ログインしてさらにmixiを楽しもう

コメントを投稿して情報交換!
更新通知を受け取って、最新情報をゲット!

新・考える糧ゴリー 旅は続くコミュの聖書の部屋

  • mixiチェック
  • このエントリーをはてなブックマークに追加
聖書とは、ウィキペディアによれば、キリスト教、ユダヤ教の教典、正典であり、イスラム教でも教典とされている。

例えばキリスト教では、旧約聖書の話か新約聖書の話か記してくださるようにお願いします。


25コメント連投,OKです。

コメント(17)

やきいも私は高校生の時、トルストイの〖戦争と平和〗や
ドストエフスキーの〖カラマーゾフの兄弟〗や
ヨハンナ スピリの〖アルプスの少女ハイジ〗などを読みました。
しかしながらこれらの文学作品は〖聖書〗を読んでないと
真に理解できないと思いました。
たとえば‥〖アルプスの少女ハイジ〗の登場人物〖おんじ〗は
実は若い頃 賭け事やお酒で身を滅ぼし
傭兵として外国の戦地に赴いた過去があったのです。
そのことによって実際に人を殺したか殺していないかにかかわらず
村人たちに人殺しと噂され村の中に住めなくなっていたといわれてました。
そんなおんじがハイジと出会うことで心が洗われ
ふたたび教会に通うまでになったのです。
この〖ふたたび教会に通う〗ってことが
どれだけスゴイことなのか‥
やはり〖聖書〗を読んでないと真に理解できないと思ったのです。
それで私は〖聖書〗を読み 西洋のキリスト教文化の勉強をしたのです。花束クラッカー
キャンディ「罪のない者だけが石を投げよ」 新約聖書 ヨハネによる福音書
あなたたちの中で
罪を犯したことのない者が
この女に、まず石を投げなさい
「姦通の女」ヨハネによる福音書 第8章3〜11節
聖書の中に姦通罪で捕らえられた女性をめぐって
主イエスと律法学者たちが対決する場面があります。
旧約の律法では姦通罪は石打ちの死刑にされることになっていました。
判断を求められた主イエスは「あなたたちの中で罪を犯したことのない者が
 まず石を投げなさい」と言いました。
すると年長者から始まって一人また一人と立ち去ってしまい
誰も女に石を投げることができませんでした。
人を裁く権利や資格をもつ者はいない‥
この出来事は この世界には罪を犯したことのないものは一人もなく
自分の正しさを根拠に人を裁く権利や資格をもつ者は
誰もいないことを明らかにしています。
さらに一人の人が罪を犯すことになった背景にある社会的責任は
社会のすべての人にあることをも意味しています。
キリストはその女性を裁き排除することより
そこで起こった問題をみんなの問題として受け止めることを求め
その人の立ち直りのために赦しと
愛とを与えられたのです。とあるクリスチャンのブログよりなるとキャンディ
蒸気機関車ルカによる福音書11章より‥
イエスが食前にまず洗うことをなさらなかったのを見て
そのパリサイ人が不思議に思った。
そこで主は彼に言われた、
「いったい、あなたがたパリサイ人は、杯や盆の外側をきよめるが、
 あなたがたの内側は・欲と邪悪とで満ちている。
 愚かな者たちよ、外側を造ったかたは、また内側も造られたではないか。
 ただ、内側にあるものをきよめなさい。
 そうすれば、いっさいがあなたがたにとって、清いものとなる。
 しかし、あなた方パリサイ人は、わざわいである。
 はっか、うん香、あらゆる野菜などの十分の一を宮に納めておりながら、
 義と神に対する愛とをなおざりにしている。
 それもなおざりにはできないが、これは行わねばならない。
 あなたがたパリサイ人は、わざわいである。
 会堂の上席や広場での敬礼を好んでいる。
 あなたがたは、わざわいである。
 人目につかない墓のようなものである。
 その上を歩いても人々は気づかないでいる」。
ひとりの律法学者がイエスに答えて言った、
「先生、そんなことを言われるのは、わたしたちまでも侮辱することです」。
そこで言われた、「あなたがた律法学者も、わざわいである。
 負い切れない重荷を人に負わせながら、
