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反改憲!【条約より憲法が上】コミュの天木直人さんへのTwitter_この演説も画竜点睛を欠くと思います。

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https://twitter.com/reef100/status/1075189617970896896


天木直人
‏ @amakinaoto

2018年12月18日天木直人の立川駅街頭演説: http://youtu.be/OAwQwvx-inM?a via @YouTube



19:27 - 2018年12月18日


アステローペ・リーフ
‏ @reef100
9:42 - 2018年12月19日
返信先: @amakinaotoさん、@YouTubeさん

この演説も画竜点睛を欠くと思います。

1.安倍晋三政権を倒せ。(与党内で正しい政権ができても、野党一丸になって安倍晋三政権を倒して政権交代しても、どちらでもよい。しかし、現状そんな政治家は一人もいない。皆、年収一億円の利権屋)
2.日米軍事条約をやめねばならない。(保革共通の真理。)
3.国民はよく考えてください。


これでは画竜点睛を欠く。

1.2.を正すために、そのためには投票で正しい政党、正しい政治家を選んでください。選挙が唯一最大の問題解決の方法であるという主旨のことを天木さんはおっしゃるが

選挙で多数決で国会勢力分布が決定することなど小学生でも知っている。


よく考えて、の「よく考える」ができていない。

その為にはどうすればいいのか、その問題解決の方法が、

「よく考えることです」では、トートロジーだ。


「よく考える」がブラックボックスで、ここの雲を通り越して、

創価学会は自民党議員の当選に協力し、公明党は自民党とタッグを組み、
(創価学会員でない、安倍批判の有権者は)あるいはブラックボックス「よく考える」を通過して、棄権という行動をし、あるいは、ブラックボックス「よく考える」を経由して、各種野党に投票している。

主権者人民の「よく考える」を、戦後70年、いや、第二次世界大戦突入を防げなかった戦前の天皇主権の時代の日本人民の時代から、このブラックボックスの中の「よく考える」は、日本人民の脳みそにおいて1mmも進化していない。
ただ戦前戦後で憲法が変わっただけです。

ようするに、日本人民の脳みそは、「よく考える考え方」=「論理という資源」の解放 がなされてないのです。

天木んさんの演説には、ひとことも、「論理という資源」の解放を語る下りがない。

少なくとも、主権者人民は全くそのような「論理という資源」の解放はない。

戦前戦後で憲法が変わっただけで、主権者人民は、Democracyの意味も、人民主権の主権の意味も、(正しく認識しておらず、あるいは意味不明で)、ただ用語としてDemocracyや主権と書けるだけ。

日本共産党や社民党から自民党迄、自由といい、民主主義といい、しかして、日本人民の脳みそは「自由は規律で規制すべきもの」、「民主主義は多数決がすべて」、という論理内容になっている。

それは、天木さんの脳みその中も同じで、だから、デモを軽視したり、そんなもの不要だという議論を吹っ掛けたりしている。

選挙に出ない、選挙運動でない、政治運動だというからには、主権者人民の脳みそを蹴飛ばして、覚醒する演説をすべきです。


人間牧場の国畜でどうするのだと。
この人間牧場の柵から自らを解放して自由になれと。
自由になればなんでもできるのだと。
日米軍事条約からも自由になれば何でもできると。
私は暴力はすべて否定しないと。暴力には正しい暴力と間違った暴力があると。警官が暴力を使わなければ凶悪犯は逮捕できないと。

アウシュヴィッツのガス室に送られていく収容内で皆おとなしく殺されていったが、一度くらい暴動を起こせばよかったのだと。それが生物の生命の原理だと。
あなたは女が髪を振り乱して棒を持って立っていれば非難するのかと。女の前には狼がいて、女の後ろには幼子がいてもかと。

あなたは、若き女性が強姦魔に抵抗するのを、暴力だと言って非難するのかと。
暴力には、正当防衛があるのだと。

問題は、その暴力が、主権者人民の自然権を守るという側の非常時の手段であるかどうかだと。
通常時にはそんなものは必要ない。しかし、絶体絶命の非常時には、暴力には、主権者人民の自然権を守るという至上命題があり、それが優先するのだと。

あなたは、種子法を廃止され、遺伝子組み換えの枯葉剤を混入し人民を長期に抹殺していく法律を守れというのかと。
水を国際金融資本家に奪われ、国民が子々孫々生きていけなくなってもそんな法律を守れというのかと。

このような主権者人民の生命が破壊されることをあなたは許せるのかと。

安倍晋三も麻生太郎もこんな種類のことをする極悪人、歴代日本の政治家にいはない、世紀の、稀代の、犯罪者なんだと。
あんなものは日本国憲法の前に政治家などではないのだと。


一つの方法で、選挙がある。
しかし、選挙がすべてではない。
選挙は通常時の抵抗権の一つに過ぎない。
非常時に非常の手段が必要なのだと。
その矜持を持てと。



このくらいのことを言わなきゃ、画竜点睛を欠く。

「暴動」と「Democracy革命」の違いは、そこに「Democracyの論理」があるかどうかです。

天木さんのような、日本変革の意志のあるインテリゲンチャが本来なら「後は任せておけ」と日本国憲法の理念に沿った、官僚機構のスケルトンを直ちにそこに投影し、国民の願いを実現しなければならない。
「主権者人民が主権者人民の自然権を守る為にそれを望むのであれば、どんなことでも実現して差し上げましょう」というプロ集団(官僚機構)を以って、即座に臨時革命政府を樹立するのが、日本国憲法の理念を矜持として持つインテリゲンチャの仕事のはずだ。

憲法98条、憲法99条の本来の意味は、国家権力がこの憲法を守らないときにはそんな国家の仕事に従うな、という主権者人民から公務員への命令だ。
さらに国家をリセットしろという命令だ。
国家を作った主権者人民には、国家権力が憲法を守らない時は最後の非常手段として国家リセットの義務がある。

