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反改憲!【条約より憲法が上】コミュの満州人脈(岸信介の経歴の最重要ポイントは、満州国国務院実業部総務司長、および満州国総務庁次長にある。

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岸信介の経歴の最重要ポイントは、満州国国務院実業部総務司長、および満州国総務庁次長にある。

*−−−−−<岸信介の経歴のポイント>−−−−−−−−*

1.1936年(昭和11年)10月
 満州国国務院実業部総務司長、


2.1937年(昭和12年)7月
 満州国国務院産業部次長、

3.1939年(昭和14年)3月
 満州国総務庁次長に就任)


4.
1941年10月18日-1943年10月8日
 第24代 商工大臣

5.
1943年10月8日-1943年11月1日
 国務大臣・商工次官
 ※商工大臣は東條英機(1943年10月8日-1943年11月1日)

6.
1943年11月1日-1944年7月22日
軍需次官 (国務大臣の兼務)
 ※商工省が軍需省に。軍需大臣は東條英機(1943年11月1日-1944年7月22日)

*−−−−−以下参考情報−−−−−−−−*


●岸信介
https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E5%B2%B8%E4%BF%A1%E4%BB%8B
によると 
略歴は簡略過ぎる。
「 ・・・
満州国総務庁次長、商工大臣(第24代)、
・・・」


●総務庁 (満州国)
http://bit.ly/2ROKW8k
「 総務庁(そうむちょう)とは、満州国の国務総理大臣が自らの職務権限に基づく事務を処理するために設けた機関。

・・・

総務長官

※最高責任者の名称は建国当初は総務庁長官、1933年以降は総務庁長、1937年以降は総務長官となっている。

代 氏名 在任期間

・・・
7 武部六蔵 1940年7月24日 - 1945年8月19日


総務庁次長

氏名 在任期間

・・・
岸信介 1939年3月22日 - 1939年10月19日」


●満州人脈
https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E6%BA%80%E5%B7%9E%E4%BA%BA%E8%84%88
によると
「 ・・・

主なメンバー

岸信介(1936年(昭和11年)10月に満州国国務院実業部総務司長、1937年(昭和12年)7月に産業部次長、1939年(昭和14年)3月には総務庁次長に就任)

・・・」


●商工省
https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E5%95%86%E5%B7%A5%E7%9C%81#%E6%AD%B4%E4%BB%A3%E3%81%AE%E5%95%86%E5%B7%A5%E5%A4%A7%E8%87%A3%E7%AD%89
によると
「1943年(昭和18年)11月1日、商工省と農林省を廃止し、軍需省と農商省を設置。
戦時中の軍需産業強化のため、商工省の大半と企画院の国家総動員に関する部局を統合して「軍需省」を設置。これに伴い、商工省が所管していた繊維産業や日常生活物資についての統制事務を農林省に移管して、「農商省」とした。


・・・
     
商工大臣(しょこうだいじん)は、戦前の商工行政を所管していた国務大臣。商工省の長。戦後の国家行政組織法で商工省は廃止となり、通商産業省が設置された。その後の戦後商工行政は通商産業大臣が所管した。

歴代大臣

商工大臣(第1期)

1 高橋是清 加藤(高)内閣 1925年4月1日-1925年4月17日
農林大臣を兼任

・・・

24 岸信介 東條内閣 1941年10月18日-1943年10月8日

25 東條英機 東條内閣 1943年10月8日-1943年11月1日
内閣総理大臣による兼任



国務大臣・商工次官

岸信介 東條内閣 1943年10月8日-1943年11月1日



商工大臣(第2期)

26 中島知久平 東久邇宮内閣 1945年8月26日-1945年10月9日

・・・



●軍需省
https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E8%BB%8D%E9%9C%80%E7%9C%81
によると
「軍需省(ぐんじゅしょう)は、太平洋戦争期に設置された日本の行政機関の一つ。戦時の軍需産業強化の必要性のため、1943年(昭和18年)11月1日、勅令第824号「軍需省官制」に基づき、商工省の大半と企画院の国家総動員部門を統合して設置された省。軍需大臣(ぐんじゅだいじん)を長として、軍需次官以下、内部部局の大臣官房、総動員局と八つの局、および外局、さらに地方支分部局によって構成され、軍需関連会社を所管した。

