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【男気】 黒田博樹ガンバレ!!コミュの2016年10月18日、今季限りで現役引退

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野球広島・黒田が現役引退 日米通算203勝右腕、日本シリーズ花道

広島の黒田博樹投手(41)が、今季限りで現役引退する意向を固めたことが18日、分かった。この日球団が広島市内のホテルで、会見を開くことを発表した。日米で活躍したレジェンド右腕が、20年の現役生活に終止符を打つことになる。

発表は突然だった。22日からの日本シリーズを目前に控えた中での決断、発表。この日午後5時からの練習を前に、全選手に自らの言葉で伝えた。今季は開幕前から右肩、右足首の痛みを抱えながら24試合に登板。10勝8敗で防御率3・09で、米大リーグ・ドジャースに在籍していた2010年から7年連続2桁勝利を達成。さらに数字以上にチームの精神的支柱として、25年ぶりのリーグ優勝に貢献した。

1996年度ドラフト逆指名2位で入団。

2年間ありがとうございました」

練習後には、広島市内で引退会見に臨んだ。決断した理由を問われ「すべては難しいが、一つはリーグ優勝して日本シリーズに進出できた。一つの大きな要因だったと思います」と、チーム25年ぶりの優勝を挙げた。

引退を意識したのは「2、3年前です。毎年、毎年、そういう気持ちでシーズンを迎えていた」とし、「自分の中で考えだしたのは9月過ぎ。本格的に自分で考えだしました。相談というか、引退に関しては自分自身で決めた」と語った。

チームメートの新井には、優勝が決まった後に伝えたといい「もう1年やらないんですか?と言われたんですけど、自分の意思が固かったので」と、決断は変わらなかったという。

日本シリーズを前に発表したことには「難しいところはあったが、僕自身は終わってから伝えようと思ったが、自分が次投げる登板が最後になるかもしれない。まずはチームメートに伝えないといけない気持ちと、今までたくさんの人に応援してもらった。そういう人たちに伝えないといけない、そういうことにあった」と語った。現役生活に悔いはなかったかと聞かれ「今年、みんなの力で優勝を経験させてもらった。最高のシーズンを送れたので、悔いはないです」と、晴れやかな表情で語った。

黒田は今季、開幕前から右肩、右足首の痛みを抱えながら24試合に登板。10勝8敗で防御率3・09で、米大リーグ・ドジャースに在籍していた2010年から7年連続2桁勝利を達成。

さらに数字以上にチームの精神的支柱として、25年ぶりのリーグ優勝に貢献した。

1996年度ドラフト逆指名2位で入団。20年の現役生活では、日米通算533試合に登板。広島で124勝、ドジャース、ヤンキースで79勝を挙げ、通算203勝184敗。投球回は日米通算3340回2/3に達した。

昨季、20億円を超えるメジャーのオファーを蹴って8年ぶりに広島復帰。自身、カープでの悲願だった初優勝を達成し、現役生活に区切りを付けることになった。

日本シリーズにはチームにも帯同し、予定通り先発登板することになる。ここが現役生活ラスト登板になる見込みだ。32年ぶりの日本一がレジェンド右腕の花道。チーム一丸、有終Vで飾る。

写真1
CSファイナルS第3戦に先発した広島・黒田博樹=10月14日

写真2
練習前にチームメートへ引退の報告をする広島・黒田博樹=マツダスタジアム(撮影・吉澤敬太)


[デイリースポーツ 10/18 16:49]


コメント(75)

野球広島・黒田の背番号「15」半永久欠番に 松田オーナー「価値観、選手の考え方を変えた」

広島の松田元オーナー(65)は18日、引退表明した黒田博樹投手(41)の背番号15を事実上の半永久欠番とする考えを示した。「15がつけられるような選手がそうそう出てくるとは思えない。有望な新人が入ってきたとしても、15を提示したら向こうも躊躇(ちゅうちょ)するのではないか。1世代、2世代変わらないと難しいと思う」と話した。

この日、黒田から報告を受けた松田オーナーは「ごくろうさま」と言葉をかけたといい「成績もだが、彼が戻ってきて一番大きかったのは価値観を変えたこと。(メジャーの巨額オファーを蹴って)『そういう考えを持っている人がいるのか』とインパクトを与えた。

本人は『9回まで投げられなくなったのが悔しい』と言っていたが、早い回で降りることはまずなかった。そのための準備を含め、選手の考え方も変えた」とたたえた。

黒田にはレギュラーシーズン最後の登板となった10月1日のヤクルト戦(マツダ)で使用したピッチャープレートを贈呈するという。

写真
引退会見を行った黒田


[東スポWeb 10/19 07:47]



野球OBも黒田慰労 25年前優勝時の4番・長内さん「素晴らしい花道」

◇広島・黒田引退

広島市内で飲食店を営む球団OBも慰労した。25年前のリーグ優勝時に4番も担っていた、やきとり処(どころ)「カープ鳥おさない」(西区)の店長・長内孝さん(59)は「カープに十二分の貢献をしてくれた。悲願の優勝ができて素晴らしい花道になったと思う」と賛辞を贈った。

「体もボロボロだと聞いていた。ご苦労さま、本当にお疲れさまでした」とねぎらった。

同じく元カープ選手で鉄板焼き「ハラヤ」(中区)の店主・原伸次さん(53)は「メジャーに行って、ファンの気持ちを受けて帰ってきたのは凄いこと。“男気”、それに尽きる」と語り、「店でも黒田投手には、他の選手とは違う意味での応援があったと思う」と、来店客にとって特別な存在だったことを代弁していた。


スポニチアネックス [10/19 08:08]


野球カープ先輩もねぎらい…大野豊氏 黒田は私の引退を飾ってくれた男

◇広島・黒田 今季限りでの現役引退表明(2016年10月18日)

黒田とは選手として2年、コーチとして1年、プレーをともにした。中でも印象深いのは、私の引退試合(1998年9月27日・横浜戦)で黒田が先発したことだ。

当時の投球スタイルは150キロのストレートを中心に力で押すもの。打者との駆け引きはまだできなかった。2年目だった98年はそれまで未勝利と不調。だが、私の最後に花を添えるべく7回4安打1失点で、2番手である私につないでくれた。私は打者1人の登板だったが、チームを勝利に導いてくれた。

今も周囲に慕われる男だが、その頃から真っすぐな性格だった。人間性が良く、練習も熱心だったから「こういうピッチャーがエースになれば、チームは強くなる」と思ったものだ。

日米通算200勝達成という功績も素晴らしいが、復帰後の2年間でカープの若手投手陣にさまざまな好影響を与えてくれた。惜しまれながらの引退。引き際は本人にしか分からないが、日本シリーズで最後の熱投を見せてほしい。 (スポニチ本紙評論家)

写真
引退会見を前に、ナインに話をする黒田(右端)


[スポニチアネックス 10/19 08:15]



野球野村謙二郎氏 しんどそうだった今季の投球…日本Sで最高傑作を

◇広島・黒田 今季限りでの現役引退表明(2016年10月18日)

黒田は「自分の投球ができなくなったら引退する」と常々言っていた。今季の投球はこちらから見ていてもしんどそうだった。自分の思い通りに投げられなくて歯がゆかったと思うし、ジレンマがあったと思う。それでもあれだけの投球を見せてきた。

優勝というモチベーションが彼を支えていたと思う。カープに帰ってきて成績以上にチームに与えた影響は大きかった。特に投手陣に与えた影響は絶大だった。

12球団で2チームしか出られない日本シリーズが待っている。体の状態はもういっぱい、いっぱいだと思うが、ファンの声援、日本一へのモチベーションが何か見えない力に働くんじゃないかな。彼の最高傑作、パフォーマンスを期待したい。

チームにはファンのためにも、黒田のためにも日本一になって、花道を飾ってやってほしい。そして最後は日本一になって、お疲れさんと言ってやりたい。 (スポニチ本紙評論家)

写真
引退会見を終え、引き揚げる黒田


[スポニチアネックス 10/19 08:24]

野球黒田が今季限りでの現役引退を表明、日本シリーズが最後の登板に

【AFP=時事】米大リーグ(MLB)のニューヨーク・ヤンキース(New York Yankees)などで活躍した広島東洋カープ(Hiroshima Toyo Carp)の黒田博樹(Hiroki Kuroda)が18日、今季限りでの現役引退を表明した。

大リーグの舞台で7年間プレーした黒田は、2015年に高額オファーを蹴って日本球界復帰。キャリアの締めくくりを広島で迎えることを意味するその決断はカープファンを熱狂させ、今季はプロ野球のセントラルリーグ制覇と日本シリーズ進出に貢献した。

41歳の黒田は、北海道日本ハムファイターズ(Hokkaido Nippon Ham Fighters)との日本シリーズ前に引退を発表したことについて、「次の試合が最後の登板になるかもしれないので、チームメートやたくさんのファンの方々にお伝えしなければならないと思いました」と語っている。

写真
ニューヨーク・ヤンキース在籍時代、タンパベイ・レイズ戦に登板した黒田博樹(2014年9月9日撮影、資料写真)。【翻訳編集】 AFPBB News


[AFP=時事 10/19 09:01]