 自分ではその荷に指一本でも触れようとしない。
 あなたがたは、わざわいである。
 預言者たちの碑を建てるが、しかし彼らを殺したのは、
 あなたがたの先祖であったのだ。
 だから、あなたがたは、自分の先祖のしわざに同意する証人なのだ。
 先祖が彼らを殺し、あなたがたがその碑を建てるのだから。
 それゆえに、『神の知恵』も言っている、
『わたしは預言者と使徒とを彼らにつかわすが、
 彼らはそのうちのある者を殺したり、迫害したりするであろう』。
 それで、アベルの血から祭壇と神殿との間で殺された
 ザカリヤの血に至るまで、世の初めから流されてきた
 すべての預言者の血について、この時代がその責任を問われる。
 そうだ、あなたがたに言っておく、この時代がその責任を問われるであろう。
 あなたがた律法学者は、わざわいである。
 知識のかぎを取りあげて、自分がはいらないばかりか、
 はいろうとする人たちを妨げてきた」。
イエスがそこを出て行かれると、律法学者やパリサイ人は、
激しく詰め寄り、いろいろな事を問いかけて、
イエスの口から何か言いがかりを得ようと、ねらいはじめた。
律法学者やパリサイ人は イエスの言葉尻をとらえて
何か いいがかりをつけようと狙っていたのだ。🦈cool 
トランペット旧約聖書 創世記 第25章より‥
アブラハムは再び妻をめとった。名をケトラという。
彼女はジムラン、ヨクシャン、メダン、ミデアン、
イシバクおよびシュワを産んだ。
ヨクシャンの子はシバとデダン。
デダンの子孫はアシュリびと、レトシびと、レウミびとである。
ミデアンの子孫はエパ、エペル、ヘノク、アビダ、エルダアであって、
これらは皆ケトラの子孫であった。
アブラハムはその所有をことごとくイサクに与えた。
またそのそばめたちの子らにもアブラハムは物を与え、
なお生きている間に彼らをその子イサクから離して、
東の方、東の国に移らせた。
アブラハムの生きながらえた年は百七十五年である。
アブラハムは高齢に達し、老人となり、年が満ちて息絶え、
死んでその民に加えられた。
その子イサクとイシマエルは彼をヘテびとゾハルの子
エフロンの畑にあるマクペラのほら穴に葬った。
これはマムレの向かいにあり、
アブラハムがヘテの人々から、買い取った畑であって、
そこにアブラハムとその妻サラが葬られた。
アブラハムが死んだ後、神はその子イサクを祝福された。
イサクはベエル・ラハイ・ロイのほとりに住んだ。
サラのつかえめエジプトびとハガルがアブラハムに産んだ
アブラハムの子イシマエルの系図は次のとおりである。
イシマエルの子らの名を世代にしたがって、
その名をいえば次のとおりである。
すなわちイシマエルの長子はネバヨテ、次はケダル、
アデビエル、ミブサム、ミシマ、ドマ、マッサ、
ハダデ、テマ、エトル、ネフシ、ケデマ。
これはイシマエルの子らであり、村と宿営とによる名であって、
その氏族による十二人の君たちである。
イシマエルのよわいは百三十七年である。
彼は息絶えて死に、その民に加えられた。
イシマエルの子らはハビラからエジプトの東、シュルまでの間に住んで、
アシュルに及んだ。イシマエルはすべての兄弟の東に住んだ。
アブラハムの子イサクの系図は次のとおりである。
アブラハムの子はイサクであって、
イサクは四十歳の時、パダンアラムのアラムびとベトエルの娘で、
アラムびとラバンの妹リベカを妻にめとった。
イサクは妻が子を産まなかったので、妻のために主に祈り願った。
主はその願いを聞かれ、妻リベカはみごもった‥ギター🥟 
🥟※「つかえめ」とは 主人に仕える女という意味です。パンダ七夕
羊まことに まことに あなたがたに告げます。
一粒の麦がもし地に落ちて死ななければ それは一粒のままです。
しかし もし死ねば 豊かな実を結びます。
自分のいのちを愛する者はそれを失い
この世で自分のいのちを憎む者はそれを保って
永遠のいのちに至るのです。
(新約聖書 ヨハネによる福音書 第12章)駱駝弁当
イエス様の教えを 生きようとする方々は
人のために尽くすような生き方を
なさっているように見えます。

