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めどうのエッセイ&写真コミュのチロル会音楽部 その14

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 日高君と出会ったときに感じた音楽的な感覚のズレは、ほんの瞬間的なものでしかなかった。最初は拒絶したジミー・ペイジのギター・プレイだったが、ほどなく賞賛の対象となり、鹿屋からやってくるたびに、ギターの音が変化していった。その変化については、当時、末原君らとよく口にしたものだ。それまで、ベンチャーズや寺内タケシしか演奏したことのなかった中学生が、ほんの数ヶ月の間で、ハード・ロック・ギタリストへとあれよあれよの大変貌を見せた。 
 日高君と末原君は、ギターの奏法について、色々と教えあっている姿をよく見た。以後、相談相手、あるいはライバルとして、良き友となったようだ。
 そのころから、他にも色んな意味で状況が変化してゆく。そして、その年の夏は、中学3年間の間でも、最も強い印象を残す思い出深い夏となった。
 まずひとつ嬉しかったことは、それまでに経験したことのない、広くて音量の出せる練習スペースを使わせてもらえたことだった。彼のお母さんが当時勤めていた会社の、南九州営業所が、鹿児島市の、城西中学校区からそう遠くないビルの中にあり、その倉庫に空きスペースがあったため、営業時間終了後、そこを使わせてもらえることになった。
 ここまで読んで、事情を熟知している方ならば、十分に解ってもらえると思うが、これはもう、天の助けのように思えた。
 末原君宅から、リアカーに器材を乗っけて運び、エレベーターで階上へと運び上げる作業が、なんと楽しく思えたことか…。

 練習場を提供してもらっただけでなく、発表の場までも設定してもらえた。ビルの屋上で毎年開かれる会社の納涼慰労パーティで、余興として何曲か演奏してもらえないかという話が浮上してきた。もちろん、ギャラが貰えるわけでもないのだが、人前で演奏できるだけでも無性に嬉しかった。  
 その前日、会場となる屋上に、楽器を運び上げての練習が始まった。オルガンは、相変わらず電動オルガンだったのが今では可笑しいが、マイクで音を拾って、アンプで音色をコントロールし、幾分音を歪ませ、そしてリヴァーブをかけた。その頃は、そうやってあたりに自分の出す音が鳴り響かせるだけでも嬉しかったものだ。
 ビートルズが『レット・イット・ビー』収録曲の録音をアップル社の屋上で敢行し、周囲とのトラブルを記録した映画とイメージを重ね、すっかりいい気分になっていた(笑)
 実は、その頃弾いていた曲というのが、どうもはっきりと思い出せない。オルガンが少しだけ目立つ曲としては、アニマルズの『朝日のあたる家』の間奏とか、アメリカのアート・ロック・バンド、アイアン・バタフライの『ガダ・ダ・ヴィダ』のイントロあたりだったろうか…。その程度でも「上手いねえ」などと言われていたような気がする。
 周辺に、幼児期からピアノを習っていた男の子もいなかったので、自分のポジションだけは常に安泰だったが、その他に、必要に応じてヴォーカル、ドラムと、曲によってポジションが変わる中途半端な時期だった。自分のやっていたことだけを注視すると、何でも屋からキーボード専門への移行期みたいな、なんとも中途半端な気分が思い出される。

 慰労会での演奏を楽しみに準備、練習したものの、残念なことに、当日は、自分だけが参加できなかった。
 理由は、その頃、現役の教員だった父親に、迂闊にも「ビアガーデンで演奏することになった」と告げたことによる。未成年者がアルコールの出るところで演奏することは法的に禁じられている、ということで直前ストップがかかった。
 もちろん、食い下がった。商売でアルコールが出るのではなくて、顔馴染みの人たちが家族的な雰囲気の中で飲むだけだからいいではないかと…。しかし、それに対しての父の言い分は、およそ次のようなものだった。
 もし、そのことを外部の誰かが聞き付け、事実を捻じ曲げて大袈裟に騒いだとしたら、問題にならんとも限らない。万が一問題になった場合、そのことを教員である父親が事前に知っていたとなると、洒落では済まされなくなる。
 校則や教育基本法などに縛られるというのは、教員の家庭に生まれ育った者の宿命とは言え、無防備に“ビアガーデン”などという言葉を使ったのが失敗だった。実質は、親族の宴会で子供が歌を歌うことや、結婚式の余興などと何等変わりは無いのだが…。
 中学生時代というのは、高校時代と比べてみても、経済的にはもちろんのこと、精神的にもまだまだ、どっぷりと親の傘の下にいるという意識が強かったような気がする。

