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めどうのエッセイ&写真コミュのチロル会音楽部 その16

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 K田君は、その後、大好きなビートルズの話を始めた。
 「日本の音楽なんか幼稚だよ」
 などと言いながら、得意げに曲の解説を始めた。そして、その曲のレコードがあるから聴いてみないか、とステレオのある部屋に誘った。
 「あ、めどうと○○は、ちょっと待っててね。すぐ戻って来るから」
 彼は、軽い口調でそう言い残した。
 男の子2人がそこに残った。そして、軽い冗談を飛ばし合いながら、曲が終わるのを待っていた。
 そして曲が終わった。
 あれ? なかなか戻ってこないな…。と思っていたら、今度はギターの爪弾きが聞こえてきた。それに続き、K田君の歌声が聞こえてきた。ビートルズ・ナンバーの弾き語りを始めたのだ。英語で歌うK田君の声が、別部屋にいる二人にもはっきり聞こえてきた。女の子3人をはべらせての、ミニ・コンサート。すっかり独壇場である。
 これはちょっとやばいかも…。2人は冗談を言う気力も失せ、漏れ聞こえてくる歌とギターに茫然自失状態だった。早く歌が終わってくれないかなぁ…。情けない気持ちでそんなことを祈るばかりだった(笑) 
 そして歌が終わった。さあ、これで彼らも主会場であるこの部屋に戻ってくるだろう。
 しかし、4人は、それでも戻って来ない。ステレオのある部屋で何が行なわれているのか分からない。二人は、さすがに待ち疲れて、その部屋に行ってみた。
 そこは、ギター教室と化し、K田君を先生にして、女生徒3人が目を輝かせてコード奏にチャレンジしていた。そこには他を寄せ付けない空気がしっかりと出来上がっていて、声を掛けることさえ出来なかった。
 「ここにピアノがあれば…」
 強くそう思ったが、無いものは無い。
 しばらくその様子を見ていたが、そこに割り込んでゆく手立ても見つからず、2人揃ってとぼとぼと、元居た部屋に戻るしかなかった。ここまで来て、ようやく現実に目覚めた。
 計られた! パーティーを思い立ったときから、彼の頭の中には、この日の展開が、全て描かれていたに違いない。
 K田君は、その後も延々と3人を独占し、ギターを教え続けた。残された2人は、その時点で腹を立てて帰ってしまえば良いものを、敗北感に打ちひしがれながら、つまらないギャグを連発し合い、面白くもないのにこわばった顔で無理に笑いながら、空しく時間が過ぎるのを、阿呆のように、ただただ耐え抜いたのだ。
 何のためにそこに来たのか、全く答えを見出せない2人であった。

 ダシにされたことに対しては、まあ、してやられたり! と、寛大な心で許すとして、テナー・アコーディオンの美少女よ! こうして、せっかく同じパーティに足を運び、語らうチャンスを得たのに、まったく目もくれないとはどういうことなのか?? あの見詰め合った日々は、一体何だったのだ??? ぼくには、君の心が解らない。
 哀れ、めどう少年の頭の中には、底知れぬ闇のように謎が膨張しまくり、はちきれんばかりになっていた。この世は何と不可解な不条理に満ちていることか!

 中学生とは、実に純粋な心を持っている。それがプラスに作用すると、大きな共振作用を生み出し、感動的な結末を引き出すことにもなるが、野放しにしていると、純粋な分だけ原始的なエゴが剥き出しになりやすい。ちょっとしたことから、露骨な蔑みや嘲笑、からかい、いじめ、稚拙な陰謀術策などが跋扈し始めることにもなる。
 思えば、妙ちきりんなことを、次から次へと体験したものだ。そんな中にあって、ここに書いた2年の時の思い出は、別段陰湿さもない、ごく普通の光景だと言える。ただ、当時のぼくにとっては、現実から激しくズレた思い込みが働いていたこともあって、天国から地獄へと突き落とされるように、一瞬にして世界の見え方が変わってしまったという、かなり妙ちきりんな体験であった。

 ところで、そのクリスマスのできごと。本当に当時感じたとおりだったのか? まるでK田君の陰謀に嵌められたみたいに思ってしまったのだが、それは、もてなかった自分たちの真実を否定したいがための、捻じ曲がった解釈だった可能性も高い。単にK田君の1人勝ちだっただけの話。女の子たちと楽しい時間を過ごすための話題も術策も無い、日ごろからそのための研鑽を積み重ねてもいなかった。いわば“あたま丸腰状態”で、のこのこ出て行った2人が、相手にされないのも当然のことと言えるかも知れない。

