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半蔵門かきもの倶楽部コミュの第35回 作品 匿名F『高校教師』

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「あの先生、芥川龍之介に似てへん? 」
女子高校に入学した私たちにとって、男の先生の品定めは、楽しみのひとつであった。

新任のK先生は、数学を担当していて、神経質そうな雰囲気が、国語の教科書に載っている芥川龍之介の写真に似ていた。広報誌を担当していた片山みさきと一緒に色んな先生にインタビューをしたのだが「もしも、先生になっていなかったら? 」という設問にK先生は「ホームレス」と答えたのだった。
「絶対に変人や。あの先生、K大卒やのに」
確かにK先生は変わっていた。授業中は生徒と目を合わせることなく淡々と授業を進めていく。冗談を言うこともなければ、注意をすることもない。細く長い指でチョークを持ち、几帳面に黒板に数字を埋めていく。みさきと私は、K先生に興味を持ち、数学の質問を作っては職員室の、K先生の元に通った。ある日、いつものように数学の質問を終え、帰ろうとすると、
「これ読んで、感想文を書いてきて」
と、一冊の本を渡された。それは、遠藤周作の『沈黙』だった。
「なんで数学の質問に来てんのに感想文やの? 私は書かへん」
みさきは私に本を預けた。

私は『沈黙』を読んだ。重い題材だったが、一気に読み、続けて『海と毒薬』も購入して読んだ。
そして、感情の赴くままに感想文を書いた。それは、感想文というよりも、先生に宛てた手紙のようなものだった。真夜中に、興奮した状態で想いを綴り、朝、読み返すこともなくK先生に手渡した。
翌日、先生から戻ってきた返事は、とても厳しいものであった。
「感情に流されていて稚拙な文章だ。もっと気持ちを抑えるように」
先生から真っ白な封筒を受け取ったときに過大な期待をしていた自分が恥ずかしくなった。

再度、気持ちを抑えて、感想文を書き直し、K先生に手渡した。
すると、先生は、文章には目もくれず、遠くを見つめながら唐突に言った。
「日曜に京都で読書会してんねんけど、来る? 」
私は、二つ返事で応じ、みさきには内緒で先生が開催する読書会に参加した。
そこは、先生が学生の頃に通っていた古本屋で、年老いた夫婦が経営していた。奥に和室があり、ちゃぶ台を囲んで奥さんの手作りのケーキと日本茶で本について語り合う会を開催する形だった。

大学生に囲まれた先生は活発で明るく、高校で見る姿とはまったく違うものだった。そこで初めて分かったことは、先生は敬虔なクリスチャンということだった。先生は、学生たちと聖書の解釈を熱く語り続けていた。
しかし、私にはとてもついていけるような内容ではなく、黙って下を向いているだけだった。

帰り道、梅田に向かう阪急電車の中で、私は泣きそうになりながら「ついていけないので無理です」と言ったのだが、先生はまったく意に介さず「そのうち慣れるから。続けてごらん」と言うだけだった。
先生は、一体何を考えているのか、私には理解できなかった。ひょっとして、私のことが好きなのだろうか? 私は、淡い恋心を抱いて、月一回の読書会に通うことにした。

けれども、いつまでたっても先生と学生達の会話に馴染むことはできなかった。その中で、恭子さんという女性が、聖書の話についていけない私に話しかけてくれ、分かりやすく解説をしてくれた。恭子さんは、大学院生で、時々古本屋のお手伝いをしているという。色白で髪の毛をいつも後ろに束ねて、黒、白、灰色の服しか着ない人だった。私は、いつも恭子さんの横にすわって、先生が熱く語る姿を見るのを楽しみにしていた。学校とは違うK先生の姿を見ることができるのが誇らしく、何より魅力的なことは、暗黙の了解で先生も学校では読書会のことを秘密にしていたことだった。聖書のことに興味があるわけでもないのに、読書会には二年間通い続けた。

高校三年生の冬のことだった。大学の進路が決まって報告に行くと
「実は、僕も学校を辞めて大学に戻ることにした。哲学を勉強しようと思ってる」
「え? 先生、やめはるんですか? 読書会は? 」
「もともと先生になる気なかったし。あ、それから、言うてへんかったけど、恭子さんと結婚するねん」
私は、言葉が出なかった。

実は、背伸びした世界の中でただ一人道化師のようだったのかも知れない。ついていこうと必死だった自分が滑稽に思えた。でも、不思議なことに悲しさや寂しさは感じなかった。

それよりも、もう、あの背伸びした世界に行かなくてもいいという安堵のほうが強かった。

「先生、おめでとう。恭子さんと幸せになってください」
私は、心から祝福して言った。
「お互い、大学生、がんばろな」
先生は、学校では見せたことのない笑顔で言った。
そして、卒業式を境に読書会に行くこともなくなり、K先生とも音信不通となった。

それから、十数年の年月がたち、
「K先生、今、M大学の先生になってはるの知ってた? 」
久しぶりに会ったみさきからK先生の近況を聞いた。
「え? 知らんかった、ネットで見てみよ」
二人でM大学のホームページを開いてみた。
哲学科のコーナーにK先生の名前を見つけた。そこには読書会の時と同じ、K先生の明るい笑顔があった。

「あかんな、この写真は、もう芥川龍之介に似てへんわ」
みさきと私は顔を見合わせて笑った。そして、私はちょっと辛かった読書会を思い出し、みさきに悟られないようにそっと涙をぬぐった。

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