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象眼3rdコミュの047−08#コロナ/06五輪開催の是非

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ちょっと一息。

国民の多数は五輪開催賛成であったし、終了後も同じである。
右派左派いずれからも賛成も反対もあり、この点、思想はあまり関係ない。
開会式/閉会式についても肯定/批判、双方がある(割合は未確認)。
総じて「やってよかった」が国民の総意で間違いないだろう。

小生の見識は常に大衆と逆だwww。

小生は
・五輪開催はすべきで無かった、
・開催したいなら再度、延期すべきだった(五輪再延期派)
である。五輪が終わった今も・・・。
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<賛成の筋と反対の筋>

前提によって、小生の五輪開催是非は変わる。
小生のコロナの認識であれば、五輪開催はOKだ。
世間のコロナの認識であれば、五輪開催はNGだ。

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前提)小生のコロナの認識
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・コロナはカゼ/インフルの亜種
・よって5類が妥当
・対策は自然免疫と生活習慣(手洗い/換気/体調管理)
・マスクは一定の効果はあるが、基本は必要はない、只、マスクを信奉する
 大衆が多数の現状、モラルとして付けるべきだろう。わざわざノーマスクで
 周囲に不愉快を与えるべきではない。
・緊急事態云々も不要、時短も酒禁止も不要。
・当然、インフル同様、数千万人の感染者が出るレベルまで拡大はする。
 しかし、5類なので近所の町医者や民間の普通病棟で初期対処する。
  今、インフルで、そうしているように・・・。
・重症者は一般の入院ベッドで。重篤化したら専門病院に搬送。
  今、インフルで、そうしているように・・・。

これが実現していれば、感染者は期待どおり、更に増えていたハズだ。
重症者/死亡者もわずかに多かった可能性はあるが「自然免疫と生活習慣」
をしっかりやっていれば、今と同じだったと思う。
(別項で述べた「満員通勤電車でクラスタ発生しない事の思索」を参考)

「真冬に真っ裸でドンチャンやれば、必ず発熱する」そういうレベルの無策で
あればコロナに限らず、どんな病気も防ぐ事はできない。
政府にやる事があるとすれば
・「特に何かするでもないが、普通に生活習慣で予防はちゃんとやって」
 その方法を考えればよい。例えば「毎日、体温計で発熱を確認して」など。
 そして、万が一の最悪事態に備え、医療体制、空港検閲、など、法改正も
 含め準備しておく。1年の時間は決して短くはない。

こういう態度の政府と国民であったなら、五輪OKである。
観客制限も不要、というか、もしかしたらコロナ感染するかも知れないが
それはインフルが大流行している冬に観戦して感染する事と同じだ。
インフルが怖くて観に行かない。インフルなってもイイから五輪を生で観たい
いずれも個人の選択と責任にまかせればよい。

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前提)世間のコロナの認識
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・コロナはインフルと比較にならない危険な伝染病
・よって2類が相当
・対策は3密防止、行動制限、時短、酒禁止、とにかく出歩かない。
・そして、感染者を少しでもゼロに近づける。増えれば緊急事態宣言。
・2類なので医療は専門病院のみ。町医者は初診で陽性なら、担当できない。
・「2類、医療は専門病院のみ」だから、判断基準はインフルの危険性より
 医療崩壊の危険性を防止する事になる(本末転倒)。
  (詳細すれば、陽性に初期対応するのは保健所だが)

医療崩壊寸前、緊急事態宣言で民間の自由行動と商売財産を棄損する、つまり
実質的な憲法違反状態をしてまで対策しても騒動はおさまらない

こういう状態の政府と国民であれば、五輪など、検討する必要もなく、1秒で
中止、即決しか選択肢はない。

国民の生命と財産を棄損しても尚、鎮静化しないコロナ騒動で
スポーツの祭典をする理由など1%も無い。

スポーツの祭典をする労力/コスト/エネルギー、そのすべては日本国民の
生命と財産の棄損の1日も早い復帰に全力投球するのが政府の使命である。

★国民の生命と財産の棄損を原状復帰する、これに勝る優先順位はない★
★それが解決したら、祭りでも何でも、ど〜ぞ、ご自由にやればイイ★

五輪中止しても死者は出ない。
生命と財産の棄損を放置すれば倒産/自殺者が増える。

答えは、当然、中止か延期になる。

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大切なのは「選手たちの夢」より子供達の「二度と戻らない日」
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五輪中止で選手達の夢は消える。
緊急事態宣言で、多くの小/中/高の子供達の「二度と戻らない日」が消える。

アナタも経験した「子供にとって3年間の学生生活」を思い出して欲しい。

オトナの時間尺度にとって1〜2年は小さい。オトナが苦労する事はイイ。
3年間の中高生にとって、1〜2年の自粛、体育祭や修学旅行の中止は1/3
2/3の自由な時間が消える事だ。しかも中高生の数は五輪中止で夢が散った
選手らの比ではない程、多い。