そうしないでは いられない それが
自然な生き方になったのかなと
思います。
「 苦しみの さなかに はいると
苦しみは もう なくなって
ただ 生きるということだけだった 」

(八木 重吉さん )
卵割りイエスがまだ群衆に話しておられるとき、
その母と兄弟たちとが、イエスに話そうと思って外に立っていた。
それで、ある人がイエスに言った、
「ごらんなさい。あなたの母上と兄弟がたが、
 あなたに話そうと思って、外に立っておられます」。
イエスは知らせてくれた者に答えて言われた、
「わたしの母とは、だれのことか。わたしの兄弟とは、だれのことか」。
そして、弟子たちの方に手をさし伸べて言われた、
「ごらんなさい。ここにわたしの母、わたしの兄弟がいる。
天にいますわたしの父のみこころを行う者はだれでも、
わたしの兄弟、また姉妹、また母なのである」。
だから人の前でわたしを受けいれる者を、わたしもまた、
天にいますわたしの父の前で受けいれるであろう。
しかし、人の前でわたしを拒む者を、
わたしも天にいますわたしの父の前で拒むであろう。
地上に平和をもたらすために、わたしがきたと思うな。
平和ではなく、つるぎを投げ込むためにきたのである。
わたしがきたのは、人をその父と、娘をその母と、
嫁をそのしゅうとめと仲たがいさせるためである。
そして家の者が、その人の敵となるであろう。
わたしよりも父または母を愛する者は、わたしにふさわしくない。
わたしよりもむすこや娘を愛する者は、わたしにふさわしくない。
また自分の十字架をとってわたしに従ってこない者は
わたしにふさわしくない。
自分の命を得ている者はそれを失い、
わたしのために自分の命を失っている者は、
それを得るであろう。 マタイによる福音書 虹オメデトウ
ヘリコプターこうしてエサウは父がヤコブに与えた祝福のゆえにヤコブを憎んだ。
エサウは心の内で言った、「父の喪の日も遠くはないであろう。
 その時、弟ヤコブを殺そう」。 (創世記27章41節)
さてヤコブはベエルシバを立って、ハランへ向かったが、
一つの所に着いた時、日が暮れたので、そこに一夜を過ごし、
その所の石を取ってまくらとし、そこに伏して寝た。
12時に彼は夢をみた。
一つのはしごが地の上に立っていて、その頂は天に達し、
神の使たちがそれを上り下りしているのを見た。(創世記28章10〜12節)
神様の御言葉‥
「私はあなたの神である。
 あなたが今 横になっている土地を、あなたとあなたの子孫に与えよう。
 あなたの子孫は、大地の砂つぶのように多くなり、
 世界中に広がっていくだろう。
 私はいつでもあなたと共にいて、どこに行っても守り、この土地に連れ帰る。
 私はあなたを決して見捨てないだろう」
さてヤコブは目をあげ、エサウが四百人を率いて来るのを見た。
そこで彼は子供たちを分けてレアとラケルとふたりのつかえめとにわたし、
つかえめとその子供たちをまっ先に置き、レアとその子供たちを次に置き、
ラケルとヨセフを最後に置いて、
みずから彼らの前に進み、七たび身を地にかがめて、兄に近づいた。
するとエサウは走ってきて迎え、彼を抱き、
そのくびをかかえて口づけし、共に泣いた。 (創世記33章1〜4節)蒸気機関車ジェットコースター
兎 だから、立っていると思う者は、倒れないように気をつけるがよい。
あなたがたの会った試錬で、世の常でないものはない。
神は真実である。
あなたがたを耐えられないような試錬に会わせることはないばかりか、
試錬と同時に、それに耐えられるように、のがれる道も備えて下さるのである。
 コリントの信徒への第一の手紙 10章ピザチャペル
羊ルカによる福音書 第10章
〖その後 主は別に七十二人を選び
行こうとしておられたすべての町や村へ ふたりずつ先におつかわしになった。
そのとき 彼らに言われた、「収穫は多いが 働き人が少ない。
 だから 収穫の主に願って その収穫のために
 働き人を送り出すようにしてもらいなさい。
 さあ、行きなさい。わたしがあなたがたをつかわすのは
 小羊をおおかみの中に送るようなものである。
 財布も袋もくつも持って行くな。だれにも道であいさつするな。
 どこかの家にはいったら まず『平安がこの家にあるように』と言いなさい。
 もし平安の子がそこにおれば
 あなたがたの祈る平安はその人の上にとどまるであろう。
 もしそうでなかったら それはあなたがたの上に帰って来るであろう。
 それで その同じ家に留まっていて
 家の人が出してくれるものを飲み食いしなさい。
 働き人がその報いを得るのは当然である。
 家から家へと渡り歩くな。
 どの町へはいっても人々があなたがたを迎えてくれるなら
 前に出されるものを食べなさい。
 そして その町にいる病人をいやしてやり
『神の国はあなたがたに近づいた』と言いなさい。
 しかし どの町へはいっても人々があなたがたを迎えない場合には
 大通りに出て行って言いなさい、
『わたしたちの足についているこの町のちりも ぬぐい捨てて行く。
 しかし 神の国が近づいたことは 承知しているがよい』。
 あなたがたに言っておく。
 その日には この町よりもソドムの方が耐えやすいであろう。
 わざわいだ、コラジンよ。
 わざわいだ、ベツサイダよ。
 おまえたちの中でなされた力あるわざが
 もしツロとシドンでなされたなら
 彼らはとうの昔に荒布をまとい灰の中にすわって 悔い改めたであろう。
 しかし さばきの日には ツロとシドンの方がおまえたちよりも
 耐えやすいであろう。