「次の選挙で負ければ、アウシュヴィッツで殺されてもしようがない。あきらめさい。」というのは間違いである。

多数決で選ぶ国会による法律の制定というのは、Democracyの始まり。イントロに過ぎない。そんなイントロでDemocracyは終わるのではない。
「国家権力が、この憲法に反する三権を行使する時には、そんなものは受け入れるな、守るな、そんな国家は、国家を作った主権者人民にはリセットする義務がある。」
なぜ、あなたはそういえないのか。

<選挙に出るつもりもない。国民に媚を売るつもりは毛頭ない。命を賭けて国民を啓蒙したいのだ>というのなら、そう日本でただ一人、国民の脳みそを蹴っ飛ばせばいいではないか。それが天木さんの使命ではないのか。

日本共産党の志位和夫さんは、
<このまま日本国民がファシズムに殺されても、戦争になって殺されても、多数決で我々を選ばなかった国民の責任です。死んでもらいましょう。仕方ないですね。>という政治家であり、政党だ。左翼左翼と非難してるけれど日本共産党のDemocracyというのはその程度のもの。

<私のDemocracyはそんなものではない。私のDemocracyは本物だ。左翼とは違う。>というのなら、私の指摘したDemocracyの本来の矜持を見せるべきではないのか?

なぜ日本共産党は戦争に反対しても戦争を防げなかったのか。その反省のなさは今に通じる。人民の脳みそを蹴っ飛ばして「論理という資源」を解放しなかったから。
天皇主権の時だから仕方がなかったというのなら今なぜしないのか。
人民の脳みそを蹴っ飛ばして論理という資源を解放できる時代になってもせず。
だから、今度もまた日本共産党は戦争を防げない。反省がないから。

だが、それは日本共産党だけではない。天木さんの様な、自称、民主主義者もおなじだ。「Democracy=多数決」というインテリゲンチャも政治家も政党も、皆同じだ。Democracyのイントロ部分で打ち切り、あとは目をそらす。

遠慮がちに、しかし、かろうじて、このインテリゲンチャの怠惰に目を向いているのは、小林節か。
憲法学者の沽券にかけて、遠慮がちではあるが、かろうじて文字にして残している。

(小林節氏の言葉)『個々の国民が個性を持った存在であり、かつ幸福に生きる権利を持っているという考えは普遍的な考え方だ。』

(小林節氏の言葉)『そのうえで、人間は一人では生きていけないから、国家というサービス機関を作った。だから人と国家が対立し、国家が人の人格的生存を侵すのは国家の誤作動。そのような場合、人間は革命を起こさなければならない。』←まさに憲法98条、99条の中身。

【(上記小林節氏の言葉)の出典:
「片山さつき氏の天賦人権説否定ツイートに対する小林節慶大名誉教授の批判」
2015-07-07 22:31:09
なか2656の法務ブログ様
( https://ameblo.jp/naka2656/entry-12047815748.html )】



我が国の憲法学者のセリフは、奥歯にものの挟まった言い方をするからまどろっこしいが、言わんとすることはこういうことだ。

人間牧場の国畜として主権者人民は今置かれている。
人間牧場の牧童=日本の政党、日本の政治家。 
牧童たる政治家やその番犬に、コントロールされるのではなく、人間牧場の柵の外へ自らを解放する能力を身に着けることが必要。

「論理という資源」の解放が、主権者人民個人個人という現・国畜には必要。

人間牧場の柵の外へ自らを解放する能力とは何か。
これに尽きる。

近代社会契約の国家の約束定義を血肉化する事。「国家は人民が作った。人民個人個人の自然権は個人では守れないが国家なら守ることができる。だから人民が国家を作った」これが源泉。
日本国憲法の源泉。社会契約説のエッセンス。

国家の目的「人民の天賦人権(自然権)を守る」を実現させる為に人民は強大な国家権力を国家を信じて託した。
だがその強大な国家権力を濫用されたら困る。
だから近代憲法を作って人民は国家を縛った。
国家は絶対にこの憲法を守りますという誓約(立憲主義)と引き換えに強大な国家権力を信託された。

しかし、それでももし、国家権力が憲法を無視したらどうするのか?

憲法98条は、この憲法に反する国家の仕事(法律や命令や判決(判決も国家の仕事だ))には従うなと書いている。それは、日本国憲法が近代社会契約の国家の約束定義に立脚した近代憲法だからだ。
この憲法に反する国家の仕事はボイコットしなければならない。
そう公務員を縛った主権者人民が、なんでこの憲法に反する国家の仕事(法律や命令や判決)に従う道理があるのだ。

憲法99条は、「この憲法を守れ」と公務員である天皇や国会議員、大臣、裁判官らの要職を名指しで縛っている。これは努力目標なんかではない。守らなかったらしかたないですね、などというものではない。

国家権力の中枢がこの憲法を守らなかったら国家が成り立たない。

国家権力の中枢がこの憲法を守らなかったら憲法システムそのものがなりたたない。
そのことは、近代社会契約の国家の約束定義から容易に導出できる。
法律も警察も検察も司法も官僚も無意味。国家権力は憲法を守る事を大前提としてなりたっている。

日本国憲法は、近代社会契約の国家の約束定義を基盤にして作られている近代憲法だ。
国家が暴走をした時、通常手段の選挙ではもう国家を軌道修正することは不可能な時、非常手段として国家をボイコットし国家をリセットする、それが国家を作った国家の主人たる国民の義務なのである。今はそういう時だ。


我が国の憲法学者のセリフは、奥歯にものの挟まった言い方をするからまどろっこしいが、言わんとすることはそういうことだ。

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