 では、例の見詰め合った日々。これは一体何だったのか…、それについても、中学生だったころは、ことさら考えてみるようなこともなかったのだが、約20年経ったある日のこと、文芸同人誌に加入し、中学時代を題材にしたエッセイを書き始めたときに、改めて当時を振り返って、ようやく見えてきた。
 あの頃、ある女の子が、そのアコーディオンの子に関して、こんなことを言っていた。
 「みんな何となく、イメージ的に私が弾けると思って、アコーディオンの担当にしたみたいなんだけど、本当は全然弾けなくて、すごく苦労して練習してるんだよって…、そんなふうに言ってたんだよ。でもそんな風に見せないところがあの子の偉いところだよね」
 その証言と、あの視線の交わり…。そうか…。この結びつきには気付かなかった。
 考えてみると、演奏の直前だけに、決まってこちらを見るなんて、恋心の表れとして考えると、かなり変なのだ。
 ここからは想像だが、演奏に対する不安な気持ちを、いつもは隠していたが、演奏の直前になると、それが心の奥から吹き出してきて、ちょうど視界に入るところにいる、楽々とアコーディオンを弾ける男の子の顔を見ることで、気持ちを整えていたのではなかろうか。不安に突き動かされた、ほとんど無意識の行動だったかも知れない。
 しかし、想像してみてほしい。来る日も来る日も、大きな瞳が魅力的な美少女に、しっかり見つめられて、すがるような不安げな表情を見せられた日にゃあ、これをめどう少年がどう勘違いしたところで、誰が彼を責めることができようか?
 だが、現実は無残だった。おい、めどう君、しっかりしたまへ! 要するに、その美少女にとって、君は不安解消のための願掛け地蔵みたいなものだったのだよ。 

 こうしたクラスメイトたちとの思い出と、バンド仲間との思い出。この2つの流れは、それぞれ別な空間での出来事として記憶されていて、わざわざ同じ座標の中に並べてみたことは無かったのだが、こうして書いているうちに俄然興味が沸いてきて、レコードの発売日を調べて割り出してみた。
 爆発的な感情の炸裂に感動し、ロックにのめり込む切っ掛けとなった、レッド・ツェッペリンのシングル・レコード『胸いっぱいの愛を』。それを鮫島君が初めて貸してくれたのと、このクリスマスの思い出とは、時間的に極めて近いのである(笑)
 その4ヵ月後、3年になってからは、クラスメイトに背を向け、音楽仲間とばかり付き合い、そして夏以降、熱血キーボード小僧と化するのも、流れとしては、ごく自然に思える(笑)

 当時の音楽志向の変化を振り返って、その心理的要因となった可能性の強いエピソードを、面白おかしく綴ってみたが、ここらで、再び話しを音楽のフィールドへ戻そう。心理的な要因だけでは、音楽には出会えない。
 ピアノを習っていた子が、中学1年でアンサンブルの面白さに目覚め、次第にロックに興味を持ち、そしてツェッペリンでハード・ロックに傾倒し始めたとすれば、その後、ロック・キーボードで、そのテイストを目一杯表現したくなるのは、ごく自然な流れでもある。
 最初に興味を持ったロックのキーボーディストはアル・クーパーだった。ミュージック・ライフの人気投票「ピアニスト&オルガニスト部門」で1位にランクされていたし(まだキーボード・プレイヤーという呼称は一般化していなかった。シンセサイザーは電子音楽スタジオで使用する“装置”でしかなかった)、ブラス・ロックの旗手BS&Tの創始者としても知られていた。アルバム『スーパー・セッション』や、『クーパー・セッション』などのアルバムも、雑誌での露出度も高く、レコード屋の店頭でも見かけたので、LPを1枚入手してみて、けっこう気に入ってもいた。
 末原君が、ミュージックライフの紹介記事を見て、ザ・ナイスを率いていたキース・エマーソンを聴くことを勧め始めたのがいつごろだったか、実はよく思い出せない。オルガンとピアノを駆使し、ギターレスのトリオでやっているのだから、よほどスゴイはずだ、というのが彼の考え方だった。彼の心酔するクリームが、ギターを中心としたトリオで、そのキーボード・ヴァージョンという捕らえ方だったと思う。
 鮫島君からも、オルガンにナイフを突き刺す過激なテクニシャンという噂を聞かされていた。二人とも実際の音は聴いたことは無かったのだが、音楽雑誌から仕入れた情報を、そのままこちらに流していたので、その紹介記事が載っている雑誌も見せてもらい、次第に興味は膨らんできていた。
 ナイスというバンドは、本国イギリスではある程度人気が出ていたが、日本では、ほとんど無名だった。ミュージック・ライフの人気投票にも無関係。ラジオなどで聴けるチャンスも、ほぼ皆無だったし、地方都市鹿児島のレコード屋でも一度も見たことがなかった。
 当時は、月に千円の小遣いしか貰っていなかったので、LP1枚買うのに、丸2ヶ月何も買わないで我慢しなければならず、今みたいに、興味を持ったら取り敢えずすぐに注文して買ってみる、というわけにもいかなかった。そういうわけで、一度も耳にしたことの無い音楽に対しては、なかなか手が出ない状態だった。

 初めてその音を聴く機会に恵まれたのは、当時、天文館アーケード街にあった十字屋という楽器屋だった。末原君、鮫島君らと連れ立ってレコード屋巡りをすることが、習慣となっていた。鮫島君が『夢を追って』というシングルを探し出してきたときは、「よくあったなあ!」というのが真っ先に出てきた感想だった。そして大いに期待して3人で試聴した。
 
 (つづく)
   ↓
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