 ああ、カペナウムよ、おまえは天にまで上げられようとでもいうのか。
 黄泉にまで落されるであろう。
 あなたがたに聞き従う者は わたしに聞き従うのであり
 あなたがたを拒む者は わたしを拒むのである。
 そしてわたしを拒む者は
 わたしをおつかわしになったかたを拒むのである」。ブドウ風鈴 
羊七十二人が喜んで帰ってきて言った、
「主よ、あなたの名によっていたしますと
 悪霊までがわたしたちに服従します」。
彼らに言われた、「わたしはサタンが電光のように天から落ちるのを見た。
 わたしはあなたがたに へびやさそりを踏みつけ
 敵のあらゆる力に打ち勝つ権威を授けた。
 だから あなたがたに害をおよぼす者はまったく無いであろう。
しかし 霊があなたがたに服従することを喜ぶな。
 むしろ あなたがたの名が天にしるされていることを喜びなさい」。
そのときイエスは聖霊によって喜びあふれて言われた、
「天地の主なる父よ。あなたをほめたたえます。
 これらの事を知恵のある者や賢い者に隠して
 幼な子にあらわしてくださいました。
 父よ、これはまことに みこころにかなった事でした。
 すべての事は父からわたしに任せられています。
 そして子がだれであるかは 父のほか知っている者はありません。
 また父がだれであるかは 子と父をあらわそうとして
 子が選んだ者とのほか だれも知っている者はいません」。
それから弟子たちの方に振りむいて ひそかに言われた、
「あなたがたが見ていることを見る目は さいわいである。
 あなたがたに言っておく。多くの預言者や王たちも
 あなたがたの見ていることを見ようとしたが 見ることができず
 あなたがたの聞いていることを聞こうとしたが 聞けなかったのである」。
するとそこへある律法学者が現れイエスを試みようとして言った、
「先生、何をしたら永遠の生命が受けられましょうか」。
彼に言われた、「律法にはなんと書いてあるか。あなたはどう読むか」。
彼は答えて言った、「『心をつくし、精神をつくし、力をつくし、
 思いをつくして、主なるあなたの神を愛せよ』。
 また『自分を愛するように、あなたの隣り人を愛せよ』とあります」。
彼に言われた、「あなたの答は正しい。そのとおり行いなさい。
 そうすれば いのちが得られる」。
すると彼は自分の立場を弁護しようと思ってイエスに言った、
「では わたしの隣り人とはだれのことですか」。
イエスが答えて言われた、
「ある人がエルサレムからエリコに下って行く途中 強盗どもが彼を襲い
 その着物をはぎ取り傷を負わせ半殺しにしたまま逃げ去った。
 するとたまたま ひとりの祭司がその道を下ってきたが
 この人を見ると向こう側を通って行った。
同様にレビ人もこの場所にさしかかってきたが
彼を見ると向こう側を通って行った。
ところが あるサマリヤ人が旅をしてこの人のところを通りかかり
彼を見て気の毒に思い近寄ってきてその傷にオリブ油とぶどう酒とを
注いでほうたいをしてやり自分の家畜に乗せ宿屋に連れて行って介抱した。
翌日 デナリ二つを取り出して宿屋の主人に手渡し
『この人を見てやってください。
 費用がよけいにかかったら帰りがけに わたしが支払います』と言った。
この三人のうち だれが強盗に襲われた人の隣り人になったと思うか」。
彼が言った、「その人に慈悲深い行いをした人です」。
そこでイエスは言われた、「あなたも行って同じようにしなさい」。
一同が旅を続けているうちにイエスがある村へはいられた。
するとマルタという名の女がイエスを家に迎え入れた。
この女にマリヤという妹がいたが
主の足もとにすわって御言に聞き入っていた。
ところがマルタは接待のことで忙がしくて心をとりみだし
イエスのところにきて言った、
「主よ、妹がわたしだけに接待をさせているのを
 なんともお思いになりませんか。
 わたしの手伝いをするように妹におっしゃってください」。
主は答えて言われた、「マルタよ、マルタよ、
 あなたは多くのことに心を配って思いわずらっている。
 しかし無くてならぬものは多くはない。
 いや、一つだけである。
 マリヤはその良い方を選んだのだ。
 そしてそれは 彼女から取り去ってはならないものである」〗
ルカによる福音書 第10章サンタ七夕 
貝マタイによる福音書11章28節
「すべて重荷を負うて苦労している者は わたしのもとにきなさい。
 あなたがたを休ませてあげよう」占い雪結晶
マタイによる福音書 第16章
パリサイ人とサドカイ人が近寄ってきて
イエスを試み 天からのしるしを見せてもらいたいと言った。
イエスは彼らに言われた、
「あなたがたは夕方になると
『空がまっかだから、晴れだ』と言いい
 また明け方には『空が曇ってまっかだから
 きょうは荒れだ』と言いう。
 あなたがたは空の模様を見分けることを知りながら
 時のしるしを見分けることができないのか。
 邪悪で不義な時代は しるしを求める。
 しかしヨナのしるしのほかには
 なんのしるしも与えられないであろう」。
そして イエスは彼らをあとに残して立ち去られた。
弟子たちは向こう岸に行ったが
パンを持って来るのを忘れていた。
そこでイエスは言われた、
「パリサイ人とサドカイ人びととのパン種を
 よくよく警戒せよ」。
弟子たちは これは自分たちがパンを持ってこなかったためであろう
と言って互いに論じ合った。
イエスはそれと知って言われた、
「信仰の薄い者たちよ、なぜパンがないからだと
 互いに論じ合っているのか」‥ 
人類の共通の祖先が原罪を犯した。