野球黒田 貫いたメジャー流引き際の美学「力がなくなれば去るだけ」

◇広島・黒田 今季限りでの現役引退表明(2016年10月18日)

黒田が引退について真剣に考えていた13年のオフ。日米の引退観の違いを口にしたことがある。

「MLBは年齢がいっているからと優遇してもらえる世界では到底ない。力がなくなれば去るだけ。日本とは引退についての考え方が違う」

日本では功労者なら力が多少落ちても、本人が望むうちは現役を続けられる。だが、メジャーは、ヤンキースのアレックス・ロドリゲスのようなスーパースターでさえ必要ないと判断されれば、シーズン中に来季年俸を払ってでも「辞めてくれ」となる。その厳しさが、黒田には合っていた。

元々現役にしがみつくという考えは全くなかった。結果を残せなければ潔く辞める。

メジャーの最後の4年間、複数年契約のオファーを断り、いつも単年契約を選んだのもそれゆえだ。

広島復帰に際しても、その考えを貫いた。常々「戻るならまだバリバリでプレーできる状態で」と話していたが、最初の会見で「2桁勝てなければ辞める」と宣言した。

そして、納得できる形で幕を引く。当時の言葉を思い出す。

「残りどれだけ野球がやれるか分からない中で、最後にそこ(広島)でマウンドに上がれば、自分の中で何か納得できるものがある。逆に日本で投げずに野球人生を終えた時に、どこか引っ掛かるものがあるのでは」

流儀を貫き、見事にやり遂げた。(MLB担当・奥田秀樹通信員)

写真
会見前にキャッチボールで調整する黒田


[スポニチアネックス 10/19 09:11]



野球広島・黒田の引退、緊急生中継は広島地区で19・2%

広島・黒田博樹投手(41)が18日に行った引退会見を生中継した、テレビ新広島の「緊急特番 TSSみんなのテレビ カープ黒田投手引退会見」(後7・00〜8・54)が、広島地区で平均視聴率19・2%をマークしたことが19日、わかった。

引退報道を受け、同局は急きょ、ゴールデン枠の番組差し替えで対応した。瞬間最高視聴率は午後7時4分の23・6%で、会見が始まって間もない時間。番組平均占拠率は27・1%だった。ゴールデンタイムに行われた中継に、地元・広島のファンの注目が集まった模様だ。

また、全国ニュースも各局が大きく伝えた。冒頭のトップニュースで伝えたNHK「ニュースウオッチ9」の平均視聴率は9・6%(関東地区)で、前4週平均と比べほぼ横ばい。

特集で伝えたフジテレビ「ユアタイム・あなたの時間」は同3・5%で、前4週平均の2・9%から0・6%上昇した。

(視聴率はビデオリサーチ日報調べ)

写真
引退を発表した広島・黒田博樹=10月18日


[デイリースポーツ 10/19 12:45]



野球大下剛史氏「黒田は引き際もメジャーで学んできたな」

【大下剛史「熱血球論」】
実にかっこいい。かっこ良すぎる。過去に日本球界で日本シリーズ出場を目前にしたエースが引退発表したことがあっただろうか。

黒田は7年にわたるメジャー生活で技術だけではなく「引き際」も学んできたのだろう。今年で言うならレッドソックスのオルティス、2014年限りでユニホームを脱いだヤンキース時代の僚友ジーターもしかり。

米国で一流選手たちの引き際を目の当たりにしてきた黒田は、このタイミングを狙っていたようにさえ思う。

引退すること自体に驚きはなかった。そもそも食事をした際に、黒田には「いつまでも家族と離れ離れは良くない。子供たちも悲しい思いをしている。今年、カープを優勝させて、燃え尽きてロスに帰れ」という話をしたぐらいだ。

そんな理想的なシナリオを黒田はすべて実現した。本当に、たいした男だと思う。

復帰から2年、チームにとって黒田の存在感は大きかった。若い選手が多い中で“重し”の役目も担っていた。鈴木誠也などは黒田に一喝されてからプレー中にガムをかむことをやめたとも聞いている。そんな後輩たちのことを思えば、まだまだ心配な点があるかもしれない。しかし、カープには新井がいる。だからこそ、安心してユニホームを脱げたという面もあるだろう。

黒田に残された最後のシナリオは、初出場となる日本シリーズで32年ぶりの日本一に貢献し、ファンに惜しまれながらグラウンドを去ることだ。偉大な先輩の引退発表で若い選手たちも燃えているはず。

ともにカープのユニホームを着た仲間として、もう一度、黒田が歓喜の涙を流しながら胴上げされているシーンを見てみたい(本紙専属評論家)

写真
黒田(左)と話す大下氏


[東スポWeb 10/19 16:42]




マエケン、黒田の引退表明に「すごく寂しい」

ドジャースの前田健太が現地時間18日(日本時間19日)、自身のインスタグラムを更新し、引退を発表した広島の黒田博樹について綴った。

前田は黒田の引退表明について「すごく寂しいです。入団1年目と昨年、2年間ですが同じチームでプレーできた時間は僕にとって財産です」と引退する大先輩に感謝した。また、「チームメイト、ファンのみなさんの力で有終の美を飾って欲しい!日本一!残りあと少し。頑張ってください!」とアメリカからエールを送った。

前田はプロ1年目の07年と、メジャー移籍前の15年に黒田と一緒に広島でプレー。今季から黒田の古巣・ドジャースでプレーし、1年目から16勝をマーク。地区優勝に大きく貢献した。


[ベースボールキング 10/19 17:20]



野球巨人・大竹寛、引退の黒田に感謝「一緒にできたのは財産」 広島で共にプレー

巨人・大竹寛投手(33)が19日、広島・黒田博樹投手(41)の今季限りでの引退発表を受け、川崎市のジャイアンツ球場で行われた秋季練習後にコメントした。

黒田とは、自身が広島に入団した02年から、黒田がメジャーに移籍するまでの07年まで、6年間ともにプレーした。入団時から憧れの存在だった先輩の引退に「プレーしている時も、してない時も手本となる姿を見させてもらいました。一緒にやらせてもらったのは財産です」と感謝の言葉を送った。

写真
黒田(左)のアドバイスを受ける大竹=2006年1月26日撮影


[デイリースポーツ 10/19 18:34]




野球引退表明の黒田、イチローからねぎらい「お疲れさん」 発表前にメールで報告

18日に今季限りで現役を引退することを発表した広島の黒田博樹投手(41)が、一夜明けた19日、マツダスタジアムで全体練習に参加。ランニングやキャッチボールなどのメニューをこなし、汗を流した。

ヤンキース時代のチームメートで、米大リーグ・マーリンズのイチロー外野手(42)へ発表前に連絡したことを明かした。「昨日の発表前にメールしました。『お疲れさん。ピッチングが見られるのは、あと多くて1回か2回か。応援しておく』と言われました」とねぎらいの言葉をかけられたという。

黒田にとっては、1学年上の尊敬する先輩。「同じユニホームを着て、あれだけの人とやらせてもらった。“まだできるだろう”と言われそうで怖かったんですけど。ちょっと、ほっとしました」と表情を少しだけ緩ませた。

写真
キャッチボールする黒田=マツダスタジアム(撮影・吉澤敬太)


[デイリースポーツ 10/19 18:53]



野球広島・黒田 イチロー「お疲れさま」メールに安堵「そう言ってもらってホッとした」

広島・黒田博樹投手(41)が引退発表から一夜明けた19日、かつての同僚・イチロー(42=マーリンズ)にメールで引退を報告をしていたことを明かした。

前日(18日)の発表前にメールをしたそうで「『お疲れさま』『投球を見れるのはあと1〜2回という感じか。応援しておくよ』と返信をいただいた。『まだできるだろ』と言われそうで怖かったけど、そう言ってもらってホッとしました」とジョークを交え感謝した。

また、引退を知った田中将大(27=ヤンキース)、前田健太(28=ドジャース)からはメールで惜別メッセージが届いたという。

写真
キャッチボールで汗を流した黒田


[東スポWeb 10/19 19:27]




黒田へ、イチローからエール「お疲れさん。応援してる」

引退表明会見から一夜あけた19日、広島の黒田はマツダスタジアムでのチーム練習に参加した。取材に対し、大リーグのヤンキースでともにプレーしたマーリンズのイチローからエールをもらったと明かした。

黒田は18日夜の会見前、イチローにメールで引退を報告した。その後、「お疲れさん。ピッチングを見られるのもあと1回か2回か。応援している」と返信があった。「『まだできるだろう』と言われそうで怖かったけど、そういってもらえてほっとしている」と話した。

広島でチームメートだったドジャースの前田と、ヤンキースで同僚だった田中からもメッセージが届いたという。


[朝日新聞デジタル10/19 20:10]


野球引退・黒田 若手、助っ人にも影響与えた“男気遺産”

“男気右腕”最終章へ――。広島の黒田博樹投手(41)が18日、日本シリーズ終了後、現役を引退すると発表した。今季、野茂英雄氏(48)に続く史上2人目の日米通算200勝を達成。シーズン10勝(8敗)し、米メジャー時代を含め7年連続2桁勝利をマークした。しかし、その成績以上に投手陣の精神的支柱として25年ぶりの優勝に大きく貢献。32年ぶりの日本一を目指し、最後の力を振り絞る。