・・・
大臣 東条英機(初代)
中島知久平(最後)

・・・
所在地 日本 東京都
設置 1943年-1945年

・・・

軍部と密接に関わる行政だったことから陸海軍人が要職に就く例が多かった。1945年2月、戦局の更なる悪化、本土への空襲の本格化に対応して軍需工場の疎開を円滑に行う為、省内に臨時生産防衛対策中央本部が設置された。同本部の総裁は軍需大臣、事務総長は総動員局長、事務次長は総動員局第2部長がそれぞれ就いた。戦後の進駐軍上陸を目前としていた1945年8月26日、椎名悦三郎次官らの指導によって商工省に復帰した。

・・・


軍需大臣

氏名 任 免 備考

東條英機 1943年11月1日 1944年7月22日 内閣総理大臣の兼務。陸軍大将


・・・

軍需次官

氏名 任 免 備考

岸信介 1943年11月1日 1944年7月22日 国務大臣の兼務。前商工大臣。東條内閣

・・・



●天皇が戦争狂になった訳
投稿者 中川隆 日時 2010 年 3 月 07 日 16:57:48:
http://www.asyura2.com/09/reki02/msg/321.html

によると

「1936年10月 満州国国務院実業部総務司長(満州国における行政機関。
同国は議会を持たなかったため、国政の最高機関であった)に就任く」

***引用開始***
・・・

なんとも酷い、日本による阿片汚染の実態である。これが大東亜共栄圏の実態である。

シンゾーの祖父岸信介は1936年10月に満州国国務院実業部総務司長(満州国における行政機関。同国は議会を持たなかったため、国政の最高機関であった)に就任。満州時代に関東軍参謀長の東条英機や日産コンツェルンの総帥鮎川義介ら軍部や財界要人と関係を結んでいった。阿片による莫大な金が岸に動いたことは容易に想像できる。
http://www.asyura2.com/07/bd50/msg/347.html

自民党「大物」政治家の資金源

 「小泉総理の父、祖父が、第二次大戦中、中国侵略を進めた大政翼賛会の政治家であり、安倍晋三官房長官の祖父が、中国侵略の中心人物、岸信介であり、麻生太郎外務大臣の祖父が、中国侵略軍の中核に居た吉田茂である」という家系の意味するもの。

 1939年4月、陸軍省軍事課長、岩畔豪雄を中心に、三井、三菱、大倉財閥の出資で満州に「昭和通商」という商社が作られた。
 主な業務はアヘン密売であり、実働部隊として岸信介、佐藤栄作、池田勇人、吉田茂がアヘン密売に関与し、満州国の運営資金をアヘン売買で調達した。

 これは、1894年の日清戦争で勝利した日本の内務省衛生局長、後藤新平が、「満州経営の資金調達のため、アヘンを国策として売買すべし」と主張して以来の日本の国策だった。後藤は、後に満鉄初代総裁になっている。

 戦後、自民党から出て首相になった4人の人物が、膨大な部署のある軍部の、しかも満州の、たった1つの部署に集中していた、というのは偶然にしては余りに不自然である。
 4人の首相は、全員麻薬売買を中心的に担い、右翼の「大物」と言われる児玉誉士夫等は、むしろアヘン売買では「小物」であり、4人の首相が麻薬売買の中心に居た。

 中国における麻薬の売人が、戦後4人も日本で首相になった、その理由としては、アヘン売買の利益が敗戦とともに日本に持ち帰られ、自民党「大物」政治家の権力獲得資金源になって行った可能性が、極めて高い確率で考えられる。
 侵略戦争の中核に居た人物等の末裔が、現在、政治権力の中枢に居るのは偶然ではなく、彼等の活動資金の源に理由がある。
http://alternativereport1.seesaa.net/article/49243912.html
・・・
***引用終了***



(了)

【関連Twitter】
「盛田隆二さんへのTwitter_おっしゃることは、その通りではありますが、
岸信介の経歴を問題にする場合の最大のキーポイントはこれだと私は思うのです。

1936年(昭和11年)10月
 満州国国務院実業部総務司長」
https://twitter.com/reef100/status/1071368908479885313

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