神の子イエスキリストが十字架への、はりつけの刑に処せられることによって罪をあがなった。

だからどんな罪人もイエスキリストを信じれば罪を許されて救われる。

それがキリスト教だ。

しかし旧約聖書と新約聖書は、一人の書き手によって書かれているのではないために、書かれている内容が書かれている箇所によって違う。

相互に排他的な多数の解釈を許す、テキスト集なのだ。

たとえば、新約聖書にパウロという書き手によって書き綴られた手紙が掲載されているのだけど、イエスキリストを信じなくても罪より救われることを、実体験で証明している生き証人だったのが、パウロである。

ポイントは、パウロがイエスキリストを信じなくても、神から信じる心を与えられて、パウロにおいて神の心が神を信じることによって、パウロが救われた、という点だ。

パウロはキリスト教徒たちを迫害するという悪行の限りを尽くしている最中に、光に打たれて神から心に直接語り掛けられる内的体験をして、回心を経験して救われた。

『パウロと親鸞』(佐古純一郎)によれば、パウロも親鸞も、神仏から心に直接語り掛けられる内的体験をしていて、自力で阿弥陀仏を信じなくても、阿弥陀仏から南無阿弥陀仏という信じる心を貰って、親鸞において信じる心である南無が阿弥陀仏を信じて、親鸞は救われた。

親鸞のそういう体験が、他力本願の思想の布教活動を開始するきっかけとなっていて、宗教学者佐古純一郎によれば、宗教家というのは大抵、宗教家になるきっかけになった、そういう神秘体験をしているものなのだ。