18日の全体練習の前、円陣の中心に立った黒田は「日本シリーズをもってユニホームを脱ぐことに決めました」とチームメートに報告。

その後の会見では「シリーズが終わってから伝えようと思ったが、進出も決まって、選手にもファンにも『最後の真剣勝負の前に伝えないといけない』というのがあった」と、このタイミングでの発表の理由を説明した。

選手では新井にだけ事前に打ち明け「もう1年やらないんですか?」と慰留されたというが、最後は意思が尊重されたという。

突然の発表に後輩たちの反応は様々だった。

昨オフ、ともに米国で自主トレを行った九里は「さみしいです」とポツリ。米国では食事に誘われたといい「気さくに話しかけてくれた。『もっと食べろ』と言っていただいたが、初めての食事でガチガチに緊張して食べれなかった。申し訳なかった」と偉大な先輩との別れを惜しんだ。

大瀬良は「今年『もう一度やろう』と言ってもらった時点で、『今年で終わりかな』という思いが頭の片隅にあった」。2015年10月7日、大瀬良が中日戦(マツダ)で3失点し、降板した“涙の最終戦”では、黒田自らロッカールームで「一生懸命やった結果だからいいじゃないか。来年は一生懸命やって結果を出せるようにすればいい」と励ましたという。

このように黒田が若手投手に与えた影響は大きい。練習後の食事時間には、大リーグのテレビ中継を見ながら黒田が“生解説”し間接的に技術論の継承を行ったという。

女房役の石原は今季の躍進について「やはり投手でいえば黒田さんが中心」とキッパリ。

「マウンドでの姿であったり練習での姿であったりを若手が見て学んで自分のプラスにしてくれた」と分析する。

また専大の先輩でもある小林投手コーチは「練習開始の数時間前には球場入りして体のケアをしていた。それを見て若手たちも球場へ入る時間がどんどん早くなり、自分で考えて個人練習をするようになった。本当のプロの集団になった」と指摘。

さらに復帰2年目となった今季は、自ら若手に指導するなどさらに距離を縮めた。外国人のヘーゲンズにも、ボールの握りを指導。助っ人右腕は「自分も球を動かして打ち取るタイプ。投手陣にとってクロダさんの存在は大きい」と感謝を惜しまない。

新人・岡田とも、練習や試合中のベンチで会話する姿が何度も見られた。

大ベテランを相手に緊張しそうだが、黒田本人は「彼は遠慮するようなタイプじゃないよ。よくしゃべるし」と打ち明けた。

チーム関係者は「黒田さんは若手にアドバイスするとき、必ず少しレベルを下げて『もしかしたらできるかもしれない』ぐらいの目標を設定してくれる。身の丈に合ったというか、少し頑張ればできそうなところを的確に提案する。あれだけの人がそれをできるのはすごい」と舌を巻く。また、鈴木にも「試合中にガムをかむな。相手になめられていると思われる。そもそも、イチローさんや松井(秀喜)は試合中にガムをかんでいるか?」とたしなめるなど、ポジションにかかわらず後輩へ“プロ”について説いてきた。

数字以上に広島への貢献度は大きい。

精神的支柱を失うダメージは計り知れない。黒田はチームメートの前で「最後は笑顔でみんなでもう1回ビールかけができたらいい」と語りかけた。それを実現すべくチーム一丸で必勝を期す。

写真
グラウンド入りする黒田


[東スポWeb 10/20 06:00]


野球米も黒田引退報道 11年にはレッドソックスが獲得の動きも

古巣ヤンキースの公式サイトや複数の米メディアが「元ヤンキースの黒田が日本シリーズ後に引退へ」と一報を伝えた。

リーグ優勝して日本シリーズに進出したことで引退を決意した経緯とともに、「笑顔でビールかけをしたい」などの談話も紹介した。ボストン・グローブ紙は、11年のトレード期限前にレッドソックスが当時ドジャースだった黒田の獲得に動いていたものの、実現しなかった過去にも触れた。大リーグ7年間で79勝(79敗)を挙げ、5年連続2桁勝利を達成するなど、米国内での評価も高かった。


[スポニチアネックス 10/20 07:01]


野球男気カーショー 黒田と日米頂点だ“共闘”エール

現役引退を表明した広島・黒田博樹投手(41)の古巣ドジャースで縁の深い2投手が18日(日本時間19日)、日本一と世界一への共闘を誓った。クレイトン・カーショー投手(28)と前田健太投手(28)の2人が労をねぎらい、有終の美へのエールを送った。ド軍はカブスとのナ・リーグ優勝決定シリーズ第3戦に勝利し、2勝1敗とリード。ア・リーグは第4戦が行われ、ブルージェイズがインディアンスから初勝利を挙げ、1勝3敗とした。

08年のキャンプから長く黒田のキャッチボール相手を務め、親友と呼び合うカーショーは、海の向こうへ思いをはせた。「日本シリーズで頑張ってほしい。素晴らしいキャリアで素晴らしい友人だった。一緒にプレーできて本当に良かった」と広島の日本一を願った。

黒田がド軍に入団した08年当時、カーショーはメジャー最年少の20歳。捕手のエリスは「彼がメジャー最高の投手に成長できたのは、黒田のプロ意識を学べたおかげだ」と証言する。

黒田のド軍最後の11年には残留を懇願し、その後もオフにFAになるたび復帰を求めるメールを送った。黒田の広島復帰時には「いずれ自分もカープのユニホームを着て(黒田が投げている時に)一塁を守りたい」と話したほどだ。

地区シリーズでは第1戦先発から、中3日で第4戦に先発し、中1日で第5戦に救援登板。カブスと争うリーグ優勝決定シリーズでも、中2日で第2戦に先発して7回無失点で初勝利に導いた。驚異の「男気フル回転」で88年以来28年ぶり世界一へけん引している。

黒田が背負ったド軍の18番を継承した前田も思いは同じだ。

「(引退の)噂はありましたが、実際に決まると凄く寂しいし悲しい。日本シリーズが残っているので、お疲れさまと言うのはまだだと思う。日本一になり、黒田さんの最後をみんなで飾ってほしい」。広島では1年目と昨年の2年間ともにプレー。「準備を怠らない姿。野球に取り組む姿勢は凄く参考になった」と感謝した。

2人は20日(日本時間21日)の第5戦、22日(同23日)の第6戦のいずれかに先発する。カーショーは第5戦なら中3日となる。海を隔てての、日本一と世界一。感謝の思いを大団円という結末で届けるつもりだ。
写真
11年、試合に勝利した黒田(右)の肩をもむカーショー


[スポニチアネックス 10/20 07:01]




野球イチも黒田ねぎらい「お疲れさん。応援しておく」

広島の黒田がヤンキース時代に同僚だったマーリンズ・イチローから慰労メールが届いたことを明かした。「お疲れさん。投球を見られるのもあと1回か2回。応援しておく」という文面。実は前日、黒田は会見に臨む前に1学年上の先輩にはメールで報告していた。

「イチローさんから返事がありました。“まだできるだろう”と言われそうで怖かったですけど…。ホッとしました」

ここ数年、オフに進退で気持ちが揺れた黒田にとって、メジャー現役最年長野手のイチローは大きな支え。昨オフも現役続行を決めた際に「自分の気持ちが弱くなりそうなところで、イチローさんがまた新たなシーズンを迎えたのは心強かった」と話していた。野球に対するストイックな姿勢など共通点も多く、認め合う存在。

エールを受け、最後の大舞台に臨む気持ちを新たにした。

写真
全体練習に参加した黒田


[スポニチアネックス 10/20 07:01]



野球黒田 イチローに引退報告していた

引退発表から一夜明けた19日、広島・黒田博樹(41)がかつての同僚のマーリンズ・イチロー(42)へメールで報告をしていたことを明かした。

18日の発表前に自らメールを送ったそうで「『お疲れさま』『投球を見れるのはあと1〜2回という感じか。応援しておくよ』と返信をいただいた」。黒田にとってイチローはヤンキース時代のチームメートであり、尊敬する先輩。「同じユニホームを着てあれだけの方とやらせてもらった。『まだできるだろ』と言われそうで怖かったけど、ホッとしました」とジョークを交え感謝した。

また、引退を知ったヤンキースの田中将大(27)、ドジャースの前田からはメールで惜別メッセージが来たという。

ただ「登板が残っているので、自分から連絡する心境ではない」と関係者全員に報告できてはいないようだ。

日本シリーズに向けて「マウンドに上がる時は常に同じ心境。ただいつものようにゴールの見えない中ではなく、ゴールが見えた。あと5回も6回も投げるわけじゃない。今まで以上に気持ちの上で集中できていると思う。目一杯いくだけです」と言葉に力を込めた。

黒田はこの日、マツダスタジアムで行われた全体練習に参加。ランニングやキャッチボールで軽めに調整した。また、助っ人右腕のブレイディン・ヘーゲンズ(27)は日米通算200勝達成時の記念Tシャツを着用。「彼からはたくさんのことを学んだ。彼のため広島のために日本一になりたい」と、こちらも自分なりの表現で別れを惜しんでいた。

写真
全体練習で汗を流す黒田(左)。右は黒田の200勝Tシャツを着たヘーゲンス


[東スポWeb 10/20 16:33]



