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あさか由香とはたの君枝コミュのしいば寿幸・日本共産党参院比例予定候補の歩いた道(1)「被爆者の深い苦しみ知って」

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「新かながわ」転載

 しいば寿幸・日本共産党参院比例予定候補に生い立ちを振り返ってもらいました。
被爆者の深い苦しみ知って
 1976年10月、現在の千葉市中央区で生まれました。この地域は川崎製鉄(現JFEスチール)の城下町です。夜ともなれば溶鉱炉の火で空が赤く染まっていたことを覚えています。のちに、千葉川鉄公害訴訟(あおぞら裁判)がたたかわれた土地柄です。
 父は宮崎県、母は千葉県佐倉市の出身のため、車のないわが家はお墓参り、新年のあいさつといっても容易ではありませんでした。とくに父の生まれ育った宮崎県椎葉村には4年に一度くらいしか帰れませんでした。お年玉が友達よりも少ない――子ども心には、そんなところでふるさとの遠さを感じたものでした。
 父は原水爆禁止千葉県協議会の事務局長、母は千葉県民主医療機関連合会加盟の診療所看護師として働いていました。
 小学生のときだったでしょうか、10円玉をなめていた私に、母が「ダメだよ」と注意しました。何も考えず「被爆者の人も触っているからね」と言ってしまったんです。すると、父も母も烈火のごとく怒りました。本当にビックリしました。
 「絶対差別してはならないんだ」と、被爆者の深い苦しみを語ってくれたことを覚えています。
 「ふるさと」にたいする特別な想いも、核兵器廃絶への願いも両親ゆずりかもしれません。

5歳のとき。父のワイシャツ、ネクタイを着用。

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