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反改憲!【条約より憲法が上】コミュの昭和天皇の公式記者会見

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「日本記者クラブ主催 昭和天皇公式記者会見
昭和天皇・香淳皇后両陛下
1975年10月31日皇居「石橋の間」」

http://www.polan.tokyo.jp/05_1f/pdf/01_hosoku2_19450806-19751031tenno.pdf#search=%271975%E5%B9%B410%E6%9C%8831%E6%97%A5%E3%80%81%E8%A8%AA%E7%B1%B3%E3%81%8B%E3%82%89%E5%B8%B0%E3%81%A3%E3%81%9F%E6%98%AD%E5%92%8C%E5%A4%A9%E7%9A%87%E3%81%AF%E6%97%A5%E7%B1%B3%E8%A8%98%E8%80%85%E3%82%AF%E3%83%A9%E3%83%96%27
*−−−−引用開始−−−−*
「原子爆弾が投下されたことに対しては遺憾には思ってますが、こういう戦争中であることですから、どうも、広島市民に対しては気の毒であるが、やむを得ないことと私は思ってます。」 昭和天皇

日本記者クラブ主催 昭和天皇公式記者会見
昭和天皇・香淳皇后両陛下
1975年10月31日
皇居「石橋の間」

渡辺理事長:開会に当りまして一言ごあいさつを申し上げたいと思います。本日は天皇、皇后両陛下をお迎えいたしまして、日本記者クラブの記者会見を催すことになりましたことは、歴史的にみても画期的な事柄でございまして、私ども、このうえない喜びでございます。
両陛下にはご訪米後まだお疲れがおとれにならない時期に、お忙しいご日程をさいていただいてわれわれにお会い下さいまして、誠にありがとうございます。両陛下に心からお礼を申しあげます。
今度のご訪米は、両陛下のお人柄が大変大きな魅力になりまして、一般に予想しておりましたことをはるかに超えた成果があがったもの、と私ども考えております。
米国の側でも、日米の関係は過去30年の間で、いまが一番いい時期だというふうに評価しておるようでございます。ご訪米の大任を果たされまして、両陛下とも今はほっとなさっておる時期だと思いますが、今日はどうかおくつろぎになったお気持で、ご訪米のおみやげ話、その他をお聞かせいただきたいと存じます。どうぞ、よろしくお願いいたします。では陛下、どうぞ。

天皇陛下:米国訪問に際し、フォード大統領閣下、米国人並びにわが国民から寄せられた好意に対して、皇后とともに深く感謝します。
このたびの訪米は、もとよりフォード大統領閣下が昨年来日されて招請されたことでありますが、私としては皇太子時代から永年念願していたことであります。このたび、これが実現したことは感慨無量であります。訪米中フォード大統領閣下、同夫人並びに多くの米国官民から温かい歓迎を受けました。それで、私と皇后の15日間の旅行は楽しくできました。
このたびの旅行中、米国の実情をつぶさに見、フォード大統領閣下並びに多くの米国人に会い、日系人たる米国人に接しました。これによって、両国の友好親善関係がますます親密になると私は深く信じます。
今日は、日本記者クラブの皆さんに会うことができたことを、私は嬉しく思います。

渡辺理事長:どうもありがとうございました。
それでは、これからご質問を少しいたさせていただきます。今度のご訪米では、フォード大統領の歓迎晩さん会、その他、公式行事も大変すばらしいものでございましたけれども、その他、両陛下にはウィリアムズバーグから始まって、マウントバーノンにおいでになりましたし、またシカゴ郊外のバルツ農場などにもお立寄りになって、非常にたくさんのご経験をなさったわけでございますが、陛下が15日間、米国においでになった間で、印象の非常に深かったことのいくつかをお話いただけたら幸いでございます

天皇陛下:訪問中いろいろ深い印象は受けましたが、おのおの特徴があってその比較はなかなかむずかしいことではありますが、中にも一番最初のアメリカの大統領、ワシントンの私邸を訪問したことであります。
私が(学習院の)初等科に入ったころ、先生からワシントンは非常に正直な人であると話を聞きました。その思い出が深いので、この訪問を一番なつかしく思いました。

明神正(NHK):陛下、今度のアメリカにはわれわれもお供をしたわけですけれども、一番苦労をしたのは例の生物学の研究の分野だったのです。ラテン語とか、たくさんの学名が出てきますし、聞くところによりますと、陛下には永年のナゾが解けた分野もあったとうかがっているのですが、そのあたりのお話をうかがえたらと思います。

天皇陛下:その方面についてはスミソニアン博物館、あるいはウッズホール、ラホヤ等の研究所を視察して、いろいろよい標本を見せてもらって非常に有益であったので感謝しています。
とくに、私の一番研究しておるハイドロゾアと研究所(皇居内の生物学研究所)にある標本と比べて、非常に参考になったことが多々ありまして、それをこれから先、私の研究所で比べて、はっきりした決定をしたい、と私は思っております。いま、時間があまりないですから、詳しいことを述べることはよしておきます。