間寛平 中学校の後輩、広島・黒田をねぎらう「加賀屋の星や」

 タレントの間寛平(67)が、日本シリーズを戦い終え、引退する大阪市立加賀屋中学校(住之江区)の後輩、広島・黒田博樹投手(41)に「加賀屋の星や。ホンマに誇れる後輩や」とねぎらいの言葉を贈った。

 母校には4年先輩に巨人黄金期のV9時代に活躍した現DeNA高田繁GM(71)がいるが、黒田は25年後輩。精神的つながりを感じたのは自身が08年12月にスタートさせた前人未到の地球1周を走破する「アースマラソン」の時だった。

 ヨットで70日間かけて太平洋を横断し、09年3月11日に米ロサンゼルス港に到着。その際、知人を介して「KURODA」と名前入りドジャース長袖Tシャツをプレゼントされた。あまりにうれしくて、北米大陸でニューヨークに着く7月までの約4カ月間は「毎日、洗濯しながら、走る時はずっとそのTシャツを着ていた」という。

 親友だったロック歌手・忌野清志郎さんの訃報、空気の薄い標高3307メートルのロッキー山脈越えなど道中の苦しさも“黒田の男気”をまとって乗り越えた。直接会って、お礼を言う機会はまだないが「大スターになってしもうて。大した後輩ですわ」と目を細める。

 自らは南海時代からのホークスファン。それだけに、広島のセ界制覇が決まり、CSが始まった頃から複雑な感情を抱いてきた。ただ「(メジャーから昨年)広島に戻って恩返しする姿には涙が出てきた」といい、今季に限っては「ソフトバンクと黒田クンが戦わなくてよかった。どっちを応援したらええか困ってたやろうし」と語る。

 結果的に最後のマウンドになった日本シリーズ第3戦は仕事の合間にテレビ観戦。「145、146キロ出てたんでまだやれると思った」と前置きした上で、「よく41歳まで頑張れましたね。惜しいけど、カスカスになって限界までやるより、素晴らしい引き際じゃないですか。お疲れさまでした」と長年の奮闘を称えた。

 また、「広島の監督になってほしいけど、共演もしてみたい」。いつか大阪へ凱旋し、なんばグランド花月の舞台上でコラボできる日を楽しみにしていた。


[スポニチ 10/30 07:59]


野球【惜別メッセージ】広島・新井から黒田へ感謝の言葉「あの時、背中を押してもらえなければ…」

広島・新井貴浩内野手(39)が、引退する黒田への惜別メッセージを寄せた。低迷期を投打の柱として支え、ともに一度はチームを離れ、戻ってきた2人。今季、広島の街に歓喜をもたらした盟友への、感謝の思いと第二の人生へのエールをつづった。

◇ ◇

もう一度、一緒に野球がやりたかった。

引退する、と最初に聞いたのはいつかと聞かれたら、正確に答えるのは正直、難しい。優勝の前から、もっと言えば昨年から、引き際についての話はちょくちょくしていた。寂しい思いはある。来る時が来たか、という思いもあった。いろんなことがあったし、いろんな思い出がある。

言葉ではなくても、分かっていた。昨年から体が言うことをきかないのかな、と。

いろんな箇所に注射を打ちながら、必死に投げようとする姿を見てきた。今年はその度合いが、昨年より増していた。注射の本数も増えているし、ケアする姿を見ても、だ。昨年よりさらに体の状態がよくないんだな、というのも感じていた。

引退すると聞いた時は正直、「やっぱりか…」という思いはあった。でも、僕としてはまだ一緒に野球がやりたかった。

「まだ来年、一緒に野球をやってください」

厳しいと分かっていても、言葉が自然と出てきた。出会ってから18年。思い出を振り返ればキリがない。それほどたくさんあるが、近々では自分が広島に戻るか、どうかで悩んだ2年前のオフだ。頻繁に電話で相談していた。「帰れるわけがない」。

諦めていた僕に、「お前には伝えられるものがある。気にせず帰ってくればいいんだよ」と。いつも背中を押してもらったのは、黒田さんの言葉だった。

あの時、背中を押してもらえなければ、カープに戻っていなかったかもしれない。「自分は戻りたくても、戻ってはいけない人間」。そう思っていたから。存在はどこまでも大きい。黒田さんも一緒に戻ってきてくれた。復帰2年目でリーグ優勝まで経験させてもらうことができたから。

25年ぶりにチームを優勝させて、まだやれるのに潔くユニホームを脱ぐ。本当にカッコイイ。僕もカープファンだったから。その目線で見て寂しい思いはあるが、カッコイイという思いの方が強い。引き際の美学というか、らしいな、と。今年の優勝は僕のおかげだと言ってくれる。

純粋にうれしい。けど、それは僕じゃない。やっぱり黒田さんの存在感で優勝できたと思う。

数字的なものもそうだ。だが、それ以上にチームに与えた影響というのは計り知れない。野球に対する姿勢や取り組み方、試合に入る覚悟。投手だけじゃなく、野手に与える影響も一番だった。一緒にプレーできた若い後輩たちがこの経験、教えを、絶対に忘れてはいけない。これからカープに入ってくる選手に、必ず伝えていかないといけない。黒田さんがいなくなっても思いをつないでいく。自分も含めて、みんなの使命だと思っている。

引退の意思は固かったが、発表のタイミングを迷っていた。「シリーズが全部終わってから」と言う。誰にでも気遣いを忘れない人。

チームにもそうだが、相手にも迷惑が掛かるんじゃないか、と。とにかく迷惑を掛けたくないと。そういう人だ。でも、僕は先に伝えてもらいたかった。自分たち後輩選手も、ファンの人たちも見方が違ってくる。決して忘れてはいけない。

これで最後なんだ、もう見られないんだと。目に、心に焼き付ける、その思いが変わってくる。それは僕がファン目線で見てもそうだ。「自分でもどうしていいか分からん」と悩ませてしまったが。過剰なくらい気にする、気を使う部分がある人。でも、最後は僕のお願いを聞き入れてくれた。何度か話をした結論だったが、僕はこれでよかったと思う。

日本シリーズ開幕前に引退を発表したことでチームはまとまって、ぎゅっと引き締まった。

第7戦まで持ち込んで最後にもう1試合、一緒にやりたかったけど…。札幌ドームでの投球は目に焼き付いているし、心にも焼き付けている。あの姿は一生、忘れることはない。

まずはしっかり体を休めてもらって。何年後になるか分からないが、また、指導者としてカープに戻ってきてほしい。言葉にできない寂しさはある。ただもう一度、一緒に野球をすることもできた。本当に戻ってきてくれて、ありがとうございました。優勝させてもらって、ありがとうございました。お疲れさまでした。(広島東洋カープ内野手)

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ベンチから試合を見つめる新井(撮影・吉澤敬太)


[デイリースポーツ 10/30 11:00]




松本人志がテレビで明かした引退する広島・黒田との絆

 ダウンタウンの松本人志(53)が30日に放送された「ワイドナショー」(日曜・前10時)で、今季限りで現役引退する広島・黒田博樹投手(41)からメッセージをもらっていたことを明かした。

 先週の放送で松本が黒田の生き方を称賛したところ、人を介して「すごい熱いメッセージをいただいて、ありがとうございますって」と黒田からの言葉に感動したことを明かした。その上で黒田が「割と大事な試合の時は、ダウンタウン…ダウンタウンって言うてないな」と笑いを取りながら「You Tubeとかで僕のラジオとか」を聴いている事実も伝えられ「そう言っていただくと我々、本当にお笑い冥利に尽きる」と感激。こうしたことが「相乗効果になる。僕らも頑張ろうって」と黒田からの言葉を励みにしていくことを明かしていた。

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広島・黒田博樹 Copyright(C) The Hochi Shimbun.


[報知新聞社 10/30 11:53]

野球広島・ヘーゲンズ 残留熱望「戻ってくること以外考えられない」

広島のブレイディン・へーゲンズ投手(27)が日本シリーズ終了から一夜明けた30日、婚約者のターシャさんと帰国した。

広島駅で取材に応じた助っ人右腕は「ファンや我々の望む結果にはならなかったが、素晴らしいシーズンだった」とニッコリ。契約交渉はこれからだが「自分の気持ちとしてはカープに戻ってくること以外考えられない。カープというチームはファンに支えられて成り立っていると痛感した」と残留を熱望した。

来日1年目の今季は先発、中継ぎでフル回転し7勝5敗、防御率2・92。

来季に向けては「黒田さんの穴は大き過ぎるので自分が埋めたいとか軽々しくは言えない。仮に戻ってくることができたなら、チームに要求されたところでやるだけ」と意気込んだ。

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帰国する広島・ヘーゲンズ


[東スポWeb 10/30 17:49]



広島・黒田、引退後の渡米シナリオ 家族はLA、早くも“次期監督待望論”も

外国人選手同様、毎年生活拠点の米国から“来日”する黒田。来季以降の動向が気になる

 今季限りでの現役引退を表明している広島の黒田博樹投手(41)が日本シリーズ第3戦(25日、札幌ドーム)に先発、脚の異常で降板した。最終戦となった29日の第6戦(マツダスタジアム)ではベンチ入りもなかったが、気になるのはその後だ。