 バンドの1人が教員の息子で、親からのストップで参加できなくなった、という情報は、慰労会の主催者側にも伝わり、重く見たようで、それに対して苦慮した様子が、当日の演奏を録音したテープから十分すぎるほど伝わってくる。
 
 ではテープ再生。
 「みなさん、こちらに並んでおられるのは、日高さんのご子息と、そのお友だちです」
 (へぇ〜。こんなに大きな息子さんがいるのねぇ)
 「本日の慰労会で、演奏していただくことを楽しみに、私共も、倉庫を練習場として提供させていただき、彼らも、それに応えて、一生懸命練習してきました」
 盛大な拍手がおこる。
 「しかし、残念ながら学校のほうから、お酒の出る場所で演奏することはまかりならん、というお達しがありました」
 (えぇぇぇぇ〜〜!)
 会場全体がざわついている。
 「そういうわけで、彼らは、本日ここでは演奏できないことになりました」
 (残念だぁ。聴きたいよねぇ〜)
 「その件とは全く別に、彼らから練習場所として屋上を使わせてもらいたいという依頼がありまして…」
 一部から、くすくすと笑いがもれ始める。
 「慰労会とのバッティングを避けて、気兼ねなく練習してもらいたかったのですが、あいにく、この時間帯以外に練習時間が取れないということで、慰労会の最中ではありますが、やむを得ずこれから練習を始めます。あくまでも、これは練習です。もしかすると、こちらに音が漏れてくるかもしれませんが、そうなったとしても、皆様、どうか大目に見てくださいますよう、お願い申し上げます」
 爆笑と拍手の嵐が起こる。
 そして演奏、ではなくて練習(笑)が始まった。

 テープを聴いている最中、皆、その場を思い浮かべて大喜びしていた。
 さすがに営業畑の人である。柔らかい考え方と、人の心を掴む話術は、さすがに天才的だと、口々に言い合った。
 演奏の随所に、メンバー1人1人の見せ場が設定されていて、それに対する拍手も惜しみなかった。
 そして、末原君。
 「ここで拍手がこれだけ来るんだから、君がいれば絶対拍手が貰えたんだよ」
 いたずらっぽい笑みを浮かべながら、悔しさを120パーセント引き出すような茶目っ気たっぷりの言い方をしてくれる熱き友情が憎らしかった(笑)
 
 この件の他にも、親が教員故の行動規制がきつくて、1人だけ悔しい思いをした経験が度々あった。そんなことは、もう、久しく思い出すこともなかったのだが、こうして昔を思い出して書いているうちに、心がすっかり当時に戻ってしまい、改めて悔しい思いをしている自分にふと気付き、何をいまさら…、と笑ってしまった。

 お盆休みには、存分に練習できるようにと、日高君にビルの鍵を預けてくれたが。3日間、中学生だけでビルを占領して、好きなように過ごしたのが懐かしい。練習に疲れたら、ビル全体を走り回り、エレベーターも勝手に使って、鬼ごっこに興じた。
 こうして言葉にしてしまえば、あまりにも他愛ないことだが、中学生諸君にとっては、このビル内鬼ごっこは、この上もなく楽しい時間だった。
 それから30年余が経過、凶悪犯罪が頻発し、セキュリティーが発達した現在では、まず100パーセント考えられないことだが、当時にしても、中学生にビルの鍵を渡すなどといういことは、異例中の異例だったと思う。そう、あまりにもおおらかなプレゼントだった。
 これまでに書いてきたいくつかのエピソードの中には、めったに思い出さないこともあるが、ビルを借してもらって遊んだことについては、中学3年時代を象徴する楽しい数日間としてときどき、ふと思い出すことがある。
 練習を継続させるために、近所の苦情の主を訪ねて謝罪したり、勝ち抜きエレキ合戦に出場した大人たちに冷ややかな視線を浴びせたりしながらも、角度を違えて見ると、まだまだ、こんなにも無邪気な子供たちだった。

 練習場として提供してもらったビル内の倉庫も、ほどなく物が増え、空きスペースが無くなってしまい、ひと夏の夢は、あっけなく過ぎ去った。

 (つづく)
  ↓
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コメント(2)

中学生達も純粋ですが、まわりの大人たちも暖かいですね。
読んでいるとこちらまで嬉しくなってきます。
これからも楽しみにしてます。

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