渡辺理事長:皇后さまはアメリカでお買い物をなされましたり、(ディズニーランドで)マイケル坊やをお抱きになったり、いろいろニュースもお作りになったわけですけれども、ご訪米中、とくになつかしく思い出していらっしゃることがございましたら、どうぞお話をしていただきたいと思います。

皇后陛下:どれもこれもなつかしく思うもので、どれから言ってよいか、とにかくいろいろ変わったものを見せてもらって、大変楽しく思いました。

渡辺理事長:どうもありがとうございました。
陛下はかねがねアメリカの国、アメリカの歴史、あるいはアメリカ人の気質ですね、あるいは、アメリカ人の国民性なんかについて大変ご勉強になっておいでなんですけれども、実際に現地においでになりまして、アメリカ人、あるいはアメリカの国というものを、どういうふうなご印象でお帰りになりましたでございましょうか。

天皇陛下:前にも私はたびたび話したことではありますが、アメリカ人は主張ははっきりしますけれども、つねに具体的であって、さっぱりした国民であると。でありますから、非常に親しみやすい国民と思っていましたが、今回米国人はいろいろ配慮して、私の旅行を楽しくしましたことで、はっきり、いままで知ったこととよく合うことをよく知りました。

渡辺理事長:ご訪米中にそういうアメリカ人の率直で明るい国民性、そういう歓迎ぶりに触発されたこともあったと思いますが、ご訪米中、両陛下は非常にのびのびとお振舞になり、ありのままのお姿を、お人柄もそうですけれども、そういうものをはっきりお見せになったわけですが、それが今度のご訪米を非常に成功させたひとつの大きな要因にもなった、と私は信じておりますが、日本の国内でも、もっとのびのびと、もっと広く国民の間にお入りになりますことを、国民がひとしく願っておりますが、その点いかがでございましょうか。

天皇陛下:そういうことができれば、私もよいとは思いますけれども、日本の国民性とアメリカの国民性とは非常に違うところがありますから、果たしてアメリカを旅行したようなことが日本で実現するかは、非常に私は疑問としております。

渡辺理事長:ちょっと質問を変わった面に移しますが、陛下は、長い陛下としてのご在位の中で、いろんなご経験をなさったわけですけれども、その中で一番うれしくお思いになったことは、何でございましょうか。もちろん今度のアメリカのご訪問もその一つだと存じますが。

天皇陛下:今言われたようにアメリカ訪問はそのひとつでありますが、そのほかにも私と皇后と一緒にヨーロッパを訪問したことであります。しかしなお、終戦後、日本国民が努力して、りっぱに日本の復興ができたということが一番うれしく感じています。

渡辺理事長:それとは逆に、ご在位中に最もつらく、悲しかった思い出というのは、どういうことでございましょうか。

天皇陛下:それは言うまでもなく、第2次大戦であると思います。私はこういう悲しむべきことが、今後も起こらないことを祈っております。

渡辺理事長:不幸な戦争のことでございますが、今度のご訪米中に、大統領の晩さん会でのお言葉とか、あるいはアーリントン墓地においでになりましたことで、アメリカとの間で、不幸な戦争の問題というものは、これですっかり消えたと存じます。大変われわれもうれしく思っております。
ところで、今度は日本の国内の方でございますが、不幸な時期に親や子や妻をなくした国民もたくさんございますけれども、その国民が先ほど仰せになりましたとおり、焦土の中から立ち上がって、日本に見事な復興をなし遂げたわけでございますから、陛下がこの際、そういう日本の国民に対して、お言葉がございましたらぜひお聞かせいただきたいと存じます。

天皇陛下:そのことについては、毎年8月15日に、私は胸がいたむのを覚えるという言葉を常に述べています。今これらの非常に苦しい人たちが、今述べたように、日本の発展に寄与したことはうれしく私は感じております。

中村康二(ザ・タイムズ):天皇陛下のホワイトハウスにおける「私が深く悲しみとするあの不幸な戦争」というご発言がございましたが、このことは、陛下が、開戦を含めて、戦争そのものに対して責任を感じておられるという意味と解してよろしゅうございますか。
また陛下は、いわゆる戦争責任について、どのようにお考えになっておられますか、おうかがいいたします。

天皇陛下:そういう言葉のアヤについては、私はそういう文学方面はあまり研究もしてないで、よくわかりませんから、そういう問題についてはお答えができかねます。

渡辺理事長:陛下がこれまでに戦後国内の各地をご巡幸になっておられますが、まだ沖縄にはおいでになっていないようでございます。戦後、日本に復帰してきた沖縄を、ご訪問になるご希望がございますでしょうか。