広島の次期監督の有力候補。さらに米大リーグで7年間活躍しただけに海外から何らかのオファーがあってもおかしくない。昨年日本球界に復帰した後も、家族と生活拠点は米ロサンゼルスに置いたまま。男気で鳴る右腕が描く“人生第二幕”のシナリオとは。 (塚沢健太郎)

 引退後もしばらくはフル回転となりそうだ。25年ぶり優勝の立役者となり、仮にこのまま32年ぶりの日本一まで広島にもたらせば、“黒田フィーバー”はもう最高潮に達する。“神ってる”どころか、広島では“神”も越える存在だ。

 黒田は「よしもとクリエイティブ・エージェンシー」に所属。同社がテレビ出演などの窓口になっているが、「出演依頼が殺到していて整理するのが大変」(同社関係者)とうれしい悲鳴を上げている。

 シーズン終了後は優勝パレード(11月5日)、球団行事、年末特番などスケジュールがギッシリ。その後家族の暮らす米国に戻る見通しだ。

 普通の人気選手は引退後、テレビ解説者などで“ネット裏から勉強”。監督・コーチのオファーが舞い込むのを待つパターンが多いが、球団関係者は「たぶん、来年からは家族のいる米国で生活することになる」とみている。

 現地で大リーグ中継のゲスト解説などをこなしながら、野茂英雄氏(48)や松井秀喜氏(42)のように米国を拠点とし、日本での仕事があるときに“来日”という形になりそうだ。

 しかし黒田の場合、野茂氏や松井氏のようにずっと米国中心の生活を続け国内ではユニホームを一切着ないというのは、周囲が許してくれそうにない。

 「広島の松田オーナーのお気に入りだし、将来緒方監督が辞めるときには、次期監督の最有力候補。あれほどの実績があれば、コーチ経験がなく、いきなり監督になっても文句は出ないでしょう」(前出の関係者)

 現在も黒田は日米通算20年のキャリアに裏打ちされた技術、理論、心構えをチームメートに伝授。「もっと内角球を使ってみたらどうだ」とヒントをもらった野村は、昨季わずか5勝から、今季16勝まで伸ばし最多勝を獲得した。

 伸び悩んでいた福井は昨春に「おまえ、すごい球を投げるな」と声をかけられ、「完璧を求めすぎず、試合をつくればいい」と助言されて昨季9勝。故障がちだった今季も5勝を挙げ、先発投手として安定感を醸しだしている。

 こうした例は枚挙にいとまがなく、黒田の指導者としての能力を疑う声はほとんどない。

 一昨年オフ、米大リーグから提示された破格の条件を蹴り、“現役最後の1球”を古巣・広島で投じることを選んだ男。近い将来、指導者として再び地元広島を中心に“待望論”が高まり無視できないレベルに達したときには、本人はまた男気を発揮し日本へ足を向けるのではないか。

 もちろん、就任2年目でぶっちぎりのリーグ優勝に導いた緒方孝市監督(47)が、しばらく指揮を執り続けるのは確実。短くても5年間はチームを率いるとみられている。とすれば“黒田監督”が誕生するのは、早くて東京五輪と同じ2020年ということになるのかもしれない。


[夕刊フジ 10/31 17:00]
野球武士道といふは 死ぬ事と見付けたり…黒田と松坂の引き際の美学

【鈴木誠治の我田引用】
広島の黒田博樹投手が、日本シリーズ第3戦の登板を最後に引退した。MLBのヤンキースから2015年に古巣の広島に復帰。日米通算200勝を達成した今季は、チームの精神的支柱の役割も果たして、25年ぶりのリーグ制覇に導いた。

「かっこよすぎる引き際だね。男気と形容される通りの、潔さだね」女勝負師のスゥちゃんに話し掛けた。「まあ、男のロマンってやつじゃないの」

黒田投手はFA権を取得した06年、「君が涙を流すなら 君の涙になってやる」という感動的な広島ファンの横断幕に心動かされ、広島に残った。翌07年に夢だったメジャー挑戦の決断をしたが、14年オフに10億円ともいわれたメジャー球団のオファーを蹴って、推定年俸3億円で広島に復帰した。

男気伝説には事欠かない。

武士道といふは 死ぬ事と見付けたり 二つ二つの場にて 早く死ぬ方に片付くばかり也 別に子細なし 胸据わって進む也

江戸時代、佐賀藩の武士の心得として書かれた「葉隠」に出てくる有名な一節だ。生死を選択せざるを得ないような場面では、死ぬ確率が高い方を選べと言う。実際にその場に遭遇すると、ゆっくり考えている時間がないから、常日ごろから死を近くに考えよ、というほどの意味のようだ。

黒田投手は「引き際は常に考えている。ボロボロになるまでやりたくない」という美学を持っていた。リーグ優勝を果たしたことで、その引き際と判断したのだろう。

今季も10勝を挙げただけに、引き留める声もあったが、自らの引き際の美学を貫いた。

「死を引退に置き換えれば、黒田投手の決断は武士道に通じるね」

そう話すと、スゥちゃんは「うーん」とうなって、こう答えた。「それを言うなら、松坂なんじゃない?」

やはりMLBから昨季、日本球界のソフトバンクに復帰した松坂大輔投手は、右肩手術などを経て今年10月2日、10年ぶりに日本の1軍のマウンドに上がった。だが、立ち上がりの4連続四死球などで5失点し、1回で降板した。それでも、「平成の怪物」と言われた名投手は、プエルトリコのウインターリーグ参戦を直訴するなど、現役にこだわっている。

「現役を続けても、活躍できる保証はないし、だめならボロクソに言われる。

あれだけの実績を残した投手がボロクソに言われるのはきついと思う。それでも、やる。相当な根性だと思うわ。美学の質が、二人は違うわね」

確かに、死を「苦難」に置き換えれば、葉隠の言葉は松坂投手にも当てはまる。

葉隠はこう続ける。図に当たらぬは犬死などといふ事は 上方風の打上がりたる武道なるべし (略)若し図にはづれて生きたらば腰抜け也 この境危うき也 図にはづれて死にたらば(略)恥にあらず

「早く死ぬ方」を選んで目的を達成できなくても、犬死にではない。生きる方を選んで目的を達成できなければ、腰抜けである。犬死には恥ではないと言うのだ。

美しいまま去るのか、ボロボロになるまで続けるのか。

同じ大投手が見せる、引き際の美学の違い。もちろん、武士道と野球は違うものだし、美学に正しいも間違いもない。来季以降は、黒田投手とは対照的な松坂投手の引き際も、見守りたい。

◆鈴木 誠治(すずき・せいじ)1966年、静岡県浜松市生まれ。立大卒。ボクシング、ラグビー、サッカー、五輪を担当。軟式野球をしていたが、ボクシングおたくとしてスポニチに入社し、現在はバドミントンに熱中。

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10月26日の日本シリーズ第3戦、現役最後となったマウンドで力投する広島先発・黒田


[スポニチアネックス 11/4 10:04]




野球広島・黒田が引退会見「出来過ぎの野球人生」

今季限りで現役を引退した広島の黒田博樹投手(41)が4日、広島市南区のマツダスタジアムであらためて引退会見を開いた。会場にはテレビカメラ18台、150人の報道陣が詰めかけた。

日本シリーズ第6戦となった10月29日の日本ハム戦(マツダ)以来となるユニホーム姿で登壇した黒田は「シーズンが終わって、ちょっと時間がたったけど実感はない。こうやってまたユニホームを着て一緒に戦った仲間と会うことがあるのでね。まだ実感はないです」と話した。

「カープで投げる方が1球の重みを感じられる」と、メジャーから20億円もの大型オファーを断り、15年に広島に復帰した。今季は日米通算200勝を達成し、チームも25年ぶりのリーグ制覇を勝ち取った。

「結果的にチームは日本一になれず悔しい気持ちはあるが、自分は出し切ったという思いがある」と振り返った。

日本シリーズでは、札幌ドームで迎えた第3戦に先発。六回1死から大谷を左飛に打ち取った直後、両足のけいれんから負傷降板した。ベンチで治療後、一度はマウンドで投球練習を行ったものの、チームのためを思い自ら降板を首脳陣に申し入れた。

大谷に投じた85球目が、現役生活最後の1球になった。常々「これが最後の1球になってもいいと思って投げている」と言い続けてきた。「結果的にそういう形になった。もう少し、長い回を投げたかったんですが。でも僕自身はいい思い出になった」。日本球界の未来を背負って立つ二刀流との対峙(たいじ)。最後の1球に悔いはない。

球団は、背番号「15」を永久欠番にすることを発表した。ミスター赤ヘル・山本浩二、世界の鉄人・衣笠祥雄に続き球団では3人目だ。「出来過ぎの野球人生。最後にこういう形でリーグ優勝できた。満足できる野球人生だったし、カープに入って良かった」と笑顔をみせた。

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晴れ晴れとした表情で引退会見を行う広島・黒田博樹=マツダスタジアム(撮影・吉澤敬太)


[デイリースポーツ 11/4 15:20]



野球【広島・黒田の引退会見全文13】出し切った充実感があります

今季限りでの現役引退を表明した広島・黒田博樹投手(41)が4日、全日程を終えたことでマツダスタジアム内で、あらためて引退会見を開いた。会見の内容は以下の通り。

◇ ◇

……20年お疲れさまでした。いまの心境は。

「シーズンが終わって少したった。実感はないが、時間がたつにつれて実感し始めているところです」


……さみしさ、安心感は。

「ホッとしたのが一番。今年1年、ケガなく、少しでもチームに貢献できたかな、という安心感です」


……シリーズを振り返って。

「結果的にチームが日本一になれなかった悔しさはあるが、自分の中では出し切った充実感があります」


……もう一度、マツダで投げたかった。

「第7戦までいくと投げるつもりでいた。日本一になるために投げたかったが、こればかりは勝負事。最後の最後で勝負の厳しさを思い知らされた」


……最後にファンに向けて手を振った。

「こうやってユニホームを着て、一緒に戦った仲間と会うことがある。いまの時点では実感がない」


……後悔は。

「出来過ぎの野球人生。最後はこういう形でリーグ優勝できた。僕の中では満足できる野球人生だった」


……チームメートに対しては。

「みんな1人、1人にありがとうという気持ちを伝えた」


-……新井には?