2019年度実績、
中学生330万人/高校生340万人。計、670万の子供達が3年間のうち
「2度と戻らない大切な1〜2年」を奪われているのだ。こんなヒドイ事が
あろうか。根拠も効果もない緊急事態宣言、自粛の為に・・・。

小生はコロナよりも、その方がはるかに深刻だと思う。

・インフルで死ぬ子供はいるのに緊急事態宣言、自粛はしない。
 3年間を自由に過ごす事ができる。
・コロナで死ぬ子供はゼロなのに緊急事態宣言、自粛をする。
 3年間の1〜2年の自由が奪われる。

何を、どう解釈しても、後者の現実は間違っている。
オトナが揃いも揃って不見識なので、子供たちにはホントに申し訳がない。

こんな状態でスポーツ祭りを楽しむ者がいるなら、考えを改めるべきだ。
物事には優先順位があるという事を。

・道で倒れて血を流している者は、まず助けるべきだ。
・道で倒れて血を流している者を前に、ワタシはアイスを食っている。
 とけないうちに食う。それから助ける。
という者は精神病理である。
・道で倒れて血を流している者を前に、アイスを食いながら救助もする。
という者は精神病理は言い過ぎでも、確実に非常識である。

・アイスが溶けても、まずは倒れている人を、結果、アイスがダメでも
 それは仕方がない。それが優先度というものだ。

小生の前提/世間の前提、両者で五輪賛否は異なる。
現実に起こった事は後者だ。よって小生は五輪開催はNOと言うしかない。
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そうして、五輪NOの小生は、選手達の活躍や勝利をまったく尊重する。
五輪開催はNOだから選手達のメダルを否定するなど、アホな事はない。
五輪開催NOなら選手達のメダルもNOだろ!というアホな合理を言う
者があるが、それは合理でも何でもない。
合理は、前述の前提によって開催NOであり、
合理は、選手達が頑張った努力には祝福であり、
両者の合理はまった違う事柄であり、この2つに矛盾などない。

小生はネットの文字ソースを観ただけ、動画では開閉会式ダイジェストと、
これもダイジェストの競技を5〜6種観ただけ。

さて、そういう小生にとってとっても気になる事があり、印象的だった。
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<ヒドかったMISIAの君が代>


ニュースでMISIAの国歌斉唱、素晴らしい!とあったので観てみた。
何故かと言うと、小生は、

「MISIAには君が代を美しく唄う事はできない」

と理解してたので「どれどれ、ホントか?」と確認したかったのである。
小生の理解は正しかった。

MISIAを賞賛する諸兄には大変申し訳ない。個人の意見だが、内容は
MISIAをディスるもので、ホントに申し訳ない。しかし、感じた事実
なので申す。重ねてファンには申し訳ない。コイツは耳が悪く、音楽を解って
いないシロウトだ!とでも思ってほしい。

 コレ、ヒドいっす
 ↓
 【NHK】開会式 MISIAさん国歌 東京オリンピック
 https://www.youtube.com/watch?v=DxAOzJqxh0E

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MISIAは君が代を唄っていない
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君が代を唄っていないって?、そう、それは歌詞/言葉/日本語の事である。

君が代歌詞

 きみがよは
 ちよにやちよに
 さざれいしの
 いわおとなりて
 こけのむすまで

MISIAが唄った、君が代・・・みたいな変な唄
(彼女は<>の中を唄った)

 きみが<お>は
 ち<お><り>やち<お><い> 
 さ<さ>れいし<を>
 <ひ>わおとなりて
 <お>けのむすま<て>

アナタは日本語ネイティブだから、MISIAが唄った「君が代のメロディと
意味の無い変な歌詞」を関連付けて、君が代だと理解して聴く事ができる。
思い込みと先入観である。「ソラ耳」にも近い。

日本語のヒアリングができ、初めて君が代を聴く外人は、こういう変な日本語
に聴こえている。意味が解らない。そんな日本語、習ったかな?と。
日本人の小生ですら、そうなのだから・・・。

「こけのむすまで」を「おけのむすまて」と言われたら、どうにもできん。
「苔(こけ)」と「桶(おけ)」、笑ってしまう。
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<君が代は難しい>

そもそも
君が代は、難しい唄だ。
テンポが遅く、平坦で、サビで盛り上がる事もない、というか、
唄の終わりは始めと一緒、鎮静化して静寂に戻る循環になっている。
この唄の重要な点は「盛り上がり」にあるのではない。

抽象的に表現すると、
・君が代はひたすら静寂/おだやかを基本とした世界観の中で進み、
・わずかな揺らぎ、を音量/感情の微細なコントロールで表現する
・盛大に盛り上げて情熱をドーンと伝えるのではなく、
・静寂に帰する事で、じわじわ、しみじみ、という比喩による
 永遠、そこはかとない充足、平穏、そして平和を得るものである

