンで行われたCIA主導のテロ組織幹部捕獲作戦に参加するため, デルタフォースなどと共にジブチの仏軍基地に待機していたという情報も.

<Operation IRAQI FREEDOM(2003年3月〜)>
イラク戦争.

これらの他にも…
1999年初頭, 米国内で起きた竜巻災害による被害者救助のために展開. さらに同年7月にはコロンビアのアンデス山中で対麻薬作戦に従事していた米陸軍偵察機が墜落し, そのSAR(捜索救出)任務に参加.
近年だと, 2003年1月下旬に行われた米軍とフィリピン軍の合同軍事演習『バランス・ピストン』にも参加しています.


以上, 長々と失礼しました.

コメント(1)

Night さん
詳しいですねぇ!!勉強になりましたよ!!
ありがとうございます。

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