「しょっちゅう会ってるんで。彼もまだあまり実感がわいてないです」


……(日本シリーズでの)最後の1球については。

「自分では、これが最後と思って投げていなかった。気持ち的にはまさかこのボールが最後の球になると思ってなかったので。あまり考える時間と余裕もなかった」


……プロ野球人生最後の打者が大谷となった。

「僕自身はもう少し長いイニングを投げたかったですが。いい思い出になりました」


……1球の重みは。

「1球、1球が、僕の中で充実していた。ファンの声援を背中に受けて(マウンドに)上がる。苦しい中で充実感と幸せな気分になった。最高の締めくくりができた」


……印象に残った1球は。

「難しいですね(笑い)。リーグ優勝した試合もそう。ゆっくり時間をかければ出てくるかもしれないが。リーグ優勝した試合でマウンドにいることができた。僕の中では大きかった」

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引退会見を行う広島・黒田博樹=マツダスタジアム(撮影・吉澤敬太)


[デイリースポーツ 11/4 15:45]



野球【広島・黒田の引退会見全文23】「本当にカープでよかった」

今季限りでの現役引退を表明した広島・黒田博樹投手(41)が4日、全日程を終えたことでマツダスタジアム内で、あらためて引退会見を開いた。会見の内容は以下の通り。

◇ ◇

……入団時に今の自分は想像できたか。

「20年間もプロ野球生活が続くと思っていなかったので。不思議な感じがしますね」


……野球人生を振り返って。

「苦しい思いがあったから成長できた。いままでいろんな人に携わってもらって成長できた」


……メジャーに移籍した当時のことは。

「自分で決めたことだが、チームを離れるというのでさみしい気持ちだった。ファンの人の応援、声援がないとプロ野球選手は成り立たない。ファンの人の存在が自分の中では、最後の最後まで大きかった」


……-アメリカの1球、1球とは。

「常に僕の中では、マウンドに上がれば1球、1球という気持ち。気持ちがない1球を投げたことはない。どこの球場、ユニホームを着ていても、僕の中では目いっぱい投げてこられた」


……打球が頭部を直撃したこともあった。

「当たった時は選手生活を考える前に、自分が死んでしまう恐怖感があった。野球を考える余裕がなかった」


……後遺症に苦しむ中、投げ続けた。

「自分なりの責任感。勝手に責任を持って、それなりに追い込んできたと思う。契約した以上、チームのために投げないといけない。ファンの前でしっかりしたパフォーマンスを見せないと」


……ミスター完投。この2年は。

「メジャーの後半は自分の思った投球ができない苦しさがあった。でも、それを受け入れないと。葛藤はあったが、晩年、できなくなってきて。こういうピッチャーでいいのか、常に葛藤はあった」


……体の状態は。

「それも含めて、自分の中で受け入れて。その中で常に結果を出すことを考えてきた」


……カープで野球ができたことに対しては。

「間違いなく、カープに入っていなければ、これだけの野球人生を送ることができなかった。本当にカープでよかったと、つくづく思っています」

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引退会見の席につく広島・黒田博樹=マツダスタジアム(撮影・吉澤敬太)

[デイリースポーツ 11/4 15:45]




野球【広島・黒田の引退会見全文33】「15番はみなさんの背番号」

今季限りでの現役引退を表明した広島・黒田博樹投手(41)が4日、全日程を終えたことでマツダスタジアム内で、あらためて引退会見を開いた。会見の内容は以下の通り。

◇ ◇

……今後のカープについては。

「簡単じゃないと思いますが、リーグ連覇。そして日本一にチャレンジしてもらいたいと思う」


……後輩に向けて。

「たくさん力のある選手がいる。まだまだ伸びていく選手も。慢心だけはせずに頑張ってほしいと思います」


……新井選手には。

「さっき、このあとFA宣言の会見する、と言ってたので(笑い)。僕もそちら側で聞きたいな、と思います」


……今後は。

「全く考えてないですし、自分がどうなっていくか分からない。取りあえず野球から離れて、ゆっくりしたい」


……カープに戻ってくることも。

「現時点でそこまで分からない。自分がどれだけ野球が好きだったか、離れたら分かると思います」


……「15」番が永久欠番。

「自分の中で鳥肌が立ちました。北別府さんをはじめ、OB、たくさん素晴らしい人がいる。そんな中、僕の背番号がそうなるのは恐縮するとともに、15番はファン、球団の方の心配りで、広島でもう一度ユニホームを着て、マウンドに立つことができた。携わってきていただいた方々のおかげ。みなさんの背番号だと思う。15番のユニホームを見た時に、今年のリーグ優勝を思い出していただければ。僕はそれで幸せです」


……ファンに向けて。

「ファンの人のおかげで、また日本、アメリカでも、たくさんの人に応援していただいた。最後に広島のファンの方の前で野球をすることができました。みなさんのおかげで素晴らしい野球人生になった。感謝したいと思います」

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晴れ晴れとした表情で引退会見を行う広島・黒田博樹=マツダスタジアム(撮影・吉澤敬太)


[デイリースポーツ 11/4 15:45]




野球広島・新井がFA宣言!?黒田「さっき会見をすると言っていました」

FA宣言する!?広島・新井貴浩
今季限りで現役を引退した広島の黒田博樹投手(41)が4日、広島市南区のマツダスタジアムであらためて引退会見を開いた。テレビカメラ18台、150人の報道陣が詰めかけた中で、盟友・新井貴浩内野手(39)について“どっきり発言”。会場を爆笑の渦に包んだ。

自身の現役生活を振り返りながら、会見は進んだ。記者から、同じ15年にカープに復帰し、25年ぶりのリーグ制覇の原動力になった新井について質問が飛んだ。「さっき、この後、FA宣言の会見をすると言っていました。僕はそっち側(報道陣)で話を聞きたいと思います」と、冗談を飛ばした。

その後は「彼はあのままやればいい。それがチーム、若い選手の力になっていく」とエールを送った。


[デイリースポーツ 11/4 15:54]



野球黒田投手「満足できる野球人生」

今季限りで現役を引退し、記者会見する広島の黒田博樹投手=4日、広島市のマツダスタジアム
広島の黒田博樹投手が引退会見。晴れやかに「満足できる野球人生」。リーグ優勝の巨人戦が印象に。

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今季限りで現役を引退し、記者会見する広島の黒田博樹投手=4日、広島市のマツダスタジアム


[共同通信 11/4 17:01]



野球広島・新井、黒田のドッキリ発言に「ひっくり返りそうになった」

広島の新井貴浩内野手(39)が4日、広島の黒田博樹投手(41)のイジリにタジタジになった。この日、広島市南区のマツダスタジアムで、あらためて黒田が引退会見。質疑応答の途中、新井の存在について問われると“どっきり発言”で、会場を爆笑の渦に包んだ。

「さっき、この後、FA宣言の会見をすると言っていました。僕はできれば、そっち側(報道陣)で話を聞きたいと思います」

冗談を飛ばした後、一度はまじめな話に戻って「彼はあのままやればいい。それがチーム、若い選手の力になっていく。そのままでいいんじゃないかと思います」とエールを送ったが、取材の最後には再び「ホントに言ってましたからね!!」と念押し。涙はなく「いままでいっぱい流してきたので。最後くらいは」と、最後まで笑いありの会見になった。

だが、痛烈なイジリの“被害”にあった新井は驚いた様子。「デリケートなことなので、ノーコメントで。鈴木さん(球団本部長)に聞いて下さい」と言って笑わせたが、「会見はテレビで見ていましたが、椅子からひっくり返りそうになりましたよ。悪い顔をしてましたね」と続けた。

昨季、共に広島に復帰。2人は投打の柱としてチームを引っ張り、25年ぶりのリーグ優勝を導いた。最後は「もちろん、さみしい思いはあります。ただ、それはキャンプに入って、実感するかなと思います。いつもいた人が、いない風景になるので。キャンプに入ってですかね」と、さみしそうに話していた。

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松井市長(右から2人目)から市民栄誉賞を贈られ、笑顔を見せる(左から)新井、緒方監督、黒田(右)

[デイリースポーツ 11/4 17:42]