で、神秘体験が、宗教家によって各自違う。

たとえば、インドの天才数学者ラマヌジャンは、ヒンドゥー教のナーマギリ女神が夢の中に登場してきて、数学の定理を教えてくれたりして、でも証明抜きに結論だけ教えてくれるものだから、それが百年ぐらい後に人の手で証明されて、数学界で正式に定理として認められたりしている。

このように、神仏から霊感を受けて、人間が書いた聖書や経典の内容は、それぞれ真実である。

真実は一つではない。

世界は、八百万の解釈を許し、矛盾を許容する、不思議なテキストなのだ。

人間の思議を超越している、万有の真相は、不可解だからこそ、ただ理解せよ、とは言わず、ただ信ぜよ、と言われるのだ。

聖書は、カトリック的な解釈も、プロテスタント的な解釈も、両立せしめている。

ロシア正教も、成立せしめている。

であれば、キリスト教を信じるとは、相対主義を信じることなのではなかろうか。

浄土真宗の開祖である親鸞の信仰には浄土宗の開祖である師法然の教えも混在していて、親鸞は矛盾が内在している折衷主義的な体系を信じることを推奨していて、他力の信心を以って本と為す親鸞の教えは、念仏という自力の行を以って本と為す法然の教えと、相反しない。

同じように、信仰義認に重点を置くプロテスタントは、行為義認に重点を置くカトリックと、相容れなくないのではなかろうか。
キリスト教における唾棄すべき大罪

アニメのタイトルにもなった7つの大罪ですが、これの原点はカトリックが定めた罪に繋がる感情だとされています。直訳すると、7つの死に至る罪。

ただ、この内容、実は歴史を辿ると少しずつ変化している、というのはご存知だろうか?今回はその話に触れて行くとします。

先ず最初期の四世紀頃だが、これは何と8つあります。序列でいうと、上から、

貪食(暴食)、淫蕩(色欲)、金銭欲(強欲)、悲嘆(心痛)、怒り(憤怒)、アケーディア(嫌気、霊的怠惰)、虚栄心(自惚れ、もしくは虚飾)、傲慢。

これが5世紀始めの頃に、序列が変化します。上から順に、

貪食、淫蕩、金銭欲、怒り、悲しみ、倦怠、虚栄、高慢。

怒りが上昇する訳です。それから6世紀後半になると、再び変化し、高慢が別格になった為、最上位による除外扱いし、その中から他が生まれる、という感じの位置付けになって来ます。他にも統合が起きるのがこの頃でしょうか。具体的には、上から順に、

虚栄、嫉妬、怒り、悲嘆、強欲、腹の貪食、淫蕩。

ここで嫉妬が初登場。怠惰と悲嘆は統合されます。暴食と淫蕩は最下位争いの様に下落。

次の変化は13世紀です。序列は、

虚栄、嫉妬、倦怠、怒り、強欲、貪食、淫蕩。

怠惰が悲嘆に代わって復活します。

因みに現在は、

傲慢、強欲、嫉妬、憤怒、色欲、暴食、怠惰。

こうして見てみると、時代によって少し違いますね。どれも過ぎると身を滅ぼす感情、と言えばそうですが。

因みに余談ですが、これらの大罪って悪魔とも結び付けられて考えられてもいます。

傲慢=ルシファー、憤怒=サタン、嫉妬=リヴァイアサン、怠惰=ベルフェゴール、強欲=マモン、暴食=ベルゼブブ、色欲=アスモデウス

女神転生やペルソナとかのゲームでも、強い部類に入るのが多いでしょうか苦笑 心の中に住んでる解釈なので、差し詰め、元祖ペルソナみたいですね。

他は動物に例える話もある模様。より詳しくは下のWikiでもどうぞ。

https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%83%E3%81%A4%E3%81%AE%E5%A4%A7%E7%BD%AA

ログインすると、みんなのコメントがもっと見れるよ

mixiユーザー
ログインしてコメントしよう!

新・考える糧ゴリー 旅は続く 更新情報

新・考える糧ゴリー 旅は続くのメンバーはこんなコミュニティにも参加しています

星印の数は、共通して参加しているメンバーが多いほど増えます。