静寂の循環運動、そこに永遠を感じ、それを平和と理解する。

コンテンポラリィ・ミュージック歌手にとって多くのセオリーが通用しない。

★君が代を唄いあげる、初歩にして最大唯一のポイントは日本語の美しさ★

である。美しい日本語で唄う事ができない歌手は、どんなにテクニシャンでも
君が代をヘタに唄う、否!
ホントのテクニシャンなら、美しい日本語が出来ずとも唄のテクニックを駆使
して、技術だけで唄う事ができる。日本語を知らない外国人でも唄の技術と
「感度のイイ耳」があれば君が代を美しく唄う事は可能だ。
つまり、
MISIAはテクニックとして単にヘタなのである。
或いは耳が悪いか・・・。
或いは日本語を何か間違って覚えているか・・・。
(日常生活の日本語でもキレイに言う事ができない)
或いはこういう様に唄う事をカッコいい/凄いと思っているか・・・。
或いは日本語を唄うテクニックだけがヘタなのか・・・。

詳細すると

子音の発音が(日本語が解らなくなる程)足りない
或いは
母音の音量が(日本語が解らなくなる程)大き過ぎる
日本語が壊れる程、日本語の子音と母音のバランスが悪い。

唄い出し、「きみがよ」の「よ」を「お」で唄う。
この冒頭、唄の最大テーマを壊してる時点で落第だ。
唄い出し、まだ、静寂だ。音量を張るところでもない。
リラックスして、しずかに「よ」と唄える。しかし、彼女は唄えない。

彼女は己の唄う君が代を再生し、己で客観的に聞いていない可能性が高い。
だって、ちゃんと聴けば「よ」ではなく「お」なのは誰でも解るのだから。
プロの耳は小生などより敏感なハズだ。
更に言えば、
小さな声と大きな声で「よ」と「お」をしっかり発音する事ができないプロ
などいない。どういう状態でも「よ」と「お」は区別する。だって・・・
違う文字なんだから・・・。

スタジアムで大音量で唄えば、そうなるってか?絶対ならないね!
彼女はスタジアムライブ初ではない。過去、腐るほど経験している。
なま唄とライブ残響の食い違いなど、理解して補正しているハズだ。
自分のカラダに響いている地声とマイクに乗って処理された声が違う事も熟知
して、補正し、最終的に処理された後にキレイに聴こえる様にコントロール
しているハズだ。それでも「きみが・お」なのだ。

歌手は歌詞を非常に大切にする。
歌詞とメロディの相乗効果があって初めて想いをリスナーに届けるからだ。
「届ける」という思いが強ければ強い程、プロは歌詞/言葉を重要視する。
だから、
日本語の時の歌詞とその唄い方、英語部分の歌詞とその唄い方、両者は相応に
異なった技術を使った唄い方をする。それがプロの歌手の仕事であり、力量で
ある。我々の酔った勢いのカラオケとは次元が違う。

君が代は日本語が美しく発音されないと、話しにならない。
そういう意味でなら、歌唱力は劣るが、コチラの方が国歌斉唱としては上だ。

 手越祐也の国歌斉唱
 https://youtu.be/1MIQWOvHd_Q?t=42

ちゃらいイメージのある手越は、個人的には大嫌いである。まあ、直接会って
呑んだ事もないのに失礼だが。
彼とMISIAの歌唱力という点、ドチラが上か?賛否はあろうが、まあ・・・
多くはMISIAだろうし、彼も自分で歌唱力でMISIAを越えているとは
思ってないだろう。
だからこそ、せめて、言葉を大切に、一言一句、ハッキリ発音しようとした。
己ができる事は精一杯しっかりやった。プロとして仕事はキッチリしている。
それは歌手としての誠意であり、「届ける事」を重要視したプロの自覚であり
国歌斉唱する歌手としてリスペクトに値する。
彼は
国歌斉唱を唄う事の意味を解っている。その為に最低限必要な事を解っている。
それが歌詞となって表れる。不気味なMISIAの唄より、すがすがしく、
いさぎ良さの分、気持ちがイイ。

何度も、前述のMISIA動画と手越を聴き比べて欲しい。
唄のテクニック以前、正しい歌詞を伝える事ができないならプロの資格はない。

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MISIAはブラコンもヘタである
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冒頭、「MISIAには君が代を美しく唄う事はできないと理解していた」
であるが。