「満足できる野球人生だった」広島・黒田投手が引退会見

今季限りでユニホームを脱ぐ広島の黒田博樹投手(41)が4日、本拠マツダスタジアムで引退会見を開いた。日米通算203勝を挙げた右腕は「プロ生活が20年間続くと思わなかった。本当に出来すぎ。満足できる野球人生だったかな」と振り返った。

この日はマウンドでの険しい表情とは一転、晴れやかな表情で取材に応じた。「解放感が一番。朝起きて、体が痛くても別にいいんだと思う。それがすごく気持ちいい」。現役最後の登板になった10月25日の日本シリーズ第3戦は、札幌ドームに米国在住の家族を呼んでいたという。

背番号「15」は永久欠番になった。「最初に聞いたときに、自分のなかで鳥肌がたちました。色んな人が関わってくれたおかげ、みんなの背番号。15を見た時に、今年のリーグ優勝を思い出してくれれば、すごく幸せ」と語った。

ここ数年、痛み止めの注射を打ちながらマウンドに上がっていた。「言い過ぎると引かれる」ほど悪い状態だった、という。引退を決断した試合は思い浮かばない。「完投できなくなったことで、区切りをつけないといけなかった」。

新人だった1997年4月の巨人戦でプロ初登板で完投勝利して以来、先発完投にこだわってきた。

今後は未定。指導者として、またグラウンドに戻ってくるのか。「やっぱり野球が好きだったという気持ちになるかもしれないし、シーズン中にもう1回投げますと言うかも分からない。どういう気持ちになるか想像はつかないですね」と話した。(吉田純哉)


[朝日新聞デジタル/11/04 19:39]


野球黒田、大谷メジャーに太鼓判 投でも打でも「高い確率で成功」

日本シリーズを最後に現役引退した広島・黒田博樹投手(41)が4日、マツダスタジアムで行われた会見で今季を振り返り、世界から注目される日本ハム・大谷翔平投手(22)について、メジャーでも成功することに太鼓判を押した。

日米通算203勝を挙げたレジェンド右腕は10月25日の日本シリーズ第3戦(札幌ドーム)で二刀流の若武者と対決。6回に左飛で打ち取ったフォークが現役最後となったが、現役20年間の集大成として、晴れやかに振り返った。

会見には報道陣150人、テレビカメラ18台が詰めかけた。周囲の熱気をよそに、その表情はすがすがしい。広島市民賞授与式に臨んだままのユニホーム姿で黒田は言葉をつないだ。

「日本一になれなかった悔しさはあるけど、自分の中では出し切った充実感がある。

今年優勝できて、最高の締めくくりができたかなと思う」

完全燃焼した達成感がにじんでいた。10月25日、日本シリーズ第3戦(札幌ドーム)の記憶に鮮烈に残る。右ふくらはぎがつり、1点リードの6回途中に1失点ながら無念の降板となった。それでも、現役生活ラスト1球は魂を込めて投げ込んだ。打席に立っていたのは大谷だった。

1、2打席はメジャーが注目する二刀流に、2打席連続で二塁打を浴びたが、右ふくらはぎの異常を感じながらも、3打席目は外角に沈むフォークで左飛に打ち取った。「(直後に降板した)悔しさと、最後に投げた球が彼だったという、うれしい気持ちがある。いい思い出になる」。一時代の終焉(しゅうえん)を告げるシーンとなった。

会見で大谷のメジャー挑戦についても質問が飛び出すと、黒田が逸材の未来像も予想した。「投手と野手、どちらを選択するか分からないが、かなり高い確率で成功すると思う。チャレンジするなら、一ファンとして楽しみにしたい」。08年からドジャース、ヤンキースで活躍。ドジャースの現役最強左腕カーショーからも「素晴らしいキャリアで、素晴らしいチームメートで、素晴らしい友人だった」と信頼され、14年オフにメジャー球団から年俸20億円ともいわれるオファーを受けながら古巣復帰した男の言葉には説得力があった。

花巻東時代からメジャー志望だった大谷は、来オフにもポスティングシステムを利用してメジャーに挑戦する可能性が高い。今季は投手として日本球界最速165キロを計測するなど10勝。

打者としては22本塁打をマークし、メジャーからの注目度もこれまで以上に増している。日本シリーズで黒田と対戦した際には「ほぼ全球種を打席で見ることができた。間合いやボールの軌道が勉強になった」と声もうわずらせた。

そんな憧れの存在からの後押しは、大谷にとっても力強い言葉となったはずだ。日米で203勝をマークしたレジェンドにとっても、若き二刀流との対決は、人生の最高の宝物となっていた。

☆今日本シリーズの黒田VS大谷 10月25日の第3戦(札幌ドーム)で初対決し、第1打席は初球の145キロツーシームを左翼線二塁打。第2打席は4球目の141キロカットボールを強振し、右中間へ2打席連続となる二塁打を放った。6回1死走者なしで迎えた第3打席は134キロフォークで左飛と凡退。

黒田は直後に右ふくらはぎの異常を訴え、一度はマウンドに戻るも続投不可能で降板。大谷が現役最終対戦打者となった。

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奉告会に姿を見せた黒田と新井(右)

[スポニチアネックス 11/5 05:37]




野球広島・黒田「カープでよかった」 笑顔の引退会見 5日のVパレードが見納め

今季限りで現役を引退した広島・黒田博樹投手(41)が4日、マツダスタジアムであらためて引退会見に臨んだ。25年ぶりのリーグ制覇を置き土産にユニホームを脱ぐ右腕は、日米合わせて20年間の現役生活を「出来過ぎの野球人生。カープでよかった」と振り返った。

背番号「15」は永久欠番。ファンに愛され続けた男は、尽きぬ感謝の思いを口にした。

無数のまばゆい光に、笑顔が照らされた。テレビカメラ18台、報道陣約150人が詰めかけた会見。黒田の胸には、一点の曇りもなかった。白い歯をこぼして何度も目尻を下げる。完全燃焼で終えた現役生活だ。

「最後はリーグ優勝ができた。チームが日本一になれなかった悔しさはあるけど、自分の中では出し切った充実感がある。出来過ぎの野球人生だった。カープでよかった」

10月18日に今季限りでの現役引退を電撃発表。最後の登板は同25日、札幌ドームで行われた日本シリーズ第3戦だった。六回1死からの85球目。大谷を左飛に打ち取ったスプリットが、最後の1球になった。広島で投げた方が「1球の重みを感じられる」とメジャーからの巨額オファーを断った。

満身創痍(そうい)の体に、魂を込めて投げ続けた2年。「1球、1球が僕の中で充実していた。ファンの声援を背中に受けて(マウンドに)上がる。苦しい中で充実感と幸せな気分になった。最高の締めくくりができた」と振り返った。

自分史はファンとともに歩んできた足跡でもある。旧広島市民球場時代、チームは万年Bクラス。「ファウルボールがスタンドに入っても、誰に当たることもなく椅子に当たっていた」。

それでも声をからして応援してくれる人が1人でもいれば、勝利を目指した。負けていい試合など存在しない。それが、黒田が貫いた信念だった。

日米通算203勝。チームの25年ぶりのリーグ制覇に貢献した。そして背番号「15」は球団史上3人目となる永久欠番になった。「自分の中で鳥肌が立ちました。15番はファン、球団の方の心配りで、もう一度ユニホームを着てマウンドに立つことができた。みなさんの背番号だと思う。15番のユニホームを見た時に今年のリーグ優勝を思い出してもらえれば幸せ」。ファンへの感謝の思いを伝えながら言葉を紡いだ。

「解放感がある。朝、起きて体が痛くても別にいいんだと思う。その『別にいいんだ』が、すごく気持ちいい」。そう柔らかにほほえんだ。

5日の優勝パレードが、最後のユニホーム姿になる。「今後?全く考えてない。取りあえず野球から離れてゆっくりしたい」と言うと、「来シーズン中にもう一回、投げたいという気持ちになるかもしれない」と冗談を飛ばした。今は、全力で戦い抜いた20年間に、感謝するだけだ。

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晴れ晴れとした表情で引退会見を行う黒田(撮影・吉澤敬太)


[デイリースポーツ 11/5 06:03]




野球黒田の指導者復帰 オーナーが期待「男気発揮してもらわないと」

◇黒田引退会見

広島の松田元(はじめ)オーナーは「優勝という形で送り出せるのは、私たちも光栄。彼がいなかったら優勝はなかったと思うし、2人(黒田と新井)の影響を持って優勝できたと思う」と語った。

指導者としての将来的な現場復帰についても言及。「本人がその気になるかどうか。また、男気を発揮してもらわないとな」と笑顔で話した。


[スポニチアネックス 11/5 08:55]



広島・黒田、引退会見「満足できる野球人生だった」

今季限りで現役を引退した広島の黒田博樹投手(41)が4日、広島市のマツダスタジアムで記者会見を行った。

黒田は大勢の報道陣を前に、「シーズンが終わってちょっとたったので、まだ実感はないですけど、ちょっとずつ時間が経つにつれ、引退したんだなと実感をやっと感じている。ホッとしたのが一番ですし、今年一年、けがなく少しでもチームに貢献できた安心感のほうが強い」と心境を語った。

