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銭屋五兵衛コミュの海の豪商

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 1811年、五兵衛39歳の時、120石・3人乗りの中古船を入手し、呉服・質屋を弟の又五郎に譲って、北前船を使った海運業を始めました。

五兵衛の生きた当時、北前船はその利益が5隻1万両と言われ、新しく船を造っても1年目で船代金を支払うことができました。五兵衛も自己資金で千石船(実際は300石〜1500石積み船と様々)を新造するまでに成長した頃には、歴とした海運業者として台頭していました。

「海の豪商」と呼ばれる力を築くには、加賀藩御用商人になること。そのために五兵衛は、藩に度々御用金を献上しました。天保の大飢饉の時(1833年)、加賀藩はすでに財政難でした。五兵衛は加賀藩の年寄・奥村栄実(てるざね)に用いられ、様々な権力を与えられました。加賀藩は「御手船(おてせん)」と呼ばれる藩独自の船で、(大坂の市場で売るため)米を大坂へ送っていました。銭屋五兵衛はその御手船を管理する「御手船裁許」という許可書を得て、(御手船を造ることができる)藩御手船主宰になりました。五兵衛の財力で御手船・常豊丸、常安丸を新造し、船を一手に仕切ってその力を強めました。

また、その時には十村(苗字・帯刀を許されて三人扶持を受けることができる)にも昇格し、地位も高めていきました。

 銭屋五兵衛の支店網は西廻り航路上のみにとどまらず全国に広がっていました。支店網というのは、各地の有力な商人と結びつき、その荷請けをしていました。荷請け先の店主からの情報により、流通の動きを常に把握でき、的確に商品受注をすることができました。

(参考)国土交通省北陸地方整備局

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