天皇陛下:戦後、私は、今いわれたように各地を巡幸して激励しましたが、沖縄県には残念ながら行かれなかったのであります。機会があるならば、今言ったように近い......行きたいと、私は希望しております。
沖縄県は過去においていろいろ問題があったとは思いますが、今後りっぱに沖縄県の発展することを、私は祈っております。

秋信利彦(中国放送):天皇陛下におうかがいいたします。陛下は昭和22 年12 月7 日、原子爆弾で焼け野原になった広島市に行幸され、「広島市の受けた災禍に対しては同情にたえない。われわれはこの犠牲をムダにすることなく、平和日本を建設して世界平和に貢献しなければならない」と述べられ、以後昭和26 年、46 年とつごう三度広島にお越しになり、広島市民に親しくお見舞の言葉をかけておられるわけですが、戦争終結に当って、原子爆弾投下の事実を、陛下はどうお受け止めになりましたのでしょうか、おうかがいいたしたいと思います。

天皇陛下:原子爆弾が投下されたことに対しては遺憾には思ってますが、こういう戦争中であることですから、どうも、広島市民に対しては気の毒であるが、やむを得ないことと私は思ってます。

渡辺理事長:わが国は戦争の最中に、アジアの隣近所の国に大変迷惑をかけたわけでございますが、陛下はヨーロッパとアメリカをご訪問になりましたが、今後中国を含めてアジアの国々をもお訪ねになるお気持ちでいらっしゃいましょうか、どうでしょうか。

天皇陛下:いま述べたことについては、アメリカの記者が「平和条約ができたならば、中国を訪問しますか」という質問であったので、私はそういう機会があれば、中国を訪問するつもりである、と答えたように記憶しています。
そのほかにも訪問しなければならない国が多々あるように思いますが、まだわが政府は決定していません。

渡辺理事長:両陛下とも長いご在位の中で大変なご苦労の時期をお過ごしになったわけでございますが、お見受けいたしますと、大したおさわりもなくて、大変お元気でいらっしゃいますが、これには何か特別ご健康のご秘けつでもおありでしょうか。

天皇陛下:その、健康については、非常な秘けつがあるというわけではありませんが、那須や須崎で散歩をして足を丈夫にし、また医者の意見を聴いて、食物に対してもいろいろ調整をしているのであります。

高山晃(中京テレビ):ただいまの天皇陛下のご健康のことにつきまして、皇后陛下におうかがいしますが、日ごろ何かご健康の維持というようなことについて、皇后陛下からアドバイスされるというようなことがございますでしょうか。また最近そのような例がございましたでしょうか、おうかがいします。

皇后陛下:別にこれということはありません。

渡辺理事長:両陛下の日ごろのお暮らしの中で、いろいろお楽しみもあると思いますが、ご研究だとか、皇后さまの場合は絵とかいろいろございますが、テレビなんかもよくご覧になると思いますが、たとえばどういうふうな番組をご覧になりますでしょうか。いろいろお楽しみのことについてもおうかがいさせていただきたいと思いますが。

天皇陛下:私が一番楽しみにしておるのは、前にも言ったように、国民が努力して、日本の発展に貢献しておることであります。また公務の余暇には生物学を研究して楽しみにしています。テレビはいろいろ見てはいますが、放送会社の競争が(会場に笑い起こる)はなはだ激しいので、いま、どういう番組を見ているかということには答えられません。(場内爆笑)

渡辺理事長:どうもありがとうございました。
予定の時間も大分過ぎましたので、大変お名残惜しいのでございますが、これをもって両陛下との記者会見を終わらせていただきます。お疲れのところ長い時間お話を承ることができまして、大変有難うございました。
国内の新聞やテレビとのご接触はこれからの皇室と国民との間をつなぐ重要な、太いパイプであると私ども信じておりますので、今日だけでなくて、どうぞこれからも折にふれまして、われわれとお会いいただくことを強く私ども心から期待しております。
今日はどうも有難うございました。

           報源:1975年11月1日付毎日新聞朝刊から
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「ご訪米の旅 (1975年9月30日〜10月14日) から帰られたばかりの天皇、皇后両陛下との記者会見は、生涯忘れ得ない想い出となった。宮内庁は公式には記者会見という言葉を使うのをいやがっていた。
会見という言葉には対等というニュアンスがあるからだということだったが、私は両陛下への質問に先立って『日本記者クラブ主催の共同記者会見に応じてくださったことに感謝いたします』という意味の挨拶をして、これを正式の記者会見と宣してしまった。実質がそういう内容だったし、宮内庁からも別にあとで文句はでなかった......」(司会をした渡辺誠毅理事長の後日談『日本記者クラブ10年の歩み』から)
*−−−−−引用終了−−−−*

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