日本ハムとの日本シリーズでは第3戦に先発。第7戦までもつれれば登板する見込みだったが、チームは敗れた。「結果的にはチームが日本一になれなかったので、悔しい気持ちがありますけど、自分の中では出し切った充実感はある」と納得の表情。「当然、(日本シリーズが)第7戦まで行くと自分が投げるつもりでいましたし、日本一になるために投げたいな、と思いましたけど、こればっかりは勝負事なので自分の思った通りにはならない。最後の最後で勝負の厳しさを思い知らされた」と振り返った。

1997年に専大から逆指名のドラフト2位で広島入団。2005年には最多勝に輝き、エースとして低迷期を支えた。08年に渡米し、ドジャースとヤンキースで活躍。14年オフには一部メジャー球団から年俸20億円のオファーを受けながら、古巣復帰を決断した。“男気右腕”と呼ばれた黒田は「出来過ぎの野球人生だった。最後はリーグ優勝もできましたし、満足できる野球人生だった」とうなずいた。


[サンケイスポーツ11/4 17:29]
野球黒田に東北から早くも“復帰要望”

今季限りで現役を引退した広島・黒田博樹投手(41)が4日、マツダスタジアムで会見を行い「カープに入ってなかったらこれだけの野球人生は送れなかった。カープでよかったとつくづく思う」と日米通算20年に及んだ野球人生を振り返った。当面は野球から離れた生活を送るというが、黒田と親交のある人物からは早くも“復帰要望”が。その内容と裏にある「男気秘話」とは――。

会見に臨んだ男気右腕は穏やかな表情だった。「今は、朝起きて体が痛くても別にいいんだと思える。その『別にいいんだ』が自分の中で気持ちいい」。勝負の世界から解き放たれた自由を満喫しているようだ。

舌も滑らかで「この後に(新井が)FA宣言の会見をすると言っていたので、そちら側(報道陣)から聞きたい」と冗談まで飛ばした。

今後は「いったん野球から離れてゆっくりしたい」。

偽らざる本音なのだろうが「せっかく日本と米国で20年間もプレーさせてもらったんで、いろんな人に還元できればと思う」とも話す。将来再び赤いユニホーム姿を見たいファンも多いだろうが「現時点ではそこまでは考えられない」と言葉を濁す。復帰に尽力した鈴木球団本部長も「今後の話はしていない。

米国に渡ったときと同じで、もしそういう心境になれば戻ってきてくれればいい。ユニホーム姿でも、ただ遊びに来るのでも構わない」と“親心”をにじませた。

そんななか「少年野球教室の指導者として復帰してほしい」と熱烈オファーを出すのが、黒田と親交があり、広島市内でスポーツグッズショップ「セレクション」を営む山田一雄代表だ。

山田氏は、黒田がヤンキース時代に知人の紹介で知り合った。その際、東日本大震災で被害に遭った宮城県気仙沼市を支援していた関係から「子供たちにあげたいのでサインボールが欲しい」と直訴。二つ返事で何十個ものボールにサインをくれたという。

「サインボールを受け取った子供たちは大いに勇気づけられた。そして日本でのプレーをテレビで見て、さらに元気をもらっている」という山田氏は「特に印象に残っているのは、東北の状況について話すうち黒田さんが『東北の被災地に行きたい』としきりに訴えていたこと」と振り返る。

そして2014年10月。広島市で起きた土砂災害で、黒田はプライベートで被災地を訪問している。

「あれだけ言っていたので、実際に行動に移したのはすぐに理解できた。もともとカープに帰ってきたのも年俸などではなく恩義の部分が大きいと思う。いつも恩で行動する熱い男ですよ」(山田氏)

今季、黒田は日米通算200勝を達成し、名球会入りした。その名球会は定期的に東北の被災地を訪れ、講演や野球教室など支援活動を行っている。

山田氏は「黒田さんも近い将来、野球教室などで東北を支援してくれるのではないか。そうすればさらにみんなが励まされると思う」と熱望している。

黒田が“帰ってくる日”はそう遠くないかもしれない。

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ユニホーム姿で引退会見した黒田は終始、笑顔だった


[東スポWeb 11/6 07:45]




【広島カープ】黒田、久本、倉、中東、廣瀬、西原・・・今年カープを去る選手たち

 25年ぶりのリーグ優勝を飾った広島。日本シリーズでは2勝4敗で日本ハムに敗れ、1984年以来、32年ぶりの日本一とはならなかったが、2016年の野球界を多いに盛り上げた。

 田中、菊池、丸の同級生トリオでチャンスメイクし、新井、そして今季大ブレイクした鈴木で返す得点パターンを確立。投手陣もジョンソン、野村、黒田の3本柱がきっちりと試合を作り、今村、ジャクソン、中崎の勝利の方程式も抜群の安定感を誇った。就任2年目の緒方監督の采配もさえ、低かった前評判を覆し、2位巨人に17.5ゲーム差をつける独走Vだった。

 伸び盛りの若手が多く、早くも来季への期待も高まるが、一方で今季限りでカープのユニホームを脱ぐベテランもいる。

 ここで今季限りで引退、戦力外となった選手のこれまでの実績を見てみたい。

○黒田博樹(引退)
プロ20年目。日本通算321試合に登板。124勝105敗1セーブ、防御率3.55。米国通算212試合に登板。79勝79敗、防御率3.45。

 言わずとしれたレジェンド。1996年ドラフト2位(逆指名)で広島に入団。2001年に12勝を上げると、メジャーに移籍する07年まで6度の2桁勝利。04年のアテネ五輪では銅メダルに貢献。05年には15勝で最多勝。06年には防御率1.85で最優秀防御率を獲得した。

 07年のオフにFAでドジャースに移籍。12年からヤンキース。メジャー在籍7年で5度の2桁勝利をマークした。14年オフには20億円とも言われた巨額オファーを蹴って、広島に電撃復帰。今年7月には日米通算200勝を達成した。日本シリーズ開幕前に今季限りでの引退を表明。背番号15は永久欠番となった。


[広島カープブログ 20161109]


【広島カープ】黒田の引退はMLBでも話題に、公式サイトでも取り上げられる

 広島の黒田博樹投手は今季、25年ぶりのリーグ優勝に貢献し、20年間の現役生活に別れを告げた。5日の優勝パレード後にはファンに最後のあいさつをして、本拠地マツダスタジアムのマウンドの前で膝をついたが、この様子をMLB公式サイトが取り上げ、異例の特集を組んでいる。動画コーナー「Cut4」が「必見 日本でヒロキ・クロダが野球に涙ながらの別れを告げる」と伝えた。

 黒田は今季10勝8敗、防御率3.09という成績で広島のリーグ優勝に貢献。精神的支柱としてもチームを牽引し、大きな役割を果たした。最高の形で輝かしい20年間のプロ生活に終止符を打ったが、2008年から14年まで活躍した米国でもMLB公式サイトが黒田の現役最後の姿をレポートしている。

「ヒロキ・クロダはメジャーリーグでとても大きな成功を収めた7シーズンを享受した。79勝(年平均11勝)、防御率3.45、1000個近くの三振(986奪三振)を記録。ポストシーズンにおいても、おそらく最も信頼できる先発投手だった。5試合(ドジャースで3試合、ヤンキースで2試合)に先発し、防御率は3.94。彼の最高のパフォーマンスの1つは2012年ア・リーグ優勝決定シリーズ第2戦だ。5回までパーフェクト投球で、(降板までに)11三振を奪った。しかし、不運にもヤンキースは敗れた」

 ヤンキース時代の2012年、黒田は地区シリーズ第3戦(オリオールズ戦)で8回1/3を5安打2失点と快投し、チームを勝利に導いた。そして、その登板から中3日でリーグ優勝決定シリーズ第2戦の本拠地タイガース戦のマウンドに上がり、7回2/3を5安打3失点。援護に恵まれず0-3で敗れたものの、11三振を奪った。この力投を特集ではメジャーでのハイライトに選出している。


[広島カープブログ 2016.11.14]



黒田投手引退 チュート徳井、アンガら“カープ芸人"感謝とねぎらい

プロ野球・広島カープの黒田博樹投手(41)が18日、今期限りでの現役引退を発表した。昨年メジャーの高額オファーを蹴って古巣・広島に復帰、チームを今年25年ぶりのリーグ優勝に導いたヒーローの引退に“鯉党"で知られる芸人たちからも感謝と慰労の声が相次いでいる。

極楽とんぼの山本圭壱は引退報道の直後に自身のツイッターを更新。黒田選手が投球する写真とともに「この写真はカープ復帰第1戦の初球です。昨年になります。思い起こせば沢山ありますが、この(日本)シリーズに集中しましょう! だってカープが好きなんだもん」と感慨深げに思いをつづっている。
▼チュートリアル・徳井義実
「色んなことを学ばせていただきました。ありがとうございました。」

▼アンガールズ
「黒田選手がカープを愛してくれて、カープに戻って来てくれたことが今でも夢みたいです。ファンにたくさんの夢を見させて頂いて、本当にありがとうございました。日本一で有終の美を飾ってください! 僕らも全力で応援します!!」

▼ロザン・宇治原史規
「黒田さん、本当にありがとうございました! ただただ感謝しかありません。それ以外なにも思い浮かばないです!」


[ORICON STYLE/10/19 10:02]



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