だいぶ古いが
彼女の出世作品であるヒット曲「Everything」の時点で、彼女は唄はヘタだと
思っており、現在まで、その感想は変わっていない。

彼女はブラコン/ゴスペルなどソウルミュージック的アプローチを志向し、
当時の「黒人歌、唄えるヤツは唄うまい論」という間違った価値で歌姫的に
宣伝されたが、当時から小生は「日本の童謡唄わせたらきっとヘタだろう」
と思っていた。
 (MISIAの唄う「さっちゃん」は想像しただけで笑える。
  ♪さっちゃんはね、を♪すわっしゃんあれ、などと唄うのか)

その時から彼女の「日本語唄のヘタさ」を予見している。
それはヒット曲「Everything」の日本語歌詞ですら、既にそうだった。

ソウルミュージックの声量ダイナミクスはカラダの響き、喉/口内の使い方
など多種の要素があるが、当時の和製ソウルシンガーは、喉/口内の使い方
で致命的な間違いを犯している者が多発していた。「言葉の問題」だ。
英語のソウルミュージックは英語の発音、響きで構成され、その独特さが
ソウルミュージックのキモになっている。そして、実は、その響きは日本語
では実現できない。だって、そもそも言葉が違うのだから・・・。
それは当時から少なく無いミュージシャンは解っていた。ソウルに限らず
ロック、フォーク、すべてのジャンルで、英語唄と日本語唄の問題がある。

日本語でそれを模倣するには日本語(日本語の発音)を崩して英語ライクに
する事で、ある程度のレベルの響きを獲得する事はできた。その代償として
日本語の美しさを壊している。

久保田利伸/宇多田ヒカルなど、おおよそソウルミュージックをベースとする
歌手はすべて同じである。しかし、その事に気付き、日本語をキレイに発声
する方向に変えた歌手も少なからず存在する。

久保田利伸も、その一人だ。
歌謡曲/売れ線Jポップとホンモノのソウルミュージックの狭間で、彼は相当
悩んでいたハズだ。それは彼が耳がイイ事を示している。
そして、日本人であるという己のルーツに誇りを持って唄う事、和製〇〇でなく
和のまま、日本人が美しい日本語を唄う事、それがソウルミュージックだという
事を彼は悟っている。英語で唄う唄と違ってよいと・・・。
彼は日本語で唄う事で、ホントのソウルミュージックを会得し、言語の違う黒人
と同じ世界にいる。言葉はそれ程、重要なのである。

MISIAは残念ながら、その域に達していない。
依然としてソウルっぽくする為に日本語を崩して似せる!から脱していない。
彼女のキャリア上、気付くのが少し遅すぎる気がする。ソウルミュージックを
深堀りしてないのかも知れない。もう、Jポップでイイや、と・・・。
それは彼女だけのせいではない。「あの程度」で、歌姫、歌唱力抜群!などと
祭り上げられてしまったからだ。それを壊さなければ先が無いが、この君が代を
聴いている限り、期待は薄い。彼女は40歳を超えている。過去の己を壊すには、
少々、遅いだろう。しかし、可能性はゼロではない。死ぬまで修行だから。

せめて、
己は君が代を唄えない日本語がヘタな歌手だと自覚して、自分のオリジナルに
専念してくれればよいが・・・。
彼女の唄の世界観の中での歌唱なら、崩れた日本語も逆に味となって心地よく
聞こえるだろう。今のままのセンスで、君が代や童謡などを唄う危険は避ける
べきだろう。

小生は、
すべては自由なり、だから、何を唄おうが、あまり批判はしたくない。
己が愛する音楽だから尚更だ。99ヒドいと思っても1の良いを語る。
それが「音楽★美人」のポリシーである。

しかし!
国歌は特殊で自由な発想や表現の前に、守らなければならない掟がある。
世界中のシンガーはその掟を守って国歌を歌っている、掟を守った上で、
己の技術/オリジナリティを出している。だからプロなんだが・・・。

君が代の掟は言葉だ。美しい日本語の発音だ。
それが無いと、君が代が持つ、
・静と動、調和、
・始まりも終わりもない、
・始まりと終わりが連続して一緒、つまり永遠
そういう日本的世界観が唄えないどころか、逆に盛り上がりもないダサい曲
になってしまう。それは日本国家に対する侮辱でもある。

ちょっと訓練すれば小学生だって美しい日本語の発音はできる。
だって、日本人だから・・・。勿論、ある程度の訓練は必要だが。

唄を生業とし、様々な技術を持つプロ歌手が唄を侮辱してよいハズがない。

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PS)

そこまでオレが好きなMISIAをコケにするなら、日本語の美しい歌手を
言ってみろ!ってか?
勿論、言える。

真っ先に思い浮かぶのが「由紀さおり」だ。
若い方は当然知らないだろう。
彼女の全盛期は小生もボンズの頃の大昔である。
様々なジャンル、洋楽/邦楽を聞きまくって数十年、彼女の日本語の唄の
美しさを痛感する現在である。

歌謡曲としては「夜明けのスキャット」が超メジャーだが、小生の推しは
ダントツで「生きがい」である。



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